59話 素人と玄人

 学校のあちこちから様々な音が流れ出していた。とんかちで釘を打つ音やらマジックで線や模様を描いている音、がちゃがちゃと出来上がったものを組み立てる音がひっきりなしに続いている。紫薇の学校は学園祭を迎えようとしていた。紫薇の教室では一人の生徒を除いて、全員が一丸となってクラスの出し物の準備を進めていた。紫薇は蘇芳と一緒に設計図を片手に教室の真ん中に立ってあれこれと指示を出していた。

 「絵導、これはどこに飾るんだっけ?」

 節木は季節感にそぐわない大きなクリスマスツリーを動かそうとしたが、余りの重さにバランスを崩してツリーごと傾き始めてしまった。

 「…うわっ、ヤバっ!」

 紫薇は設計図に目をやりながら片手でツリーを受け止めてみせ、ひょいと垂直に立てると周りの生徒は小さな歓声を上げた。紫薇は父親に負けてから筋トレや基礎体力の向上に勤しんでいた。

 「節木、ツリーは入り口に飾って置け。季節じゃないが、目を止めればこっちのものだ。客引きには丁度良い。お前とお前、悪いがこいつを手伝ってやれ」

 紫薇は運動部の人間を的確に選んで指示を出した。

 「…すっかり立派になっちゃって。当初は嫌がってたのになあ…」

 節木は嬉しい様な寂しいような気持ちになっていた。

 「運動部は自主練習だと思って運搬を主に頼むよ。女子に逞しいところをアピールしないとな!」

 蘇芳がそういうと生徒は笑い出した。

 「一番の馬鹿力はどこで何をやってんだ」

 「屋上で日向ぼっこじゃないか?からりとした秋空が気持ち良いものなあ。しかし絵導、やっぱりお前に現場監督を任せて正解だったよ。はっきりとものを言える奴は少ないからなあ。ばんばん指示出してくれ」

 「だと良いんだがな…おい、装飾は女だけの仕事じゃない。手先が器用だと思うなら率先してやれ。時間は待っちゃくれないんだからな」

 そういうと紫薇に指示を出された生徒は渋々と動き出した。

 「多少…棘があるのはまあ、多めに見るか」

 蘇芳は苦笑いしながらいった。


 学園祭の話は一週間前から持ち出されていた。教師の代わりに代表である蘇芳が教壇に立って話を進行した。紫薇は本を読みながらもしっかりと耳を向けていた。

 「さて諸君、待ちに待った学園祭が始まる訳だが…何の出し物を決める前にまずは現場監督を決めたい」

 「蘇芳がやりゃ良いじゃん」

 節木がそういうと蘇芳は困ったように笑った。

 「いや、そうしたいのは山々なんだが…俺は他にも生徒会の仕事を勤めなきゃならない。そこで俺の代わりに誰か代表を、リーダーを決めて欲しい。立候補したい人間はいるか?」

 教室内はざわざわと騒ぎ出した。お互いに顔を見合わせると全員が揃って視線を下に五度 傾けた。赤縞が興味なさそうに大きな欠伸をすると、間髪入れずに榊原は赤縞の頭を引っ叩いた。

 「…予想はしてたが、いざ目にするとがっかりだなあ。諸君、君たちには青春の一ページを綴るつもりはないのか?ここで実る恋もあれば、新たな生きがいを見付けられるかもしれないんだぞ?さあ、恥を捨てて手を高らかに!」

 蘇芳が熱弁を奮ってみせると生徒の視線は更に五度 傾いた。

 「…わかった。なら誰が代表者になっても文句は言わせないぞ。では絵導、君が代表者になり給え」

 その一言で生徒の視線は十五度も上がり、首が五十度 回った。視線が集められると紫薇は持っていた本を落とし、傾けていた視線を前にやって全生徒と目を合わせてしまった。赤縞だけはけらけらと笑っている。

