第25話 未亡人

 おじさんを見付けた時、サーベルは地面に突き立てられおじさんはその前に座り込んでいた。そしてまるで本当に誰かと喋ってるみたいにサーベルに向かって話しかけていた。



「息子の前で恥ずかしいとは思わないのか?お前の役目はなんだ!死んでも尚息子を守ることか!それとも怨みを晴らすことか!」



 誰かじゃない、お母さんだ。お母さんに向かって話かけているように聞こえる。でもあれはお母さんじゃない、お母さんもういない… あれはサーベルだ、形見なんだ。


 でもおじさんはまるでそれがお母さんそのものなのかのように語りかけていた。


 僕を守る?怨みを晴らす?なんのことを言っているの?僕はそのまま息を潜め続けていた、その後もなんだか物騒なことを言ってるのはわかる。でもある時おじさんがこちらに背を向けたまま言ったのだ。


「ベル、出ておいで?」


「!?」


 気付かれていた?一人で喋り続けていたからてっきり気付かれてないものなんだと思っていたのに。僕は潔く茂みから出て言った。


「き、気付いてたの?」

 

 どうやって?

 おじさんは歳の功だと言っていた。


 普通とはかけ離れた人なのできっと気配を感じるすごい技を持っているんだと思った。だってあのおじさんだから。

 

 おじさんはお母さんに挨拶をしなさいと言って僕の方を見た。奥には三日月に照らされるお母さんのサーベルが見える、それがちゃんと鞘から抜けているところを僕は改めて目に焼き付けていた。


 それは勿論お母さんもずっと使っていたもので、今もおじさんがセルリアンを倒すのに使っている。なのに驚くほど綺麗で刃こぼれ一つ無い。僕はサーベルの前に立つと、先程おじさんがやっていたのと同じように話しかけた。


「お母さん、僕だよ?今日は夜空が綺麗だね?見える?」


 当然、返事は愚か何も聞こえることはない。おじさんもそうだったと思う。そのままなにも言わずただじっと見つめて続けていると、おじさんは僕の肩に手を置きこう言った。


「持ってごらん?」


 抜き身の状態のサーベルを?僕はそんなのダメだと断った。鞘から抜くことができない僕がこんなズルみたいなやり方で剣を手にするなんて間違ってると思ったからだ。


 でもおじさんは言う。


「大丈夫だ」


 間違ってるよ。


 そう思っていても僕の手はサーベルの柄に引き寄せられる。そして両手でしっかりと掴むとゆっくりと地面から引き抜いた。


 この手に握られた本物の剣…。

 言葉を失ってしまった。


 木刀とはまったくの別物だと本能みたいなものが叫んでいる、これは危ない、一振りで命を奪いかねないと… でも、とても綺麗で目を奪われた、こんなに近くで見たことがない。そして握りしめるこの感覚にお母さんの手を握る時のような安心感さえ覚えた。


 何故だか、涙が出た。


「お母さんから聞いたことはあるかい?サーベルは守る為のもの、傷付ける為にあるんじゃないと」


 聞いている。それがお母さんの座右の銘みたいなものだからだ。僕は静かに頷いた。

 でもおじさんはそれをまるで否定するようなことを言い出して、僕は思わず顔をしかめた。


「ベル… 今日お母さんはそれを自ら破ろうとした、だから俺は必死に止めていたんだ」


 ガーディアンの本部で起きたあの時のことを言ってる。でもおじさんの言ってることはおかしい、だから僕はそんなの変だって言ったんだ。これはサーベルであってお母さんではないのだし、そもそもお母さんがそんなことをするはずがない。


 でもおじさんは言う、あれはお母さんの意思で起きていたのだと。


「ベルいいか?お母さんは死んでしまったが、サーベルには彼女の心が宿っている。俺はあの時声を聞いたんだよ」


「どういうこと?」


 お母さんの心?


