第3話

 街の近くの平原は馬車などの往来があるのか、地面が踏み固められた一本の道が続いている。その道を走り抜ける二頭のオクトホースと白狼の毛皮を、柔らかい昼下がりの風が撫でた。


 都市へ近くたびに、その周りを囲う堅牢な壁が大きく見えてくる。長方形の石材を四十メートルほど組み上げた防御壁は、この街の潤沢な資源と建築技術の高さを周りに知らしめている。


 都市の直ぐ西側を流れるリード川は街の生活用水を賄ってもいる。人工的に分けられた川の支流が北から街の周りを囲む用水路に流れ込んで南へと流れていく。


「いつも通り二番街から入るぞ」バレントは後ろを振り向きながらそう言った。「ロッドにも初めての獲物をお裾分けしないとな」

「ロッドおじさん、喜んでくれるかな?」

「あいつはなんでも喜ぶさ。特にアーリの事は何かと気にかけてたからな」


 バレントの無骨な言葉に、アーリは嬉しさを覚えた。まだ幼い自分に何か誇れる物ができたような気がしたからだ。たとえそれがムムジカの肉であったとしても、少女には大きな勲章のように思えたからかもしれない。


 バレント達の目指す先、二番街は街の北部中央に位置しており、主に鉄鋼加工品などが主に生産される場所だ。近くに寄れば、鉄や燃料の燃える焦げ臭い匂いと、ハンマーが金属を打つ小気味よいリズム、作業員達の活気付いた声が街の外からでも聞こえてくる。


 バレントやアーリを含めた多くのハンターがここに通い、新しい武器や装備などを調達するのだ。一般の市民達に向けても料理に使う包丁やランプなど様々な物が提供されている。


 防御壁の跳ね橋と街を取り囲む水路の前で彼らは馬を止めた。

 壁の上から覗き込む兵士達にバレントが声を張り上げる。

「悪いが橋を降ろしてくれないか?」

「バレントさん! 今降ろさせます」


 見張りの兵の姿が見えなくなったかと思うと、跳ね橋が歯車の駆動音と共にゆっくりと降りてくる。

「ありがとう」

 バレントは兵に一礼すると、街の喧騒の中へと入っていく。

 レンガで綺麗に整備された道は一直線に中央街へと続いていて、両脇には工房や商店が立ち並んでいる。


 防護壁の中に入ってすぐ脇には馬を停めるための厩舎があり、バレントはそこの管理人に馬を預けた。一か月に数十回も通い詰めていれば兵士も、管理人もバレントの顔を見れば何をしてほしいのかわかるようになっていた。


 街の入口でループは不思議な光景を眺めているように辺りを見渡した。

「ここだけでもかなり変わっているな」

「ああ、街全体が少し広がったからな。前までは入ってすぐにロッドの店があっただろう」

「確かにな」ループは鼻をヒクつかせ、周囲の様子を匂いで探る。「油臭い奴の懐かしい匂いがするな、早く会いに行こう」


 二番街の中心を十字に走る街道を行き交うのは、食品やフルーツを乗せたカートを押す行商人達や持ち場交代のために移動する兵士、街の南の採掘場から運ばれてきた鉄鋼素材の荷車などだ。


 その中の一つ、一際目立つネオンピンクのペンキで書かれた看板の下で、作業着に身を包んだ大柄の男がバレント達を見つけて作業を止めた。

 精密機器を弄るためのゴーグルなのだろうか、レンズの上にさらにレンズが付いた拡大鏡らしきものを付けている。長く伸ばした顎髭と鬼のようなゴツゴツとした仏頂面。白髪交じりの短髪。

 如何にもお堅い職人のような瞳が、二人と一匹を見つけて穏やかな親戚のおじさんのような優しい目に変わった。


「おうおう! 三人で来るのはひさしぶりじゃねぇか!」

「ロッドおじさーん」

 アーリは金髪と鞄を揺らしてロッドの元へ駆け寄り、ダイブするようにハグをした。


 彼女に取って鍛冶職人のロッドは、もう一人の父親代わりのような存在だった。近しい年代の友達と街で遊ぶときでさえ、彼の店に顔を見せに行き、今日は何をするだとかバレントやループがこんなことをしたとか他愛もない話をするのが彼女の密かな楽しみでもあった。


「初めての狩りはどうだった、アーリちゃん」

「うーんと、まぁまぁ、かな? 私が捕獲から解体までやったの!」そういうとアーリは鞄の中からアイスクリスタルボックスを取り出して、その中から肉を取り出した。「はい、一番美味しいロース! みんなで食べて!」


 ムムジカのロースは、いくつかある部位の中でも一番肉の味が楽しめる部分で、さらに脂身が少ないのだ。そこを選んだのは美味しいからという理由と共に、年齢を重ねて健康を気にし始めたロッドへの配慮でもあった。


