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灰色の空。飛び立ったカラスの羽。わたしたちは適切な距離を取って歩いていた。いつもと変わらない様子でレヒメが先頭を歩いていて、いつもより恥じらいのあるティアが続き、いつだってわたしは最後尾。
用水路のそばを歩いているとき、わたしはそれを視認して立ち止まる。
「どうしたの」
ティアがわたしを振り返った。わたしは無視されてないと知って、嬉しかった。
「まだ、貧血?」
「ううん。あれ――」
ティアがわたしの視線の先を追う。
「ああ……」
ティアのその先の言葉はなかった。わたしたちの上方、見上げないとわからない位置に二人の人間が吊されていた。麻袋が被せられて性別は分からない。両手に板を持っていて、腕からは反乱分子のタトゥーが覗いている。板には、『自由を叫び続ける』と暴れ狂う文字。けれど、視線を少しずらすともう一枚別の筆跡で書かれた板があった。――『叫んでみろよ。』政府側の人間の仕業だった。
「可哀想だね。どうして逆らったりしたんだろう。黙っていればいいのに」
凍えるような冷たい声。いつの間にかレヒメが戻ってきていた。
「可哀想……本当にそう思ってる? わたしがいるからじゃなくて」
わたしは思わず言い返した。レヒメは耳馴染みのよいことを言いたがるから。わたしは死体に近づいた。当てこすりと思われても仕方なかった。制服の汚れを気にせず、跪いて祈った。
「何してるの?」
「弔い。レヒメもする? 可哀想でしょ」
わたしが言うと、レヒメは見つかったらどうするの、と驚いて建物の影に隠れた。ティアはその場を動かなかった。わたしをじっと見ていた。
「リフィルって変わってる」
レヒメは平坦な声を出した。それほど長く悼んでいたつもりはなかったけれど、レヒメにとって生きた心地がしないようで、わたしを置いてついに歩き出してしまった。
「変わってるよ」
レヒメがもう一度言う。レヒメが怒ったように見えて、わたしは少しだけ気分がよかった。わたしのペースに引き戻せた気がした。ティアは反対方向に離れていくわたしたちのどちらについて行くか思案し、レヒメを選んだ。
似たようなことは何度もあった。はっきりとは言ってないけれど思想の違い。でも、次の日には蟠りはリセットされて、また三人で仲良くしている。ただ、今回もそうなるかは確証がない。三人で睦んだのは初めてだったから。
わたしはティアの背を見ながら、憂鬱な気持ちになった。本当に体調が悪くなりそうだけれど、明日は保健室登校ができない。保健の授業がある日はどんな事情があっても出席しなければならないのだ。
わたしはもう一度、死体を見た。つま先を凝視した。やっぱり物じゃなかった。死体は静止しているようにも揺れているようにも見えた。わたしより、年上だったらと願わずにはいられなかった。せめて楽しい人生を十二年は生きていてほしかった。
わたしは白色の世界に歩き出した。
外は投光器で照らされ、至るところに監視カメラ。
あぁ、美しく素晴らしい国! どうして、わたしたちの国はこんなふうになってしまったのでしょうか。こんな国に誰がしたのでしょうか。
こんな――。わたしは無表情で、上下の歯を噛みしめる。
(こんな国に、誰がした――)
わたしは思わずにはいられなかった。
家に帰ったわたしは部屋着に着替えると、すぐに食卓に向かった。座って待っていようかと思ったけれど、じっとしているとあの死体が脳裏にちらついて気持ちが重くなるから、お母さんが食器を並べるのを手伝った。
「あら、珍しい子。どういう風の吹き回しかしら」お母さんが優しく言った。
「わたしだって時々はするよ」
「いつもしてくれたらもっと助かるんだけどね」お母さんは笑った。
「学校楽しかった?」
「うん。楽しかったよ」
「安心したわ。リフィルは優しい子だからうまくやれるか心配だったの」
わたしは頷きながらも苦い気分がした。保健室登校をしていることはお母さんには話していなかった。そう何度も保健室に行っていたとなるとお母さんに余計な心配をかけてしまう。
「お父さんは?」
話の接ぎ穂を失ったわたしは、何の気なしに聞いてみた。
「散歩。お父さんは夜行性だから」
「そっか。お父さん放浪癖があるもんね」
わたしとお母さんはくすくすと笑った。
「ほら、冷めないうちに食べましょう」
お母さんはわたしを促す。わたしはお母さんと向かい合って、いただきますを言った。お母さんはわたしがスプーンに乗ったミネストローネを口に運ぶのを、穏やかな笑みを湛えながらじっと見ていた。
「美味しい?」
「うん。とっても」
ミネストローネはわたしの大好物だった。お母さんはわたしの食べたいものを、まるで透視したかのように作ってくれる。
「お母さん……」
「何?」
わたしは言おうか迷った。レヒメとのこと、ティアのこと、そして今日見た死体のこと。
お母さんは助けてくれるかもしれない。でも、そのせいでお母さんがもっと傷つくことになったとしたら――。
「ううん。何でもない。ミネストローネ美味しすぎて、もっと作ってねって話」
「もちろん」お母さんは微笑んだ。「リフィルが喜ぶならお母さん何だってしてあげたいわ」
わたしは胸が苦しかった。今すぐにこの気持ちをぶちまけたいと思った。
「リフィル」
黙っているわたしに向かってお母さんは言った。
「ん……?」
「お母さんは何があってもリフィルの味方だからね」
お母さんはそっとわたしの手の甲に温かい手を載せた。
それでも結局、わたしは言えなかった。
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