 「…何だって?」

 次々と生徒から愚痴が零れ始めた。中には小さい声で悪態を吐いた者までいた。

 「諸君、彼が今日からリーダーだ。おめでとう。彼の言ったことに従うように。では出し物を何にするか決めよう。何かあるかな?」

 しれっと話を進めようとする蘇芳に紫薇は珍しくあたふたとしながら声を上げた。

 「…す、蘇芳!お前、何を言って…」

 「絵導、これはとても重要な役割だ。しっかり頼むよ」

 「そうじゃない、何で俺なんだ?」

 「不服か?」

 「いや、そういう意味じゃない…無理だ!」

 「出来るさ!お前がやらねば誰がやる?そう、誰もいやしないのさ。因みに断ればこのクラスの成績を蹴落とすことになる。この学校、そういうところには厳しいからな。ま、しっかりやってくれ。それでは生徒諸君、出し物の話をしよう」

 「………………………」

 紫薇は頭の中が真っ白になったまま固まってしまった。赤縞はまだ笑いながらまあ、頑張れやと紫薇の肩を叩いた。

 その後の紫薇の記憶は途切れ途切れだった。本格的な作業に入るのは明日からということだけ紫薇は頭の中に入れ、ふらふらと家に帰っていった。



 「ほう、お前が代表者にな」

 夕食を囲みながら紫薇は学校であったことを話した。少しずつ紫薇は学校であったことを会話に持ち出すようになり、今では良い話のネタになっていた。

 「…何が重要な役割だ。貧乏くじを引かせやがって…」

 紫薇の顔はげっそりとしてしまっていた。人に慣れて来たとはいえ、大人数を一度に相手にするとなれば並大抵の度胸が必要になる。紫薇はそれが出来るかどうか不安だった。

 「それで何をするつもりなのだ?その学園祭とやらで」

 「…何だっけ?忘れた…」

 プランジェは汗を垂らしながら大丈夫かこいつと思ってしまった。

 「でも蘇芳さん、初めから紫薇くんに任せるつもりだったんだと思いますよ。きっと紫薇くんにもっとクラスの皆と触れ合って欲しいから、そうしたんだと思います」

 「問題は相手がどう思ってるかなんですけどね…」

 やれやれと溜め息を吐きながら空になった茶碗を持って席を立とうとした最中だった。急にくらりと頭が揺れた気がして紫薇は前につんのめりそうになった。そして紫薇はまただと思った。

 「大丈夫か?何やらこのところ、体の具合が悪そうだが…」

 「いや、特に大事じゃないさ」

 しかし紫薇は最近になって体の不調を感じるようになっていた。それは不調というよりも眠気に近いものだった。ほんのり熱っぽいような、それでいて妙に背中の傷がむずむずする奇妙な感覚だった。そのことに不快感がないのもまた不思議だった。

 「一度お医者様に見て頂いた方が…」

 「大丈夫、きっと秋風邪か何かだと思います」

 紫薇はトレーニングのし過ぎなのだろうと思うことにした。だがこのことが後に自分の運命を大きく捻じ曲げてしまうことになろうとは、このとき思いもよらなかったのである。



 「…喉自慢?」

 「カラオケだっつってんだろ。なんだよ喉自慢って、お爺ちゃんかお前は」

 次の日になって紫薇は節木たちに自分のクラスで何をやるのか聞いてみた。

 「好きな歌を唄って貰って、私たちが採点をするの。点数に応じて商品を用意するから、ただのカラオケって訳じゃないのよ」

 「だから喉自慢か」

 「ジジィかてめえは」

 「商品はどうやって用意する?各クラスに用意された金額じゃ足りないだろう」

 「そこは各自が家からいらないものを持参して貰おうと企画している。無論、貰っても嬉しいものか査定はさせて貰うがな。現実的にはブランドもののバッグや、値の張ったものが望ましいが…その辺りはどうにもなあ…」

