第3話 過去のために
「やるじゃねェか、セリーム! さすが、俺と同じイズミルの出身だけあるな!」
「そうですね……」
ケマルの同郷贔屓に一応答えながら、セリームは目の前の惨状に立ち尽くしていた。ケマルは最初にその異変に気づき、セリームの視線の先へと視界を動かしていった。
最初に足元に見えたのは右手だった。だが、その根元は胴体に繋がれておらず、ちぎれてなくなっていた。胴体はその先に虚しく打ち付けられ、内臓は地面に飛び散り、壁に引っかかった腹綿からは血が滴っていた。部屋の至るところには血が塗りつけられ、悪趣味な絵画様の部屋がそれを見た者たちに衝撃を与えていた。
「ひっ……うっ……」
アリは麗しい少女の死を前に新兵らしい反応を示した。気分が悪くなるのは漂ってくる悪臭のせいだけではない。ありえないと思っていたことが目の前に起こって心の奥底まで乱されていたからだった。誰が、正式入隊の直後に仲間を失うなどと考えるだろう。アリはそんな自分の弱さを否定するために首を振る。それでも現状に疑問が絶えなかった。
「どうしてこんなことに……悲惨過ぎるわ……こんな死に方……」
「うろたえるな。これくらい日常茶飯事だ」
ファルクは彼の背中から、そう声を掛けた。何度も仲間を失った彼は下手に慰めるよりもそう言ってやったほうが新人のためになると思っていた。
セリームはその場で両手で耳を覆い、何度も祈りの言葉を繰り返す。ケマルもそれに続いていた。彼らの信仰に基づき、天国での安らかな眠りを願う。守れなかった仲間に対して今この場で出来るのはそれだけだった。
祈りの言葉を一通り終えたケマルは顔をしかめながら、ため息をつく。
「……即死だったようだな」
「みたいですね、でも……死ぬなら、俺らじゃないんですか? 彼女、まだ20過ぎですよ」
「俺の娘と同じくらいだぜ」
セリームはなんだか言わないほうが良いことを言ったような気がして、何か言い繕おうと考えた。しかし、出たのは喉の奥で詰まった言葉の「うっ」という音だけだった。
ケマルはそんなセリームにまたため息をつくと、耳から手を離した。
彼は目を細めてエミーネだったものを見つめていた。その目は既に決意に満ちていた。恐れや悲しみを超越した軍人が得られる「決意」がその目に満ちていた。
「だが、こんなことくらいで参ってたらイカれちまうぞ。俺らは軍人なんだ」
「ケマルさん……」
「ケマルの言う通りだ。エヴェレン、ウルス、気をしっかり持て。でなければ死ぬぞ」
名前を呼ばれた二人は無言で頷く。仲間が殺されたという事実が、重くその肩にのしかかっていた。
重い空気の中、下階から誰かが駆けてくる音が聞こえた。スレイマンが大急ぎでこちらに向かっていた。
「下は酷い様子だ。今のところ死者は居ないようだが、負傷者で溢れかえっている。本部からクーデター発生の報告はあったようだが、その直後に通信が切れたらしい、良く分からないが爆発物が――」
「隊長、エミーネが爆発で……」
「なっ……!?」
スレイマンは、ドアの前にいるセリームを押しのけて更衣室の中の様子を目の当たりにした。その瞬間、彼の全身は瘧に罹ったように震えた。彼はゆっくりと視線を床に這わせてばらばらになった
セリームが咳払いをする。それはバツの悪い気分を振り払うためだった。
「隊長、報告します。当分隊の死者は一名です。」
「どうしてこんなことになるんだ……!」
「隊長……」
「どうして、俺の部隊の人間に限って死人が出るんだ……‼」
「しっかりしろ、あんたは隊長だろう」
「エミーネ、隊員は、お前らは皆、俺の娘・息子だというのに……何故、俺より先に逝った!」
スレイマンは完全に動揺している様子だった。ファルクの諌めも全く聞き入れずにぶつぶつと言葉を続けていた。そのとき、アリは隊長の前に歩み出た。スレイマンが茫然自失の表情でそれを見上げると、アリはスレイマンの頬を張った。アリは厳しい表情でスレイマンを睨みつけていた。
スレイマンはその瞬間、過去のことを思い出した。自分を
「……そうだな、悲しんでいる暇は無いよな」
「さあ、指示を出してくれ」
「神だってバカじゃない。暇がないことくらい分かってくれますよ」
「エミーネの死は無駄にはしない。反逆者共を排除する、行くぞ」
「そうこなくっちゃなァ!」
「いこう。一分たりとも油断するな!」
スレイマンは背後の隊員達を見回した。意を決した隊員達の顔を確認すると、彼は拳を握る。
「狼部隊――三十分後にブリーフィングを開始する。それまでに装備を整えとけ‼」
「「「「了解」」」」
決意の籠もった声が、その場に響き渡る。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます