第28話 思い出の中で
妻がこちらへ駆け寄る。
初めて会ったあの時の姿で。
俺も慌てて妻の方へ駆け寄る。
あれからずいぶん変わってしまった姿で。
俺はぎこちない動きで妻を受け入れようと両手を広げた。
「あ… あ…」
上手く声が出なかった。よたよたと足を運んでいくうちに視界が狭くなっていくのを感じた。目には妻しか映らなくなっていた。
こうして見比べるとミクとは違うことがハッキリとわかるが、同時に二人が瓜二つだということも再確認できる。今目の前にいるのは妻だ。
動きがゆっくりに見えた。
早く…早く…と妻がこちらへ飛び込んでくるのを待ちきれなかった。
でもあと少し、あと一歩… ほらもう手が届く。
つかまえた!
と思ったが。
腕の中に来たはずの妻は俺の体を空気のようにすり抜け、そのまま後ろへまっすぐと駆けていった。
振り向くと楽しそうに笑っている君の姿。誰とそんなに楽しそうに話しているんだ、その笑顔を誰に向けているんだ、俺意外に君の熱い視線を受けているのはどこのどいつだ。
俺がそんな醜い嫉妬を向けていたのは俺自身だった。
そう、これは星の記憶。
俺の目に妻は映るが、ここにはいない。
そしてここにいるはずの俺が妻の目に映ることはない。
セーバルちゃんは俺の隣に立ち得意気に言った。
「どう?凄いでしょ?ここで起きたことは何だって見れる、何年前だろうと星は教えてくれる。ねぇシロはどこに戻りたい?特別に見せてあげる、ほんのお詫び」
俺は返事をしなかった。
すると間もなくセーバルちゃんが何かする前に辺りは再び濃い霧に包まれ過去の俺と妻を飲み込んでいく、晴れると別の時間の記憶が再現される。
『パパー!早く~!』
『こっちこっち!』
『わかったよ二人とも、だからそんなに引っ張らないでくれ?あぁユキ!?尻尾痛い痛い!痛いから!』
これはいつだったか… まだ小さな子供達が俺をどこかへ連れて行こうとして手と尻尾を引いていた。
楽しそうな子供達。
困り顔でも喜んでいる俺。
連れて行かれた先には…。
『見てー?』
『ママのお花、咲いたんだよ?』
『わぁ、凄いな?こんなにたくさん?』
家の裏にあった小さな花畑、全て妻が植えたものだ。この日は確かそう… 父の日の何日か後ではなかったか?そこで待っていた妻は黄色い花を一輪摘んでは俺に差し出した。
『父の日って本当は黄色い薔薇が定番らしいんですけど… シロさん?いつもありがとう!』
『『パパありがとう!』』
妻がくれたのはガーベラ。
父の日には黄色い花を贈るものだと聞かされ、俺は嬉しくて泣いたんだ。本当の父の日にはちゃんと感謝の言葉を贈られていたんだが、それなのに急に不意討ちでこんなことしてきたものだから。
『父の日?この間終わったのに?』
『いいじゃないですか?いつだって感謝してますからね?』
『黄色いガーベラはね?“親しみやすさ”だよパパ?』
『パパ親しみやすいもんね!』
『そうかな?ハハッみんなありがとう?』
昔の俺が涙を溢しながら礼を返すと、また辺りは霧に包まれ何も見えなくなってしまう。当然だ、俺が見ているのは映像、これはただの場面転換。わかっていても俺は霧のようなものに家族が飲まれていくこの光景に恐怖を覚えた。
待ってくれみんな… 行かないでくれ。
俺を一人にしないでくれ。
家族が、妻が消えてしまう… 俺はここにいるのに、目も向けずに行ってしまう。
次々と現れる思い出に俺の心は悲鳴をあげていた。
『シロさんほら、星が綺麗ですよ?… え?またそんなこと言って、シロさんも素敵ですよ?』
待って…。
『もぅシロさん!こんなとこで寝ないでください?風邪引きますよ?』
嫌だ、消えないで。
『シロさん… おうち、静かになっちゃいましたね… え、え?!お風呂ですか?もぉ!えへへ、いいですよ?仕方ないですね?』
俺はここだ、こっちだよ。
『シロさん? …ふふっ、呼んだだけです』
かばんちゃん。
かばんちゃん…。
「かばんちゃん!」
「シロ!?どうしたの!?」
思わず大きな声で叫んだ、セーバルちゃんのことは既に目に入っておらず、声も聞こえていなかった。
「かばんちゃん待って!うぁぁぁ!頼む行かないでくれ!かばんちゃん!俺を見てくれかばんちゃん!あぁぁ、そんなどうして… どうして行っちゃうんだよ?俺はここだ… ここだよかばんちゃん!」
