第10話
「そ、そんな……」
「誠に信じがたい話だが……あれを見た後ではな……」
「とにかく、あのレオレプトルは何者かが生み出した怪物だろう。私やバレント、ましてやアーリにそんな技術があるわけがないだろう?」
「で、では……誰が……」
ジェネスの虚空への問いかけは病室内に虚しく消えていく。
狩人達がいなくなったこのタイミングで、人間の手によって作られた人工の怪物が街に襲撃を仕掛けて来たのだ。少なくとも情報を流した人物がこの街にいる可能性が高い。
この場にいる全員、まだ幼いアーリにでさえ理解できる事実であった。
ずしりと重たい沈黙が部屋の中に流れ出す。途端に街の喧騒が窓を突き破って聞こえてくる。外を歩く救護兵達の靴の音がコツコツと鳴り響く。
ジェネスは頭を抱え、冷たい床を見つめる。脳裏に街の住民達の顔が浮かんでは消え、また浮かぶ。誰を信用していいのか、誰が敵なのか。
兵の一人一人、市民達や有力者達。その途方もない数の人々が裏切り者としての可能性を孕んでいる。
そして、街を、善良な人々を守る手段を打たなければいけない。兵力と武装の増強が先決だが、誰に情報が漏れているのか分からない以上、下手に動けば更なる火の粉が降り注ぐかもしれない。
それに調査隊達が戻らなければ、ますます市民に広がるばかりだ。腕利きの兵を
解決しなければいけない課題が——。
「あの、ジェネスさん! わ、私、東の樹海に行きたい……バレントを探しに行きたい!」
ベッドの上の少女が真っ直ぐにジェネスを見ていた。決意に満ち溢れた表情だ。
彼女の申し出はジェネスにとって願っても無いほど有益なものだ。あの怪物をねじ伏せるほどの能力を持った者が、調査を買って出てくれたのだから。
もちろん、それがいたいけのない少女でなければの話だが。
「アーリ・レンクラー、それは……」
冷徹の指揮官とも名高いジェネスだが、根はそこまで非情な人間では無かった。少女にさあ、行ってこいなど言えるはずもない。
白狼は大きくため息を付いた。
「そう言い出すと思ったぞ」少女の方に向き直り、真っ直ぐな瞳を返した。「……絶対にだめだ、お前を危険に晒す事は——」
「でも! バレントが言ってた! 私はもう自分の判断で狩りに出てもいいって、責任も自分で取れるし、もう子供じゃないって!」
「だが……お前の安全が——」
「ループに許しをもらう必要なんてない。私が行きたいから行くの! ジェネスさんにも、この街にも悪い話じゃないでしょ」
事実だった。まるで冷たい石のような事実。ジェネスにも、ループにもそれは分かっていた。
これ以上兵が外に出て、万が一、行方不明にでもなれば、街は大混乱の渦に巻かれてしまうだろう。街はやっと、数年前の事件の事を忘れ始めた。ジェネス本人が樹海へ行くなど持っての他、他に誰が調査をできると言うのだろう。
シーツをぐっと握りしめ、少女とは思えない言葉を力強くぶつけてくるアーリに、ループはもう一度はぁと大きくため息をついてゆっくりと目線を下げる。
「もういい!」アーリはベッドから飛び起きて、病室から出て行こうとする。「私一人でも行く!」
少女の右腕に若干の痛みが走るが、そんなことはどうでもいい。決意から湧き出るアドレナリンが彼女の全身を駆け巡る。
「待て!」ループはアーリの後ろを歩いていく。「全く……誰に似たんだか……。お前を一人にしてはバレントに申し訳が立たない、私も、行こう」
顔を見合わせて頷き合う白狼と少女。
「分かった。君達が調査を買って出てくれるなら心強いことこの上ない。準備が必要なら兵団ができる限りの事はさせてもらおう。これが私からの感謝の印だ」
「ありがとうございます、ジェネスさん」
「ああ、最低限の食料と弾をもらって行こう。あの怪物には銃が効かないかもしれないが……まぁ、ないよりましだ」
「うん、準備して出発——」
「ちょっと待ってください!」
「止まれって!」
「離せ! アーリちゃんが死んじゃうかもしれないんだ!」
廊下が急に騒がしくなった。女性が廊下の奥から叫んでいる。
どうやら兵士達がそれを止めようと押さえ込んでいるらしいが、どたどたという足音と引きづられる金属のクリーブの音はだんだんと近づいてくる。
アーリとループはこの声に聞き覚えがあった。
「アーリちゃーーん! ん⁈」
がらりと病室の扉が開かれたかと思うと、驚いた小鳥のような顔をした褐色肌の女が現れた。本当に急いできたのだろう、黒く美しいはずの髪はバサバサと乱れていた。
「ミリナさん!」
アーリの姿が二つの緑色の目玉が涙ぐむ。
「よがっだああー」彼女は自分よりも小さいアーリに泣きつく。「じんばい、じだよおー」
「ったく、お前はいつも考えるより先に突っ走るな」
「す、すみません兵団長! 止めたのですが……」
「構わない。話はもう済んだ」
ジェネスはそういうと足早に病室を出て行く。
廊下の奥からはジェネスが兵に向けて出した指示が聞こえてくるが、ミリナの鳴き声がそれをかき消した。
冬も近いというのにジーンズとタンクトップ姿。思い立ったら即行動の性格に移すタイプの彼女はナーディオの弟子で、ハンターとしては中堅クラスだが、盗人あがりの感と身のこなしで実力上げてきた。
アーリの先輩ハンターであるが、まるで実の姉のように彼女を可愛がってもいる。
「あ、あのね、ミリナさん……」
子供のように泣きじゃくるミリナにループとアーリは、街に起きている事、そして彼女達が東の樹海へ旅立つ事を伝えた。
「……なるほどね」ミリナはぐっと拳を握り込んで見せた。「私も行く。師匠を探すのは弟子の務めでしょ?」
「お前ならそう言うと思った。準備して出発だ、早いに越した事はない」
ループはそう言うと、ミリナの脇を抜けて外へと歩き出した。
昼前の街、そこにいつも通りの喧騒があった。まるで未知の脅威など微塵も恐れぬように、いそいそと自分の仕事に精を出す。彼らにとって怪物とはすでに恐るべき対象ではなくなっていて、生活の一部として日常の光景であった。もちろん彼らの多くはそれが人工的に生み出された機械生命体であることなど知る由もないのだが。
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