第14話 別人

「ミク?ミクどこだ?」


 ミクが来て数日経った。


 くどいようだが彼女は妻ではない、ミクにはミクとしての生き方や心がある。


 だがミクの顔、声、行動、言葉の一つ一つに妻を探している自分がいることを否定できない。俺は弱い男だ。


「参ったな… 黙ってどこへ消えたんだ?こんな朝早くに」


 そして今様子を見に行くと姿がないことに気付き家をウロウロと歩き回っている。まさか出ていった?繊細な子だ、世話になっていると感じてそういう行動に出たというのも考えられる…。


 そんな風にやきもきとする俺の前に現れたのはミクではなく彼女。


「おはようシロ、ウロウロしてどうしたの?」


「セーバルちゃん… ミクを見てないかな?どこにもいなくて」


 そうセーバルちゃんだ。

 彼女は俺の言葉を聞くと一度キョトンとした顔で頭部の羽をピクリと跳ねさせた。それからすぐに呆れたような顔で「はぁ」っと小さな溜め息をつくと、ようやく先程の質問に答えてくれた。


「お庭で花に水をあげてたよ」


「そうか、ありがとう」


 そんなとこにいたのかとすぐに立ち去ろうとした、心配したからだ。だがそんな俺を彼女は「ちょっと待って」と言わんばかりにわざとらしい咳払いをして引き止めた。


「あーあーエヘンエヘン」


「ん…?」


「ちょっと過保護なんじゃない?花に水をやるのは昨日から言ってたこと、シロがいつもいつもそんなんじゃあの子は自立できないし息苦しくなっちゃうよ?」


 過保護…。

 そんな意識はなかった、ただ俺は心配で… いや、その通りかもしれない。妻に重ねている証拠だろう、姿が見えないと安心できないんだ。


「あぁほら、挨拶がまだだなって…」


「まだ早いから起こしたら申し訳ないと思ったんだよ」


「俺は寝ないんだけどね、100年分眠っていたせいか」


「そういう問題じゃない… とにかくあんまりあれこれ世話焼きすぎないようにね?」


 セーバルちゃんはそう言い残すとすぐに行ってしまった。君の言いたいことはわかる、大丈夫それはよくわかっているんだ。世話を焼く必要がないこともちゃんとわかっている。


 あの子は働きたがりだ、花の水やりだって本当は俺達でやってきたことでミクが「何かさせて?」と頼み込んできたから始まったこと。世話を焼かなくたって好きにさせていればなんでもできてしまうんだよあの子は、よく知ってるとも。


 彼女のことならなんだってね。





 庭に行くと小さな花壇に水をやるミクを見付けた。ここの花は子供達で植えたのだそうだ、先生に聞いた。


「ミク、おはよう」


「あ、おはようおじさん!」


 俺が声を掛けると水やりをしながらこちらに笑いかけてくれた。なんだかずいぶん明るくなったようで安心している。子供達とも馴染んできて初めて会った時のあの不安な表情も出さなくなった。ミクはおとなしいがよく笑う子だ、芯もしっかりしてる。


 妻と同じ。


 ある日妻も水やりをしていたっけ…。小さく鼻歌なんか歌いながら丁度今日みたいにいい天気で帽子を被っていた。


 そしてあの時も君は俺に気付くと笑いかけて言ってくれたね。



 “あ、おはようございますシロさん?”



「おじさんどうしたの?」


「いや… 心配したよ、部屋にいないもんだから」


「えへへ… ごめんなさい?」


 ほらまた。

 妻を思い出してる。


 ミクを見て妻のことばかり考えてしまうのはミクに対して失礼なことだと思う、しかし俺は簡単に切り替えられるような器用な男ではない。別人としては考えているんだ、だからミクと名付けたし、他にも色々言ってある。


