第4話

 怪物の体に生成されるクリスタルをエネルギーとして利用することで急速なる発展を遂げた街、キュービック・シティ。

 生活のあらゆる分野でクリスタルは重宝され、それなしでは生活がままならないほどに、この街の根幹を成していた。

 

 そして人間達は、怪物が持つ強大な力を利用できまいかと模索し始めた。家畜化、食用化、衣服、はたまた移動手段に至るまで。


 怪物がこの世に生まれて以来、一度崩壊しかけた人類は少しずつではあるが、個々の持つ技術や知識、または力をもってそれらをどうにか制御しようと試みてきた。


 しかし、数年前のある事件により街は大きくその姿を変え、名前も新しくなった。それがヘックスシティである。

 今までチェスボードのように四角形できっちりと精密に区画分けされた街であったが、圧制と資源独占からの解放に伴い、市民たちは思い思いにその活動圏を伸ばせるようになったのだ。


 六角形の街という名前の通り、都市全体が少しずつ膨張をはじめ、蜂の巣のように拡大を始めたのだ。


 そしていま、不穏の種が再び芽を出そうとしている。



 ヘックス・シティから東側は見通しの悪い樹海が広がっており、そこを超えると背の高い山がある。

 街を出て三キロほど東に進んだ先に設置された関所には、ほとんどの人間は寄り付かない。兵士達による遠征調査も進んでおらず、時折ハンター達が樹海に入って狩りをする程度であった。


 しかし、そこから戻ってきたハンター達は皆、口を揃えて『恐ろしい場所だ。近づかないほうがいい』という。実際にこれまで樹海へ入った数十人の人間が、それ以降消息を絶ったこともある。

 風のうわさによれば、新種の怪物がうじゃうじゃいるだとか、亡霊に取り囲まれただとか。そこに関する噂だけで本が一冊書けてしまうのではないかという数の真偽不明の情報が、市民の間では広まっている。


「あーあ、ついてねぇぜ。こんなところの警備に任命されるなんてさ。お前もそう思うだろ?」

 真面目そうな面持ちの兵士は嘆くようにそう言った。

 

 彼は関所の横に併設された物見櫓ものみやぐらの上で東の昼頃の空で彼らの仕事をこなしていた。


 そしてその場にいるもう一人の男は、何の気なしに返事を返す。

「あ? 別に? 俺はそうは思わないけどな」男は床に尻を付くと、懐から瓶を取り出すと、ぐいと一口飲んだ。「なんてったってここは誰も寄り付かねぇんだ。厄介事も面倒な上官の監視もないんだ。外に放たれた超優秀な警備機構達が稼働してるしな。おい、お前も一杯どうだ?」


「お気楽だねぇ。ジェンネス兵長が見回りに来たらどんな目に合う——」


 監視塔の上にいた男は横目で何かを発見し言葉に詰まった。お気楽にしている男の横で、望遠鏡を覗き込み、その”何か”がなんであるかを確認しはじめた。


「来るわけねぇだろ? 今——」

「おい! あれを見てくれ!」


 お気楽に酒を口に含んでいた男だったが、もう一人の尋常ではない緊迫した声色にむくっと立ち上がり、樹海の方に目をやった。


「どこだよ?」

「あそこだ! 見てみろ!」望遠鏡を差し出し、森の右奥の方を指差した。「警備機構達の赤い光があそこに集まってる。今までこんな事……報告されたことないのに」


 興奮した男の言葉通り、樹海のある一点に赤い光達が集結している。そしてそれらは一つ、また一つと光を失っていく。

 時間差で一番最初に赤い光が消えた場所から薄灰色の煙が空へと伸びていく。

 


 ロッドの店がある二番街を抜けて、バレント達は街の五番街へ向かっていた。

 五番街はこの街が出来た当初から一番華やかな場所であった。服飾産業を一手に担うこのセクションはファッション・ディストリクトとも呼ばれ、服を製造や販売をする店舗が多く存在する。

 衣食住の一つを支えているため、物流の量も多く、ほとんどの毛皮や怪物達の素材はここに集まってくる。


 バレントとループの前をスキップするように軽やかな足取りで進むアーリは、鞄の重みを今一度確かめながら後ろに話しかけた。


「いくらくらいで売れるかなー? 角と皮はここで売るんでしょ?」

「ああ、冬に備えて皮はいくらでも欲しいはずだ、かなりいい値段がつくと思うぞ」


 バレントのはっきりとした物言いに、アーリは目をキラキラと輝かせた。少女にとって初めて自分でお金を稼ぐという行為は、大人への一歩を踏み出したような晴れ晴れしい気持ちにさせてくれた。


 素材を売ったお金でなにを買おうかと、もうすでに彼女の頭の中の計算機はフル稼働していた。新しい洋服に、美味しいご飯、読みたかった本。欲しい物を並べたらきりがない。

 もちろん今までも街で遊ぶ事はあったが、バレントはあまりお金を持たせてくれなかったのだ。少女に取って一万グランだとてかなりの大金だ。


「えっとね、まずお昼ご飯はステーキが食べたい! モウルビーフのやつ! イッチバン高いの! 私のおごり!」

「ほう、アーリ、いいじゃないか。これが終わったら三番街へ行こう」

「おいおい、あまり無茶するなよ。一番高いやつを三人に奢るとなると七千グランは堅いぞ」

「いーの! 別にほかに高い物なんて欲しくないんだし!」

 数時間前の自然と相対する真面目な表情とは真逆の年相応のキラキラとした自信に満ち溢れた笑顔は、バレントとループにまで伝染したようだった。


 そこから五分も歩かない内に、バレント達は世話になっている加工業者の前にたどり着いた。


「早いところ売ってここを離れよう」ループは周りを気にするようにキョロキョロ左右を見ている。「私の毛皮の値打ちの話をされるから、あまり居心地が良くないんだ」


 少女が気が付くと、心なしか彼女の周りを通る人々は、彼女の存在よりもその艶めく毛並みを羨んでいるような眼差しを向けている。人語を喋る狼というのだけでも珍しいのに、雪のような真っ白な気高い毛並みはかなり目立つのだ。


