第八章
75話 悲恋を嘆く独り舞台
一週間が過ぎた頃だった。季節は冬に移り変わろうとしていて空気はさらさらと、秋よりもずっと静かな日が続いていた。紫薇はプランジェのように外で運動をする気にもなれず、学校から帰れば早足で家に向かい、逃げるように部屋の中に入っていく。今日も通学路の途中で赤縞と分かれると、紫薇は体を小刻みに震わせながら家に急いだ。
やっと家の屋根が見えてきて、羽月が買って来た新しいコーヒー豆の味を考えていると、家の前に誰かが立っているのが見えた。その人物は寒空の下でもぴくりとも動かずにじっと紫薇の家を見詰めている。紫薇にはそれがどこか我を忘れて呆然と突っ立っているようにも見えた。
「随分と豪勢な格好になったもんだな」
その人物の服装は以前に比べてより清廉されたものになっていた。青いローブは真っ白に染められ、金色の装飾が施された赤いマントが肩にぶら下げていた。
紫薇が皮肉めいてそういうとその人物は、魂が抜けてしまったように虚ろな顔を浮かべるリカリスはやっと顔を向けた。
紫薇はぎょっとした。ひょっとして別人なのではないかと疑うほど、リカリスの目に力がなかったのだ。豪華になった服装が更にリカリスの虚無感を強めてしまう。
「…不審者と間違われたくないなら中に入れ。話は聞いてやる」
紫薇が初めてリカリスに優しい言葉をかけた瞬間だった。
リカリスは口を閉ざしたまま紫薇に導かれると、のそのそと体を動かして中に入っていった。
テーブルに香ばしい匂いが二つ置かれた。一つは徐々にその量を減らしていったが、もう一つは香りが損なわれるまで手を付けられなかった。そうして空になった入れ物にもう一度コーヒーが注がれると、リカリスよりも先に紫薇が口火を切った。
「いつまでそうしているつもりだ?目でものは飲めないが」
その言葉に反応してリカリスはすっかり冷めたコーヒーに手を伸ばし、口に近付けると一口だけ啜った。
紫薇は以前とまるで違うリカリスに妙な取っ付き辛さを感じていた。これが演技だと否定も出来ないし、仮に本心だとしても何を求めてここにやって来たのか予想も出来なかったからだ。
猜疑心はやがて紫薇に苛立ちを覚えさせ、話が一向に進まないと踏んだ紫薇は仕方なしにリカリスの心境を覗いてみることにした。ソファーから立ち上がり、触角を生やしてリカリスの前に立った。そして人差し指をリカリスの額につけ、目を瞑って余計な思考を取っ払う。すると段々と閉ざされていたリカリスの心の断片が紫薇の脳裏に浮かび上がっていった。
「…そういうことか」
全てを悟ったように紫薇は目を開いた。
「お前も自分が何者か、わかっていなかったらしいな。…不幸な女だ」
「…どういうことだ?」
離れていた場所から紫薇の様子を窺っていたプランジェだったが、痺れを切らして紫薇の傍に近付いていた。
「直にわかる。もう少しでこいつの意識がはっきりして来るだろうからな」
首を傾げるプランジェを置いて、紫薇は指をリカリスの額から離すとソファーに座り直した。指を曲げてプランジェに隣に座るように促すと、プランジェは訳がわからないまま紫薇の隣に座った。
じっと二人の視線がリカリスに集まる中、淀んでいた彼の目があるときを堺にぱっともとの輝きが戻っていった。すると意識までもはっきりしたようにリカリスは紫薇の目を見詰め、やっともとの相手を小ばかにしたような笑みを見せた。
「僕の心を読んだのですね」
「人を待つのは嫌いでね。悪いがこいつにわかるように説明して貰おうか。それとお前の用件を白黒つけて話せ」
「…わかりました」
そういって残っていたコーヒーを口付けると冷えて不味かったのか渋い顔をした。
