35話 刑死者は笑う

 一行がもとの世界に戻って来たときには空は夕暮れに染まっていた。その色は哀愁に包まれ、見ているだけで無気力になってしまいそうだった。紫薇は目を淀ませ、自分の力で立って歩くのもままならなかった。赤縞はそんな紫薇に嫌気が差したのか、力尽くで紫薇を家の中に入れてやると羽月のお礼を無視してさっさと帰ってしまった。プランジェもやっとのこと家に入ると、疲れの為か椅子に座ってすやすやと眠りに落ちてしまった。

 クレシェントは寝ているプランジェにブランケットをかけてやると自分も溜め息を吐いて椅子に凭れかかった。

 「…大丈夫ですか?」

 救急箱を用意しながら羽月は心配そうな顔をした。

 「今回は…少し痛い目に合わされてしまって…。特に紫薇が…」

 そういって窓から外を眺める紫薇に目をやった。紫薇の背中はいつもよりもずっと小さく見えた。

 「私よりも先に紫薇を手当てしてあげて下さい。プランジェの怪我は私がやりますから…」

 「…わかりました」

 羽月は包帯とガーゼ、消毒液を手に持って紫薇の傍に寄っていった。

 クレシェントはテーブルに置かれた救急箱を手繰り寄せ、寝ているプランジェの太股に目を配った。矢が刺さった傷はもう殆どが再生し、他の傷も消毒とガーゼを当てて置けば平気なようだった。

 クレシェントは処置を施すと、紫薇の方に目を向けた。獣人になったことで傷の再生力が上がったのか、プランジェと同じ手当てを羽月がしていたが、心ここにあらずといった顔をしてじっと自分の手を見詰めていた。


 その日は誰が誰と会話をすることもなく、全員が口を閉じたまま寝床に着いていった。疲れで碌に考えることも出来ず、やり切れない気持ちを押し殺して。

 ソファーの上で紫薇は寝返りを打った。これでもう何度目になるのかわからない。戦いで疲れている筈なのに紫薇は目を瞑っても一向に眠れなかった。それどころか目を閉じると、あのときのメルトの声と後ろ姿が鮮明に脳裏に過ぎって睡魔を蹴飛ばしてしまっていた。

 紫薇は起き上がるとベランダの窓を開けて庭先に出た。外は思っていた以上に肌寒かった。雲のない夜空が逆に恨めしい。紫薇は月明かりがこんなにも疾しいものと感じたことはなかった。無意識に手を握り締めるとずきりと痛みが走った。

 「うっ…」

 包帯が巻かれた手の平を見詰めると、メルトの顔が思い浮かんだ。どうしてあの子は父親を痛め付けなかったのだろうか。どうして怨みに身を任せなかったのか。

 「どうして…あんな男を許せるんだ…」

 紫薇は手の平を力いっぱい握り締めた。痛みと共に血がじわりと滲む。それでも紫薇は目を閉じて、誰かの首を絞めるかのように更に手を握った。

 ふと手の痛みが緩んだ気がした。紫薇が目を開けると、細い手が血まみれの紫薇の手の上に添えられていた。紫薇が顔を上げると、そこにはいつの間にか羽月が困った顔をして立っていた。

 「折角手当てしてあげたのに、どうしてそんなことするの?」

 紫薇は今日ばかりは羽月から目を背けてしまった。

 「そんなこと…俺にもわからない…」

 「本当は口にしたくないだけ、わかっている癖に」

 はっとしたように羽月の手を払って紫薇は後ずさりした。

 「誰だってあの写真を見ればわかります。貴方がご両親をどう思っているのか」

 「俺はあんた達とは違う…。あんな目に合わされて、好きになれっていう方が無理なんだ。どうしてなんだ?どうしてあんたやメルトは平然としてられる?親子ってそんなに繋がってなきゃいけないのか?…どうかしてるよ」

 「…ええ、どんな愛情だって結局は一方通行。相手の気持ちなんて本当に考えている訳じゃない。それは親子でも同じこと。でもそれは相手だって同じだと思うんです。受け取りたいことだけ受け取って、後は知らぬ振り。大人だって、子供より少しだけ年と取っているだけなんですよ」

