第9話
「街を脅かす怪物め! 消え去れ!」
ジェネスは力を柄に込め、剣を深く突き立てた。
刃が怪物の目にのめり込んでいく。ギリギリと音を立てる。火花が飛び出し、明らかに血では無いドロドロとした赤い色の液体が溢れ出して、冷たい金属の頭部を流れて地面に滴り落ちる。
怪物は暴れ出し、上に乗るジェネスとループを振りほどこうと足掻く。金属の爪が街道に敷かれたレンガに食い込んでバキバキと破壊し、長い尻尾が見境なく周囲の家を横に薙ぎ払って破壊する。天へと向けて放たれた咆哮は周囲の大気をビリビリと震わせる。
「ぐっ、離れるしかない!」
振動に耐えきれなくなったループとジェネスは、半ば振り落とされるように地面へ着地する。
だが、暴れ狂う怪物の鋭い爪がジェネスの鎧をなぎ払う。ジェネスの体はボロ切れのように宙を舞い、隊列を組む兵士の前へと放り出された。
「兵団長!」
「取り、乱すな! 俺は平気だ!」
兵の差し出した手を振り払い、なんとか立ち上がる。
強がるジェネスだったが、爪の形に砕けた鎧からは生々しい引っ掻き傷が見え、大量の血が流れ出している。
片目を潰されて視界が悪くなったレオルプトルだが、残ったもう片方の赤い瞳がぎょろぎょろと動き、周囲の状況を確認しているらしい。
「撃て! 金属以外の部分を狙うのだ!」
ジェネスの号令に兵士達が再び銃撃を開始するが、怪物の腹部に打ち込まれた弾丸はまるで吸い込まれるかのように毛皮の中へとのめり込むのみだった。
「くっ……どこまでも頑丈な怪物だ! 射撃の手を緩めるな!」
「ま、まだ動けるの⁈」
「体内のほとんどの組織が人工的な何かで出来ているらしい。腕の筋肉も自然のものでは無かった。人工筋肉ってやつだ、同じ物に覚えがある。銃弾も、剣もほとんど効かない頑丈な筋繊維だ」
「そ……そんなのって!」アーリの中であらゆる疑問が浮かび上がるが、今はそれを飲み込むことにした。「た、倒すにはどうすればいいの?」
「……奴の動きを止めるしかない。アーリ、お前だけが頼りだ」
ループにもアーリにも打開する方法は分かっていた。少女の力でそして、それは確実ではないことも。
「……できるか?」
「と、とにかくやってみる……」
「分かった。私があいつの注意を引く、その間に動きを止めるんだ」
そういうとループは怪物の前へと飛び出た。それまで人間の言葉を発していた彼女だが、その時ばかりは狼の咆哮をあげた。管楽器のような甲高い音色が周囲を包み込む。
「あいつ……勝手な真似を! 総員、射撃止め!」
「こっちだ! デカブツ!」
ピタリと止んだ鉛の雨、目の前にいる白い狼。怪物が狙いを定めるのは、当然ループだった。
レオルプトルは鋭い爪を振り下ろすが、ループは軽やかにそれを躱す。地面に大砲を打ち込んだかのように重たい衝撃が走り、レンガの道を陥没させた。
泣きじゃくる子供のように怪物は、ループを捉えようと暴れまわる。
アーリは自分の右腕に、そして全身の内側に眠る怪物の力に呼びかけた。未知の脅威を止めたいと、力強く心が叫んだ。
気づけば彼女は森の中にいた。暖かい陽だまりに照らされたその場所は、暖かく、穏やかに少女を包み込んでくれる。
「ここは……?」
ふと気づくと、ムムジカが目の前にいた。アーリに向けられた優しそうな瞳が真っ直ぐと彼女を見つめている。
「あなたは……?」
アーリの呼びかけに答えるように、ムムジカはゆっくりと一歩ずつ歩み寄ってくる。
一匹の怪物だとしても、アーリに怖さは感じられなかった。
首を垂れ、立派にそして複雑に絡み合う木の枝のような角をアーリに向けて突き出した。
「……そっか、力を貸してくれるんだね」アーリはその白く大きな角に手を伸ばして撫でた。「……ありがとう。上手く使ってみるね」
「アーリ! 今だ!」
ループの声にアーリが前を見ると、飛び掛かった怪物がバランスを崩していた。
「これで、止まって!」
光り輝く右腕を前に突き出すと、数十カ所から白い角が腕から飛び出した。それらはまるで地面に張り巡ろうとする木の根っこのように互いに絡み合って、また枝分かれし怪物に向かって伸びていく。
