第34話 誤解

「落ち着いた?」


「うん、ありがとうママ… セーバルさん」


 惜しい。

 ママでもいいのに、いやママがいい。


 やっと見付けることができた、セーバルの捜索能力も落ちたもの、慣れたはずの森の中でミク一人探すのに数時間もかかるなんて。言い訳をするなら星の記憶が調子悪かった、思い通りの記憶を見せてくれなくてなかなかミクの軌跡を追跡できなかった。たまにある、星は気まぐれ。


 でも見付けた。


 大声で泣いてくれたおかげで居場所に気付けた、そしてセーバルは姿を確認するとゆっくりと空から舞い降り、泣いているミクを包み込むようにそっと抱き寄せた。


 何故家出したのか、何故泣いているのか。


 そんなのはミクが話せる時に話してくれたらいい、大体察しもついてる。だから今は思う存分泣いたらいいと思った。涙を無理に止める必要なんて無い、理由なんてなんだっていい、今はこの子が落ち着くまで抱き締めるだけ。


 それが今母親としてできることだとセーバルは思ったから。


「あの… 怒らないの?」


「どうして?」


「勝手に出ていって、いっぱい迷惑かけたから…」


 怒ってもいい。

 セーバルもみんなも、きっとシロも今ごろ死ぬほど心配してるから。


 でもいい、そんなのいいの。


「確かにそう、セーバル達凄く心配した、探すのに何時間も掛かったよ」


「ごめんなさい…」


「うん、でも迷惑だなんて思ってない。いいんだよミク?時に飛び出したくなるようなこともある。セーバルにもあった… でもミクは今も逃げずにセーバルから離れないでいてくれる、それで十分。今はただ無事でいてくれて安心した、だからそれでいいの」


 そっと髪を撫でながら囁くと、ミクはやっとセーバルを見て笑ってくれた。いっぱい泣いて少しスッキリしたのかとても素敵な笑顔で… まだ目に涙は浮かべているけれど、それでも心からの笑顔だとセーバルにはわかった。


 後はシロと話さないと…。

 すぐに会わせるべきだと思ったセーバルはミクに尋ねた。


「謝るのは帰ってからみんなにね?さぁ、帰れる?シロも探してるはず」


「でも…」


 その時ミクの表情はたちまち曇ってしまい、立ち上がろうともしなかった。まだ心に引っ掛かりがあって帰りたくないのだと思う。でもそれは当然かもしれない、泣いたところで何も解決していないのだから。


 だからセーバルは言った。


「じゃあもう少し二人でいようか」


「え?でも…」


「内緒ね?女の子は秘密をたくさん持ってていいんだよ。まだ“この辺”、モヤモヤしてるんでしょ?」


 胸の辺りに手を当てそう尋ねると、ミクは何も言わず頷きその場に膝を抱えた。


 ミクの悩みはわかっている、シロの奥さんのこと。つまりかばんのことだ。

 太郎から聞いて自分との関係性をどういう解釈をしているのか、そこまではミク本人が話さないとわからないけれど。こうして帰ろうとしないのは今の自分じゃシロと顔も合わせられないと感じているからだろう。


 セーバルでは何を言っても解決はできないかもしれない、でもほんの少しでも力になりたい。ミクが話せないうちは問い詰める気もないけれど、セーバルは恐らくミクがそう思っているであろうことを尋ねた。


「もしかして奥さんのこと聞いて自分がわからなくなったのかな?」


「え!?どうしてわかるの?」


 やっぱり。

 そうではないかなと思っていたけれど。


 なんというか、これもまたミクらしい悩み方だと思った。自分がなんなのか、シロにとって何者なのかと言ったところだろう。


「女の勘、セーバルの勘は結構当たる。辛いなら聞かない、無理しなくてもいい。でも話してスッキリできることもあるよ?それに解決したいならどの道シロとはゆっくり話さないといけない… ミクのこの悩みはミクだけじゃ解決できないこと、わかるね?」


 ミクはセーバルの問い掛けに小さく「うん…」とだけ答えるとしばらく黙りこんだ。話すか否かを決めかねている様子、ゆっくり考えたらいい。なにやら“向こう”は騒がしいみたいだから、しばらくここには辿り着けないはず… この気配は、四神が何か送り込んできた?さてはシロったら誰か怒らせたね。


 そんな“向こう”とは真逆にここはとても静かな時間が流れていた、風の音や森の生き物達の声がやけに大きく聞こえるほどに。


 風がミクのリボンを揺らしている、フワリと揺れる真っ赤なリボンを見ているとシロの髪を束ねている同じものがふと頭に浮かんだ。


 シロがあれを律儀に毎日結ぶのは何故だと思う?


