49話 風刺喜劇よどこへ行く

 赤縞とクレシェントが案内されたのは極近代的な部屋だった。床や壁が金属で出来ていて、一見すると鉄の牢獄のようにも見て取れる。しかしその部屋には作戦会議に使われそうな机や椅子、投影機を映す大きな壁紙のようなものまでがあった。

 パイプ椅子に似た椅子に足を組みながら座って赤縞は何度も貧乏揺すりをしていた。部屋に入る前に武器の一切を取り上げられ、反論をする前に部屋に押し込まれたのだ。舌打ちをする様はちんぴらそのものだった。

 「気持ちはわかるけど落ち着いて…」

 「落ち着けるか、こんな豚箱みてえな部屋に連れられて…。俺はとっ捕まった非行少年じゃねえんだぞ」

 クレシェントは今の赤縞の姿を見て首を傾げた。

 「しかしナーガってのはもっと古びた世界だと思っていたんだがな…。この部屋を見る限り、俺らの世界とあんまり変わらねえみたいだな。この世界は皆こんなもんなのか?」

 「…違うわ、電気だって通っていないもの。まるで協会だけが特別な技術を持っているみたい…」

 二人が不審に思っていると部屋の扉が自動的に開かれ、リカリスとレヴィスが中に入ってきた。レヴィスの顔は険しく、クレシェントの顔を見るなり舌打ちした。

 「随分と嫌われてるみてえだな」

 クレシェントは黙ってレヴィスの顔を見詰めたが、すぐに視線を逸らされた。

 「…これが本当に貴方の言った最善の策なの?」

 「勿論ですよ、何も問題ありません」

 「問題ないって…貴方に月の護衛を任せたときも同じ台詞を言ってたわよ…!」

 「まあまあ、会長…。ここでは積もる話ですから後に致しましょう。今は…」

 怪訝な顔をするレヴィスの背中を押してリカリスは投影機の隣に立った。

 「はっきり言って私には理解の範疇を越える。でもこれであの虹拱結社の動きを止められるのなら、確かに使わない手はないわね」

 「いきなり何の話だ?」

 赤縞がそういうとレヴィスは不思議そうな顔をしてリカリスに顔を向けた。

 「あの野蛮そうな男は?」

 「彼女のお友達…いやいや、従者のようなものと思って頂ければ」

 「まあ、良いわ。クレシェント・テテノワール、貴女に要求することは一つ。今現在、虹拱結社の舵を握っているゾラメスの抹殺、及び結社が保持している無意識の火薬庫の破壊を命令します」

 「二つじゃねえか」

 ぼそっと赤縞が呟くと、きっとレヴィスは睨み付けた。

 「無意識の火薬庫?それに抹殺って…」

 「質問はなしよ。貴女は私の説明を黙って聞いていれば良いの。リカリス」

 そういうと部屋は真っ暗になり、投影機に光が点ると真っ白な壁紙に映像が映し出された。壁には宇宙の螺旋を描いたような黄金の輪が描かれ、その中心に巨大な光が浮かんでいた。

 「無意識の火薬庫は夜空に浮かんでいる月、つまりは膨大な魔力の塊を弾道として射出する為に作られた一種の砲台よ。かつて世界を脅かしたゼルア級に対抗する為に立案され、完成には至ったけれどその操作の複雑性故に封印されていた」

 壁紙に映されていた映像が切り替わると、今度は中性的な顔をした人物像が浮かび上がった。

 「この男がゾラメス・モーツアンデュルローエ。響詩者の父母と呼ばれ、ナーガにおいて初めて概念を具現化した人物。この男…いえ、この存在が無意識の火薬庫を保持し、今正に協会に向けて狙いを定めている。貴女たちにはこの二つの存在を抹消して貰うわ。ゾラメスが無意識の火薬庫の引き金に指をかける前にね」