虚空に向かい手を伸ばし、情けない声を挙げ妻の幻影を求め続けた。だが彼女が答えるはずがない、彼女はここに“いる”んじゃなく彼女はここ“いた”からだ。でも今の俺はそんな簡単なことに区別が付かないほどに妻を求めていた。姿をこの目に映すというのが寧ろ逆効果だった。
白い霧に飲まれる妻を取り戻そうと必死にもがいた。これまで妻はもういないと割りきって生活していたつもりだった、だがこの時俺自身が限界を超えているということに今更気付かされた。抑え込まれていた寂しさが心を埋め尽くし、乾ききっていた涙が止めどなく溢れ続けた。
「うぁぁぁ嫌だぁ!かばんちゃんどこ行っちゃったんだよ!俺を一人にしないでくれよぉ… かばんちゃん、こんなのあんまりだ… なんで俺を置いていくんだよ?かばんちゃん… かばんちゃん…」
無に向かい飛び込んでは地に体を打ち付け、そしてまた無に映る家族を求めてはそこへ駆けずり這いずり回る。そんなバカみたいな俺を見かねたセーバルちゃんがついに止めに入った。
「シロごめん!ねぇ落ち着いて?ここに奥さんはいないの、幻なの!本当にごめんシロ… セーバルまた余計なことをした… シロいい?こっちを見て?深呼吸して?大丈夫、大丈夫だからね?セーバルが付いてるよ?」
セーバルちゃんは崩れ落ちる俺を優しく抱き締めてくれた。少し時間が掛かったが、彼女の心臓の鼓動を聞いているうちに心は落ち着きを取り戻していていく…。
霧が晴れる頃、彼女の声はやっと俺の耳に届いた。
「シロ、落ち着いた?」
「うん… ごめん、情けないとこを見せた。もういいよ?大丈夫」
抱き締めてくれた彼女から離れ俺は自力で立ち上がった。そして落ち着きを取り戻した頃、俺は元の空っぽで何も無い自分に戻っていた。
腕を解き少し離れると彼女は俺に言った。
「ごめんね、いっぱい迷惑掛けちゃったからなにかお詫びがしたくて… でも、返って辛い思いをさせちゃったね?本当にごめん、セーバル失敗してばかり」
違う、セーバルちゃんは失敗していないよ。だって俺がまだこんなにも感情を持っていると教えてくれたから、そして何より妻を見ることができた。子供達だってそうだ。
あぁ… 俺ってこんなに寂しかったのか。
とそう思った。前にセーバルちゃんには「泣くこともできないほど寂しい」と言われた、その通りなんだろう… 何か大事なことを思い出せた気がする。
「いいよ、ありがとう?取り乱してごめん、妻の顔をまた近くで見れるなんて思ってなかったから… そろそろ帰ろう、先生が大変そうだ」
「うん」
図書館跡に背を向け、俺達は歩き出した。
だが、その時後ろから俺を父として呼び止める声を聞いた。
『パパ』
「え…?」
振り向くと背中、一人黒髪の男性がそう呟いていた、誰かだなんて確認するまでもない。なんだ… 白衣なんか着ちゃってずいぶん立派になったものだと思った。
「あれ?まだ記憶が… ごめん、今止めるから」
「いや、ちょっと待って…」
セーバルちゃんは両手を組み祈り始めたが、俺はそれを止め彼のことを見た。
「クロ…」
そう彼はクロ、息子クロユキの立派な背中に、寂しさとは別の感情が胸に込み上げた。
クロは虚空に向かい話しかけていた、まるで俺がこれを見ているのを知っているかのように。
『僕は今、どうやったらパパとママを解放できるのか考えてるんだ… パパの理屈だと、僕でも代われるよね?でもパパはそれを許さないんだろうな… だから別の方法を考えてるよ、誰も不幸にならないでフィルターを張る方法があるはずだから』
俺がいなくなってからどれくらいの頃だろうか?クロは俺達の為に研究をしていたようだ、何らかの方法でフィルターを張り直し俺と妻を解放するための研究を。
空を… 火山の方を見上げ一つ小さなため息をつくとしばらく黙り込んでいた。そんなクロの元へ彼女は現れた。
『クロ、体に障るのです… 中に入りましょう?』
『平気だよミミ、中に籠りっきりよりはいいさ?』
『では、隣にいても構わないですか?』
『もちろん、おいで?』
来たのはクロの妻であるワシミミズクのフレンズ… 助手。どうやらクロを心配して現れたようだ。二人は肩を並べ寄り添うとまた火山を見上げた。
『二人のことを諦め切れないのですね?』
『両親だからね?僕無茶するかもしれないけど、ミミはそれでも僕に着いてきてくれる?』
『今更わかりきったことを… そんなの当たり前なのです、聞くほどのことですか?』
『ありがとう、でも… 時間が足りないみたいだ、わかるんだよ』
クロは遠い目をして、助手もそのことを承知していたのか悲しそうに目を伏せていた。
