第二楽章

 コムムワが泣いている。海を作りそうなくらい尋常じゃない声で。

 わたしたちはその理由を知ってはいたけれど、コムムワの涙を止めてあげることはできない。してあげられることと言ったら、黙祷するように俯いて瞑目するだけ。コムムワ、ごめんなさい。あなたのおもちゃを見つけてあげられなくて。

 職員が懸命に慰めているにもかかわらず、コムムワは強情なくらい泣き止まなかった。とうとう泣きじゃくりながら、保健室に連れていかれる。教室に静謐が取り戻される。安定。音が消え去って、緊張から解放されたわたしは不謹慎にも安堵してしまった。

 コムムワが泣いていたのは、おもちゃをなくしてしまったからだ。おもちゃを愛していたのは比喩ではない。わたしが人を愛するように、コムムワはおもちゃを愛する。こういう子は珍しくなかった。愛するものを失って泣く気持ちはとてもよく分かっているつもりだけれど、わたしは物を擬人化する現代的思考はどうしても受け容れられない。でも、そんなこと誰にも言えっこない。言おうものなら、いつかわたしも昨日の麻袋になってしまう。

「可哀想……」

 レヒメの声が空気を震わせた。それは昨日の麻袋を見た感想の響きよりも真実味があった。

 わたしはあえて何も言わなかった。レヒメは心の底から今の体制を愛していた。疑うことをせず、全身の細胞で享受している。時々、冷たく見えるのはレヒメが体制に反抗しているのではなくて、人見知りという性格とわたしに対する独占欲に由来しているだけ。レヒメは体制の信奉者なのだ。ティアはどうだろう。ティアは別の、よりよいクラスに在籍しているからここにはいない。ティアの口から、体制に関する私見はそれとなくでも聞いたこともなかった。でも、わたしはなんとなく察していた。ティアも体制を肯定しているだろう。それが普通だから。普通の人々の常識だから。

 スクリーンに画素の荒い映像が映される。保健の時間はいつもこうやって始まる。養護の先生は清潔な白衣を着ていた。

 わたしは、スクリーンに映る鮮やかな色彩を見始める。この世界がまだ正常だった頃の色彩を。


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