 蘇芳は頭をぽりぽりと掻いた。

 「ブランドものか…」

 「私も使ってないものは幾つかあるけど、いざ手放そうとすると出来ないのよねえ…。やっぱり持って置きたいって気持ちが強いし…」

 「俺も姉ちゃんに聞いてみたけど、そんなものないって言われたしなあ…」

 全員が唸っていると、ふと紫薇はの頭の上に電球が光った。

 「…何とかなるかもな」

 「本当か?絵導」

 「無理して買っちゃ駄目よ」

 「俺にくれ、絵導」

 「明日にでも持って来れれば持って来る。帰ったらあいつに電話してみるか…」

 紫薇は青い髪の毛をしたキャバ嬢の電話番号を思い返した。



 次の日、大量のブランド品を手に抱えて紫薇は教室にやって来た。

 「これ位で足りるか?まだあるらしいんだが…」

 紫薇の机の上に盛られた真新しいブランド品の数々を目にして榊原や女子生徒の目の色が変わっていた。血眼になって漁っている。

 「ちょっとこれ秋の新作じゃん!」

 「げ!これって十万する時計でしょ!?」

 有名ブランドの時計や革のバッグ、洗練された大人の持ち物に子供たちは夢中になっていた。紫薇に反感を抱いていた女子生徒の約八割はこれで高感度を上げた。

 「絵導、お前は一体何を…」

 「売ったのか?お前、自分を売ったのか?」

 「ヤクザの事務所にでも殴り込みに行ったのか?お前」

 「下衆な勘繰りは止めろ。ちょっと知り合いに上手の…客商売をする女がいる。そいつに頼んで譲って貰ったのさ。安心しろ、黒い金じゃない。…多分な」

 ジブラルに電話をすると、その日の内に山のようなブランド品を持って来てくれた。その中に羽月の欲しかったものがあったのか、恥ずかしそうにジブラルにせがんでいた。因みに全てお客からのプレゼントのようだった。

 「さて、これで景品の問題は済んだ訳だ」

 「絵導、やはりお前に任せて良かったよ」

 「感動したぜ、絵導…。あとで一個だけくれな」

 「銭ゲバ共め…」

 紫薇は金の力は恐ろしいと改めて感じた。


 「ここからは絵導に進行を勤めて貰おうと思う。絵導、前に来てくれ」

 ホームルームの時間になるといよいよ紫薇に役割が回され、紫薇は出来るだけ頭を落ち着かせながら教卓の前に立った。四十人近い生徒の視線が一点に集められると、紫薇は思わず固唾を呑んでしまった。それも中には自分のことを良く思っていない視線もあった。紫薇はそれを嫌でも感じてしまうとじっとりと汗をかいた。しかし逆に紫薇にとって好意を寄せてくれる者もいるのも確かだった。その中で赤縞と目が合うと、赤縞はふんと鼻で笑ってみせた。その笑みはまあ、精々気張れやと、半ば野次を飛ばしながら応援していた。紫薇はそれを感じると、少しだけ勇気が持てた。短い呼吸をして、すっとクラス全体に目をやった。

 「話を進める前に…一つだけ聞いて欲しいことがある」

 予想外の一言に多くの生徒は顔を上げて紫薇に注目した。

 「俺は…ずっと自分の言いたいことを口に出来なかった。それは今でも同じだ。そのせいで迷惑をかけたこともあるかもしれない。だから俺は、代表者として精一杯この仕事をやりたい。だから…手伝ってくれ」

 そういって紫薇は頭を下げた。ぶるぶると震えている手を教卓の中に隠しながら精一杯、頭を下げた。すると誰よりも先に手を叩いたのは赤縞だった。少しだけ笑みを零しながら拍手をする。それに続いて他の生徒たちも手を叩いていった。ブランドもので心を許した女子生徒も、まだ気を許していない生徒も、紫薇のその言葉に胸を打たれていた。しかしそれでも全ての生徒が喝采を送った訳ではなかった。拍手は数人の生徒を残して紫薇に手渡され、その生徒たちは鋭い視線を拍手の中から紫薇にばれないように投げ付けていた。

 「じゃあ…始めるぞ。まずはどういう風にするかだが…」

 ぎこちない口調で話を進める紫薇を、蘇芳は嬉しそうな目で見守った。

 話し合いはクラスが纏まって来たことで円滑に進んだ。問題だったカラオケの機材は生徒の一人が所有していたことで解決していて、後は舞台や教室の装飾、採点やビラ、お客の引き込みだった。そこで紫薇はその問題を各分野に分け、それぞれの生徒がどの部活に入っているかによって役割分担を決めた。

