第26話 傷の舐め合い

 100年ぶりの我が家。

 ラッキーは言っていた、“旧ジャパリ図書館跡”だと。


 それはつまり、もう建物としては機能していないということだろう。俺がいた頃から穴だらけで木が天井を突き抜けていた、それでも図書館として存在していたあの場所だが、どうやら100年の歳月には敵わなかったらしい。確かにあれほどの老朽化も進んでいたのでは仕方のないことではある。図書館だけではない、離れにあった俺の家なんてとっくに更地だろう。


 でももしかすると… 俺は期待半分諦め半分を胸に家路を進んだ。


 都心を離れると自然が広がっていく、草原、ジャングル、山々、砂漠、雪山、平原、湖、水辺。


 そして森林。


 わずかに残された街灯に照らされ、看板が崩れ落ち最早ただの森と化したクイズの森を抜けた。そして開けたところに出るとそこには我が家と図書館が… いや、それはもう建物と呼ぶにはあまりにも“木”だった。


 元々大きい木だったがもっと大きくなっている、木のオマケに図書館だった建物がなんとか張り付いてるような感じだ。あぁして瓦礫が残っているところを見るに木の成長に伴い引っ越したと言ったところか、突き抜けていたのは屋根どころの騒ぎではなくなってしまったようだ。


 ああいう大きな木、最早神木とでも呼ぶべきだろうか?あの木はそれほどに立派な成長を遂げていた。それを見て なにか感慨深い気持ちになるのも確かだが、今はそれはいい、後だ。


「さて、セーバルちゃんはどこだ?二人の墓も近くにあるはずだけど…」


 薄暗い道を進み図書館跡まで近付くにつれ何か建物がまだ残っていることがわかった、図書館の側にある建物なんて1つしかない。あるはずがないと思いつつ、残っていることを期待していたのは言うまでもない。


「まさか、家だ… 俺の家がまだある」


 驚いた、そう俺の家だ。


 築100年どころではないんだがな、リフォームは数回行ったがまさか今まで残っているとは。壁にはツタが伸び半分自然と一体化したような姿をしている… が、それでも尚形を残している。まるでこの場所で守られていたかのように。


「…ん?」


 ここまで来た時、俺の耳はようやく彼女の声を聞き取ることができた。家の中から女性がすすり泣くような声が聞こえてくる、電話でも大泣きしていた彼女だが、俺が来るまでずっと泣いていたということなのだろうか。


 だとしたらその悲しみの深さはやはり計り知れない、それは彼女がヒロの死に立ち会い墓もここに残っているから尚更そうなのかもしれない。


 しかし。


 思う存分に泣ける… 本人には言えないが俺にはそれがどこか羨ましくも思えた。


 とにかく彼女は中にいる、墓に手を合わせるのは後にしてまずはセーバルちゃんを迎えに行くとしよう、酔って怪我でもされては大変だ。



 そうしてドアの前に立つと、自分の家だと言うのにとても不思議な気持ちになった。


 

 今でも思い出す、ドアを開けると子供を寝かしつける妻… 「おかえりなさい」と小声で俺に囁き笑顔を向ける。


 ドアを開け、俺は呟いた。


「ただいま…」


 暗く明かりのないリビング、無論返事が返ってくることはない。


 ハァ… と小さくため息をつくと気を取り直し四神籠手を装備した、炎を明かりに使い室内を見渡すとテーブルが1つイスが4つ… 当時の物だと思われる、キズや汚れの一つ一つが懐かしい。


 それにしても不思議だ、室内はやけに綺麗に感じる。100年の歳月があるにも関わらず埃っぽさが感じられないのだ。誰かが掃除にでも入っているのだろうか、まさかセーバルちゃんが?