クロは何らかの理由で短命だったと聞いていた、この頃にはもう自分の体の異変に気付いていたということだろう。
病気… とは何か違う気がするが。
俺は皆が長生きすると勝手に思い込んでいた。だからクロが50歳やそこらで亡くなるだなんて信じられなかった。だから俺がフィルターなんかやってる間にクロが…。
クロは言った。
『だからミミ?タイムカプセルでもしない?パパとママが帰った時の為に何か残しておかないと』
『それはいいのですが… 一体何を入れるのです?』
『そうだね、今の家族の写真とかあとは手紙とか… あぁ~そうだ!ラッキーを入れよう、ラッキーならきっと何年経ってもパパ達を待ってくれる』
『かばんからもらったあのボディのないラッキービーストですか?あれはいつからだったかすっかり喋らなくなってしまったではないですか?本当に大丈夫なのですか?』
何?あのラッキーか?妻が腕に巻いていたあの?
クロは『大丈夫だよ』とポケットから小さなディスプレイだけのラッキービーストを取り出すとあれこれとなにか手を加え始めた。やがて準備が済むとそれを頑丈そうな小さな箱に丁寧に詰め、なにやら唸動力のような技で地面に穴を掘ると箱をその中へ。
『じゃあねラッキー、パパ達によろしく』
『届くといいですね…』
『届くさ』
その言葉を最後にクロと助手は霧に包まれ消えていく… やがて霧が晴れた時、そこには今朝と変わらぬ風景が戻っていた。
「セーバルちゃん、タイムカプセルなんて知ってた?」
「知らない、ヒロもミユも知らなかったと思う… 探そう」
「あぁ」
埋めっぱなしのまま伝え忘れたのだろうか?さっさと帰りたいところだったが、俺達は地面を掘り返し箱を探しだすことにした。クロからの大事なメッセージだ、ほったらかしにはできない。
そして見付けた。
「あった… 90年は前なのに意外としっかり残ってるものだな」
そう、それはまるで俺が100年眠っていたのと同じようにここに残っていた。
なにか感動のようなものさえ覚える、息子からのメッセージが時を超えて俺の元へ届いたのだから。
つまり、セーバルちゃんはやはり失敗なんてしていない。おかげでこれを手に入れることができた。
「開ける?」
「いや帰ってから先生と開けよう、これ以上長居すると日が沈んでしまう」
「それもそう、子供達も心配」
思わぬ収穫?と言うべきだろうか。ハプニングこそあったが彼女を迎えに来てよかった、これは何か天啓のようなものさえ感じる。クロとヒロの墓参りもできたし、妻の顔を幻とは言え見ることができた。
俺達はようやく図書館跡を離れゴコクの家に帰ることができた。
…
セーバルちゃんには帰り道ベルの母親のことを話し協力を頼んだ。
「いいよ、今度こそお詫び… っていうか、許せない。そんな卑劣なことをするヤツはセーバルが直々に手を下してもいい」
珍しく爪を立て静に怒りを露にしていた。そして気持ちはありがたいがそれはやめてくれと話し合った。
この件はまず候補者のリストを手に入れてから四神や他の守護けもの達にその概要を伝え調査の許可を貰う。それから現場へ赴きセーバルちゃんと犯人を見付ける。そして犯人を捕らえ四神の前に突き出してやる。
だが星の記憶は今のところセーバルちゃんと俺しか目視できないらしい、先生も守護けものも見ることができない… 何か条件があるんだろう。しかしそうなると証拠不十分であると判断されるかもしれない。
これまで何らかの理由でこの事件はセルリアンの仕業として処理されていた、これは権力を使った隠蔽だと俺は思っている。つまりハッキリとした証拠がなければその権力によって俺達の狂言だと判断される可能性があるということだ。
だがその時は強行する覚悟だ、俺などどう扱われたってなにも変わりはしないのだからな。犯人に告ぐ、必要な手順を踏んでるうちは安心しろ、だが覚悟はしておけ。
まずリスト、それから現場検証だ。
それからクロのメッセージだが、ラッキーが古すぎて起動できず下手に触れないことがわかった。よって先生に頼むことにした、俺には難しいことなどわからない。
「起動できますか?」
「やってみる、それにしてもよく頑張ったわこの子も… かばんちゃんのサポートを何十年もしてきて、そのままクロユキくんに引き継がれて… だからきっと大丈夫、必ずなんとかする」
頼もしい限りだ。
いったいラッキーには何が記録されているんだろうか?クロは何を残したんだろうか?
