第74話 おやすみ

 この時俺は四神の力全てを込めた手をそっとかざし、最後の選択を取った。







「これでよし、目を開けろアレックス」


「っ!?これは…っ?」




 アンチセルリウムフィルター。

 力が全て解放された今の俺にはごく小規模ながらにそれを形成することが可能だった。


 四神の力と自身のサンドスターを混ぜ合わせアレクサンダーの体に巣食う厄介なセルリアンの部分を引き剥がし封じ込めたのだ。


「そしてこれをこうだ」


 フィルターに閉じ込められ俺の手の上で必死に動き回る赤いスライム状の物体、俺が力を込め続けるとフィルターがみるみる縮んでいきやがてその赤いものを消し飛ばした。


 これでこいつの生み出した負の遺産の処分も済んだ。


「何故だ?何故殺さない?さぁ殺れ!もう私には何もない、完全敗北だ!」


「やめた、お前は生きて償い続けろ」


「何故… 何故そんなことを…」


 俺が辿り着いた答えはやはり正解だったということだろう。アレクサンダーは目的の達成を願いながら同時に死を望んでいた。


 自身の犯してきた罪、隠してきた良心というやつがそれらを清算する為に死ぬことを懇願していたのだ。


「どうして… 私は…」


「もし死ぬ必要があるならいつかサーベルタイガーの牙がお前の喉元に喰らいつくだろう。お前がしてきたことは到底許されるようなことじゃない、これから償い始めたところで清算しきれるような生易しいものでもない… だがそれでも償い続けろ、それが俺からお前に課す罰だ」


 地位、名誉、名声、信頼、そして計画の全てを失い、残るはその身一つとなったアレクサンダーはガックリと力無く地に膝を着き、虚空を見つめては小さな溜め息を一つ着いていた。それは全てが終わってしまったという溜め息のようでもあり、どこかホッと一息着いたかのようでもある奇妙な姿だった。


「ネコマタよ」


「…?あなたは」


 そこに現れた一人の守護けもの。

 セルリアンの殲滅に参加していたのだろう、漆黒の羽をはためかせ右目を妖しく光らせるけもの。


「ヤタガラス様、ご無沙汰しております」


「うむ… だが細かいことはいい、時間が無いのだろう?後のことは余が引き受けよう」


 ヤタガラス様は今の俺のことを瞬時に理解してくれたらしく、アレクサンダーの身柄はこれから守護けもの連合の管轄で預かることになった。これからヤツがどうなるか、それは彼女達の意思に委ねられる。

 セルリウムの違法実験に加えフレンズの殺害までしている、ヤツの罪は数え出せば切りがない。俺は敢えて生かすという罰を与えたが、彼女達がどういう処分を下すのかは俺にはわからない。


 俺から守護けもの様一同に頼みたいことは一つだ。


「ヤタガラス様… 不躾で申し訳ないのですが一つお願いがあります」


「どうした」


「どうか、スザク様をあまり責めないであげてほしいんです。今回のことは全て俺の為にしてくれたことが裏目に出てしまったのです、なのでどうか…」


 一度目を閉じ静かに息を整えると、ヤタガラス様は再びその目を俺に向け淡々と今後のスザク様の処遇を話した。


「守護けもの… ましてや四神の一人に数えられる者がこれほどのことを招いた、申し訳ないがうぬ一人の声だけでおとがめ無しという訳にもいかぬのだ」


「わかっています… 代わりに俺に何か罰を与えてもらいたいところなのですが、どうもそれは難しそうです。頭を下げたからどうという訳ではありませんが、どうか… どうかスザク様の事は…」