「物思いにふけるのは後だな」


 そう今はセーバルちゃんだ、恐らく二階だろう。


 そっと階段に足を乗せると古い家にありがちなギッという軋んだ音がする、今にも崩れるという感じではなさそうだが、この音に少し不安を煽られるのは確かだ。


 ギッ… ギッ… ギッ… と一段一段上へと足を伸ばす。上がるに連れてどこからか風を感じた、空気の入れ換えでもしているのかドアも窓も開けているんだろう。そうして階段を登りきる頃、月明かりの差し込むドアの解放された部屋が目に入った。


 ここにいるようだ、ここは… 俺が妻と寝室に使っていた部屋だ。 

 

 解放された部屋の入り口に立つ。


 そこには1人月明かりを浴びて佇む君が悲しげに座り込んでいた。


 彼女の姿を確認すると俺は尋ねた。


「ノックしたほうがいいかな?」


 ぺたりと力無く床に座り込む彼女に声を掛け、返事があるまでの少しの沈黙の間部屋を見渡していた。何故かシングルベッドが1つ置いてあるだけでそれ以外はなにもなく、俺が使っていたあの頃と比べると随分広く感じた。なにもないのは当然だが、不自然に設置されあのベッドは俺のものではない、恐らくは彼女が置いたのだろう。


 それから振り向かぬままの彼女からの返事があった。


「…何しに来たの?」


 酷く枯れた声の後に鼻を啜る音を鳴らしていた。明かりもないこの部屋でこちらを振り向こうともしない彼女。そんな彼女が今どんな顔をしているかくらい、俺にも容易に想像が着く。


 続けて背を向けたままの彼女と話した。


「迎えに来たんだ」


「そんなのいらないよ、子供じゃないんだからさ」


「先生に頼まれたんだよ、ずいぶん飲んでたみたいだけど酔いは覚めた?」


「ヒック… 酔ってない」


 まだ酔ってるな、酔ってる人は何故か酔ってないと言い張るものだ。今も頭が揺れてボーッとしてるのかもしれない、それで座り込んでいる。でも背負ってでも帰らないと。


「立てる?」


「立てない、もう寝る」


「ダメダメ、仕方ないな… じゃあ運んであげるから?さぁもう帰ろう?」


「やだ… ねぇシロも飲もうよ?孫の命日なんだよ?いいでしょ?」


 これはテコでも動かなそうだ、酔っ払いの相手は馴れているつもりだがはてさてどうしたものやら。俺は酒が苦手なので遠慮を貫くつもりだったのだが、今の彼女には何を言っても無駄そうだ。


「セーバルのお酒が飲めないの?」


「苦手なんだ、勘弁してもらえないかな?」


「セーバルだって得意じゃない、いいから飲むの!早くこっちに来て!」


「あぁわかったよ… 瓶は割れちゃうから叩きつけちゃダメだ」


 彼女はドンッと酒瓶を床に叩きつけ俺に正面に来るようにと怒鳴った。少し好きにさせておいたほうがいいかもしれない、やはり今は話が通じなさそうだ。


 正面まで来たとき、俺の出す炎に照らされ彼女の泣き顔が露となった。瞼は赤く、頬には涙がつたった跡がある。


「ずっと泣いてたの?」


「関係ないでしょ、はいこれ」


「グラスは?」


「ないよそんなの、男ならラッパ飲みして」


 無茶を仰る… 仕方ないのでこのいかにも強いであろう日本酒のようなものを受け取りグッと喉へと流し込んだ。少量だがクラっときた… 強いお酒だ。


「フゥッ… あぁ~キツい…」


「じゃんじゃん飲みなよ情けなィッ…ク」


「苦手だっていったじゃないか?でもこの際付き合うから、ゆっくり飲ませてほしいな」


 俺は瓶を静かに床に置きもう一度彼女に目を向けた。するとセーバルちゃんは突然目から大粒の涙を流し始め、言った。


「もうやだぁ… グス」


「どうかした?聞こうか?」


「シロなんか嫌い…」


「えっと… ごめん、何かしたかな?」


 そう言うと俺の顔を見るなりまた声をあげて泣き出してしまった。「嫌い」…か、言ってるだけだろうか?にしては偉く感情の籠った「嫌い」だった気がする、酔っ払いの言葉を鵜呑みにするべきではないのかもしれないが。なかなか傷付く。

 

 しかし彼女があまり泣くものだから俺は子供をあやすように自然に彼女の髪を撫でていた。普段から我慢している寂しさがたまたま今日爆発してしまったのだろう、俺はなだめるように囁いた。