 「さて、こんなところか…」

 舞台や装飾の代表者は演劇部の卯月 美春(うづき みはる)と美術部の一紋目 嘉西(いちもんめ かさい)、採点は趣味を音楽にしていた榊原と軽音部である鞠宮 比奈(まりみや ひな)、それと自分から立候補した白那美 晶(しらなみ あきら)に決まった。宣伝の代表者は同じように立候補した葛川 巧徒(くずかわ たくと)、呼び込みは恐らくサボりたいだけであろうと紫薇が思った節木が担当させた。

 「実際に活動を始めるのは舞台と装飾の図面が出来てからだ。その他は今のところ、特にすることがない。まあ、気長に待っててくれ」

 そう紫薇がいった時だった。

 「なんか卯月と一紋目に押し付けてばっかじゃん?」

 一人の生徒が場の空気を濁した。その生徒は採点に立候補した白那美という女子生徒だった。茶髪に染めた長い髪を内巻きにして校則に反した化粧を施している。紫薇はその生徒のことを榊原から聞いたことがあった。赤縞がこの学校の番長だとしたら、白那美はスケ番に相当すると。紫薇は白那美の顔を見て確かに素行が悪そうだと思った。

 「仕方がないだろう。他にやることがないんだ」

 「それを見付けんのがあんたの役目なんじゃねえの?」

 尚も噛み付いてくる白那美に紫薇は段々と苛立ってしまっていたが、普段の毒舌を出来るだけ抑えながら努めて冷静に対処した。

 「ああ、その通りだ。何か出来ることがないか探して置く」

 「本当に大丈夫かよ?ねえ」

 周りに同意を求めると普段の恐さを知っているのか白那美の隣の生徒は苦笑いしながら頷いた。その光景を見て紫薇はぐっと握り拳を教卓の中で作り、必死に怒りを我慢していた。

 「ああそうそう、言い忘れたことがあったな」

 その不穏な空気に見かねて蘇芳は立ち上がると紫薇の隣に立った。

 「実は今年から各クラスに招いたお客の数によって学校側から景品を出すことに決まったんだ。勿論それは我々生徒会がカウントさせて貰う。成績上位のクラスには図書カードや芽吹町の商品券が配られる予定だ。是非ともこのクラスには優勝を狙って頂きたい。諸君、精を奮ってくれ給え」

 蘇芳のその一言はクラス全体を奮わせた。次々と活気に満ちた声が広がり、淀んでいた空気は見事に晴れていった。蘇芳は歓声の中で紫薇に片目を閉じて合図すると、紫薇は困った顔をしながら口許を緩めた。