 部屋の明かりがもとに戻り、投影機の光はふっと消えた。

 「これで説明は終わりよ」

 「待って下さい。抹殺ということは…殺せってことですか?」

 「二度も同じ説明をさせないで欲しいわね」

 「私は…」

 「もう何人も人を殺してるんだから今さら一人殺しても平気でしょう?」

 クレシェントの言い分を予想していたかのようにさらりと言い放った。その言葉にクレシェントは目に力を入れ、レヴィスを睨み付けた。

 「後の説明は僕がしましょう。会長はお休み下さい」

 その空気を逸早く感じ取ると、リカリスは二人の間に入った。

 「私は現場で指揮を取るわ。後は任せたわよ」

 「畏まりました」

 レヴィスはクレシェントを一瞥すると、ぼそっと人殺しの癖にと呟いて部屋から出ていった。

 「いや、失礼致しました。このところお仕事が溜まっているみたいでかりかりしているんですよ。お気になさらずに」

 リカリスは笑顔でいったがクレシェントはむっとしたままだった。

 「もう少し詳しい話をさせて頂きます。テテノワール、貴女方に協力して頂きたいのは先ほど話した通りです。ただ現在の状況を説明すると、一刻の猶予もないことは確かです。つい先日に虹拱結社から通告が入りました。現六大王制、及び協会の即時解体を要求して来たのです。この要求が聞き入られない場合、無意識の火薬庫をセルグネッド地方に向けて射出すると…」

 「物騒な話だな。んで役人はどうするつもりだよ?」

 「勿論、静観している訳にはいきません。部隊を編成し、虹拱結社の本部があるカルディエ地方に向かわせました。ですがゾラメスはそこには居なかった。どうやら別の居場所に潜んでいることが発覚したのです。そこで貴女方にはゾラメスが潜んでいるベイナー地方に赴き、ゾラメスの拿捕…それが不可能な場合には抹殺をお願いしたいのです。無論、無意識の火薬庫は破壊して構いません」

 「その部隊は何をやってんだよ?そいつ等にやらせりゃ良いだろうが」

 「…既に部隊は全滅しました。蒼昊の悪女、ジブラル・リーン・マコットの手によって」

 重みのある一言がクレシェントの胸を突いた。

 「ひ弱な部隊もいたもんだな、その看板は飾りかよ」

 「そもそも我々は貴方の住んでいる世界と違って戦争や闘争といった経験が殆どないのです。領地や営利目的の為に繰り広げられる野蛮な種族とは違うということですよ。協会が設立されたのもゼルア級が現れてからのことですから」

 哀れむようにリカリスは口角を曲げた。

 「凡そ戦争と呼べるものは十剣戦争を他に例がありません。闘争も、命を賭けるような激論もない楽園だったこの世界に、争いの火種を持ち込んだのはゼルア級と呼ばれる面々…原罪とはこの楽園に火種を点した罪を指しているのです」

 ゆっくりと足踏みをしながら赤縞とクレシェントの周りを歩きながら、まるで頭の中に刷り込むようにいい聞かせた。

 「虹拱結社が創設されたのも貴女方によるものと言っても過言ではない。だからこそ貴女は自らの罪を償わなければならないのでしょう?」

 クレシェントの目の前で立ち止まると、リカリスはじっと彼女の目を見詰めた。クレシェントは自分の罪をまじまじと見せ付けられているような気がして思わず視線を落としてしまった。

 「ゾラメスが潜伏しているのはベイナー地方にある結社の基地です。既にソフィの合い鍵はその場所を特定しており、後は貴女方を送り届けるだけとなります」

 リカリスはもとの位置に戻ると二人を見回した。

 「ただゾラメスの元に辿り着く前に高確率で械節と呼ばれる結社の幹部たちが立ち塞がるでしょう」

 「その械節ってのは何人いんだ?」

 「第一械節のゾラメスを筆頭に五人、その姿が確認されています。ただ虹拱結社の人事異動は日常茶飯事で、特定の人物が常にその地位に居るとは限りません。更に結社が要求した制限時間もあります」