「おじさん今日はお仕事?」


「いや、今日は太郎が来るんだ。仕事は入ってない… 今のところね」


「あ、あのそれじゃあ!僕も一緒にいてもいいですか?」


 太郎の修行はミクが見て面白いものではないと思うけれど。この純真そうな瞳に見つめられると嫌とは言えないな。


 俺は日に照らされ美しく煌めく緑の髪をくしゃくしゃと撫でながら答えた。


「勿論いいよ?面白くはないかもしれないが」


「アハハ!やったぁ!」


 俺を信頼してくれているのだろう、こんな風に喜ばれるとどこか胸の奥がくすぐったい。


 でもちゃんしておかなきゃならないことがある。俺は膝を着きミクの目線に合わせると言った。


「でもいいかいミク?前にも言っただろう?ミクは女の子なんだから」


「あ、そうだった!“私”も一緒でいいですか?」


「ほら言葉も、子供なんだから俺に対してそんなに丁寧でなくていいんだよ?」


「えっと… はい!あ、うん!」


 いい子だ、それでいいんだ。


 そう、実はミクには言葉を直させるようにしている。「僕」は「私」に、そして敬語は使わなくていいと。


 わかっている、これこそ彼女の個性を潰しているようなものだと。だがこうでもしないと俺が耐えられないのだ。

 妻の顔と妻の声で妻と同じように喋られては俺はいつか彼女を妻のように扱ってしまいそうで恐ろしいんだ…。


 君は妻ではない、よく似た女の子。


 でも俺は親代わりになって君を守るよ。妻は泣かせてばかりだったが、せめて君が涙を落とさないように…。


 別人だと言っておきながら妻への罪滅ぼしに君を使うことをどうか許してくれ。


 俺はダメな男だな。







「シロじぃおはよう!ベルにミクちゃんも!いい天気だね?」


「あぁ、おはよう太郎」

「おはようレオにぃ!」

「おはようございます!」


 午前10時にもなると太郎が来た、適度にやってから昼飯にありつこうという算段だろう。弁当でも作ってみんなで外で食べてもいいかもしれない、ミクも退屈しないで済む。


「どうだ、調子は?」


「まぁまぁかな、見て?」


 レオの手のひらにはボウっと光の玉が乗っている、形は安定しているしこのまま離さなければ消えることはないだろう。


「できてるじゃないか、流石だな?」


「へへっ、シロじぃコツ教えてくれたでしょ?あれからすぐできるようになった!」


 コツというほどのものではない、なかなかできずに悩んでいたので昔クロにしたように俺が作り出した玉を太郎の手に乗せそれを維持させたのだ。結果はご覧の通りだ。


「それ、どこまでできる?」


「3つまで分けられる、口からも出せるよ?見てて?あー」


「やらんでいい、口を閉じろ」


 顎を下からコンと叩き悪ふざけをやめさせると子供達からも笑いの声が聞こえた。しかしこれで太郎がどこまでを可能にしているか理解した、体から離さなければどうにでもできるといったところだろう。


「ねぇシロじぃ!次は?次はどうしたらいい?」


「わかった、じゃあ今度はこれを目標にしてみろ」


 今の太郎なら大げさにレベルを上げるくらいのほうがいいだろう。そう思った俺は玉を3つを使ったジャグリングを始めた。これは体から離した状態の形の維持と瞬発的な循環などが必要になる。


「わぁ… おじさん凄い!」


「ありがとうミク?さぁ太郎、これはできるか?」


「が、頑張る!」


 太郎はそう意気込むと早速お手玉のように玉を投げていたが、やはり最初は難しいだろう。玉は空中でサンドスターとして飛散していった。がんばれ。


「おじさんジャグリングなんてできたんだ?なんかやっぱり器用だね?指切ってたけど」


「それを言うなよベル、俺だってあれからちゃんと練習してるんだ。不器用なりにな?」


「上手くなった?使ってるとこ見てないからわかんないけど」


 ん~… 皮肉だなこれは。

 そもそもここにセルリアンが近付かないようにしてるのもあるが、ベルはあれから戦いそのものを見ていない。本当にサーベルを使ってるのか疑心暗鬼なんだろう。


「ベルやめて、おじさんを困らせないで」


「いやだってさ… うわぁやめてよミク?睨まないでよ目が怖いよ」


 俺を守ってくれるのかミク、君はいい子だな…。でもベルの言いたいこともわかっている、そこまでにしてくれ。  


「ミク?俺は大丈夫だから、ベルをいじめないであげてくれ?」


「でも!サーベルを使うのはセルリアンだけなんでしょ?ぼ…じゃなくて私達が使ってるのを見てないってことはおじさんが見えないところで頑張ってるからってことですだよね?」