 昼休みになると紫薇は弁当を手にしながら空に向かって大きな溜め息を吐いた。

 「はは、目の上のこぶが出て来たなあ、絵導」

 「笑ってる場合か…。話には聞いていたが、思っていたよりも手強そうだ」

 「白那美さん、見た目は可愛いのに物言いは鋭いからねえ。勇璃と喧嘩したこともあったっけ?」

 「…マジ?」

 「喧嘩じゃねえよ、十秒くらい睨み合っただけだ」

 「それだけでも信じらんねえけどな…」

 節木は箸を咥えたままぶるりと体を震わせた。

 「お前、俺を何だと思ってんだ」

 「番長っす」

 「ぶん殴られてえのか…。番長って呼ぶんじゃねえ」

 「了解っす、番長」

 そういったのは氷見村だった。

 「また出やがった…」

 「勇璃君、君って奴は冷たいなあ…。僕 、一応君たちの先輩だよ?」

 「気に入らないのなら、さっさと三年の教室に戻ったらどうだ?」

 「それよりもずっと冷たいのは君だけどね、紫薇…」

 「マジで嫌な奴っす、氷見村先輩」

 「わかってくれるのは君だけだ、有彦君!」

 「それで氷見村、お前のクラスは何をやるんだ?」

 「君は一生 僕に敬語を使ってくれなさそうだね…。メイド喫茶だよ。気軽に入れるように簡単な食べ物を作るつもり。衣装も手作りするみたい」

 「コスプレか…若いって良いなあ」

 「実際にやったら一番 痛い奴をやっちゃう辺りが氷見村先輩のクラスっぽいね。皆は乗り気なんですか?」

 「女子はきゃーきゃー騒いでるよ。女中の何が良いんだか」

 「でも男受けはするんだろうなあ」

 その何気ない節木の一言に紫薇は機敏に反応した。

 「客引きが良いってことか?問題だな…何か手を打たないと…」

 「クソまじめに何を考えてんだてめえは。まさか同じことをするつもりじゃねえだろうな?」

 「いや、同じことをしたところで結果は付いて来ない。もう少し宣伝に力を入れるか…次の議題はそれだな…」

 弁当の底を箸で突きながら紫薇はぶつぶつと呟き始めた。

 「ほー、なんだかんだ言ってもやる気にはなってくれたみたいだな。それでこそお前に代表を任せた甲斐があるってもんだ」

 「いや、氷見村のクラスだけには負けたくない。それだけだ」

 「そ、そうか…。まあ、何にせよ躍起になってくれれば良いや」

 「そういう解釈?酷くない?ねえ、酷くない?」

 そうして弁当を食べ終わった頃、屋上に画用紙を手に持って舞台の代表である卯月がやって来た。ストレートの長い黒髪に細い眼鏡をかけ、赤いカチューシャが特徴の女子生徒だった。

 「お待たせ、出来たわ」

 紫薇は手渡された画用紙を開いてみると、そこには教壇を持ち上げて小さな劇場の様に仕立て上げられた図面が描かれていた。両隣にはカーテンを上手くなぞって暗幕のようにしてあった。スタンドマイクは真ん中に、テレビは唄う人間を邪魔しないように斜めに取り付けられていた。

 「随分と手早いんだな」

 紫薇はその絵よりも卯月の仕事の早さに驚いてしまった。

 「演劇の舞台でいつも描いているから、これ位ならそんなに時間はかからないわ。ただちょっと問題があるのよ。ここ、見てくれる?」

 そういって卯月が指差したのは教室の前の方の入り口、舞台の右側だった。

 「音響を舞台の両隣に置くでしょう?そうすると前の入り口は閉めなきゃいけないのよ。私たちの教室ってそんなに広くないから」

 「確かにそうだな」

 「でもそうすると出入り口は一つになってしまうでしょう?それだと少し窮屈かなって…。審査の人間を窓際にしても、結局は観客が出入り口の傍で固まることになるから。どうすれば良い?」

 「入り口のドアを外してもまだ狭いか…。榊原、もっと小さめの音響はないのか?前に言っていたものだと大き過ぎるような気がするんだが」

 「ちょっと無理かな…。軽音部で使っているアンプが古い奴だったから。あれ以上に小さいものはあたしが家から持って来ないと…でもお父さんが使ってるから当日に貸してくれるかなあ…」