 深く頭を下げ、なんとかスザク様の立場を守りたかった。今の俺にできる精一杯だ。


 俺にはもう時間が…。


 そんな俺を見て小さく微笑んだヤタガラス様は答える。


「案ずるな、悪いようにはしない」


 その言葉に救われた、どのようになるかはわからないがヤタガラス様は適当な事を言う方ではない。信頼していいだろう。


「ありがとうございます」


「それより早くした方が良いだろう、後始末は任せておけ?さぁ、もう家に帰れ」


「はい、失礼します!」


 俺はそれを聞いて安心するとすぐに地下に戻り、スザク様を抱き上げ風を操ると再び天高く飛び上がった。


 倒壊したセントラルを背にまっすぐ皆の待つ家へと進む。少し飛ばして行かなくてはならない、帰るだけでも帰らなければ。


 だからどうかそれまで持ってくれ。


 もう少しだけ持ってくれ…。



 真っ直ぐ。

 ただ真っ直ぐと家を目指した。



 皆は無事だろうか、誰か助けは向かっているだろうか。



 やがて家が見えて来た頃…。



 視界がゆっくりと霞み始め。



 全身に力が入らなくなってきた。















「あぁっ!あれシロじぃじゃない?帰ってきたんだ!スザク様もいる!」



 太郎の声に全員が遠くの空に目を凝らした。セーバルにもその姿が確認できる、あれは確かにシロ。帰って来てくれたんだ、全てを終らせてちゃんと帰って来てくれた…。


 きっとボロボロだろう、とても疲れているだろう。


 たくさん労ってあげよう、休ませてあげよう。


 でもその前に…。


 強く強く抱き締めよう。


「終わらせたのだな、ネコマタ殿…」


「流石シロじぃだよ!落ち着いたらパーティーしないと!」


「ね、ねぇレオにぃ?なんだかおかしくない?おじさんだんだん… フラフラして…」


 その姿もまた、セーバルは確認することができた。ゆっくりと、そしてユラユラと力無く降りてきているように見える。


 この距離ではよくわからなかったけれど、この中で最も目の良いレベ子がシロの姿を見た時こんなことを呟いた。


「Whats.....?あれは?体からキラキラしたものが出ているように見えるけれど、光の加減とかでは…」


 キラキラしたもの… 輝き… サンドスターが体から抜けている?


「っ!?」


 セーバルの脳裏に良くない考えが過ったその時、シロは抱えていたスザクをフラりと手放してしまいそのまま真っ逆さまに落下を始めた。


「ダメっ!?…ぅうっ」


 セーバルは飛んで助けに行こうと小さくなった羽を広げたけれど、反転の反動か立ち上がることも困難な状態だった。


「大変だ!?シロじぃ!せ、セーバルさん!」


「セーバルのことはいい!シロを助けて!」


「間に合うか!受け止めるんだ!」


「ダメ、遠すぎるわ!」


 皆がセーバルを残し一斉に走り出した。

 太郎も隊長もレベ子もベルも、続けてカコも子供達も一斉に。



 行かなきゃ… セーバルも行かなきゃ…。



 必死の思いで立ち上がり彼の元へと足を運んだ。


 立つのがやっとでも必死に足を伸ばした。


「シロ… シロ…っ!」


 そうしてセーバルが歩き始めたその時だ、後ろからセーバルを呼び止める声が聞こえたのだ。


「セーバルさん…」


「…っ?」 


 耳に聞き馴染んだ声、けれどどこかその声を聞くのは久し振りな気がした、それでいて神秘的な…。振り向くと緑髪の少女がいる、勿論セーバルは彼女のことをよく知っている。よく知っているはずだが…。



「ミク?起きて… あっ」


 いや違う。


 直感が働きそれはセーバルのよく知る少女でないことを当然のように受け入れさせた。


 彼女は穏やかに小さな笑みを浮かべるとセーバルに言った。


「連れて行ってくれますか?彼のところへ」


 とても落ち着いていて、とても優しい声でそう言っていた。


「うん、行こう?」


「はい」


 セーバルは彼女の手を借りてゆっくりとシロの元へと歩を進めた。


 ゆっくりと。


 でも確実に。

















「っ!?何っ!?これはっ!」 


 我が目を覚ました時、そこは空の上だった。


 己で飛んで来たのではない、それだけはわかっている。よく知る者に丁寧に抱き抱えられて連れて来られていた感覚をどことなく感じておったからだ。


 そしてその者は今正に我のすぐ隣で地に向かい重力に身を任せているところだった。


「シロ!」


 クタクタになった体など気にも止めず羽を広げるとその者の名を呼び、なんとか間一髪地面との激突を防ぐことには成功した。我は近くの大きな木の下に降りるとその木を背もたれにそっと彼を降ろした。