 「はっ、崖っぷちとは言ったもんだな」

 「ですからゼルア級の協力が必要不可欠なのですよ。これで全ての説明は終わりですが…何か質問はありますか?なければ直ぐにでも出発したいのですが」

 赤縞はクレシェントを一瞥すると何もないといった仕草で両手を挙げた。

 「宜しい。では参りましょう」

 「ああ、ちょい待ち」

 リカリスがソフィの合い鍵を取り出したところで赤縞は思い出したように手を挙げた。

 「俺の道具を返しやがれ。雑把に扱ってねえだろうな」

 「これは失礼しました」

 リカリスは机のスイッチらしきものを指で押すと机の中身が開かれ、中から出刃包丁のような形をした斧と数本のくない、手裏剣の束が現れた。赤縞はそれを丹念に確認しながら懐に仕舞うと、満足そうに斧を肩に乗せた。

 「まるで忍者…みたいね」

 「ちょいとばかり戦法を変えたからな…。なあに、あの馬鹿の分まで働いてやるよ」

 クレシェントは赤縞の目が一瞬、山吹色に光ったように見えて目を疑った。


 赤縞とクレシェントはリカリスが生み出したソフィの合い鍵から白銀世界に渡り、白い海岸を通ってまた扉を潜り抜けた。リカリスはその扉を潜ることなく白銀世界の中からご武運をと言ってさっさと扉を閉めてしまった。

 扉の先には黄金の歯車が広がっていた。壁や床一面に歯車が広がり、その上に透明なガラス板が敷いてあった。動物の骨の剥製があちこちに点在して歯車の音と共に今にも動き出しそうだった。

 「しかしあの野郎はいけ好かねえな…」

 赤縞は眉間にしわを寄せながらいった。

 「腹に何か孕ませてるのが見え見えだ。それに野郎がこの場所に連れて来れたってのも変じゃねえか?」

 「ええ、この場所にゾラメスが居るのならどうして自分達で解決しないのかしら?あの人…レヴィスは私が居たことを知らなかったみたいだし…」

 「まあ、あれこれ詮索しても仕方がねえ。今はそのゾラメスって奴を八つ裂きにすることだけを考えようや」

 「そうね…」

 クレシェントは何か疑惑めいたもののせいで不安に駆られ、ふと紫薇の顔を思い浮かべた。無事でいるのだろうかと心配しても、今はそれを確認する術はない。クレシェントはぐっと手を握り締めた。

 「固まって動くよりも個別に散った方がお互いやり易いだろ。お前はそこから、俺はこっちから進むぜ」

 赤縞は別々の通路を顎で指した。

 「わかったわ。じゃあ…気を付けてね」

 そうしてクレシェントが赤縞に背中を向けると、

 「ちょっと待ちな」

 赤縞は急にクレシェントを呼び止めた。不思議そうにクレシェントは顔を向ける。

 「あのよ…お前に一つだけ言って置きてえんだが。てめえのケツはてめえで拭けとは言うが、お前…目的と手段を間違ってねえか?」

 「どういう…こと?」

 「奴らの言ったことはお前にとっちゃ正しいのかもしれねえ。だが尻尾を振って奴等の言い成りなるのはちょっと違うんじゃねえの?罪を償うってのは、自分がそうしたいからそうするもんだろ?今のてめえはやりたくねえことを嫌々やってるようにしか見えねえ。それじゃ償いにはならねえと、俺は思うがな」

 クレシェントは今自分が思っていることの核心を突かれ、何も言い返せなかった。

 「それにあの馬鹿…絵導なら同じ台詞を口にするんじゃねえか?まあ、俺が言いてえのはそれだけだ。んじゃあな」

 そういって赤縞はクレシェントに背を向けて通路を進んでいった。

 「私は…何をすれば許されるの?デラ…」

 クレシェントは今はもういない人物に問いかけると踵を返して通路を進んだ。


 黄金のリングの中からジブラルは懐かしい感覚を感じ取ると、集中を解いて目を開いた。するとリングに沿って緩やかに動いていた光は徐々にその動きを弱め、完全に止まってしまった。