わからないが… よく残してくれた。
ベルの母親の件もクロの件にも言えるが、何か俺の周りで歯車のようなものが動き出している気がする。
何が起こる、これから?
…
「おじさんおかえりなさい?疲れてない?」
「ただいまミク?平気だよ、遅くなってすまない… 俺がいない間どうだった?」
「変わりないよ?でも… ちょっぴり寂しかった」
ミク… 昨日はガーディアンの本部で怖い思いをさせてしまった。そして夜も着いていてやれず今日も結局帰った来たのは昼過ぎだ。不安にさせたことだろう。
ミクを見ていると図書館跡で見た記憶が頭の中でも蘇ってくる… もちろん区別くらいつくが、やはりミクは妻と瓜二つ。あの時の寂しさを思い出してしまったせいか、俺は思わずミクを抱き締めた。
「ごめん… ごめんミク…」
「おじさんどうしたの?私大丈夫だよ?寂しかったけどおじさんはちゃんと帰ってきてくれたもん、もう寂しくないよ?」
ミクは強い子だ。
こんなことをしているのは俺がミクの言う寂しいという言葉に甘え自分の寂しさを誤魔化しているからだ。セーバルちゃんに言われた通り本当は俺の方が寂しくて辛くて苦しい… あの夜はいろいろ考えさせられた夜だった。彼女に言われたことはどれもこれも図星だった。
そう俺は弱い。
とても弱い。
セーバルちゃんが俺を見て苦しくなって、なのに俺に救いを求めたように。俺がミクを見て心が張り裂けそうでもミクを失いたくないと感じている。同じことだ、俺だってこうして見て触れることのできる彼女に救われているんだ。
誰かに面影を感じても、そこにいるのは違う人。大切な人はもうどこにもいない。
だから俺達はその面影にすがり付く。
「シロさん」
「っ!?」
俺を呼ぶその声に思わず後ろへ飛び退いた。
「今… なんて?」
まさか… ミクまさか君は…?
いや、君なのか?
俺の見たことのない雰囲気に彼女も驚いたのだろう、慌てた様子で申し訳なさそうな言葉が返ってきた。
「ご、ごめんなさい!名前で呼んだことないなって思って… いつまでも“おじさん”なのもどうかと思ってたから」
安心半分、がっかり半分。
なんてことを考えると彼女にはとても申し訳ないが。その顔とその声でその呼び方は俺に効く。本当に申し訳ないが阻止しなくてはならない。
「いや、ごめんね?急に呼ばれたものだから驚いてしまって… いいんだよミク、そのままでも?」
「おじさんは、名前で呼ばれるの嫌?」
「そうじゃないよ、そうだな… じゃあさんはいらない、シロでいいよ?」
「え、えと… シ、シロ?」
照れ臭かったのか指をつんと合わせ上目遣いでこちらの反応を伺っている。
新鮮だな、君は俺のことずっと「シロさん」って呼んでた。呼び捨ててでいいんだよ?って言ったこともあったけれど、「慣れちゃった」って困った顔で笑ってた。でもたまに「ユウキさん」とも呼んでくれたね?大事な時とかさ。
俺はミクの呼び掛けに「はい」と一言返事をした。
「ん~///や、やっぱりおじさんに慣れちゃって… もう少しこのままにしてもいい?」
「あぁ、ミクが自由にして構わないよ?呼びやすい方で」
多分ミクは見抜いていたんだろう。
俺が昨日と少し違ってたってことに。
俺がミクの知らないとこで辛くて苦しい思いをして泣いてたってことに。
気付いてしまったんだろう。
きっとミクを見る俺の目そんな目だったんだろう。
だからきっと、元気付けてくれようとして名前を呼んだと思う。
多分、そうだろ?
君が俺のことわかるように、俺も君のことわかるよ?
何年一緒に暮らしたと思ってるんだよ?
かばんちゃん…。
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