「辛いよね、一人置いていかれてさ… それでも毎年ヒロの為に来てくれてありがとう、君みたいな子にこんなに想われてヒロは幸せ者だ」


 泣き続ける彼女に声をかけ続けた。


「もし泣いても泣いてもすっきりできないならそれまで俺が愚痴でも何でも聞くよ、それで気が済んだら帰ろう?明日までに帰らないと先生も子供たちも心配してしまうから。眠いなら背中で眠ってもいい、具合が悪くなったらそのまま吐いたっていい… それでも俺がちゃんと送り届けるよ、こんな姿の君はヒロだって見ていられないはずだ」


 俺がそこまで話した時、彼女は涙を止めぬまま髪を撫でている俺の手を払い除けた。


「あぁ… ごめん、気安くしていいことではなかったね」


 軽率だったかもしれないと一言謝ってみたのだが。


「なんで?シロはズルいよ…」


「えっ?」


 再び口を開いた時、彼女はそう言っていた。俺はズルいと。


 俺にはその意味がわからなかった。何に対してズルいと言っているのか話の流れを思い返してもさっぱりわからなかった。

 そうして黙りこんでしまった俺に彼女は言う。そしてその言葉に、彼女も俺とまったく同じような状況にあると知ることになった。


 なんとなく感じていたことだが、俺が思っていたよりもずっと深く彼女は苦しんでいたのだ。


 彼女は再び声を荒げた。


「なんでやることも言うこともいちいちヒロと同じなの!シロが来てからセーバル胸が苦しいんだよ!泣いてたら優しく髪を撫でてくれるのも!辛かったらなんでも優しく受け入れるようなことを言ってくれるのも全部全部全部同じなの!顔はあんまり似てないのになんで!シロが来てからヒロのこと思い出してばっかり!やっと慣れてきたのに!一人に慣れてきたのに!こんなのってないよ… シロなんか嫌い、セーバルはヒロが好きなの… シロじゃない、シロなんか知らない…」



 なんて声を掛けたらいいかわからなくなってしまった。セーバルちゃんはあまりにも俺と同じだったからだ。


 彼女と話していてそうかも知れないって思ったことは何度かあったが、やはり彼女は俺の中にヒロを探してしまっているんだろう、俺がミクを見て妻を探しているように。けれど、こんなにも俺の存在が彼女を追い詰めているとは思ってもみなかった。


 ここ数十年、彼女はヒロのことで酒に溺れるようなことはなかったと先生は言っていた、でも今年は酔い潰れて泣き続けていた。


 セーバルちゃんはヒロの祖父である俺にヒロをいくつも感じてしまい、やがて心の防波堤のような物を破壊されてしまったのだと思う。


 実感はない、ヒロはクロと似ているとばかり思っていたから。でも彼女から見ると随分似ていたのかもしれない… 俺とヒロは。


「ごめんセーバルちゃん… 俺のせいでそんなに思い詰めてたなんて知らなくて」


 彼女をこうしていてたのは自分だと気付くと、俺は自然と謝っていた。謝ることしかできないから。


 少し冷静になってきたのか、彼女も言った。


「違う、セーバルが全部悪い、セーバルが弱いから… シロが同じくらい泣きたいのをセーバルは知ってる… ごめん、ごめんねシロ?こんなこと言うつもりなかったのに」


「君が謝る必要なんか…」

 

 弱いことが悪いなんてことないのに。


 セーバルちゃんはそのままおもむろに酒瓶を手に取ると勢いよくそれを飲み始めた。まるで自暴自棄を絵に描いたような、自分でバカなことをやってるのもわかってるし、言ってしまったことや現状に対する後悔がこんな風に彼女を間違った方向へ突き動かしているんだろう。


 見ていられない俺は酒瓶を取り上げた。


「やめなよセーバルちゃん、もう飲んじゃだめだ」


「離して!離してよ!」


 咎めるようにしてその手から酒を奪い取り、抵抗する彼女の腕を掴んだ。


「飲んでも何も変わりやしない、それくらいわかるだろう!もっと自分を大事にしないとダメだ!」


「偉そうに説教しないで!いいでしょ別に!セーバルはこの程度で死なないんだから!」


「生き死にの問題じゃない!」


「なにそれ… シロは死のうとしてたクセに!セーバル達はもう何をどうやっても一人ぼっちなんだよ!だからシロだって死にたかったんでしょ!」


 言い返せなかった。


 そう、俺だって人のことは言えない、だから上手く言い返せなかった。自暴自棄になって手首を切り落とすようなことまでしたんだ俺は、ハッキリとした自殺願望… 酒に溺れるより余程酷い。