 「どうしました?」

 徐にゾラメスはリングの中心、赤い光の中に佇んでいるジブラルに顔を上げた。

 「ソフィの合い鍵…ううん、レミアの鍵を誰かが使ったわ。この感覚…クレシェントとあと、知らない誰かが忍び込んでいるわ。折角だから私が潰して来てあげる」

 「それには及びませんよ。貴女は無意識の火薬庫に向かって集中していれば良い。迎撃は各械節がやってくれるでしょう」

 「そう…」

 ジブラルはどこか物足りなそうな顔をしたがすぐに目を閉じて再び集中を始めた。

 「(もう私はどこにも行けないのね…)」

 ジブラルは目を閉じながらふと紫薇の世界で過ごした日々を思い出していた。

 「(あのときは…クレシェントは居なかったけれど、楽しかったな…。ご飯も美味しいし、柔らかいお布団もあったっけ…。プランジェの小言は耳障りだったけど、今になってみれば寂しいものね…)」

 ジブラルは心の中で思ったことに自問してしまっていた。

 「(寂しい?馬鹿ね…これじゃ私、あの場所が恋しいみたいじゃない…)」

 そのとき、何故かクレシェントの姿がジブラルの脳裏を過ぎった。その表情はとても寂しげで頬から涙を流していた。その涙が何を意味するのかジブラルはわかっていた。だがわかっていながらもジブラルはその姿に手を差し伸べることが出来なかった。一筋の涙がジブラルの頬を伝う。その途中、涙は白く凍った。

 ジブラルの素顔には厚い化粧が施されていた。その化粧は道化師に近く、目元に鳥の羽の様な飾りが着けられていた。その反面、着ている衣装はまるで子供が着ているかのような洋服でその姿は酷く歪だった。ゾラメスは籠の中の青い鳥を満足そうに眺めると頬を赤く染めて自らの体を撫で回していった。

 「私だけの青い鳥…あの人と結ばれる為の私の赤ちゃん…。可愛い、とっても可愛いわ…ずっとずっと愛してあげるからね…」

 麻薬を吸って意識が朦朧としているかのように延々と同じ台詞を呟いた。


 赤縞は理路整然と並べられた剥製を潜り抜けながら通路の先を走っていた。幾つもの骨を目で流しながら、ふと赤縞はその骨組みが見たこともない形をしていたものの、その基本的な生き物の作りは余り変わらないということに気付いていた。赤縞は恐竜が好きで子供の頃は良く図鑑を広げて写真を眺めたものだった。そのお陰で骨の一部を見ただけでどんな恐竜か当てられる程だった。

 「骨の一つでもかっぱらってやるかな…ん?」

 通路の先に光が見えると、赤縞は一目散にそこを駆け抜けた。するとその先に広がったのは博物館のような場所だった。動物の骨はガラスケースの中に保存され、一つ一つがどの角度からも見やすいように並べられている。天井には見たこともない国旗が幾つもレースのようにぶら下がっていた。

 「こりゃ面白え…。カメラでも持って来りゃ良かったな」

 赤縞は辺りを警戒しながらも綺麗に展示された骨を眺めていった。まるで本当に博物館に来てしまったかのように赤縞はじっくりと陳列窓に目をやった。ケースの前には立ち入り禁止の紐まであって本格的だった。その内に赤縞は自分と同じように展示品を眺めている一人の男を見付けた。恰幅の良い中年紳士といったところで、油のつまったお腹が何ともだらしなかった。

 「あんたがここの博物館の館長か?」

 赤縞がそういうとその中年紳士は顔を向けた。左目に着けた丸眼鏡が光る。

 「その通りで御座います。私、館長のニレグレゴリーノ・ファリエルと申します。どうですかな?我が博物館は…お気に召して頂けたでしょうか?」

 「ん、悪くねえ。だがもう少し色気が欲しい。ちょっと物寂しいんじゃねえの?いや、俺個人の意見だが」

 「ふむ、確かに…ではお花でも添えてみますか」

 そういって指を鳴らすと各ケースの上に花で出来た冠が置かれた。

 「はっ、上出来だ。…で?あんたは何械節のニレグレゴリーノなんだ?」

 赤縞はその目に有りっ丈の殺気を込めながらニレグレゴリーノを睨み付けた。

 「恐れながら第五械節を勤めさせて頂いています。この茶色い服を目印にどうぞ」

 首に巻かれた蝶ネクタイを伸ばしながらいった。

 「…外れか。ゾラメスって野郎に用がある、出しな。隠し立てするとただじゃ済まねえぞ」

 「残念ながら当館にその様な義務は御座いません。宜しければ力尽くでどうぞ」

 ニレグレゴリーノの目に怪しい光が宿ると、赤縞はにたりと笑ってみせた。そして不意を突くかのように懐からくないを放り投げた。しかしくないの先はニレグレゴリーノの眼前でぴたりと止まった。体に似合わない機敏な手の動きはくないの持ち手を器用に指で挟んでいた。