 他でもないミクがくれたものだからなんだよ?かばんじゃない、ミクがくれたからなの。


 そういうことをミクは知らなくてはならない。


「おじさんは…」


「うん」


 やがてミクは口を開き一言ずつ今の想いを連ねていく。話してくれる気になってくれたみたい、嬉しく感じた。


「奥さんが凄く大事なんだと思う」


「うん」


「だからおじさんが悲しい顔をしてる理由がわかったの… 全部私のせいだと思った」


 何故そうだと思うの?


 とセーバルは尋ねたけれど、シロがどういう気持ちなのかも、ミクがどういう気持ちなのかも本当はなんとなくわかっているつもり。 


 シロが悲しい顔をするのは、ミクを見てかばんのことを思い出してしまうからなのだと思う。それは言い換えれば確かにミクのせいだと言えるのかもしれない。でも同時にかばんを感じ取るのにミクが必要で、シロはミクを見る度にもうかばんに会えないことを思い出して悲しむけれど、それでもミクのそんなところに救われている。セーバルと同じ、だから離れられない。


 そしてミクは既にわかってるはず。

 自分がかばんと呼ばれたヒトのフレンズの、シロの奥さんの生まれ変わりであるということ。そしてそれを知ることでミクとしての自分がシロにとっての何者なのかと悩み苦しんでいる。


「ママセーバルさんならわかる?私とおじさんの奥さんは似ているの?」


 隠しても何も進まない、セーバルは正直に答えた。


「似てるよ、瓜二つと言っていいほどに」


 するとミクはすべてに合点がいったように話し始めた。


「やっぱり… おじさんには私じゃなくて本当は奥さんが必要だったんだ。見た目はよく似てるのかもしれない、でも私は奥さんじゃない… だからおじさんはいつも私を見て泣くの。私が奥さんになりきれてないから… 私が上手に奥さんをできないから…」


 ミクの心はセーバルが思っていたよりずっと拗れて苦しんでいる、シロに対して大きな勘違いがあるように思えた。


 ポツリポツリと零れていくミクの気持ち、それはミクから見たこれまでのシロのイメージの先にあるもの。でも全てが間違った答えに辿り着いていた。考え込んでしまうミクの癖が悪い方へ悪い方へと働きかけている。


 上手に奥さんをできない… こんなことを言うのは、セーバルがシロのことを話した時にミクが既にこのことに気付いていたからなのかもしれない、何故シロがミクに肩入れするのかということ。

 セーバルがヒロを想ってシロを見て、それで心が掻き乱されているのと同じこと。それがシロと自分との間にもあるのではないかと感付いたのだと思う。


 だからミクは太郎にかばんのことを尋ねた、ずっと胸に引っ掛かっていたのだろう。


 そして今ミクの中で、シロがかばんとの区別の為にさせてきたことが裏目に出てしまっている。


 言葉使いや呼び方、全てが逆転した解釈をしている。


 ミクはこう思っている。


「おじさんは奥さんに帰ってきてほしいだけなんだと思う。本当は代わりに生まれてしまった私じゃなくてただ奥さんに会いたかっただけなんだよ。でもどれだけ似ていても私は奥さんのようにおじさんのことなんでも理解できてるわけじゃない… その時おじさんはガッカリして悲しい顔する。私ならできるっていろんなこと教えてくれるけれど、私は一番大事なことをできてない… だからおじさんはまた悲しい顔をする。中途半端に奥さんに似ているばっかりに私がおじさんを泣かせてる」


 違う…。


 こんなに悲しいことはない、シロがミクの為にしてきたことをミクは押し付けか何かだと受け取ってしまった。そしてシロの表情が読み取れるばっかりに悲しむ理由も全て自分にあると…。


 違う、違うんだよミク?


