33話 黄金舞台

 アニュエラ・レギスチオン。過去、ナーガで起きた最も甚大な戦争である十剣戦争において多大なる戦歴を残した英雄たちを率いたとされ、大将軍と称される芸闘士。その戦略は簡潔にして合理的、誰もがその知略に脱帽した。女性でありながら豪傑、その武勇は今に至るまでおとぎ話として語り継がれている。

 その伝説を継いだ者が今ここに立っている。その事実を一番に知っていたプランジェは体中の汗を止めることが出来なかった。次いでその実力を肌を通して実感したクレシェントは残り少ない力を振り絞り、いつでも食ってかかる準備をした。赤縞と紫薇は困憊した体のせいで正確な判断が取れないでいたが、それでもツヴァイベルの目に映った殺気を感じて気を引き締めた。

 「よもや隊長格の全てが断たれたとは…建国以来の出来事ですね」

 しかしその人物の言葉遣いや声の抑揚は驚くほど温和なものだった。紫薇は似た顔を見知っているだけに変な意味で寒気を覚えた。

 「…ランドリア?」

 その男は素顔こそランドリアに似ているものの、格好がまるで違っていた。編み込んだ髪の毛を後ろに流し、途中で曲げて髷のようにしてあった。化粧を施し、爪には緑と青のマニキュアで下まつ毛が異様に長い。服装は肩からレースを落として遠目で見ると首から下が円柱のように見えた。

 「八月一日、貴方が居ながら俗物に膝を着かされるとは何事でしょう。豪傑と謳われた鬼とやらでも敵わなかったのですか?」

 「その鬼でもご覧の有様ですよ。ゼルア級の付き人でも、末恐ろしい実力を持っています。一手興じる際には十分なご注意を」

 そういって八月一日は傷付いた体などまるで感じさせない動きでクライヴのもとに近付いていった。その間、ツヴァイベルは黙って八月一日の背中を追ったが、紫薇はその後の行動に大体の予想が付いていた。

 「…跳べ!」

 思考より先に紫薇は直感で叫んだ。八月一日も背中に感じた殺気に気付いたのか、紫薇の声を聞いて即座にその場から飛び退いた。その直後に八月一日が過ぎ去った場所から部屋の隅まで亀裂が生じた。

 「家臣に手をかけるおつもりですか?総隊長」

 八月一日は横目でツヴァイベルを見ながらも、その頬に汗を伝わせていた。

 「部下の不始末は私の責任ですから」

 笑顔の裏腹に言葉に込められた意味は残酷だった。変わらず声の抑揚は落ち着いていたが、紫薇はどこかランドリアに似たものを感じていた。

 「それに素性の知れないどこぞの輩に敗れたとなれば、城の安寧を任された者としては放って置けません。逆賊でも配下でも変わらない、この城にそぐわない者は切り捨てる。それが私の仕事だと、かつて貴方にも伝えた筈ですよ。勿論、その呪われた女にもね」

 ツヴァイベルが手を掲げると、手の平から黄金の光が噴き出した。その光はやがて辺りにまき散らされると、少しずつ辺りの景色を変えていった。剣で形取られた歯車や天井から垂れ下がる槍の隊列、床は鋸の刃が層をなして空間を彩っていった。

 「…いけない!」

 初めにその危険性に気が着いたのはクレシェントだったが、その空間を跳ね除けるだけの余力を残していなかった。抗うことが出来ず、ただその光景を悔しそうに見ているしか出来なかった。

 八月一日は胸の痛みに耐えながら、必死にクライヴの体にしがみ付いて彼女を守っていた。赤縞とプランジェはどうにか抗おうとするも、変化していく光景に気を飲まれてしまっていた。そうして他の人間の動揺を見ながら、紫薇はここまでかと歯を噛んだ。

 「感謝してくれても良いですよ。最後に見せたこの景色は、見たこともないほど絢爛でしょうから」

 部屋全体がツヴァイベルが具現化した概念に埋め尽くされようとしたときだった。黒い靄がどこからともなく現れ、陽炎のように揺らめきながらあたり一帯を飲み込んでいった。

 「この概念、まさか…」

 その黒い靄の勢いは凄まじく、あっという間にツヴァイベルが用意した舞台を閉じていく。余りの出来事にクレシェントですらその事態に追い付いてなかった。ただ一人、紫薇を除いては。身を持って味わったからこそ、この光景を見せびらかした相手を紫薇は予測することが出来た。黒い靄が舞台の殆どを埋める中、舞台が真っ二つが割れ、その中からゆっくりとその靄の使い手が姿を現した。

 その使い手は全員を冷たい目で見下した。特に紫薇に向けられた殺気はより強く、特別な感情を抱いているようだった。薔薇色の髪の毛に鳶色の瞳、鎧は新調したのか形がより軽量化され、水色の筋が描かれていた。