「あ、羽月さん、新しいの頂けます?」
「なんて図々しい奴だ…」
「お前が言うな」
湯気の立ったコーヒーが運ばれると、リカリスは満足そうに飲み始めた。
「まずはご報告から。この度、調律協会フィルバース会長に新任されました、リカリス・グリエール・オヒュートと申します。以後お見知りおきを」
「婿入りでもしたと言うのか?」
「いいえ、会長に任命された際、家名を引き継がせて頂きました。前任の会長は更迭されたので」
「…それが貴様の目的だったという訳か。人を蹴落としてまで地位を得たいか」
「前任の会長が更迭されたのはある人物によって殺害されてしまったからです。虹拱結社を率いて現王制に宣戦布告をした、アークディンク・ノーティカ・ブライザエスタリオによって」
「まさか王族が虹拱結社を纏め上げていたとは…いや、しかし…」
プランジェは仮面の王と六人のクレシェントのことを思い出していた。
「気に病む必要はない。こいつはもともとノーティカの王族が虹拱結社と関係しているのを知っていたからな」
そういうとリカリスは乾いた笑い声を上げた。
「心を覗いたときに見られてしまいましたか」
「いや、薄々感じてはいた。今までにお前が俺に吹っかけてきた台詞を思い返してみれば、お前が妖精教祖の連中と繋がっているんじゃないか。そう思わざるを得なくなったのも、お前が王宮に潜入しろだなどと要求してきたからだ」
「なら虹拱結社の尻尾を掴むというのは…」
「ただの都合だ。お前がフォルコットかセレスティンに指示されたかどうかは知らないが、クレシェントを六人の娘に引き合わせることが当初の目的だった。何にしろ嫌な手口を使う。お前のお仲間は相当な人格破綻者だな」
「ある意味で彼は純粋なんですよ。側面から見れば歪んでいるのかもしれませんが、セレスティンは娘思いの立派な父親だと思いませんか?」
「さてね、不器用な愛はロマンを感じるが、歪んだ愛は狂気しか感じない。ただの変態だな」
「これは手厳しい」
紫薇が鼻で笑うと、リカリスは口許を緩めて小さく笑った。しかしその二人の笑みを弾き飛ばすようにプランジェの殺気が迸った。
「…紫薇、談笑の最中で悪いがこの男は敵だ。害を及ぼす輩とわかった以上、今ここで排除する」
「止めとけ、こいつはお前が思っている以上にしぶといし、下手を打てばゼルア級が飛んで来る。兄の威厳に守られたお坊ちゃまなんだよ、この男は。妖精教祖と対等の立場にいたり、協会を通して好き勝手やっていたのもそれが理由だ」
「だが…」
「だがそんな男でも、精神がいかれるほどの事件が起こった。自分でも気が付かない内に、この男はレヴィスに恋心を抱いていたのさ」
「こ、恋だと?私よりもずっと幼い女にか?」
「恋愛とは極端なのかもしれない。だが異性として何かしら惹かれていたところがあった。恐らく、レヴィスが殺害されたことはお前の想定外だった」
隠されていた事実を暴き出すように紫薇のエメラルドグリーンの瞳がリカリスを捉えていた。
「ただの道具と、薬漬けにした女がお前の心を突き動かしていたとは皮肉な話だがな。さて、これらの項目を掻き集めた結果、お前は今どこにいる?妖精教祖の傍か?それとも実像たる妖精の目の前か?二つに一つ、お前も男なら毅然とした結論を出して欲しいね」
妖精の目とプランジェの目が一つに集まると、リカリスは観念した様に笑った。
「君は本当に恐ろしい人だ。兄さんが敵意を剥き出しにするのもわかる。…そう、君の言った通り僕は彼女に特別な思いを抱いていた。自分でも気が付かないうちに。でもね、紫薇君。一つだけ君は勘違いをしている。本当に僕が思いを寄せていたのはレヴィスの母親だった。彼女が仕事のストレスに耐え兼ねて自分の命を絶ったとき、僕は初めて孤独感を知った。同時に自分の無力さも」