「…違うよ」


 セーバルは思わず否定の言葉を口に出していた。こんなすれ違いは誰も望んでない、ただ二人で傷付いているだけ。


 だから言った。


「それは違うよミク…」


「どうして?だって、そうしたらわかんなかったこと全部の答えになるんだもん!言葉を直させたのも名前をくれたのもきっと全部奥さんに帰ってきてほしいからだよ!会いたかったのも側に居てほしいのも私じゃない!」


「じゃあどうしてシロはあなたに名付けたの?“ミク”って」


「奥さんの本当の名前だよ!“かばん”なんて名前の人いるわけないもん!」


 きっと自分がどんな感情なのかわからず自分でも制御できないんだと思う。それくらい今のミクは不安定で、よく泣くしよく怒るしよく落ち込む。そうして思い込んでどんどん正解から遠ざかっていく。


 本当はシロに全部話してもらうべきだけど、せめて間違いは間違いと伝えないと。


「シロがそう言った?」


「おじさんはそんなこと言わない、優しいから… 私の思っていることが事実でも私にとって都合のいいことを言ってくれるはず…」


「そうだね、でもそこでシロが嘘をついたとしてもミクならわかる。シロがどんなに上手に嘘をついてもミクは気付いてしまう、違う?」


「そんなこと…」


 すっかり自信を失っているミクに伝えた。


「そんなことない、ミクならわかるよ?いやミクにしかわからない… だから勇気をだして聞いてごらん?シロはミクの前で嘘は付けない」


 だってミクは誰にもわからないはずのシロのことわかってる。セーバルでもカコでも気付いてないことを全部気付いてる。


 ミクだけがわかってる。


 本当はシロがいつも泣いてるってことも。

 笑えることや怒れるってこともミクだけが知ってる。


「1つだけ教えてあげる。言われてみれば確かにおかしな名前だけど、かばんっていうのは本当の名前だよ?名付けたのはそのかばんと最初に出会ったフレンズ、サーバルキャットのサーバル、太郎の御先祖」


「太郎さんの?」


「ふふっ、名前聞いて気付かない?しかもサーバルの子供はサバンナって名前なんだよ?あのネーミングセンスは遺伝だね、間違いない。まぁシロもそんなにセンスがあるほうじゃ無いけど、まだまともで良かったね?ミクっていい名前。由来もちゃんと聞いておくといいよ?」


「…」


 この時ミクは何も言わなかったけれど、きっとセーバルの話したことを信じてくれたと思う。


 でもまだ解決はしていない、セーバルでは解決できない。だから早く来てシロ?こっちだよ?


 ミクを見付けて、私といるよ。


 ミクはここだよ。


 


 







 泣いてるうちにすっかり夜になってることに気付いた、でもママセーバルさんがいてくれたからちっとも怖くなんてなかった。


 怖くないし、安心した。

 でも心にあるこのモヤモヤがまだとれないでいた。


 このままずっとおじさんとちゃんと話せないままなのかな?本当はどうすればいいかなんてわかっている、あとは私が勇気を出すだけってことくらい。でも恐い… 真実を知るのが、あまりにも。


 私は奥さんの代わりなの?

 

 こんなことを言ったらおじさんはまた悲しい顔をするだろう。私はそれが見たくないし、「そうだよ」って言われるのが怖くて仕方がない。

 ママセーバルさん言ってた、これは私一人で解決できることではない。おじさんとちゃんと話さないといけない。それは自分でもわかってる。


 でも… 会うのが恐い。


 既に私が出ていったこともその理由もおじさんは知っていて探してくれているかもしれない。だからここでじっとしていてもそのうちおじさんとは会うことになると思う。ママセーバルさんは大丈夫だと言うけど、もし私の思った通りなら?


 やっぱり会えないよ…。


 やっぱり恐いよ…。


「ミク」 


「え…?はい」


 突如ママセーバルさんに呼ばれた私は顔を向ける。真剣な眼差しで耳を澄ましている姿が差し込む月明かりに照らされてとても綺麗で、どこか幻想的にさえ見えた。


 続けてママセーバルさんは言った。


「来るよ、上」


「来る? …って」


 上?

 見上げると月を背にした何かの影が見えた。不思議なもので、目に入ると同時に声のようなものが耳に入るようになる。


 こんな声。




 ぁ… ぁぁぁ…!!



 

 どんどん近づいて来るのがわかる、近付くにつれだんだんそれが誰かの叫び声だということがわかった。


「ミク、セーバルの後ろへ」


「え?は、はい…」


 ママセーバルさんに言われ後ろに隠れるとその声の主がもうすぐそこまで落ちてきていることに気付いた。


「ぁぁぁぁああああああ!?!?!?」


 声がハッキリと聞こえる頃、突然強い風が吹き荒れ落ちていた枯れ葉や小枝も巻き込み木々達を揺らしだした。私は目をぎゅっと閉じてママセーバルさんにしがみつく。


 そしてそれは私たちの前に現れる。



「ああああああ死ぬぅぅぅぅ!?!?!?」



 ドンッ!!!