 「だからって許されることじゃ…」

 「だから愛は難しいの。自分が思っている以上に厄介で変わり易い、とても繊細なもの。誰もそれを咎められないわ。だって自分だって許すことが出来ないから。それがわかっているから、きっとあの子も私も立っていられるのよ」

 「俺には無理だよ…。とても許せそうにない、誰も彼も…自分ですらも…」

 紫薇はその場に座り込んで顔を俯けた。

 羽月はその小さくなった紫薇の背中に回ると後ろから紫薇の胸に手を回した。

 「私だって全部を許せた訳じゃないわ…。きっとあの子も同じ。ただ繋がりを断ち切りたくなかっただけなのよ。少しずつ、少しずつで良いの」

 乱れていた紫薇の心は羽月の腕の温もりで徐々に落ち着きを取り戻していった。やがて紫薇は安らかな夢でも見ているかのような感覚に嵌り、じっと目を瞑って羽月の心臓の鼓動に耳を傾けた。背中に傷痕を持った同じ境遇の人間の音。紫薇の心はこの上ない安らぎに満ちていた。

 「…すいません、生意気な口を利いて」

 それから紫薇が口を開いたのは随分と時間が経った後だった。

 「本当です。年上に向かってなんて口の聞き方ですか」

 そういって羽月は腕の力を強めた。

 「羽月さん」

 「何ですか?」

 「…好きな人はいますか?恋人とか」

 その質問の後、羽月の鼓動が早まったのを紫薇は聞いた。

 「それは…秘密です」

 羽月はまた腕に力を込めた。

 「紫薇くんはいないんですか?好きな人とか」

 「…居ますよ。その人は身近に居るのにとても遠い場所に居るんです。でもいつか自分の気持ちを伝えてみようと思います。もう少し、大人になったらですけど」

 「そうですか…」

 羽月はどこか嬉しそうに紫薇に気付かれないように笑った。何故だか紫薇も無性に嬉しくなって、羽月に気付かれないように口角を緩ませた。

 二人の姿を二階の窓からひっそりとクレシェントは眺めると、静かにカーテンを閉めて小さな溜め息を吐いた。

 「敵いっこない、か…」



 朝になると昨夜の雰囲気は少しだけ和らいで口数こそ少ないものの、もとの日常に近付いていった。ただテーブルの一部分がぽっかりと空いていることは誰も触れようとはしなかった。食器の音がいつよもより大きいのも仕方のないことだった。

 不意に玄関のベルが鳴った。丁度、紫薇があらかた食べ終わって最後の味噌汁を飲み干していた時だった。

 「私、出てきます」

 そういって羽月が立ち上がろうとすると紫薇は味噌汁の飲み干して席から立った。

 「…たぶん、蘇芳の奴だと思います。最近はあいつと登校してるので。プランジェ、悪いが皿洗いは頼んだ」

 「うむ、行ってこい」

 卵かけ納豆ご飯を頬張りながらプランジェはいった。

 「あ、じゃあこれを」

 紫薇は以前よりも大きめの弁当箱を受け取るとそそくさと玄関に向かった。


 玄関のドアを空けるとそこには予想通り蘇芳が立っていた。

 「迎えに来たぞ、絵導」

 「…誰も頼んでないがな」

 紫薇は溜め息しながら蘇芳を置いて先に歩き出した。

 「いけずだなあ、お前は」

 「放っとけ、この性格はどうやっても変わらないだろうよ」

 「だろうな。まあ、別に変える必要もないと思うが」

 紫薇は歩きながら蘇芳の顔を横目で流した。紫薇は蘇芳に対して妙な気持ちを抱いていた。取っ付き難いのだがどうも蘇芳のことが嫌いになれず、こうして一緒に登校するのを許してしまっていた。