いつの間にか紫薇とプランジェはリカリスの告白をしんみりと聞いていた。まるで舞台の上で自らの悲劇を演じている役者を前にするように。
「そのときから僕は秩序というものを重んじるようになった。あんなにも輝いて仕事をこなす女性を僕は今までに見たことがない。でもそんな人でも心に闇を抱えていた。よく彼女は僕に言っていました。厳格な秩序こそ人を生かすのだと」
リカリスは皮肉ったように鼻で笑った。何故なら秩序を生かそうとした人間が、秩序によって死んでしまったのだから。
「僕は言いましたね?彼女たちの名を引き継いだと。それは同時にその人の意思、シンボルを共産することに繋がった。僕は彼女の従者だった。彼女の死とともに僕は遺体に残った力と、意思を手に入れた。それが今の僕の行動理念と化した」
プランジェはその話を聞いて自分もクレシェントが死んでしまったらどうなるのだろうと思った。従者とは単なる主従の関係ではない。主が死ねば、それに従う者はその意思、シンボルを引き継がなければならない。従者とは肉体と精神、その二つに強い誓約をかけるいわば精神のバトンなのだ。
「ただその中に思いもよらないものが入っていた。それは子供を思う親の気持ちだった。僕の中にレヴィスを愛でる意思と、その子供を認められない意思が拮抗し、歪みを生んだ。でもレヴィスが殺されたとき、僕は思い知らされた。本当は彼女に母親と同じ愛情を注がなければならなかったことに。でもそれがわかったときは手遅れでした。母親と同じようにレヴィスは僕の腕の中で冷たくなっていった。これがその証拠です」
そういってリカリスは手のひらを見せた。金糸雀色の宝石が埋め込まれていて、物寂しい光を点していた。それはリカリスの心境を映しているのかもしれない。
「まさかアークディンクがレヴィスを殺すとは思いもよらなかった。僕は知恵者と呼ばれる妖精教祖と手を組み、司法の力をより一層強めた。いや、むしろ彼を利用しようともした。宗教という狂気的な見えざる力は本当に人を操り易かったですよ。でもそれも今となってはどうでも良くなってしまった。紫薇君、君が僕の願いを叶えてくれるのなら、僕は君の前に平伏しましょう。偶像ではなく、実像たる妖精の目の前に。それが今の僕に出来る…彼女たちへの罪滅ぼしだから」
リカリスの目に偽りはなかった。ただ救いを求めるような虚ろさと、一人取り残された孤独感に覆われていた。
「俺は神様なんてふざけた存在じゃないが、お前がそういう態度を取るなら実像らしく手を差し伸べてやる。但し、ことを終えたらお前の知っていることは全て話して貰うぞ」
「わかりました」
そういうとリカリスは救われたように笑った。
「…今でなくて良いのか?」
「これから肉体労働をする前に余計なもので頭を埋める訳にはいかないさ。プランジェ、あの二人を呼べ。俺は赤縞を呼ぶ」
「結局はこやつの口車に乗せられているような気がするのだが…」
「それでも良いさ。出来の良い一人舞台の代金にしちゃ適当だ。ただ一つだけ気になったことがある」
「何ですか?」
「お前の兄さんとやらは今回も興味なしか?」
「いえ、兄さんは自分のことなんだから自分でケリを付けろと…とは言っても僕も会長の仕事をほっぽり出す訳にはいかないので、ここにいる訳です」
「兄弟揃って気侭な連中だ」
それだけが紫薇にとって気に入らない部分だった。
三十分ほどして紫薇の側に立っている全勢力が揃った。リカリスを見付けると各々の反応をして紫薇に顔を向けたが、紫薇はいつもと同じように肩を竦めるだけだったので深く尋ねなかった。