 と大きな音がするかと思ったら意外、一度フワリと風が強く吹くと彼らは静かに地に足を付けた。


 ママセーバルさんが先に声を掛ける。


「来たね?気付いてくれると思った、いいでしょ?“アレ”」


「あぁ、道案内ありがとう、おかげで上から真っ直ぐこれた」


 ママセーバルさんは目印でも残していたの?何かしらの方法で上手くここに誘導したらしい会話をしていた。


 叫び声をあげていた人が今も必死に叫んでいる。


「もう二度と!二度とやらないで!やるときは俺を置いてってお願いだから!」


「悪かったよ、まだ不馴れでな」


 一緒にいるのは太郎さんだ、叫び声は太郎さんのものだった。余程恐い目にあったのかここからでも膝が笑ってるのがわかる。


  そして。


 彼は太郎さんを降ろすとママセーバルさんの後ろに隠れている私にすぐに気付いた。でも暗い夜の森ではあなたの顔がよく見えない。


 今のあなたは怒ってる?悲しんでる?笑ってる?いつもだったらわかるのに、今はわからない。影がかかってよく見えない。


 駆け寄るあなたが私に言った。


「ミク、心配したんだぞ?ケガはないか?具合は?」


 私は目も合わせられぬまま答えた。



「あのごめんなさい… おじさん」


 

 逃げるように家を飛び出した私の前に、今一番会うのが恐いあなたが現れた。


 私を迎えに来てくれたんだ。

 奥さんでもない偽物の私なんかを…。


 おじさんは私の無事を確認すると言った。

 

「いいんだ、無事ならそれでいいんだよ… よかった、本当に… 心配したよ、凄く心配だった」


 その時、やっと顔を見ることができた。


 みんなから見たら、今のおじさんの顔はやっぱり無表情なの?でもそんなことないよ、やっぱり私にはわかる。


 今おじさんは安心して笑ってる。

 私に会えて、私の無事を確認して安心した顔をしてる。私こんなに心配も迷惑も掛けたのに、奥さんじゃないのに…。


 だから私も。


「おじさぁん!」


 安心するとまた涙がでて、会うのが怖かった分余計におじさんとまた会えたのが嬉しくなった。


 だから思わずその胸に飛び込んだ。


「おじさんごめんなさい!私勝手に怖くなっちゃって。奥さんのこと、おじさんが知られたくないことなのにどうしても気になって… ごめんなさい!」


「いいんだ、俺がもっと早く話してやれたらよかったのに… 怖かったのは俺の方なんだよ?ごめん、本当に… だからミク?これからミクに黙ってた大事なこと全部話す、長くなるかもしれないが聞いてくれるかい?」


「うん…」




 それから全部教えてもらった。



 奥さんがいなくて寂しくて、それで私を見て悲しくなることがあるのは事実。私があまりにも似ているから。


 でも、だから言葉を直させた。それは奥さんが自分を「僕」と呼んでいつも丁寧な言葉で話していたから。見た目も中身もほぼ同じの私を奥さんと区別したいからわざわざ直させたのだそうで。一度私が「シロさん」って呼んだ時は腰を抜かしそうになったと教えてくれた。奥さんにはそう呼ばれていたみたい。


 おじさんは「全部俺のワガママのせいだからミクは悪くない、だからごめん、無理をさせて本当にごめん」とそう言っていた。


 おじさんは最初から私のことを私と見てくれてた、奥さんの面影を私の中にたくさん見てもちゃんと私を見てくれてた。でないと長い間共に過ごした奥さんにも、新しく生まれてきた私にも失礼だからって。


 なのに私一人で勘違いして、だから私もごめんなさいと謝った。いつかおじさんが奥さんとのこと気兼ねなく口にできて、ちゃんと笑ったり泣いたりしてほしいと改めて思った。


 ちなみにミクというのはヒトのフレンズの元となったミライさんという人からとって未来ミクだそうで、おじさんのお父さんともカコさんとも仲が良かった人らしい。恥ずかしい勘違いをして思わず顔を隠したくなっている。


 ママセーバルさんの言う通り話すとあっさりと解決してとてもスッキリした。おじさんもきっと私みたいにモヤモヤしてたと思うから、お互い話せてよかった。ママセーバルさんは凄い。


 勝手に誤解して走り出して。

 あんなに不安で。

 あんなに会うのが怖かったのに。


 なのに実際会うと思わず泣き出すくらい会いたかったと気付いた。


 おじさんやママセーバルさんはこんな寂しさのもっと大きなやつを胸に抱えて生きているのかもしれない。


 なのに二人はこれからもずっと、そんな寂しさを抱えて生きていかなくてはならないのかもしれない。

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