「おい!どうしたのじゃ!しっかりしろ!」


「スザク様… 目を… 覚まされましたか… ご無事で… 何よりです」


「なんじゃお前その様は… 我のことはいい!何があったんじゃ!」


 焦点の合わない虚ろなまなこ、力無くか細い声。そしてこの者の体を形成しているはずのサンドスターが儚くも散っていくこの様子。


「いえ、少しばかり無茶をしましてね… でも、任務完了です… 後のことはヤタガラス様に引き継ぎました」


「そんなことはいい!何をした!無茶とはなんじゃ!?」


 見ているうちになんとなく察しがついた。


 籠手も無しに無理矢理四神の力を引き出したのだろう、恐らくは四神玉を何らかの方法で体に取り込んで一時的に己を強化したのだ。


 そしてその反動が容赦なく襲ってきた。


 この後何が起きるのかは四神である我にとって想像に容易いものであった。


「嘘じゃ… あぁそんな!?ダメじゃ!」


 この者の体から4つの光球が抜け、そのうちの一つである赤い光が我目掛けて飛んでくる。そしてスッと胸の中へと消えていった。


「よせよせ!戻れ!いらん!シロの元へ還れ!出ていけっ!頼む戻ってくれ…っ!あぁなんてことじゃ… 何故こんなことに… シロしっかりしろ!頼む…」


 抜けたのはかつてよりこの者に宿っていた四神の力だった。やがて残りの三つもこの場を後にしてまっすぐ本来の持ち主の元へと飛んでいった。


 四神の力が体から抜けるというのは、この者シロにとっての死を意味する。


 我は認められなかった…。


「あぁ… やっとお返しできましたね…」


「馬鹿者っ!それはお前に譲ったもんじゃ!返されても迷惑じゃっ!」


「スザク様… どうか、泣かないで… いいんですこれで、もう… いいんです…」


「良いものかぁっ!くぅっ… すまない全て我のせいで!やっと、やっと会えたのにシロっ… 頼む我を置いて行かないでくれ?ちゃんと償わせてくれお前に全て背負わせた我の罪を… あぁぁぁぁぁぁっ…!!!」


 この男のことでこれほどまでに感情的に涙を流すのは何度目のことだっただろうか。


 背負わせてばかりだった、一介のフレンズであるシロに四神としての仕事をいくつもいくつも。そんな一方的でどんなにつまらん我の願いもシロはいつも聞いてくれた。


 我がお前に何をしてやれた?


 何もしてなどおらぬ。


 だから頼む逝くな…。


 逝くな…。


 


 それからなんとかしようと何度も力の譲渡を試みたが上手くはいかず、刻一刻と終焉が近付くばかりだった。












「シロじぃ!シロじぃ…?え、なんだよそれ?どうしたんだよ?スザク様これどういう状態なんですか?教えてください!俺なんでもしますから!」


 落下を始めた時はどうなるかと思ったが、すぐに目を覚ましたスザク様が受け止めてくれたので俺は凄くホッとしていた。


 なのにおかしいと思った。


 シロじぃの隣で大泣きするスザク様、明らかに良くない状態であるシロじぃの姿。


「太郎… 太郎か?」


「シロじぃ、そうだよ俺だよ!」


 目が見えていないのだろうか。

 目の前にいるのに目が合わない、ゆっくりと顔を上げて視線をこちらに向けているが、決して目と目が合うことはない。


 そんな状態なのにシロじぃは俺に尋ねた。


「倒したか?皆、無事か?怪我は無いか?」


 こんな時でも俺達の心配… そんなことより自分の心配をしろ。そう思いながら俺は答えた。


「あぁ倒したよ!みんなも無事だよ!怪我なんて大したことない!」


「あぁ… 良かった… そっか、みんな無事なのか… 本当に良かった」


 もうダメだ…。

 