「虹拱結社からの宣戦布告に対して我々は早くから準備を進めていました。物資の備蓄、兵の募集、我々が保有している兵器の整備などその殆どが最終段階を迎えていました。しかし紫薇君が言った通り、彼らは妖精教祖の御旗を掲げ出したのです。それにより戦力は大きく分断されました。ロメルニア王家の離反、信者による妨害工作や戦意喪失、そして前会長による演説の最中に起きた反旗。首謀者はアークディンク・ノーティカ・ブライザエスタリオ。彼は前会長を公の場で殺害し、自らが虹拱結社の王と名乗りました」
その正体が実は幼い少女だったと聞かされていたクレシェントが受けた衝撃は大きかった。同時にやはりあのときに伝えるべきだったと深く後悔もした。
「まさか六大王制の内、二つも政権から離反するとはね…有史以来の事件じゃないかしら」
「そうでしょうね、全体を通して動揺が隠せない。僕が会長に選任されたのも、ある意味で責任を押し付けられているのと同じことですし」
「んで?俺らには何を押し付けようとしてんだ?」
「まずはこれをご覧下さい」
そういってリカリスは懐から黒い箱を取り出すとテーブルに置いた。その箱が開かれると中から四本の光の線が飛び出し、その間に立体的な地図が表示された。地図は事細かに描かれ、土地の標高や傾斜、更に人の動きまでもリアルタイムに見ることが出来た。
「一体こんな技術をいつの間に…」
プランジェが驚くのも無理はなかった。その科学技術は紫薇の世界よりも遥かに進んでいたのだ。
「これもリオリズム王の叡智の賜物ですよ。既に虹拱結社の進行は始まっています。この地図上に動いているのが結社の部隊という訳です。わかり易いように赤で印をつけましょう」
人の群れが赤く染められ、青い地図の中で一際目立った。
「これに対して実働部隊であるジェルファ王家が迎撃に向かっています。緑色に染めますね」
リカリスが箱をいじくると地図は更に広がり、赤い部隊の先に緑色の群れが現れた。二つの群れは徐々にその距離を縮めている。
「もうぶつかろうとしてるじゃない…」
「しかし軍配はジェルファ王家にあるでしょうね。というのも虹拱結社が差し向けている殆どの兵は訓練された兵士ではなく、飽くまで妖精教祖の御旗に従う民間人だからです」
「それだけは駄目だ!」
急にプランジェは声を張り上げた。
「何か問題でもあんのか?」
「幾ら戦争に加担しているとはいえ、正規の軍隊が民間人を殺害すればそれは単なる虐殺に成り下がる。正義も大儀もない…寧ろ忠に反する行為だ…」
何故かプランジェはそのことについて強い自負を感じていた。
「我々としても問題はその点なのです。仮に戦争に勝ったとしても、その後の処理が手酷い。現ジェルファ王は鉄血将軍と呼ばれる戦の担い手、相手が民間人でも躊躇はしないでしょう」
「まあ、あの叔父様ならね…。ジェルファ地方の極刑を自分で担う位だから」
「何とかならないのか?」
「その為に僕が彼に頭を下げに来たのですよ。ねえ、紫薇君」
大体の話を知っていた紫薇はソファーから離れて台所の椅子に座っていた。全員の視線を浴びると紫薇は席から立ち上がり、ソファーに座っていたクレシェントとプランジェを端に追いやって座った。
「俺に大立回りをさせるつもりか」
「妖精となった君が両軍の間で暴れて頂ければ必ず混乱が起きます。そうなれば一時的ですが、戦争なんてやっていられないでしょう。ジェルファ王家にもそう話を付けて置きましたから」
「あの叔父様がよく妖精なんて信じたわね、無宗教論者なのに」
「正確には妖精のような成りをした実力者と言って置きました」
「…あそ」