「まぁ… そうだな、ありがとうミク」


 俺の言い付けを守り言葉に気を付けているのでおかしなことになってしまっている、本当に申し訳ない。せっかく俺を庇ってくれたのに。


「ミク今話し方変じゃなかった?」


「普通ですもん!」


「いや、なんか変だよね?話しやすいように話せばいいじゃん?何を無理してるの?」


「無理なんてしてないよですよ!」


 あぁー… 本当にすまない。


 罪悪感の水増しを感じる。ミクを見るたび妻に対しての罪滅ぼしをしようと思っているのに、差別化を図るため言葉遣いを直させている俺は逆にミクに対する罪悪感で二つの罪悪感に挟まれてしまっている。


「え~まぁミクがいいならいいけど… ねぇおじさん?僕もそろそろボールのやつやるべきかな?」


 話変えてくれてありがとう。ベルも循環による運動能力のコントロールにも慣れてきているようだ、次に行くならここはひとつ確認を兼ねてテストしてみよう。


「あそこまで無理にやることはないんだが、もしやりたいなら教えよう」


「やってみたい!」

 

「じゃあこれまでのことをお復習さらいだ、試してごらん?」


 つまりは「かかってこい」ということだ。


 ベルはそれを察すると一度俺と距離を取り呼吸を整えた。


「せっかくだから勝ち負けを決めようか」


「どうしたらいいの?」


「“これ”、奪えるかな?」


 “これ”とはサーベルの収納されたキューブである。俺はそれを腰につけたカラビナから外し右手でつまみ上げベルに見せ付けた。


「いつでもいいぞ」


「よーっし!やるぞー!」


 素早い踏み込み、その歳でよくここまで上達させたものだと感心した。同時に鋭い蹴りで俺の手に持つキューブを直接狙ってくる。いいぞベル、狩りをする者の目だ。


「おっと、惜しかったな」


「まだまだこれから!」


 その動きは以前に本人が言っていた鈍足なサーベルタイガーなど微塵も感じられない俊敏な動きだった。そして目的はキューブを奪うこと、直接キューブを狙うのは俺を張り倒す必要はないとわかっているということだ。


 目まぐるしい成長だった。


 これがセルリアンを前に剣を抜けずにいたあのベル?今ならきっと剣を抜かずとも自分の力だけでなんとか切り抜けているだろう。

 今の彼なら倒さずとも何か手を尽くしてその場から離脱し、決して諦めない強い信念で手を尽くしたはずだ。教えた側からすると誇らしい。


「いいぞ、やっぱりベルは筋がいいな」


「でも!あぁもぅっ!ちっとも取れない!くそー!だめだ!」


 結局ベルはキューブを奪えなかった、俺がトンと額を小突くとベルは地べたに倒れこむ。俺はすぐに手を差しのべその健闘を讃えた。


「ナイスファイト、そこまでできたら十分だ」


「はぁ~自信あったのに… なんてね!」


「ッ!?」


 油断した。

 

 気を緩め手を伸ばした瞬間をベルは見逃さなかった。完全に意識がキューブから離れたその時、ベルは飛び起きて俺から見事キューブを奪いとりサーベルを展開させた。


「やったー!お母さん僕やったよ!見てた?」


 高々とサーベルを天に掲げ、勝利を母に伝えている。参った、完敗だ。


「やられた、よくやったベル… 完全に油断してた」


「へへへっ!でも… ん~!やっぱりまだ抜けないみたい。はい、返すね?」


「あぁありがとう、お母さんは何か言ってたかい?」


「わかんない… でもきっと褒めてくれるよね?」


 受け取った瞬間ベルの健闘を強く念じ伝えたのだが、母親は無反応だ。まだなんだな?わかった、返すのはもう少し先にしよう。


「子供の成長はいつだって嬉しいものさ、親ってやつは」


「ありがとう、でもやっぱりおじさんには敵わないや」


 そんなことはないよなんて伝えながら俺は太郎にしたようにサンドスターの玉をベルの手に置いてそっと離した。


「すぐに追い越すさ、ほらどうだ?」


「わぁ… でもこれどうしたら… あぁ消えちゃった」


「今の感覚、忘れるんじゃないぞ?しばらく自分の力だけでやってごらん?」


「わかった、じゃ今日からボール作りがんばるぞー!」


 今はまだできないが、ベルならきっとすぐにできるだろう。早くしないと追い付かれるぞ太郎?


 なんて思いながら一息付いたその時、キュっと手を掴まれる感覚があったので右手に目を向けた。するとそこにはムクレっ面のミクがいる、そんなに頬を膨らませてどうしたのだろうか?