 「当館では危険物のお持込をご遠慮しております」

 赤縞が斧を振り上げる姿がニレグレゴリーノの視界に飛び込んだ。斧はガラスの床を叩き割って、中にあった歯車を拉げさせた。その直後にニレグレゴリーノの姿が赤縞の背後に回り、概念を具現化させようとしたときだった。赤縞は脇の下から数枚の手裏剣を振り投げ、具現化の進行を止めさせた。ニレグレゴリーノの体はその場から跳び上がり、ガラスケースの上に降り立った。手裏剣は空を切って奥の壁に突き刺さる。

 「これはこれは…手が早いお客様だ」

 「脂ぎった体の割りに燕みてえな野郎だな…。偉そうに高い場所から見下しやがって…そこから引き摺り下ろしてやんよ!」

 赤縞は斧を振り回してニレグレゴリーノが乗っかっているガラスケースを叩き割り、他の場所に乗れないように次々とガラスを破壊してその中に入っていた骨までもばらばらに砕いていった。

 「何ということを…。お客様、器物損壊は当館において重罪です」

 ガラスが床に落ちて砕け散る中、ニレグレゴリーノは床に降り立って懐に手を差し入れた。赤縞は飛び道具がやって来ると思わず身構えたが、ニレグレゴリーノが取り出したのは小さな金貨だった。その金貨を親指に乗せ、赤縞に向けて弾いた。

 弾き出された金貨は空中で何十枚にも分散し、弧線を描きながら赤縞に襲いかかった。そのあらゆる方向からやって来る金貨を赤縞は斧を振るって弾き落とし、最後の一纏めに斧の刃を横に回すと金貨の束を叩き落とした。

 「金で面が撲れるかよ」

 「当館の金銭管理はぴか一です」

 「あ?」

 赤縞は頭上に嫌な気配を感じ取り、視線を上に向けると黄金の光が眩いたところだった。

 『チャップラント・ボードビル(黄金狂時代)』

 大当たりといわんばかりに大量の金貨が赤縞の頭上から流れ落ちた。その数やとても目でも数えられるものではなく、金の洪水が赤縞を襲った。しかし赤縞はその光を見るや否や鼻で笑って見せ、両腕に力を込めて斧で振り払う準備をした。だがその隙を見計らってニレグレゴリーノは即座に距離を詰め、赤縞に向けて握り拳を叩き込んだ。その際に落下した金貨はニレグレゴリーノの体を擦り抜け、赤縞の体だけを切り刻み、肥満の体に反した強い力は赤縞を吹き飛ばしていった。

 「…野郎、何だって自分から概念の中に入って来やがった」

 左胸を打たれ、手で胸を抑えながら痛がった。金貨は尚も流れ落ち、ニレグレゴリーノの体を埋め尽くしている。しかし赤縞は目を疑った。大金の滝の中、ニレグレゴリーノは一つも体を傷付けることなく颯爽と歩いていたのだ。

 「驚かれる必要はありませんよ、お客様。私、響詩者でありますから、具現化の管理には聊か自信がありますので、ハイ。五番目の械節と言っても努々油断なされぬようにお願い致します」

 指を鳴らすと金貨は音もなく消えていった。

 「てめえは…マクシ何たらとかアレイ何たらの犯罪者って奴なのか?」

 「ご冗談を…。私はノーティカ地方から派遣されたただの税理士です。故あって虹拱結社のお手伝いをさせて頂いています」

 「はっ、そうかい…」

 斧を床に突き立てながら立ち上がると赤縞は深く息を吸って呼吸を整えた。

 「…準備は宜しいですか?」

 「ああ、続きといこうや」

 二人はお互いに目を合わせるとほぼ同時に動き出した。二人の体が交錯すると再び目を流し合い、懐から金貨と手裏剣を投擲し合った。赤縞は片手で器用に三枚の手裏剣を顔面、腹部、右足に向けて投げ、ニレグレゴリーノの金貨はそれらを全て弾き飛ばし、更にもう四枚の金貨が空を走る。