「そして妖精が戦況を混乱させている間、貴女方には虹拱結社の本部に赴いて壊滅させて欲しいのです。結社の建物、及びその首謀者を」
「…ゾラメスのときと同じ、ということですね?」
結局は人を殺せといわれているのと同じだった。そのことに一番敏感だったクレシェントはじっとリカリスを睨んだ。
「いえ、出来れば今回は暗殺ではなく、拿捕して頂きたいのです。虹拱結社を公に壊滅させるには、その首謀者を公に刑に処さなければならないので」
「極刑…ですか?」
「当然です」
人を罰する延長線上に自分がいる。自分も罪を重ねた人間なのにと、クレシェントは踏ん切りがつかなかったが、最後にはその事実を飲み下すように了承した。
「だがよ、その結社の本部ってのはどこにあんだ?地道に見付けろってか?」
「本部の場所なら私が知ってるわ。前に協会の部隊を蹴散らしてやったから」
「そういやそんなこと言ってたな。ならレミアの鍵で一っ飛びって訳か」
「それも見越してたんでしょ、この男は。ゼルア級としてだけじゃなく、内部に詳しい元結社の一員だったからスムーズにことが運ぶってね」
「…ほー」
「うちの大将がイエスって言うから手は貸してあげるけど、あんまり調子に乗ると協会もぶっ潰すからね」
「平にご容赦のほどを」
脅しには屈しないといった表情でリカリスは頭を下げた。
「…羽月、灰皿とコーヒー頂戴!」
それが気に入らなかったのか、ジブラルはずかずかと台所に行ってしまった。
「あまりうちのじゃじゃ馬を弄ってくれるなよ。暴れたら手が付けられん」
「失礼しました」
言葉とは裏腹に小ばかにしたような笑みを見せた。
「あんの優男、いつかシメてやる…」
「まあまあ…」
煙草を噛み千切りそうな勢いで吸うジブラルを羽月は懸命に宥めた。
「これで説明が終わりならすぐに出発した方が良さそうだな」
「お願いします。それとこれを持っていって下さい」
箱を畳んで地図をその中に仕舞うと、リカリスは紫薇に差し出した。
「ソフィの合い鍵では細かい場所の指定は出来ませんから、衝突が予想されるポイントには足で移動するしかありません。レミアの鍵のように完全な空間の固定は難しいのです」
「そういえばロメルニアに赴いたときも少し歩いたな。折角だ、貰って置く」
紫薇はソフィの合い鍵と共に箱を受け取ると懐に仕舞った。
「さて、一足先に道化を演じてくる。結社の方は任せるが…やり過ぎるなよ?」
ジブラルを一瞥すると彼女はわかったわよと手をひらひら泳がせた。その際、紫薇は羽月と一瞬だけ目を合わせて行ってくるといった。
紫薇が家から離れると、クレシェントはプランジェの顔を恐る恐る見詰めた。
「プランジェ、大丈夫なの?きっとあの場所にはミューティが…」
「ご安心下さい、きっと私が姉さんを止めてみせます。クレシェント様はあの六人の娘を…」
「…わかったわ」
プランジェの手がクレシェントの手を包む。二人の間には確かな愛情があった。そんな二人を見て、周りの人間は微笑ましいと思わず頬を緩めてしまっていた。
「ってか、そもそもソフィの合い鍵って何なのよ?レミアの鍵とどう違う訳?」
「ソフィの合い鍵とレミアの鍵の違いは辿り着ける世界の数と時間です。ソフィの合い鍵は、あくまでとある世界にしか繋がっていません。フォルコットはソフィと契約を果たし、そこからこの世界にだけ到達できるように手配しました」
紫薇はソフィの合い鍵を回して扉を開けた。その先は黒い霧が続いて一寸先まで闇が広がっていた。
「…じゃあ、レミアの鍵は誰が創ったのよ?」
「それはフォルコットも知らぬ所でした。ただ彼は初めてレミアの鍵を見たときに、酷く絶望したと語っていました」