「そうだね、早く行こ——」

「通せ! 道を開けろ! 兵団だ、道を開けろ!」


 アーリが我先に皮を買い取ってもらおうと走り出すが、雄々しい男の叫び声に足を止めた。


 街の喧騒を切り裂く蹄の音が、五番街から外へ出る橋の方向から聞こえてきたかと思うと、海を割ったように通行人が端へ寄っていく。


 オクトホースに跨った一人の兵士が五番街を横切り、中央市街セントラルへと駆けていく。それを見送った通行人や通りに店を出す商人達は、一瞬困惑した様子だったが、すぐさま彼らの日常に戻っていった。


「焦りと恐怖の匂いがした。バレント、どう思う?」

「よくわからないが、あの急ぎ様はなにか東の樹海であったな……飯を食ったら師匠の所にも寄ってみるぞ」

「う、うん」

 アーリは何か嫌な気配が肌をツンツンと差すのを感じていた。言葉にこそしなかったが、バレントもループも似た様な物を感じていたのかもしれない。それでも口にしてしまえば本当になる気がしてアーリは少し怖くなった。


 皮を売った後、彼らは空かせた腹を満たすために三番街へ戻った。

 北東に位置するこの場所は、衣食住の食が集まる場所だ。南の石切り場までの範囲にある畑や放牧場で作られた物や、北の森の恵みなどのほとんどは三番街へ運ばれる。

 ここ以外にも歓楽街である六番街にレストランなどはあるのだが、古くから飲食街として栄えてきたこの場所の方がアーリにとっても居心地が良かった。

 

「ガーレルおじさん! 注文お願いします!」

 アーリは厨房まで響く声で叫んだ。


 肉の焼ける香ばしい匂いが充満する店内。テーブル数は四つと広くはない店内だが、木製のロッジの様な内装がおしゃれで居心地がいい。


 アーリがバレントとループに初めて会った時から行きつけにしている店、スモークキッチン・ガーレルは三番街の裏路地にある隠れた名店だ。金持ちから貧乏人までファンは多く、昔から変わらぬ絶妙なハーブやスパイスの配合と注文されてから焼き始める新鮮さが売りだ。


 キッチンの両開きの扉から白髪混じりで小太りで優しそうな顔をした店主が、水の入ったグラスを三つ持って出てきた。


「久しぶりだな、ガーレル」

「いらっしゃい、バレント。珍しく今日は三人揃ってか」店主はグラスをテーブルに置くと、エプロンからメモ帳を取り出した。「今日はどうする?」

「ちょっと贅沢に! モウルビーフのステーキ三つと特製パン三つ、お願いします! あと……」アーリは鞄の中からボックスを取り出し、中に入った肉を差し出した。「私が獲って捌いたの! 食べて!」

「お、アーリちゃんがやったのか」店主のガーレルは嬉しそうにそれを受け取った。「カルネもアーリちゃんを見習ってほしいもんだな」

「ふふ、カルネは今日はいないんだ?」

「いるぞ、裏で仕込みを手伝ってくれてる」


「ちょっと行ってくるね」


 ガーレルがキッチンへ戻っていくのと同時に、バレント達に断りをいれたアーリは席を立ち、店の裏手へと回った。


 パイプの張り出した細い路地には、光があまり届かなく昼過ぎなのにも関わらず薄暗い。空になった酒樽や捨てる前のゴミが端に寄せられていて、人一人がやっと通れるくらいの幅になっている。 


「カールーネー!」


 路地いっぱいに広がるアーリの声に、樽の上に腰掛けて一心不乱に芋の皮を向いていた黒髪で清潭な顔つきの青年が顔をあげた。アーリと同じくらいの年齢なのだが、身長はアーリより少し低く、体つきも小柄であった。


「やあアーリ」カルネは包丁を動かす手を止めた。「今日はどうしたの?」

「ご飯を食べに来たの! 私が初めて獲ったムムジカを売りに来たついでにね! 皮と角を売ったら四万グランになったの!」


 アーリは胸を張り、自慢げにそう言った。少し子供ったらしいがアーリにはとても大きな事だった。同年代のカルネは早くから父親であるガーレルの手伝いをしていて、アーリは尊敬にも似た羨ましさを彼に抱いていた。


「すごいじゃん! じゃあ、今度みんなでお祝いだね」

「う、うん……そうだね。あとね、えーっと……」アーリはポケットの中から何かを取り出して、握りこぶしのまま彼に突き出した。「これ! もらって!」


 なんだかわからない表情のまま、カルネは水に触れて冷たくなった両手を差し出した。そこにぽとりと落とされた物は、寒空の下の焚き火の様に柔らかな温かみを彼の手指に分け与えてくる。それを握り込むと指の間から微かな赤い光が溢れ出てくる。


「フレイムクリスタル? いいの、こんなのもらって。売ったらお金になるんじゃないの?」

「バッグの中で割れちゃった欠けらだから大丈夫! 記念にあげる!」


 カルネは手のひらを広げてもう一度その水晶を見た。彼女は割れたと言っているが明らかにそれは力を加えて故意に割られた様に綺麗な断面をしている。

 鈍感なカルネにはそんな事はわかっていないのだが。 


「ありがとう、アーリ! 大切にするよ!」

「うん、じゃあ……また、今度遊ぼうね」


 アーリは小さく手を振ると、踵を返して名残惜しそうにカルネの前を離れた。

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