 「そうか。さてどうしたものか…」

 「設計、もう一度 変えてみるわ」

 「いや、出来ればこれでいきたい。折角の作品なんだ、無下に扱ったら罰が当たる。それに…お前の昼飯がかかってるんだ、貧血にでもなられたら良い迷惑だよ」

 そういうと卯月はくすくすと笑った。

 「絵導君って…思ってたより面白い人ね」

 「冗談を口に出来るようにはなったつもりだ」

 「(何なんだこの雰囲気は…。紫薇、君はそんな奴じゃなかっただろお…!)」

 「(先輩、自分もそう思ったっす!)」

 氷見村と節木は妙な敗北感のようなものを味わっていた。

 「わかった。この問題は後で片付けて置く。ご苦労さん」

 「どういたしまして。頼りにしてるわ、リーダー」

 そういって卯月はどこか嬉しそうに紫薇から離れていった。

 「これも年を食ったお陰かな…」

 時間を跳び越えたことで実際の体の年齢は二十歳になっていた。紫薇は悪いことばかりじゃないものだと前向きに思えた。

 「…うっ!」

 その途端、再びあの症状が現れた。じわりと背中が痺れ、瞼が閉じかけてしまう。まただと紫薇は悪態を吐いた。その症状は日毎に頻度を増していた。

 「おい、どうした?」

 その変化に赤縞は気付いたのか、神妙な面持ちになりながらいった。

 「いや、何でもない…」

 紫薇は気のせいだと自分にいい聞かせながら手を振った。

 「……………………」

 その様子を一人、蘇芳はこっそりと見詰めていた。そしてもう一人、節木と冗談をいいながらも意識と視線を氷見村は紫薇に向けていた。


 舞台の図面が出来上がったことで作業はその次の日から進められた。装飾に関しては舞台に合わせて変更する方針に決まり、先ずはステージの骨組みから手にかかった。紫薇のスピーチもあって生徒は代表者の指示に従い、それぞれ分担を決めて各パーツを作っていった。

 「絵導、予算ってあとどれ位 使えんの?ホームセンターで新しい木の板を買って来たいんだけど」

 「残っている予算は他に回す。確か演劇部に使っていない木板があった筈だ。卯月と話して確認して来い」

 「絵導、延長コードってどっから借りれば良いの?」

 「それは邪魔になるから前日まで用務員の人に取り置きして貰え。数に限りがあると言っていたから急げよ」

 「絵導、とんかちが足りない」

 「全員で釘打ってどうする?他にも仕事はあるだろう。そっちをやれ」

 「絵導、お腹空いた」

 「蘇芳からの差し入れがあっただろう。それでも食ってろ」

 次から次に紫薇のもとには問題や要求が飛び回り、紫薇はてんてこ舞いになりながらも何とか的確な指示を出していた。

 「…糞ったれ、仕事が多過ぎる」

 「絵導、元気?」

 「尻を蹴飛ばされなくないならさっさと持ち場に戻れ、節木。呼び込みはしっかり考えてあるんだろうな?あと三日しかないんだぞ」

 「三日もあれば余裕じゃないの。もっと気楽にやろうぜ」

 「まだ問題が残っている以上、出来ることは今の内にやって置かないとツケが回って来る。最低でも前日には終わらせなきゃならないんだ。わかったら油を売ってないでさっさと作業を進めろ」

 「へーい」

 「忙しそうだな、絵導」

 その様子を見ながら蘇芳は紫薇の肩を叩いた。

 「お前が生徒会の仕事に戻ったせいでこっちは猫の手も借りたい位だ」

 「はは、済まん」

 「でかい問題もあるし、それに…」

 紫薇はぐるりと教室を見回した。クラスの生徒は指示に従ってきちんと仕事をしてくれている。だが何人かの生徒は、白那美を筆頭に気分が悪いといって早々に帰ってしまっていた。

 「白那美か…明日も来ないようなら脅しをかけてやっても良いぞ」

 「いや、本当にやりたくないものを無理に押し付けても結果は見えてる。だったら初めから居ない方がマシだ。人数も足りない訳じゃない」

 「その辺りは割り切っているんだな」

 「本心としては手伝って貰いたいがね。さて俺の何が気に入らないのやら…」

 「思い切って本人に聞いてみたらどうだ?その方がお前も楽だろう」

 「そんな時間があればな。おい、のこぎりを使うなら下に何か敷け。ないなら俺の手拭を貸してやる」

 そういって紫薇は懐からハンカチを取り出すとその生徒に手渡しにいった。

 「これからどうなるか見物だな…。期待してるぞ、絵導」

 その後姿を見てふふふと蘇芳は笑った。


 次の日になると新たな問題が浮き出てしまっていた。

 「…どういうことだ」

 昨日に比べて教室に残っている生徒が減っていた。作業をしている生徒もそのことに不安を抱いて気まずそうな顔をしている。紫薇は何が起きているのかわからなかった。榊原や節木に尋ねてみても二人も訳を知らないようだった。

 紫薇は動揺を隠せないまま作業を続けたが、人数の減ってしまった今の状況では能率は悪く、全体のテンポも悪かった。段々と紫薇は苛立ちを感じ、指示も漫ろに高圧的になってしまっていた。

