第19話/会社員

「何という顔をして抱き合うの、失礼じゃない?」

「きみはポーカーフェイスが得意だから、何かと不安でね」

「五年近くも共に居て、今更何を隠すというの? 嫌だったらとっくに殴り倒してるし、おねだりなんてしないでしょう?」

 きみと身体を重ねるときはいつもそう。

 無駄なお喋りが多くてたまに辟易しながらもその先へと奥へと続いていく。

 よくここまでやってこれたもんだ。


 思わぬ再会から初恋を実らせ、家族にも認められ、約束されていた安穏な暮らし。

 の筈、だったのに。

 どうしてこうなるのか。

 きみから全てを奪ってまでここに来たというのに。

 その責任を果たすことも出来ずにこれが最後だと漸く気付いた僕は、これまでの愁いを見事に隠しきるきみの艶めく声も、熱く洩れる吐息も、汗ばむ肌の感触さえもきみのようには甘受できずに全てを見透かされてしまう。


 いっそふたりで逃げればいい。

 僕にはきみ以外に守るものなど有りはしないのだから。

 其の先の事はふたりで考えればいい。

 これは僕ときみの人生なのだから。

 だが、それを赦さない現実が僕以上にきみを苦しめると判っているから進めない。

 これがきみの心の最奥を深く抉る明らかなる裏切りだと知りながらも。

 結局、僕もその現実とやらに囚われたひとりなのだ。


 朝になればきみはにこやかに僕を送り出すのだろう。

 果たして僕は同じように返せるのだろうか。

 何事も無かったかのようにキスとハグを交わしドアをひらけるのだろうか。

 いや、名残惜し気に抱き締めてしまい盛大に笑われるに違いない。

 そしてきみの優しい嘘をこの身に刻み永遠に償えぬ罪を抱える一歩を踏み出すのだ。


 僅かに放たれた窓から雷鳴が聞こえる。

 きみと僕の行く先を示す冷たい光の道筋が近付いてくる。

 逃れられない別れが来ると知りながら、尽きることなく口づけを交わすきみとの最後の夜が刻一刻と過ぎていく。


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