 そう直感で感じた、きっともう助からないのだろう。でも、頭で理解してもそんな事実を急に突き付けられては認められるはずがない。


 だからせめて、せめて安心させるようなことを言わないと。


「シロじぃ俺できたんだよ!猫パンチ!両手でもできるよ!それでレベッカを助けられたんだ!シロじぃがあの時教えてくれたから!シロじぃのおかげで…」


「そうか… 太郎こっちへ来い… よく聞け?」


 言われた通りできるだけ側に寄るとシロじぃは弱々しく俺の頭に手を置き、消えそうな声で言った。


「よくやったな… 本当によくやってくれた… お前は一族の誇りだ、ありがとう太郎… だからもう、大丈夫だな?」


 あぁダメだ。

 俺ももう涙を堪えきれない。


 涙と鼻水で顔をグシャグシャにして大の男が大泣きしながら答えた。


「大丈夫じゃねぇんだよぉっ!うぁぁぁぁあっ!!!まだまだ教えてほしいこと沢山あるんだよぉっ!逝かないでよシロじぃ…!シロじぃっ!」


 みっともなくていい、情けなくていい。


 俺は膝から崩れ落ちて泣いた。















「おじさん… どうしたの…?」


「ベルか… おいで?伝えておかないといけないことがある」


 泣いているレオにぃの隣からおじさんに声を掛けると、おじさんはゆっくりと顔をこちらに向けて僕にもっと近付くように言った。


「怪我は… 無いか?」


「平気… 聞いてよ?僕も剣が抜けたんだ、きっとお母さんが僕を認めてくれたんだよね?」


「そうか… 強くなったなベルは、立派だよ… 君もやっと母親らしいことできたな?良かった…」


 そう言って僕の頭を力無く撫でてくれるおじさんの姿は、どこかいつもより小さいようで、なのにずっとずっと大きくも思えた。


「ベル… 母親も聞け… アレクサンダーは生かした、殺して責任を取らせるよりも… 生かしてできるだけ多くを償わせようと考えたからだ… 納得がいかないかもしれないが、もしいつかあの男と出会うことがあれば… まずは話をするんだ… 切り捨てるのはそれからでも遅くはない… 一応、あれでも父親だからな…」


 あんな男を、僕は父親とはとても思えない。当然だろう、会ったこともないのに突然現れて酷いことしたような男だ。きっとお母さんだって許さないだろう。


 でも、代わりに父親のように接してくれたおじさんがそういう判断を下したのなら、僕はおじさんの判断を信じようと思う。


 この頃には僕もボロボロと大粒の涙をいくつも落としながら返事をしていた。


「はい゛っ゛…!」


 おじさんはやがて泣いている僕から視線を外すと、後ろからきた二人の方を見て言っていた。


「隊長… レベッカさんも… ありがとう、家族を守ってくれて…」


「いいんだ、当然の事をしたまでだ」

「me to...」


「そうか… でも隊長… 本当に助けに来てくれてありがとう、心強かったよ… レベッカさん… 太郎のこと、頼んだよ…?アイツは… すぐ調子に乗る…」


「気にするな…」

「ご先祖さん…」


 おじさんは死んでしまう…。


 何故おじさんがこんな目に逢わなくてはならないの?


 おじさんがいないと、大勢が悲しむよ?


 おじさんがいないと、料理は誰が作ってくれるの?


 おじさんがいないと…。


 ミクがまた泣いてしまうよ…?


 僕も…。


 寂しいよ。

















「ユウキくん!ユウキくんしっかりして!」


「おじさん!」

「おじさんどうしたの?」

「お外で寝ちゃダメだよ…」

「どこか痛いの?苦しいの?」

「おじさん大丈夫?」


「先生… みんなも…」



 私が子供達と駆けつけた時、彼は既に目が見えておらず体も手を動かすので精一杯という状態だった。必死に名前を呼び治療法を考えてみたけれど、ハッキリとしていることは手の施しようがないということだけ。