 僕は今こうしてサーベルを持っているけれど、何か特別なものは感じとることができない。もしおじさんの言う通りならきっと声を聞かせてくれるはず… でも、聞こえる気配はない。


 でもおじさんがデタラメを言うとは思えない、おじさんは言ってた。


 初めてサーベルを抜こうとした時はお母さんから妨害を受けて抜くことができなかった。僕を含むみんなが引き抜けないのはお母さんがそうさせないから。そしておじさんはお母さんを説得した。代わりに僕を守る、だから力を貸すように頼んだ。だから託され引き抜くことができたのだと。


「お母さんが生きているってこと?」


「違う、意識だ… 思念の一部がサーベルに移ることで死んだあとにサーベルを残すことができたんだ」


 よくわからない。でもそんなのありえないのはわかる、非科学的でバカみたいな話だ。


 そうありえない… なのに今僕は疑うということを一切してない、何故だか真実だと信じてしまう。


 おじさんが僕に「挨拶しなさい」と言うとき、お母さんが何か話しかけてくれると思ってサーベルを返してくれたのかもしれない。


「どうして今まで隠してたの?すぐに教えてよ!お母さんと話せるなんて!」


「あれ以来声が聞こえなかったからだ、もし自由に話せるならすぐにでも教えてる… だが今日は久しぶりに声を聞いたよ」


「なんて… 言ってたの?」


 おじさんはとても言いにくそうにしていたけれど、一呼吸置くとすぐに教えてくれた。


「殺してやる… そう言っていた」


 嘘だ。

 お母さんはそんなこと言わない。そう思っていたけれど…。


 この時おじさんからすべてを聞いた。


 お母さんをセルリアンにやられたことにして殺したヤツがいる。なんの理由があってかはわからない、でもあの時あの場所でお母さんは犯人を見付けたんだ。そしておじさんにその怨みが伝わってしまった… 殺してやると。


 僕は許せないと声を荒げた、何故お母さんが殺されなくてはならないんだ。見つけ出して殺してやる、僕がこの手で仇を討つ。


 柄を掴む力が自然と強くなった。


「ダメだベル、簡単に人を殺すだなんて言ってはいけない」


「でも悔しいよ!なんですぐそこにいたはずなのに野放しにしたんだよ!剣を抜いて殺してしまえばよかったんだ!そんなやつ!許せないよ!」


「気持ちはわかる、だが滅多なことを言うな!お母さんはお前を守る為にこんな姿になってまでこの世に残ったんだ、確かに切っ掛けは怨みかもしれない… だがお前を人殺しにしてまで怨みを晴らす為じゃない!」


 じゃあどうしたら?この怒りはどうしたら?お母さんは無駄死にして、僕はそれを忘れてのうのうと生きろというの?そんなことは許されない。そんな僕の怒りにおじさんは答えた。


「いいか?犯人を見付けたその時は俺が必ず然るべき報いを与える、だからどうか任せてくれ?許せないのは俺も同じだ」


 これ以上僕には何も言えなかった…。

 本当はこのままこの抜き身のサーベルを持ってお母さんを殺したやつのとこに切り込みに行きたかった。でも悩んでいたんだ… そんなことをするような僕にお母さんはサーベルを使わせるはずがない。元から抜くことができなかったのに、許されるはずがない。サーベルが危険なのはよくわかっている、実際持ってみたらすぐに理解できた。


 おじさんはお母さんが僕を戦わせない為にサーベルを抜かせようとしなかったと言っていた。

 それって本当は僕が使うには相応しくないからってことじゃないだろうか… とこの時思った。


 だから、何も言えなくなってしまった。


「ベル… お母さんは息子の手をわざわざ汚すようなことは望んではいないんだよ、わかるな?」


「なんだよそれ… おじさんの手は汚れてもいいって言うの?」


「俺の手はすでに汚れているんだよ、これ以上汚れても変わりやしないさ… なぁベル、この件は俺に任せてくれるか?」 


 僕は頷くとサーベルを地面に突き立てこの手を潔く離した。僕にはまだ持つ資格がないと自分で改めて思ってしまったからだ。


 おじさんは剣を鞘にしまうと言った。


「お母さんに、まだ言うことはあるか?」


 納刀されたサーベルを差し出され、僕はそれを再度受け取ると強く思った。





 おじさんならきっと仇を討ってくれる。

 だから力を貸してあげて?