 ロッドがひんやりとした布を広げると、その中からルビーのようにキラキラと輝く五キロほどのムムジカの肉の塊が現れる。彼はそれを満足げに色々な角度から眺めた後、目頭を押さえた。


 十二歳の少女が大変な作業を一人でこなして見せたというのだから、嬉しさがこみあげてこないはずもなかった。


「上等、じゃねぇか。よくやったな」

 今にも泣き出してしまいそうなロッドにアーリは嬉しそうな表情を見せた。

「うん!」


 アーリの後ろの人混みを掻き分けて、ゆっくりとループとバレントが近づいてきた。

「久しいなロッド、四年ぶりぐらいか?」

「おやおや、毒舌狼ループも少しは丸くなったみたいだな」

「ふん、少しは再開の喜びを分かち合うとかはないのか」


 こんな会話も昔から変わってはいなかった。ループを狼や怪物だと捉える人は少なくなく、そしてそれが彼女を街に寄り付かせない主な理由だった。その点ロッドはバレントもアーリもループも分け隔てなく接してくれるため、ループにとっては気を許せる数少ない街の住民だった。


「やあ、ロッド」

「おう、バレントか。肉の差し入れありがとうな」肉を保存機に入れに行こうとと振り向いたロッドだったが、何かを思い出したかのようにもう一度バレント達を見た。「そういえば、例の奴できてんぞ」


 ロッドはそう含みのある言い方で言い残すと作業場の裏へと消えていく。


「例の奴ってなに?」

「さぁ、私にはさっぱりだ」


 困惑するアーリと首を振るループの横で、バレントは腕を組んで嬉しそうにしている。 


「まぁ、来てからのお楽しみだ」


 ロッドの入っていった部屋からはなにやらガチャガチャと何か金属の物を動かす音が聞こえる。

 二分ほど経った後、ロッドが皮の入れ物に入った一メートルほどの長い物を持って戻ってきた。


「これだ。俺が作った一級品だぞ。これ以上の物は今まででも作ったことはないな」


 職人の汚れた手から手渡されたつやつやとした皮のケースを受け取ったバレントは、それを開けて中身を取り出す。


 まず最初に見えたのは黒く艶やかにバレル。そして焦げ茶色の木製ストック。銃弾を込める為のボルトアクション機構。そして狼を模した金色の——しかし決してうっとおしくないほどの量の装飾。バレントが受け取ったのは、鍛冶職人が作った新しい猟銃だった。


「また新しい銃を作らせたのか」ループは呆れたように、どこか演技ったらしく首を横に振った。「一体何本——」

「いや、これは俺のじゃない。アーリのだ」


 バレントは少女にその新品の銃を差し出す。


 金髪の少女は面を食らったように、綺麗なオッドアイを大きく広げて目の前に出された銃を見た。


「えっ……本当に? いいの?」

「ああ、お前の十二歳の誕生日と……ハンターとしての仲間入りを祝ってプレゼントだ」

「……なるほどな。バレントにしてはなかなか粋なことをするじゃないか」

「そうだろ? 色々迷ったがやはりハンターとしてのアーリにふさわしい物を選びたかったんだ。さ、持ってみろ」


 アーリはまだ信じられないと言った表情で、そのライフルを受け取る。まん丸くした目で銃の隅々までを眺めている。少し日に焼けた細い指で、金色の装飾の感触を確かめるようにゆっくりと撫でた。


「バレントのより軽い……。それにかっこいい……」

 それは言葉というよりも彼女の感情がのどから押し出されたものであった。感動、嬉しさ、そして少しの申し訳なさが混ざり合ったもの。


「ああ、いい銃だろ? 新しく発見された鉱石をふんっ、だんに使ったんだ! 軽くて丈夫! 変形しにくいから長く使えるぞ。多少乱暴にも扱えるからアーリちゃんみたいなじゃじゃ馬新米ハンターにはうってつけだ」

「……あ、ああ、ありがとう、バレント! ロッドさん!」


「おっと、もう一つ忘れるところだった」ロッドは後ろ手に持っていた物を見せてくる。「これはループからのオーダーだ」


 今度は皮のホルダーに刺さったナイフ。柄の部分には銀色の装飾で鷹が描かれている。刃の下にトリガーの付いた特徴的な構造を見ただけでアーリはそれが何か分かった。


「ヒートナイフも⁉️ こんなにもらっていいの……」


 喜びを隠しきれない様子のアーリを見て、バレント達は頷いた。大人の仲間入り、家族の成長を祝福することは彼らの喜びでもあったからだ。


「ああ、ループもおやつを我慢して、これらを買う金を貯めるのに協力してくれたんだ」

「む……おやつなんて私は食べないぞ」


 ループはなんだかむず痒そうに震えた声を出した。


「そうだったか? ……じゃあ、これからフルーツは買わなくてもいいな」


 からかい気味の口調でバレントはそう返した。


「そ、それは……」


 恥ずかしそうに顔を背けるループの横で、周りの喧騒に負けないほどの和やかな空気と笑いが生まれた。

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