紫薇の体が闇の中に吸い込まれるようにして消えていく。その姿を羽月はひっそりと目に見えない場所から感じ取っていた。
「んじゃ、俺らも出かけるとすっか」
「ご武運を。僕も向こうに戻って指揮を執ります」
「上の人間は良いわね、安全な場所から人を顎で使えば良いんだから」
「だったら良いんですけどね…。残念ながら僕は前線の指揮をジェルファ王と共に当たることになっています。本部はセルグネッド王にお任せしているので」
「セルグネッド…メルトは元気かしら…」
「ああ、実はつい先日にセルグネッド王家で政権交代の儀式が執り行われました。現セルグネッド王はメルタジア様が即位されています」
「なんと…もう即位したのか?」
「隻腕の王として民衆から絶大な支持を得ていますよ。それに文武共に最高の成績を獲得したと聞きます。中でも政治学は誰もが舌を巻くほどでした。いや、流石はセルグネッド王家の血筋です」
「…きっと紫薇のお陰で吹っ切れたのね」
クレシェントは少しだけ救われたような気がした。
「では僕はそろそろ…皆様、どうぞお願いします」
最後に会釈してリカリスはその場から去っていった。
「レミアの鍵を虹拱結社の本部に繋げるわ。扉から出たらすぐに戦闘になるかもしれないわね」
「上等だ、派手に暴れてやんよ」
「行きましょう、結社へ」
四人は闘志を漲らせながらレミアの鍵を開けてナーガに渡っていった。
電子図で表わされた地図の上に赤い軍勢と緑色の軍勢があった。どちらも地図の両端を埋めてしまいそうな数だった。ゆっくりとその二つは距離を縮め、もうすぐそこまで歩み寄っていた。地図の上に青い雲が現れると、そこから細かい雨が降り始め、霧がかかったようになっていった。
紫薇は最後に地図の場所を目で確認すると黒い箱を仕舞い、妖精の翅を羽ばたかせて雲よりも高い場所まで飛んでいった。白い平原の上からでも紫薇は辺りの景色を透かすように見ることが出来た。芸闘士と呼ばれるジェルファの軍勢と、何故か仮面を被った人間の軍勢が波のように地面を覆い尽くしている。紫薇は両者が激突する前に現れてやろうと思った。
「どうも遅くなって済みません」
ソフィの合い鍵を使ってリカリスはシュガシスが腰を下ろしている陣の中に入っていった。陣は棒と布を使った戦国時代を思わせる作りをしていた。指揮官の為に用意された椅子は鉄パイプの簡易なものだった。
中央でどっしりと腰を下ろしていたシュガシスはリカリスを見付けると、隣に座るように促した。
「遅いな、前会長は時間厳守だったぞ」
「失礼しました。なにぶん書類の手続きに時間がかかってしまって…」
そういうとシュガシスは鼻で笑った。
「本作戦は間もなく開始される。本当に任せて良いんだな?その妖精とやらに」
「ええ、その間に僕が手配した人物が結社の本部を強襲します。そこでアークディンクを拿捕し、本部もろとも壊滅させる。成功すれば最低限の被害でこの戦争を終結させられます」
「…失敗すればあれを使うか」
「既に試験運転は終わっています。問題ありません」
「二つ目の保険は?」
「ヒオリズム王が最終調整を完了させたと」
「結構だ。兵器というものが配備されれば芸闘士もお役目ご免だな」
「そうなれば気楽な隠居生活を満喫できますよ」
「ジェルファ地方が退役軍人で溢れ帰っちまうよ。この世界に兵器なんてものは必要ない」
「ですが抑止力は必要です。こういった事態の為にね。なにせ個人が抑止力に成り得る場所ですから、ここは」
シュガシスはジブラルのことを思い出すと帽子を目深に被り、雨の中の戦況に目をやった。
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