 「それにしても今回はまた随分と包帯が多いな…。両手なんかそれでものを持てるのか?怪奇映画に出てきそうな格好して」

 蘇芳はぐるぐる巻きになった両腕を見て笑った。

 「辛うじてな。痛いことは痛いが、こういうのには慣れてる」

 「絵導は強いのだなあ…。俺は喧嘩なんてしたことがないよ」

 「別に…そういう訳じゃないさ。とても…強い訳じゃない」

 そういうと紫薇は奥歯を噛み締め、蘇芳からは見えない場所で手を握った。

 「だが昔に比べたら成長してるのは確かだろう?以前と比べると、今のお前はだいぶ成長していると思うのだがなあ」

 「慰めのつもりか?」

 「いいや、事実を言ったまでだ。俺は嘘を吐けない生き物だからな」

 はははと笑った蘇芳の顔に紫薇は呆れたが、次の一言に紫薇は驚かされた。

 「…だがな絵導、余り宜しくはないぞ。子が親を憎むなんてのはな」

 「何を言って…」

 紫薇はびくりとした。どうしてこの男はこんなにも自分の考えていることがわかるのだろうと紫薇は蘇芳を恐れた。じっと見詰めてくる蘇芳の目が心の奥底を覗かれている様で紫薇は蘇芳から目を逸らせなかった。

 「テーベなんてものは空想の中だけで十分だ。そうは思わないか?絵導。フィクションは虚構だからこそ価値がある。幻を現実にしてしまうほど悲劇なものはない。生臭い本なんて誰も見たがらないだろうからな。とまあ、そんな風刺が描かれた小説をつい最近に読み耽ったんだ。誰かに話したくて仕方がなかったんだが、気を悪くしないでくれよ?我が書生仲間は寛大であることを願う」

 そういって再びはははと笑って先を歩いた蘇芳を紫薇は息を飲みながら見送った。


 教室に着くと二人は別れ、紫薇は自分の席に向かった。鞄を机の脇に吊るして腰を下ろすと前の席には赤縞が座っていた。赤縞は素行が悪いが学校には早めに登校するようにしていた。

 「よう、生きてたか」

 「…いっそ死んだ方がマシだと思ったがな」

 「はっ、自分で首を絞められる方法があんのかよ?」

 「…ないな」

 紫薇は少し考えてからいった。

 「駄目だこりゃ…。重症だ」

 赤縞はわざとらしく手で目を覆った。

 「こーら、また虐めてるの?」

 楽しそうな顔をしながら紫薇の隣の席に座ったのは榊原だった。

 「虐めてねえよ。こんな奴、誰が相手にするか」

 「ゴメンね絵導君、勇璃が変なこと言ってきたらあたしに言ってね。後で叱って置くからさ」

 「今正にそうなってる最中だな」

 紫薇は自分でも気付かないほど少しずつ他人に対して打ち解けられるようになっていた。軽い会話ならそつなく出来た。

 「やっぱり?じゃあフェアになるように絵導君に勇璃の恥ずかしい話を聞かせてあげようかな。あれはねー、勇璃が小学生の時に…」

 「おい!亜美!その話は出すなっつったろ!」

 余程のことなのか赤縞は血相を変えた。

 「良いじゃない。木登りして降りられなくなった話とか、中学生までおねしょしてたなんて可愛いと思うけど」 

 「言うんじゃねえよ!」

 そういって二人は言い争った。その姿を見て紫薇はまだ微笑ましいと思うことは出来なかったが、それでも少しだけ口許を緩ませるその姿は、以前と比べると見違えるほどだった。

 「朝から夫婦喧嘩なんて微笑ましいね」

 いつの間にか藤原がやって来ていて、はにかみながらいった。

 「見慣れてるのか?」

 そういうと藤原はその笑みを紫薇に向け、また目を細めた。紫薇はその仕草、というより藤原そのものに何か後光染みた神聖さを感じた。蘇芳とまた違う感じは、藤原の浮世だった性格のせいかもしれない。

 「そうでもないよ。二人の関係は知ってるけど、こうやって表立って賑やかになったのは絵導君、君が勇璃の面倒をみてくれたときからじゃないかな」

 「……………」

 紫薇はその言葉の意味をすぐには飲み込めなかった。信じられないといった方が正しい。すると紫薇の考えを悟ったのか、藤原は極めて優しい口調でいった。

 「君が勇璃と知り合う前は、勇璃は時おり暴力に入り浸っていたよ。まるで汗かいてストレスを発散させるみたいにね。他の人にはわからない、勇璃だけの悩みが心を窮屈にさせていた。でも君のお陰で今の勇璃はどこか吹っ切れたように感じるよ」