瞬きしたその一瞬で、鋭い角の先端が怪物の体を貫き、針地獄のように怪物を串刺しにした。機械の装甲までも貫き、また関節に絡みついて怪物の動きを阻害する。
「これで、止まった、はず……」
しばらくもがいていたが、怪物は徐々に動きを緩めていく。赤い瞳からはだんだんと精気が薄れ、終いには動きをピタリとやめた。
「よ、か、った」
皮膚を突き破るように生え出した角の根元から赤い血が染み出し、右腕を滴って地面へぽたりぽたりと落ちていく。
それは強大な力を扱う代償であった。
アーリの全身から力が抜け、がくりと膝を付くと、角は根元からぱきりと折れた。
薄れゆく意識の中で、少女の耳に届くのはループの声だった。
「アーリ! おい! お——」
「なっ……なんなんだだ、これは……」
冷徹兵長のジェネスであったが、こんな光景は見たことなかった。重火器の効かない未知の怪物、そしてそれを串刺しにするほどの威力の異能を操る少女。
それでも、彼には兵士長の威厳を保たなければならない責任があった。動揺する素振りを見せてはいけないと、平然を装い、部下達に指示を飛ばす。
「怪物少女に手当てだ! 残りは夜通しで壁の修理に当たれ! いつまたこのような怪物が乗り込んでくるかも分からない。気合いを入れろ! 警備も強化だ!」
「う、うーん……」
次にアーリが目を覚ました時、彼女は見ず知らずの場所にいた。
煉瓦の壁に綺麗な天井。暖かい布団とふかふかのベッドが彼女を包み込んでいる。空気中に漂う消毒液の匂い。どうやらここは中央街にある医療施設のようだ。
窓から見える外の景色は、白っぽい光に包まれている。どうやら一日以上は寝込んでいた。
「目が覚めたか? 体の調子はどうだ?」
「る、ループ……」アーリがベッドの横を見ると、見慣れた白い狼がちょこんと心配そうな顔で覗き込んでいた。「……あ、ば、バレントは⁈」
ループは小さく申し訳なさそうに首を振る。
「まだ、帰ってきてないの……」
「ああ、どうやら想定外の何か……があったらしいな。私の勝手な推測だが街を襲った怪物になにか関係があると思う」
「機械みたいな体……してたよね。あの子はいまどうしてるの?」
「ああ、ロッドや兵団の技術担当達が共同で調査している」
ループの後ろで勢いよく扉が開かれ、イライラしたような面持ちの切れ長の目の男が入ってきた。
「目が覚めたか、アーリ・レンクラー」
口調は穏やかだが、目つきは鋭くナイフのようだった。
「ジェネスさん……怪我は」
「お前に心配される必要はない。それよりお前らに幾つか質問がある」
「質問……?」
「私達は何も——」
「黙れ!」ジェネスは剣を抜き、ループに向けた。「……あの怪物について知っている事を洗いざらい喋ってもらおう」
「え、あっ、なっ……私達は何も……」
ループはアーリとジェネスの剣の間に入る。
「ふんっ、まずは街を助けたのに感謝の言葉も無しに剣を向けるか。愚かだなジェネス」
「お前達があの怪物を街に差し向けた可能性だってある。敵かも分からない相手に、感謝の言葉など必要無いだろう?」
「なら尚更だ。自分達が放った怪物を自分達で倒す意味がないだろう」
ジェネスは返す言葉を探して、おし黙る。あらゆる可能性が彼の頭を駆け巡る。
「くっ……それも……そうか」そういうとジェネスは地面に片膝を付いて、頭を深く下げた。「協力、感謝、する……決めつけて、すまなかった。君らの知っている情報が欲しい……だけだ。街を守るために、協力してくれ」
「ふっ、頭を上げろ、若造。私達も別に叱りつけたいわけじゃない。お前がこの街を必死に守りたいのは分かっている」
そういうとループは知っている事を喋り始めた。以前街を納めていた五人の人物、その中の一人に異形の体を持つ男がいた事。そして、今日この街を襲った怪物と同じ人工の筋肉を体に埋め込んでいて、血も通わぬ体を持っていた事も。
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