「飲み込んだのね?あれほどやめてと言ったのに…」


「ごめんなさい… でも、どうにかして勝たないといけない戦いでした… 後悔はしてません…」


 やはり、彼はそもそもこの戦いで死を覚悟していた。今こうして終わりを迎えることに満足感すら得ているように思える。


 目覚めてからずっとあった彼の望み…。


 早く家族の元へ行きたいという望みが叶ってしまったのだと思う。


「ごめんなさいユウキくん… 私がもっとましな物を作って強くしてあげられたら… こんなことには…」


「いえ… 俺みたいのがここまでやれたのが先生のおかげなんです… 何度も助けられました… ありがとうございます… だから、どうか自分を責めないでください… 先生は偉大な方です、胸を張ってください…」


 違う…。


 例え天才と謳われようが、無駄に長生きして知識を溜め込んでいようが。肝心な時に何の役にも立てない。


 私はいつもそう、気付いた時には取り返しのつかないことになっている。何も成し遂げられない、大切な人一人救えない…。


 無力な一人の人間に過ぎない。


「先生…」


 彼はその時私に言った。


「目を覚ました時、先生が変わらずにいてくれたのが嬉しかった… 百年も時が経っていたのに、先生は昔と変わらず先生でいてくれた… あの時… 俺はかなりやさぐれてしまいましたが… それでも生きることを選択できたのは… 先生がそれを望んでくれたからでもあります… それなのに俺… この様です… 悲しませてごめんなさい…」


 期待に添えなかったと言いたいのだと思う。でもそんなことない。全然そんなことはない。


 止めどなく流れる涙で彼の手を濡らしながら答えた。


「いいのよユウキくん?私もまた会えて嬉しかった… 向こうで、ご両親にもよろしくね?いつかはきっと、私も行くから… また会いましょう?」


「はい…」



 その手にはまだ温もりがあるのに。


 彼の死を確実に私に伝えていた。


 また何もできなかった…。


 いつかその罪を私は償うことになるだろう。いや…。


 また何もできない…。


 私は今までもこれからもそういう罰を与えられ続けるのかもしれない。

















「シロ…」


 セーバル達が駆け付けた時、もうどうにもならずに皆が泣き崩れていた。


 どうしたら良いのか、どう声を掛ければ良いのか…。


 頭が真っ白になりその場に立ちすくしていたセーバルに彼女が言った。


「お先にどうぞ」


「え…」


「僕はこれからずっと一緒にいられます、だから… 言うべきことがあるのなら今のうちに伝えてあげてください、悔いを残さぬように」


 あまりに真っ直ぐで、穏やかな彼女の目。セーバルが彼に対しどういう感情を持っており、逆にシロがセーバルをどう想っているかなど彼女にはお見通しなのだろう。でもその上でこの穏やかな表情… そして、まるで譲ってくれるかのようなこの言葉。