 「絵導、教室に配置する機材なんだけど…」

 「機材は当日に配置すると言って置いただろう。何を聞いてたんだ」

 「え?そうだったっけ?初めて…聞いたけど…」

 その瞬間、紫薇はやってしまったと舌打ちをした。機材のことは榊原と二人だけで話を進めていたので、他の生徒にそのことを話すのをすっかり忘れてしまっていたのだ。かっと全身から汗を噴出しながら紫薇はその生徒に謝った。

 「…悪い、伝達ミスだ。機材は当日にトラックで来るからそのときに配置する」

 「そっか、いや…お前も大変みたいだから良いよ」

 その生徒は笑顔を見せたものの、どこか落ち込んだ雰囲気だった。

 紫薇は深い溜め息を吐いてちょっと外の空気を吸って来ると教室から出て行った。


 「…参ったな」

 屋上で紫薇は腰をかけると手で顔を拭った。じっとりと汗ばんだ体は何とも後味の悪いもので、全身の筋肉が解けたように顔は上を向いてしまった。

 「絵導君」

 空を見上げながら紫薇が敗北感を味わっていると、いつの間にか卯月が目の前に立っていた。

 「卯月か…悪いな、俺の力不足だ。折角の舞台も完成には程遠い。我ながら情けないよ」

 乾いた声で笑うと卯月は紫薇の隣に座った。

 「ごめんね」

 紫薇はその言葉に首を傾げた。どうして卯月が謝るのだろうか。紫薇にはわからなかった。

 「…どういう意味だ?」

 「皆がいないの、巧徒のせいなの…」

 「葛川の?何か知ってるのか?」

 そういうと卯月は躊躇いがちに話をした。

 「実はね、裏で巧徒が皆に絵導君の手伝いをしないようにって脅しているのよ」

 「…何だって?」

 紫薇は葛川の顔を思い出しながら前に

 「だが俺は奴に怨まれるようなことはしちゃいない筈だ」

 「それはきっと、絵導君が皆に認められ始めたからだと思う。だって貴方、ほんの少し前までは真逆の立場だったじゃない」

 紫薇はその言葉を聴いて黙ってしまった。

 「巧徒はね、暴力団の一人息子なのよ。そのせいで小さい頃から友達もいなくて、いつも皆から煙たがられていたわ。仲が良かったのは私と晶だけ。私たち、小学校からの付き合いだったの。中学生になって、巧徒はそんな自分を変えようと生徒会やボランティア活動に躍起になった。本当に頑張ってたのよ…でも、周りは認めてくれなかったわ。どんなに辛い仕事をこなしても、誰も振り向いてくれなかった」

 その話はまるで紫薇と似ていた。ただ二人の間で歴然とした差が出来てしまったのは、その努力が日の光を浴びたか浴びていないかだった。

 「だから貴方が羨ましいんだと思う。ううん、妬んでいるんだわ。晶が貴方に突っかかるのも、そんな巧徒の気持ちを知っているから。二人はね、認めてはいないけどお互いを愛しているの。どうして晶が強いか知ってる?皆が巧徒の女だってことを知っているからよ。逆らったら何をされるかわからない。だから誰も反抗できないのよ」

 「…ただの逆恨みか」

 「そうよ、でも私だって貴方が少しだけずるいと思うわ。皆に嫌われていた人が、今じゃ引っ張り蛸だもの。誰だって英雄願望があったり、スポットライトを浴びたいと思うでしょう?それが出来ない人から見たら…刺されても文句は言えないわ」

 「…こじ付けだな」

 「え?」

 「ふざけやがって…。俺が今の立場を望んでいた?ああ、確かに望んでいたさ。一人ぼっちで食う飯ほど、不味いものはなかったよ。だがな、俺も今に至るまで死に物狂いで努力を続けて来たんだ。それを高々…一度の失敗で逆恨みだと?ふっ、出来の悪い台本だってもう少しまともな演出をする。そうだろう?卯月」