 赤縞は斧を水平に傾けると手元から持ち手を振り投げ、斧を回転させながら金貨を木っ端微塵に砕いた。そして斧を追いかけるように走り出すと、ニレグレゴリーノに飛びかかっていった。最中、指に独自の気を練り上げた。

 『チャップラント・ヒューメント(悲哀正義感)』

 二メートル程のよれよれの革靴がニレグレゴリーノの前に現れ、振り投げられた斧の刃先は靴の底に突き刺さった。靴は靴底を見せたまま奔走し、赤縞を我先に押し退けようと迫った。靴底が間近の距離に迫ると赤縞は刺さっていた斧の持ち手を握り締めると同時に思い切り斧を引いた。革靴を引き裂きながら赤縞はその間を通り抜け、片手に溜めていた気を指の先から放出させた。

 『赤縞流 射抜き小烏』

 間一髪にニレグレゴリーノはその気配を察知すると、身を捩って赤縞の指から離れたが、赤縞の中指はニレグレゴリーノの肉を僅かに抉っていた。ニレグレゴリーノの歪んだ顔は痛みよりも概念を打ち破られたことへの驚きだった。

 その一瞬の虚を赤縞は見逃さなかった。素早くニレグレゴリーノの懐に飛び込み、手の平をへその少し上に打ち付けると相手の重心を感じ取って腕を捻った。

 『巫流 達磨捻り』

 突如として赤縞の腕に激痛が走った。半分までニレグレゴリーノの体を持ち上げたところで重心が移動され、巨体からの重みが赤縞の腕に圧しかかったのだ。ニレゴリーノは頬に汗を垂らしながら投げられまいと必死に体を支えている。赤縞も負けじと腕に力を込めるが、意外にもニレグレゴリーノの力の分配の巧みさによって赤縞は自ら腕を引っ込めた。

 「(付け焼き刃じゃこれが限界か…!)」

 ニレグレゴリーノは袖の中からステッキを取り出すと、足で鳴らしてステッキを回転させ、そのまま赤縞の顎を下から打ち付けた。赤縞の顔が天井を向いている間にニレグレゴリーノの手は宙を舞い上げるように下から上に捲られ、その動きに合わせて床からはしごが現れると赤縞の腹を突き上げながら持ち上げていった。はしごの先が肉に食い込むと、赤縞は口許から血の混じった胃液を吐いた。体はくの字に折れ曲がり、体中を痙攣させているものの赤縞は斧を手放さなかった。それどころか項垂れながらニレグレゴリーノをしっかりと見定め、横木に足を引っ掛けて低く跳ぶと体を捩って落下しながら斧ではしごを切り裂いていった。その勢いたるや凄まじく、ニレグレゴリーノは思わずその光景に圧巻されてしまう程だった。慌ててニレグレゴリーノはステッキで体を守ってみせるが落下速度が加わった赤縞の斧はステッキを棒切れのように叩き割り、ニレグレゴリーノの体を裂いていった。

 肩から胸を経て太股までぱっくりと割れてしまった体を他所にニレグレゴリーノは床に降り立った赤縞の腹を蹴り上げた。鈍い音が短く響く。だがその爪先はしっかりと赤縞の腕の中に納まってしまっていた。

 『赤縞流 冠木折り』

 太股と下腿の左右に赤縞の手が添えられ、赤縞の短い呼吸と共に力が込められるとニレグレゴリーノは背筋を凍らせた。足に痛みがし始めるとニレグレゴリーノは折れたステッキを振り回して赤縞の顔を傷付けた。額に深い切れ目が出来て顔を汚す赤縞だったが、舌でその血を舐めると薄ら笑いを浮かべた。その瞬間、ニレグレゴリーノは得体の知れない恐怖を垣間見た。