「ミク?」


「僕にも教えてください」


「ミク、言葉を」


「私もそれやるっ!」


 目に涙を浮かべて顔を真っ赤にしたミク、こんな感情的な表情を俺は初めて見た。彼女はおとなしかったから。


 いや、でも君にはこういうところあったよな。よく覚えているよ。妻はおとなしそうに見えて熱い心を持っているんだ。


「あ、おじさんミク泣かした」


「うわ、シロじぃミクちゃん泣かしてる」


「おいおい待ってくれ?誤解だよ、なぁミクどうしたんだ急に?」


「いいから教えてっ!私だってできるですの!」


 あ、あぁ… 泣かせてしまった。言葉もハチャメチャなことに。


 ミクは怒っている。

 多分何かにムキになってこうなってしまったのだろう、悲しんでいるのではなく。もしかすると俺が無理を言って言葉を直させていたりするからストレスが溜まっていたのかもしれない。


 もう君を泣かせないと誓ったばかりなのに… いつもそうだ、俺はそう誓ったらすぐに君を泣かせていたっけな。


 本当… ダメな男だな俺は。


「ごめんミク」


「僕はダメなの?」


「え?いや、そうじゃなくて…」


「なんでぇ~?ふぇぇ」


 やがてミクは完全に泣き出してしまった。待て俺が何をしたんだ?


「「な~かした~な~かした~カ~コさんに言ってやろ~」」


「いやちょっと」


「「な~かした~な~かした~ママセーバルに言ってやろ~」」


「違うんだよ、参ったな…」


 何故だ、何故こんなことに。俺は君のこと誰よりわかってるつもりでいたのになんで?あれほど気を付けていたのに泣かせてしまうなんて。


「おじさん何やってるの?ミクにも教えてあげればいいじゃん」


「わかんないかなぁ?ヤキモチだよヤキモチ!シロじぃが俺とベルばっかり褒めるから妬いてるんだよ」


 あぁ~そうか…。

 君、結構嫉妬深かったっけ?俺もだけど。気が付かなくてごめん。


 俺は再度膝を着きミクの目線で向かい合うと伝えた。


「ごめんミク… ダメなんかじゃないよ?必要はないかもしれないけど、ミクがやりたいなら教えよう」


「ほんと?」


「もちろん、ミクならすぐにできると思う、ほらこれ持ってごらん?」


 ボウっと現れた光の玉は俺の手から両手を器にしたミクへそっと手渡される。


 この光景は妻と言うより息子を思い出す。忘れもしない、あれはクロの病気が治った時のことだ。




“ ほら手を出して?大丈夫、怖くないだろう?


 わぁ…!パパ!掴めたよ!


 言っただろ~?大丈夫だって?どうだ?


 なんだか暖かいよ? ”




 クロ、才能以上に辛い思いをさせてしまったが、器用なお前はいつだって上手くやってきた。


 ならミクだって。


「わぁ!おじさん見て!掴めました!」


「「え!?」」


「できると思った、さすがミクだ… 見ただろ二人とも?あっという間に追い抜かれるぞ?気合い入れろよ?」


「「は、はい!?」」



 俺がミクに教えていなかったのは無論意地悪ではない。妻にだってわざわざ教えるようなことはしていなかった。それは必要がないからだ。その証拠に妻は先生にも習おうとは思っていなかった。


 だが教えてしまえば妻だって簡単に極めていたのだろう、クロがそうだったように。そして…。


「おじさん?あの… 僕、じゃなくて私…」


「あぁ、上出来だ。ミクは凄いよ」


 ミクもまた、簡単にものにするだろう。例え必要でなくても。


 当たり前だが、クロと妻が別人なようにミクはまた別人だ。くどいようだが再三言っておこう。


 ミクは妻ではない、ミクにはミクとしての生き方や心がある。


「でもミク?話し方」


「ごめんなさい… まだ慣れなくて」


「いやいいんだ、無理させたね?ごめん、俺が悪かった。ミクの話したいように話していいんだよ?それが君の個性だ」


 どんなに似ていてもミクはミクという妻とは別の人物。どんな理由があろうと俺の都合を押し付けていいものではない。


「ありがとうおじさん?でも、がんばる!おじさんがその方がいいって言ってくれたことだから!あ、今上手だったでしょ?」


「あぁ、上手だよ。さすがミクだ」


 俺は妻とは少しだけ違うその緑の髪をくしゃくしゃと撫でた。

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