 その言葉に、今更迷うことなどない。

 セーバルは答えた。


「ありがとう、すぐ済むから」


 彼女に手を借りるのをやめて自分の足で彼の元へと歩みを進め、辿り着くなり彼の元で膝を着く。


 セーバルは何も言わず、そして脇目も振らず彼と唇を重ねた。


 互いの吐息が掛かるほどの距離のまま彼に囁いた。



「おかえり」



 彼は答えた。



「ただいま」



 そのまま何も言わずに数秒が経った頃、彼は再度口を開いた。


「帰ったよ… 約束通り…」


「うん…」


「でも… もうダメみたいだ…」


「うんっ…」


 自然と溢れる涙は頬を蔦っていく。


「お願いしても… いいかな…?」


「何…?」


「ミクに… サヨナラ言えなくてごめんって… それと… どうか俺に縛られず、自由に生きてほしいって…」


「わかった、約束する」


 その言葉はミクに向けられたものだけど、どこかセーバルにも言っているような気がした。


 セーバルだって言わなきゃならないことがある。


 言わなきゃならないのに、言葉が口から出てこない。そんなセーバルを見て彼は続けた。


「言いたいこと… あるんだっけ…?」


 この時、彼が尋ねてくれたおかげでやっと口をまともに動かすことができた。


「それ伝えたら… 側に居てくれる?」


「ごめん…」


「それはもういいよ」


「ごめん…」


 彼がセーバルに言わせないようにしていた理由がわかった気がした。恐らく… いややはり彼はこうなることをある程度予測していたんだと思う。


 お互いの気持ちをハッキリさせることで、繋がりが強くなる。


 でもそうすることでセーバルの重荷になると彼は考えたのでないだろうか。


 バカ。


 言おうが言うまいが、気持ちなんてもう誤魔化せないのに。


 だからもうセーバルは我慢しなかった。




「好きだよ」




 耳元でそっと囁いて、彼の返事を待った。




「ありがとう、嬉しいな… でも…」




 その返事は、少し期待とは違っていて。




「ヒロにわりぃや…」




 ても、もうそれだけで十分で。




「バカ…」




 セーバルはそう言い残しそのまま立ち上がると、彼女の元に戻り別れが済んだことを伝た。



「もう、いいんですか?」


「うん… ごめんね?目の前で悪いとは思ったんだけど、でも気持ちに嘘つけなかった。あなたには負けるけど、それでもセーバルもシロのことそう想ってしまったから」


「構いません、先に居なくなった僕が悪いので… でも、悔しいですね」


 彼女は寂しげにそう答えるとゆっくりと彼の元へと向かった。


 彼女は迎えに来たのだろう。


 この世の誰よりも愛する人だから。


 もし、セーバルにも最期の瞬間が訪れたその時は…。



 ヒロも、迎えに来てくれる?



 いつになるかはわからないけれど…。














 もう、何も見えない。

 辛うじて動かせた腕も上がらない。


 最早何に触れ、何が俺に触れているのかさえわからない、感じ取れない。


 これが死。

 ゆっくりと俺の存在が消えていく。


 星に還っていく。


 音だけは聞こえることは幸運なことだろう、最期に皆が俺に掛けてくれる言葉を一言一句逃さず聞くことができる。


 セーバルちゃんが最後かな… 寂しいけれど、今から死ぬ身としては気持ちに答えるようなことを軽はずみに口にできない。ずっとヒロのことで苦しんでいる彼女をこれ以上苦しめたくはない。俺は足枷になる。



 だから、もう終わり。



 みんなに看取られて終ろう。



 やっと終わるのか…。



 無駄に長かったな。






 

「シロさん?」



 



 

 俺がそうして最期を噛み締めているとそんな風に俺を呼ぶ声が確かに耳に入ってきた。死ぬ間際というのは最も会いたかった人の声を最期に聞かせてくれるものなのだろうか。


「シロさん… 僕ですよ?忘れちゃったんですか?」


 これは幻聴ではない。

 いや幻聴だったとしても、もうどちらでもいい。


 そこに君がいる。


「あぁ… こんなとこにいたのか… 探したんだよ…?」


「さっきも一度会いました… サヨナラ言われました」


「ごめんね… でも、あれは君が悪かったと思うよ…」


「もぅ… 意地悪…」


 会いたかった。


 会いたくて会いたくて会いたくて。


 どれだけ待ち焦がれていたか。


「いっぱい頑張りましたね?いっぱい辛い思いしましたよね?ごめんなさい一人ぼっちにして… ずっと一緒って約束したのに…」


「本当だよ… でも、迎えに来てくれた…」


「はい… もう、頑張らなくてもいいんですよ?行きましょう?みんなが待ってます」


「あぁ… そうだね… 行こう…」




 急に視界が晴れ、眩しかった。


 けれどその向こうに、みんなが俺の手を優しく引いて連れて行ってくれた。


 父さん、母さん… クロ… ユキ… ヒロにミユも…。


 そして、かばんちゃん。

 大好きな君。



 ただいま… それから。



 おやすみなさい。












 彼が輝きになって消えていく。


 その場にはミクが彼にあげたお揃いの赤いリボンだけが残った。

 

 同時に再度気を失い倒れ込んだミク。


 もうミクで間違いないのだと思う、彼女も共に消えてしまった。


 ミクが目を覚ました時はセーバルがちゃんと彼の言葉と共に最期を伝えよう。



 満足したであろう最期だったと。



 消えてしまった後、木に向かってセーバルは最後にもう一度呟いた。




「大好きだよ… バカ…」





 おわり。

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