 やっぱり返事はない。でもお母さんの心がここに残っていると思うと、この時も今までもちゃんと届いてるんだって安心した。

 

「もう、いいのか?」


「うん… おじさん?改めてお願い、サーベルでみんなを守って?」


「勿論だ、さぁ帰ろう」


「うん」









「そう、話したのね?ベルに」


「はい、知る権利があると思いました。そしてベルなら正しい選択ができると信じました」


 ホームに戻ると先生にも先程のことを話した。先生なら今回の事件のことにも力になってくれる。俺やベルや母親だけに限ったことではない、皆今回のことを許さないだろう。


「とりあえず、これでサーベルが遺留品として残った理由がハッキリしたわね。でも… 色々踏まえて考えるとユキちゃんの時のように復活することは難しそう」


「やはり、そうですか…」


「辛いけど、死んだ人は帰ってはこない… そして自然の理に反したことが起きた時、代償もある」


「耳が痛いですね」


 先生は自身のことを言っているのかもしれない。両親を亡くし、孤独になり、今はまともに歳老いていくことはない。先生は孤独の時間を自ら伸ばしてしまったのだ。


 でも先生が言った言葉はまるで俺のことを言っているようだった。


 身に余る力、役割。

 それらを引き受けてしまった為に妻を巻き添えにしてしまい、眠っている間に家族も先立ってしまった。そしてバラバラになった心の中で妻の幻影を求め、遂に現れたのは妻の顔をした少女。


 隣に妻の姿があるのに、妻に手が届くことは永久にない。俺は今そういう罰を受けているのだろう。


「そういうつもりではなかったのだけど… ごめんなさい?」


「いえ、勝手に思っただけです」


 先生は強い人だ。父もよく言っていた、先生は強い心を持っている。俺なんかとは比べ物にならないほど強い、同じような状況でも先生は俺よりももっと長く生き続けている、この人の前で俺の泣き言などただの甘えに聞こえてしまう。


 先生はフッと小さく笑うとこんなことを言い出した。


「不思議なものよね?この家、100年単位で生きてるのが三人もいるのよ?一人はサンドスター中毒の代償で歳をとりにくいマッドサイエンティスト、一人は元セルリアンでフィルターから解放されたフレンズ、そしてもう一人は…」


「馬鹿やらかしてみんなに置いていかれた白猫… ってとこですか?」


「フフッ… ごめんなさい?面白い家族よね?しかもセーバルはあなたより歳上なのにあなたの孫の奥さん」


「そして俺は自分の妻の生まれ変わりの親代わりですか」


 冗談を言い合えるなんてずいぶん良くなった証拠だと先生は笑っていた。しばらく経つが、ここまで自分を取り戻せたのもみんなのおかげだ。

 立ち直った… とハッキリ言うのは抵抗があるが、こうして生きることを自然に感じることはできるようになった。


 家族ならここにいるじゃないか。


 俺は皆に置いていかれたが、孤独ではなかった。


 また来年、その時まで俺が生きていることができたらその時は改めてみんなにありがとうと言おう。


 おかげでここまで来れたって。




「そういえば、セーバルちゃん朝から見えまませんね?」 


 話に上がったので気になったのだ、朝からセーバルちゃんを見ていない。彼女はあまり個人的な用事で出かけることがないので珍しいと思った。


「ちょっとキョウシュウにね?この日は毎年のこと」


「今日… って何かの日でした?」


「あ… そうよね知ってるはずないわね。そう、今日は大事な日よ?彼女にとっては特にね」


 彼女にとって特別ということは世界的に決められた祝日とかではないのだろう、何かもっと個人的な理由が込められた日。それが今日なのだ。


「ユウキくんにも伝えておくべきことよ、今日はね… 彼女の夫、ヒロユキくんの命日なの」


 命日… ヒロの…。

 ヒロはどのように亡くなったのだろうか。


 クロは短命だったとユキから聞いている、もしかするとヒロも死ぬには若かったのではないだろうか。セーバルちゃんはヒロの話をしたとき死因に関しては何も話さなかったし、俺もあまり話したくなさそうな彼女を見て聞こうともしなかった。


 毎年この日になると彼女はキョウシュウへお墓参りに行くらしい。場所は俺もよく知っているあの場所。


「あなたの家があったとこ、そこにクロユキくんのお墓と一緒に並んでいる」


「そうですか、クロもあそこに…」


「クロユキくんもヒロユキくんも生まれ育った場所が一番だろうって。クロユキくんの奥さんは長の片割れだから遺体は残らずそのまま次のワシミミズクになるでしょ?だから寂しくないようにってその時のアフリカオオコノハズクが気を利かせてくれてね」