 響きの悪い音がニレグレゴリーノの足から鳴った。中年男の悲鳴が咲き乱れても赤縞は尚も手を緩めない。

 「もっと鳴いてみろよ。豚のような悲鳴だが、これからの余興にゃ丁度良い」

 嬉しそうな顔をする赤縞だったが、悲鳴が矢庭に止まるとそれに伴って笑みを止めた。ニレグレゴリーノの手に挟まれた金貨が光る。赤縞は舌打ちをして上半身を仰け反った。金貨は赤縞の前髪を吹き飛ばし、黄金色の軌跡を残していった。赤縞は掴んだ足を離すまいと思っていたが次に装填された金貨を見ると即座に両手を離し、斧を見捨てて距離を取った。

 金貨の数枚が向かってくる中、赤縞は懐にある手裏剣を指で触れると、その残りの枚数に腹を立てた。手裏剣の残数は金貨と釣り合わないのだ。赤縞は距離を取るのを止めて足踏みした後に金貨の中に飛び込んでいった。始めに放たれた金貨が頬を掠め、左肩を貫き、首元すれすれを通り過ぎた所で赤縞は残りの手裏剣を投げた。残りの金貨と手裏剣が宙で弾き合い、火花を散らすその下を赤縞は潜り抜けて斧に手を伸ばした。

 鈍い金属音ががんと響いた。赤縞の視界が揺れる。指先が斧の持ち手に触れる前にニレグレゴリーノは片手で持てそうな大きさの金槌を具現化すると赤縞のこめかみに打ち当てていた。赤縞は脳みそが揺らされ、体を飛ばされながらも必死に体勢を立て直したが、既に新たな金貨が向けられているのを知ると悲鳴を上げそうになった。いや、実際に赤縞はひな鳥の様な悲鳴を上げてしまったのかもしれない。それを裏付けるようにニレグレゴリーノの手元から金貨が弾き出されていた。

 赤縞は咄嗟に息を止め、全身に気を張り巡らせると腰と爪先に力を入れて床を思い切り踏み鳴らした。赤縞が立っていた場所は斧が床を叩き割った所で、割れたガラスの破片が持ち上げられると金貨は赤縞の眼前で止まった。宙に浮かんだガラスの先にニレグレゴリーノの姿と自分の姿が映ると赤縞は右腕を引いた。

 『赤縞流 機転妙手』

 手を開いてガラスの表面を最小限の力で押し出し、同時に全身のばねを手の平一点に集約して伝った衝撃は薄いガラスを壊すことなく吹き飛ばした。百九十センチほどのニレグレゴリーノの体をすっぽりと覆ってしまう程のガラスは途中でぐるりと向きを変えて先の尖った箇所をニレグレゴリーノに突き出した。ニレグレゴリーノは金槌を真上に掲げ、一直線に振り下ろしてガラスを叩き割る。宙に粉々になったガラスの破片が飛び散る中、さながら燕のような素早さで身を縮めながら肩をぶつけようとする赤縞の姿があった。

 剥き出しになった肩の先がニレグレゴリーノの心臓付近に当てられる。体中をガラスの破片で切り刻まれることなど屁でもないように赤縞は強烈な一撃をニレグレゴリーノに叩き込んだ。巨漢が紙風船のように吹き飛ばされ、赤縞はその隙に斧をやっと自分の手元に引き寄せた。が、その直後に赤縞は自分の足元から強大な力を感じ取った。

 『チャップラント・アハトゥゼ・アドルフ(国家独裁主義)』

 床に倒れていたニレグレゴリーノの指鳴りと共に青い気球のようなものが浮かび上がり、赤縞の体を弾ませた。気球には赤縞が住んでいる世界地図と酷似した模様が描かれていた。赤縞は気球から飛び降りようとしていたが、既に気球の周りには金貨がずらりと並び、包囲網を形勢していた。そして気球が天井に届きそうになった頃、再びニレグレゴリーノの指鳴りが響いた。

 青い閃光が赤縞の体を包み込んでいった。宙に停滞していた金貨は残らず砕け、黄金の雨を受けながらニレグレゴリーノはよっこらせと立ち上がった。それに反して赤縞の体は床に打ち付けられる。果実を潰したような音だった。