 それが似た者同士、共感することが出来る関係だからなのだと知ると、紫薇は少しだけ嬉しいような、恥ずかしいような気分になった。

 「これからも勇璃をよろしく」

 「…腐れ縁で良いならな」

 言葉とは裏腹に紫薇は少しだけ笑っていた。

 「だがその居場所はお前にも当て嵌まるんじゃないのか?俺よりも早く知り合ったんだろう?」

 そういうと藤原はふと寂しそうな顔をした。

 「…そうだね。でも僕と勇璃の関係は、ちょっと特殊なんだ」

 それっきり藤原が話を続けなかったので、紫薇はそれ以上深くは聞かなかった。きっとそれも他人にはわからない、二人だけの事情なのだろう。紫薇はそれが何となくわかると、黙って本を取り出して読書に耽った。

 

 

 口に針を咥えながら羽月はぼろぼろになったクレシェントの洋服と睨み合った。上着は肩から袖まで破け、胸の辺りには大穴が空いてその周りは焦げていた。スカートは所々で裂けて目も当てられない。渋い顔をしながら羽月は思わずうんうんと唸ってしまった。

 「あの…やっぱり無理ですよね?」

 苦い顔をしながらクレシェントは紅茶の入ったマグカップを啜った。

 「…出来ます」

 短い沈黙の後に羽月はいった。

 「本当ですか!」

 「あ、やっぱり無理かもしれません」

 破れた部分を新たに見付けると羽月は苦笑いし、紅茶を零しそうになりがらクレシェントは頭をかくっと下げた。

 「この服を新しく作らずに元に戻すのはちょっと…。ただ型をほんの少し変えても良かったら何とかなると思います。それでどうでしょう?」

 「は、はい!お願いします!」

 嬉しそうな顔をした後に短い溜め息を吐いた。

 「それにしてもこのお洋服をとても大事にしてらっしゃるんですね。…素敵な方からのプレゼントですか?」

 ふふっと笑いながらいった。

 「…昔、ちょっと…」照れ隠しに顔をマグカップに隠した。

 「今は連絡は?」

 「してないです。最後に会った日からそれっきりで…」

 「どんな方だったんですか?クレシェントさんとお付き合いしていた方って」

 丁寧に上着をテーブルの上に置くと自分のマグカップに手を伸ばした。

 「聞いてくれますか?」

 「勿論です」

 クレシェントはマグカップに回していた指先を絡ませながら話を始めた。

 「とても気分屋な人でした。ぶっきら棒で、私が何を質問してもそっぽを向いて…頑張って気を引かせても気付いたらどこかに行っちゃって…。何ていうか野良猫みたいな人だったんです。好きになるまで苦労しましたよ」

 「初めは好きじゃなかったんですか?」

 「寧ろ好きの反対、一時は殺してやろうかって思ったこともあったんです。だって半ば無理矢理にその人の住んでる所に連れて来られたんですから」

 「…だ、大胆な人ですね。どういう経緯だったんですか?」

 「その人が話してくれたのは私が暴れてたから、ふん縛って寝床に持って帰ったってことなんですけど…。ちょっとそのときの私、精神的に落ち着かない時期だったから、気が気じゃなくて思わず喧嘩しちゃったんです。勿論、負けちゃいましたけど…」

 「どうしてその場所に居続けたんですか?」

 羽月は興味をそそられたのか津々と尋ねた。

 「出て行きたかったんですけど、行く当てがなかったから仕方なくそこに居たんです。実際、着るものも薄着一枚だけでしたし…。そしたらある日、急にその人がこの洋服を持って来てくれたんです。女なんだからそれなりの格好をしろって。ちょっとサイズが大きかったんですけど、嬉しかったな…」

 破れた洋服を見て口許を緩ませた。

 「それからその人のことが少しずつ気になって、話をしながら色んなことを教わりました。初めは男性っていうより、先生みたいな感じでしたよ。だからそれらしいことはあんまり…キスしたのも別れるときに一度だけなんです。でも今思い返せば、やっぱり好きだったんだろうなあ」

 紅茶の水面に映った自分の顔を見て寂しそうな笑みを零した。

 「聞いても良いですか?どうして別れたりしたんです?」

 「…言いましたよね?私、落ち着かない時期があったって。その人のことを少しずつ好きになっていく内に、何だか恐くなっちゃって…。それに私が何をすれば良いのか迷っているときに、何もしなくて良いって言われたら、自分の中でそうじゃないって…あっ…」