 博士の計らいか、ありがとう… 彼女も立派な長になったんだとわかった。新しい博士は少し子供っぽい言動が目立ったので心配だったが、上手くやっていたようだ。


 あの場所がどうなっているのか気になっていた。だが何故だか怖くて近寄れなかった… 俺の家、しんりんちほーのジャパリ図書館。たくさんの思い出が詰まる場所。


 俺も挨拶に行かなくてはならない時なのかもしれない。


 そして伝えるべきだろう。

 クロとヒロにも、ただいまって。


 ただ今日はもう遅い、なのでどこかで時間を作って行くことにしよう。だがそう思っていた矢先に先生が言うのだ。


「あら… もうこんな時間じゃない?そろそろ帰ってくるかと思ったのに… 連絡もくれないし」


「いつも日帰りなんですか?」


「えぇ、ここのこともあるしずっといると離れたくなくなるからってセーバルが自分で言ってたのよ?一昔前は酷かった… 一人でお酒飲み過ぎて大声で泣いてるからってお店から電話来ちゃって、その時は迎えに行ってたのだけど…」


 先生の言葉は止まったが、「まさか…」と目が言っているのは俺でもわかった。先生はすぐにラッキーに命令を出した。


「ラッキー?セーバルの位置情報を取得」


 白いラッキーはいつものように流暢な話し方で言った。


「OK!セーバルはね~… キョウシュウエリア!旧ジャパリ図書館跡だね!」


「GPSはオンになってるようね、飲み屋じゃないみたいだけど… だったらまさか夜通しそこにいる気?ラッキー電話して?」


 ラッキーの映し出すディスプレイに電話の発信画面が追加された、地図の隣に“セーバル”という名前が大きく映っている。


 着信待機音がスピーカーで部屋に響き渡る。


 ルルルルル… ルルルルル…


 昔も今もこれは変わらない。


『もぉしぃもぉしぃ~?』


 ふにゃふにゃになった顔が映し出され、ふにゃふにゃになった声が聞こえる。本当に彼女なのか疑わしいほど普段とはかけ離れた姿と声だ。かなり酔っているのが確定した。


「セーバルあなた!何してるの!帰らないつもり?」


『セーバルはさぁ~?夫の側で添い遂げるのですぅ~?ヒロのいるところがおうちなの~』


「あぁもうここ数十年はこんなことなかったのに… どうかしたの?子供たちも心配するから帰ってらっしゃい?」


『やぁだもぉ~ん… シロのバカ~?』


 え… 何故俺?


 先生は「何かしたの?」って顔でこっちを見てくるが、ここの仕事を任せがちなこと以外に心当たりはない。酔っている人をまともに相手にしても仕方がないものだ。


『グス… ふぇ… セーバルさみしいよぉ… 切ないよぉ… どうしてセーバルを一人にしたのヒロぉ?うぇへぇっへぇ~んぇぇぇぇ!!!あぁぁ~~~ん!!!』


 すごい声… 彼女は泣き上戸のようだ、ヒロのことが余程恋しくなってしまったのだろう。彼女は普段あまり弱いところを見せないのでわからなかったが、本当は胸のうちに寂しさを秘めているのだろう。


 彼女も俺と同じように置いていかれたと感じて辛いのだと思う。


「ちょっとセーバル落ち着いて?あなた一人じゃないわ?みんながいるでしょ?」


 先生の言葉はやがて通じなくなり、その後セーバルちゃんは会話にならないほど声を張り上げて泣き続けていた。


 通話音量を下げた先生が俺に申し訳なさそうに言った。


「あのユウキくん… お願いがあるのだけど」


 言わんとしてることはわかる。


「えぇ、構いませんよ」


「ごめんなさい、今日は色々あって疲れてるだろうけど…」


「いえ、不本意ながらこんな体なので、平気ですよ」


「本当にごめんなさい?ありがとう、じゃあ… お願い?」


 夜更けも近付いてきたところだが、俺はホームを出て酔い潰れた未亡人を迎えに行くことになった。


 どーせ墓参りには行きたかったのだから丁度いい、行こう我が故郷へ。


 帰ろう、俺の家に。

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