 「何を言って…」

 「俺は鼻が利くのさ。獣だった頃の比じゃないが、影猫みたいに様子を窺ってる奴の気配くらいはわかる。下手な小芝居は終わりだ。そうだろう?出て来い、葛川!」

 紫薇は有りっ丈の声で叫び出した。すると屋上のドアが開かれ、その中から葛川と白那美が姿を現した。

 「いつから気が付いてたんだ?絵導」

 「そこの大根役者が演技を始めた辺りからだ。随分とお粗末な台本もあったもんだな」

 「私が言ったことは本当よ、絵導君」

 「そんなことなんざどうだって良い。問題は当のお前がいつまで悲劇の主人公を気取っているつもりか、だ」

 「悪いか?いつだって主人公はもてはやされる。悪者は日陰の中にいたまんま。誰も振り向いちゃくれないのさ。なあ絵導、どうして日陰者のお前がそこにいるんだ?可笑しいじゃないか、俺はお前みたいに素行も悪くなければコミュ障でもない。何だってお前みたいな奴が代表者に選ばれたのか、わっかんねえなあ…」

 「なら馬鹿でもわかり易いように教えてやるよ」

 そういって紫薇は葛川に近付いて胸倉を掴んだ。

 「俺を殴ったらおっかないオッサン達がずっと付き纏うようになるよ?指くらいは取られるんじゃないかなあ…」

 その言葉を聴いて紫薇は徐に笑い出した。そして何の躊躇いもなしに握り拳を作ると葛川の頬に目がけて打ち出した。卯月と白那美の悲鳴が屋上から零れると、葛川の体は床の上に倒れた。葛川自身も信じられないといった顔で自分の口許から流れた血を目にした。

 「あーあ、お前…死んだな」

 「葛川、俺を見てみろ」

 紫薇は制服を緩め、上着を脱いでその体を葛川に見せ付けた。体中に刻まれた無数の傷痕が音のない悲鳴を上げる。宛ら拷問でも受けたような傷痕がびっしりと刻まれていた。右肩の肉は削げ、親指の三分の一はなくなり、何度も縫合した痕が三人の目を離さない。そして背中の傷痕はそれ以上に酷かった。

 「お前、何だよその体…。親父だってそんな傷痕ねえぞ…」

 「だろうな…医者が言っていたよ、日本じゃこんな傷跡は見たことないってな。継ぎ接ぎだらけの体だ、見るも無残なものだろう?葛川、お前は過去に躍起になったと言っていたが…お前の体にどれほどの傷がある?一か?十か?百か?はっ、誰も振り向いてくれなかっただと?お前は幸せだよ。こんな傷を持たなくても、お前にはもう二人も友達がいるじゃないか。俺は今の立場になるまで…何度も死にかけた。体じゃない、体なんざ幾ら傷付いてもいつか治る。でも…心はどうやっても治らないんだ…」

 その途端、背中の傷痕が悲鳴を上げて紫薇の顔を歪ませた。全身に鳥肌が回り、今にも吐きそうになる位の気味悪さが紫薇を襲った。

 「お前が受けた心の傷も、きっと深いものだろう。だがそれだけだ。それだけなんだよ、葛川。俺はまだ…日陰者のままだ」

 紫薇は裸のまま上着を羽織ると葛川を置いて歩き出した。もうそれ以上の言葉はいらなかった。葛川は産まれて初めて体に着いた傷と、ぼろぼろになっていた紫薇の体を見比べてただ黙っていることしか出来なかった。やがて紫薇がその場からいなくなると、葛川は声を上げて悔しがった。卯月と白那美はそんな葛川をそっと慰めるように肩に手を置いた。

 「糞、寒いなあ…」

 紫薇は上着を着ながらもぶるぶると体を震わせながら歩いていった。


 次の日になって紫薇は朝早くに学校に出かけた。葛川を殴り飛ばしてから作業を進めてはみたものの、完成にはまだまだ事足りなかった。果たして間に合うのだろうかと思いながら紫薇は教室のドアを開けてみると、

 「…お前ら」

 そこには眠そうな目を擦りながらぎこちない手付きで舞台の骨組みを作る三人組がいた。

 「お早う、絵導君」

 「よう、絵導」

 卯月と白那美は紫薇に向かって挨拶をしたが、葛川は黙々と作業を続けた。紫薇はそんな葛川を見てふっと鼻で笑ってみせると、鞄を置いてのこぎりを手に取った。

 「どいてろ、手付きがなっちゃいないんだよ。ど素人め」

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