 「ネロカロドゥス並の強靭さですな…」

 潰れた筈の体が次第に起き上がると、ニレグレゴリーノは目を疑った。赤縞の体は血まみれになっていながら尚も平然と二本の足で立ってみせた。

 「おー、痛え…」

 鞭打った首を動かすと骨が動いた音がした。

 「不死身ですか?お客様は」

 「そんなんじゃねえ、ただ少しばかり頑丈なだけだ。尤もつい最近に出来上がったばかりだけどな、この体は。まだ慣れねえところもあるが、前よりもよっぽど便利だぜ。おら、見ろよ」

 そういって赤縞は服の襟を掴んで金貨に貫かれた肩の傷を見せた。風穴からの出血は既に止まっていて傷は半分ほど塞がっていた。

 「文字通り冥土からの土産って奴だ。三日三晩、生死の堺を彷徨って手に入れた極上の体だよ。そういや、骸骨みてェな奴が手ぐすね引いてったっけな」

 思い出したように赤縞は笑ってみせた。

 「…体も温まってきた頃だ。ニレグレゴリーノ、そろそろ手え引け。じゃねえと本当にぶった切んぞ。ゾラメスって野郎を出せばそれでしめえなんだ、下っ端のてめえがしゃしゃり出てもどうにもならねえよ」

 「私の雇い主は厳格な方ですので、とても仕事を途中で放り出すような輩に金銭は配られますまい。革靴を食すのはもう懲り懲りですから。それに…今の身なりはこうでも私、紳士の誇りは捨てられませんので」

 「はっ、伊達男とでも呼んだ方が良いか?」

 「結構、それなら貴方は丈夫とでもお呼びしましょう」

 ニレグレゴリーノは袖の中から剃刀を取り出すと腰のベルトで刃を研いだ。

 二人はそれぞれ手に持った武器を握り締めると、お互いの視線を合わせた。刃から凛という音が鳴ると赤縞は一気に駆け出した。それに対しニレグレゴリーノは折れた足のせいでそこから動き出すことが出来なかったが、代わりに全神経を集中させ赤縞の挙動をしっかりとその目に捉えることが出来た。赤縞の走る速度は不規則に増加し、ニレグレゴリーノの目前には体がぶれる程になっていた。

 『赤縞流 紡ぎ断ち』

 その俊敏な速さを腕に集約させて撓るように斧を振り下ろす。だがニレグレゴリーノは剃刀の刃で見事に受け止め、更にその先を見据えていたかのように残った手で金貨を親指に挟めていた。その光景はまるで黄金に魅せられ、狂奔してしまう人間の愚かさを描いているようだった。

 「鬼に屋銭はいらねえんだよ」

 人ならば欲に溺れて額を撃ち抜かれていたであろう。だが人を捨て、二匹の怪物の血を啜り鬼と化した者の視界には黄金は石ころと同じ風に映ってしまうのだった。

 『赤縞流 五臓取り』

 五本の指先に特殊な気が込められ、手が開かれたまま赤縞の腕は金貨が放たれるよりも先にニレグレゴリーノの肉を貫いていった。手は皮膚を食い破り、内臓の一つを掴み、そして再び入り口からその臓器を引き抜いた。しかし赤縞はその内臓を取り出さずに内部で圧迫だけすると、手をもとに戻した。余りの痛覚にニレグレゴリーノは白目を向いて気絶していた。赤縞が腕を振るって腕に着いた血を払うと、同時に気を失ったニレグレゴリーノの体が倒れる。その間、赤縞は仁衛門に契られた約束を思い返していた。

 

 「良いか勇璃、今のお前は神仏を切り殺したと言われる鬼神のそれに近い力を持っている。故に力の加減がことさら難題になるだろう。しかし殺生は許さぬ。我らが滅びの道に進んでしまったのも、人を殺める快楽から抜け出せなかった為だ。心せよ」


 赤縞はそのことを思い出すと鼻で笑った。

 「俺は殺人鬼になる為に頭を下げた訳じゃねえよ。あの馬鹿に…デカい借りを作っちまった。そいつをきちっと返すだけだ」

 斧を肩に背負うと、赤縞はニレグレゴリーノに一度だけ顔を向けて先に進んでいった。

 「じゃあな伊達男、次は土産売り場でも置いとけよ」

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