 言葉の途中で、ふとクレシェントはどうして紫薇に対してまた封じていた心が生まれてしまったのかわかった気がした。そう思うとクレシェントの胸はきりきりと締め付けられるのだった。

 「どうしました?」

 「…何でもないんです。ちょっと…胸が痞えちゃって」

 クレシェントは気丈に笑ってみせたが、心の奥に芽生えてしまった感情を押し殺すことは出来なかった。無理に紅茶を飲み下してもその気持ちまでは流れてはくれなかったのだ。そんなクレシェントを羽月は不思議そうに思ったが、唐突に鳴り響いた玄関のベルに気を奪われた。

 「宅配便かな?私、ちょっと出て来ますね」

 クレシェントは羽月がその場から離れてほっと溜め息を吐いた。

 「苦しめ、か…。酷いよ、折角忘れようとしてたのに…」

 顔が項垂れた後にマグカップの淵が僅かに揺れた。



 夕暮れ前に紫薇は通学路を歩いていた。調べものをしようと思っていても手が包帯に巻かれていては碌に調査も出来ないと、紫薇は諦めて早めに帰宅することにしたのだ。ゆっくりコーヒーでも飲みながら気を落ち着かせようと、楽しみにしながら家に帰り、ドアノブに手を回す。

 扉を開けると紫薇はおやと思った。靴がいつもより二足多いのだ。嫌な予感がしながらリビングに進むと、そこには靴の数と同じ見慣れない顔があった。

 「…お帰りなさい」

 紫薇がリビングに出ると羽月が紫薇を出迎えたがその顔は暗い。その理由は椅子にこしかけていたオレンジ色の髪をした女性が関係しているようだった。その隣には青いローブの男が立っている。

 「貴方が絵導紫薇ね?」

 椅子から顔を覗かせるその女性の顔は見るからに不機嫌だった。

 「…誰だ?」

 そういうとその女性は席から立ち上がって紫薇を睨み付けた。

 「やってくれたわね…。まさか王宮を、それもセルグネッド王家を襲うとは恐れ入ったわ。もう少し分別のある人間だと思っていたけれど」

 その隣に座っていたクレシェントとプランジェはまるで警察に捕まった犯人のように顔を曇らせていた。

 「…さて、何のことやら」

 しかし紫薇は何事もなかったかのようにそのままテーブルに近付いて鞄を降ろした。

 「羽月さん、コーヒー貰えますか?」

 「…は、はい」

 只ならぬ雰囲気に羽月は必死に落ち着こうと取り繕ったが、足取りがぎこちなかった。

 「それで?あんたは?」

 「この世界でいうところの警察よ。貴方たちが引き起こした犯罪を取り締まる為のね。わかってるの?この忙しいときに余計な手間を取らせてくれて…。私たちは大変に迷惑しているわ」

 「本題に入ってくれ。その警察がわざわざこんな所まで来た理由、それを言ったらさっさと踵を返してくれないか?こっちも暇じゃないんでね」

 「良いわよ。その理由を聞いてその生意気な口が続けば良いけれど」

 そういって椅子に座り直したが足を見せ付けるように組んだ。

 「…どうぞ」

 羽月はひっそりと紫薇の前に湯気の立ったマグカップを置いた。

 「一言で済ませるのなら、貴方たちには罰を受けて貰うわ」

 「罰?俺は善良な一般市民なつもりだが、どういう罪状で?ああ、そこの女はどうか知らないが」

 そういってクレシェントを一瞥すると、暗い顔をしながら紫薇を睨み付けた。

 「しらばっくれても無駄よ。ネタは上がってるから否定したとしても、強制的に立件されるけどね」

 「酷い警察もあったもんだ」

 「…今回の事件を隠蔽するのにどれだけの費用を取り繕ったと思ってるの?寧ろ感謝して欲しい位ね。まあ、その感謝もどう転がるかわからないけれど」

 「どういう意味だ?」

 「貴方たちにはある人物に接触し、説得して貰いたいのよ。死んだ人間を一人、蘇らせる為にね」

 「そんな眉唾ものの話を誰が…」

 「第ゼルア級犯罪者アシェラル・ノーバリスタ。彼こそが、いえ、彼だけがその奇跡を引き起こすことが出来る。どうかしら?死刑を宣告された気持ちは?」

 その言葉に誰もが耳を疑った。

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