 何より彼女のこの姿は俺が引き起こしたとも言える、俺に止める権利などあるのだろうか… いっそ好きにさせたほうがいいのかもしれない、彼女が言うように酔い潰れたところで死ぬわけではない。


 そうして諦めかけていた時だった。


「…」


 彼女は急におとなしくなり抵抗をやめた。俺は一先ずそれに安堵し、掴んでいた彼女の腕をゆっくりと離した。


「あれ… セーバルちゃん?大丈夫?」


 が… 急にピタリと止んだものだから心配になった、まさか眠ったのか?


「セーバルちゃん?」


 座り込んだままの体制、顔は俯いているので見えない。俺は起きているか確認するためにその顔を覗き込もうとした。


 そうそっと… 月明かりに煌めく彼女の緑の髪の隙間から…。


 その時。


「あ…」


 彼女は眠っていなかったらしい、その神秘的な赤い瞳としっかりと目が合ったからわかる。虚ろな目でなにも言わず俺を見ていた。


「シロ…」


「うん?」


 ただ、その後すぐに俺の身に起きることを、あまり突然だったので俺は避けることができなかった。


「ッ!?」


 驚いたなんてものではない、集中力が途切れて灯りにして浮かばせた火の玉も消えてしまった。


 この時セーバルちゃんが… 何を考え、何を想ってこんなことをしてきたのか俺には理解できない。何故こうなった?




 この時彼女がしたことは。


 

 

 俺の首の裏に手を回し。




 そっと俺の唇を奪ったのだ。



 


「何をっ!?」



 あまりにも驚愕で、あまりにも意味がわからず、俺は彼女を突き放してしまった。俺達は互いに互いの顔を見ぬままに言葉を交わした。


「ごめんね… ごめん」


「なんでこんなことを…」


 その会話の後も驚いて腰を抜かしている俺、目を向けるとペタりと座りながらほんの少し微笑む彼女。


 妻以外の女性に唇を許したことの罪悪感が心を蝕んでいく… 不意にされたとは言え、俺はなんということをしてしまったのだろう。


「キス… 100年ぶり?」


「しっかりしてくれ、君どうかしてる… 飲み過ぎだ」


 妖しく微笑む彼女の顔は、ちっとも嬉しそうには見えなかった。まるで全て諦めてどうでも良くなってしまったような… そんな悲しい笑顔だった。


 そのまま彼女は四つん這いになりこちらへゆっくりと迫ってきた。この時の彼女の目はまるで俺ではなく俺を通して向こう側を見ているようで。なのに言葉は俺に向けられていて。


「怖がらないでシロ?セーバル達同じでしょ?お互い最愛の人は… もういないの、どこにもいない。誰かに面影を感じても、そこにいるのは違う人。だからお願いシロ?セーバルの足りないところ、いっぱいにして?シロの足りないところ、セーバルがいっぱいにしてあげるから…」


 ゆっくり… ゆっくりとこちらへ迫る彼女を前に、何故か俺は動くことができなかった。まるで金縛りにでもあったみたいに、彼女の接近を許していた。


 やがて彼女は俺の上に馬乗りになると押し倒すように床に両手を付き、言った。


「お願い… セーバル辛いよ?切ないよ?こんなのどうしたらいいの?なんとかしてよ?シロならわかるでしょ?何かにすがっていないとセーバルもう生きていけないよ…」


 こんなことしたからってどうなるって言うんだ。


 君はもう一度唇を重ねようと顔を近付けてくる… 次を受け入れた場合、俺の中で何か大事なものが崩れ落ちて後戻りできなくなる気がする。

 だがここで彼女に抵抗せず受け入れることが彼女を救うとするならば。俺の仕事は彼女を悦ばせることか?そんなことが許されるとでも?


 君はこんなことして本当に救われるのか?


 


 なぁどうしたらいい?


 


 教えてくれ。




 誰か。

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