 「ランドリア・プラファンドール…」

 「(なんだ、あのやべえ野郎は…)」

 ランドリアはまっすぐツヴァイベルを目指して歩き出した。その途中、紫薇と目が合うと徐に口を開いた。

 「邪魔だ」

 「…何をしに来た?」

 言葉とは裏腹に紫薇はぞくりと背筋を奮わせていた。一度はランドリアに勝利していても、本音からすればもう二度と戦いたくない相手だった。無意識に柄を握る力が強まる。

 「脅える時間など貴様にはないだろう、すべきことをしろ」

 「…どういうつもりだ?今更になって俺に尻尾を振って何になる?」

 「主の命だ。それがなければ貴様など切り伏せている」

 「デラの…?」

 クレシェントは驚いたが同時にこの城で感じていた不吉な気配が彼だったと知るとクレシェントは素直にデラに感謝した。

 訝しげにする紫薇を他所にランドリアはさっさと先に進み、ツヴァイベルと面を合わせた。まるで合わせ鏡のように二人の顔が並列する。

 「その顔…まさか再び目にする日が来るなんて思ってもみませんでした。見れば見るほどおぞましいですね」

 ランドリアは口を紡いだままツヴァイベルの顔を見た。

 「風の噂ではとある怪人の従者になったと聞きましたが、まさかあの吸殲鬼だったとは…。曲りなりにも英雄の血を継いでいるのに…まるでその気高い血を泥水に変えたようだ」

 ランドリアはまだ口を閉じたままだが代わりにその手に黒い鎌を握らせた。

 「…赤縞、急いで階段に向かうぞ」紫薇は出来るだけ小声でいった。

 「あの野郎は信用できんのか?」

 「それ以前の問題だ。奴は平気でこっちを巻き込む。敵味方の区別なんてない、鬼より手酷いぞ」

 初めて赤縞の顔が引き攣った。

 『アーガスト・ニヴェル・ギルフェバウス(青い客席に仮面が置かれ)』

 誰かが手を叩いた音がした。その音はまるで上映を始める直前に、観客が喝采を送るかのようで、音は一挙に無数の波となってその部屋を蝕んでいった。暗い紫色の小さな光が空間を埋め尽くしていく。

 「今のうちにお暇しようかな。さようなら、二匹の百合若大臣殿」

 八月一日はクライヴを両手で持ち上げると、瓦礫を抜けて一足先に逃げていった。

 「ちっ、あんの野郎…」

 「ぼやぼやしてないでさっさと行くぞ」

 紫薇は部屋に現れた光に惑わされながらも階段に向かって走った。

 拍手の音は一切の雑音を飲み込み、けたたましい音量になってツヴァイベルを取り囲むと、球状に変化して階段の上に漂った。

 「あの…!」

 クレシェントは階段を上ろうとする前にランドリアに向かって叫んだ。するとランドリアは目だけをクレシェントに向けた。

 「ありがとう…」

 ランドリアは視線を戻すと、小さい声で失せろと呟いた。

 クレシェントは苦笑いしてプランジェと共に紫薇の後を追いかけていった。その様子をランドリアは一瞥すると、手に握っていた鎌を掲げてツヴァイベルを封じ込めている球体の光に刃を向けた。

 しかし唐突に球体の光が両断され、中から黄金の光があふれ出た。ツヴァイベルの手には黄金の剣が握られ、紫色の喝采は消滅していった。

 「あの泣き虫坊やがここまで成長したなんて驚きましたよ」

 ツヴァイベルは剣を消失させると階段を降り始めた。

 「これほどまでの概念を具現化することが出来るのは、偏にその体に流れる血のおかげ…。不純物と交わったとしても、いまだ英雄の血は色濃く残る。だからこそ貴方の母親の罪は重い。その名に汚れを付与されたのも、それが理由ですよ。プラファンドール…いや、レーシア・バル・レギスチオン」

 ナーガにおいて名前にバルは最も卑しい者の意味を表わしていた。

 「懐かしいでしょう?私が嫌いな名前です。私と同じ家名を持ち、同じ父親を持った卑しい異兄弟。でも今日でその雪辱も終わるでしょう。ここで貴方の首を刎ね、その汚れた血を一滴も残らずに枯渇させる。覚悟は良いですか?」

 「無能な者ほど良く喋る。次期当主がこれではかの名家も没落したな」

 「もとより紛いものに理解されようとは思っていません。殺人鬼の手下になった者など特に…」

 ぴくりとランドリアの手が動いた。顔は至って平静を装っているが、内心は腸が煮立っていた。

 同じ顔を持った二人がお互いを見下ろし、見上げている。違うのは髪の色と、その表情から発せられる言葉と、黄金の剣と漆黒の鎌だった。

 「さあ、おいで。いつぞやのように遊んであげるから」

 その言葉のあとに二人の武器は振るわれ、

 


 青い階段は足を引っかけてしまうほど急だった。しかし一行に段を跳び越えて渡る余力は残っていなかった。全員が疲労困憊で満身創痍、外傷の少ないプランジェは気を失ってから妙な体の重みを感じていた。まるで体が何か特別な力によって抑えられているようだとプランジェは思った。

 「この先にメルトがいるわ。それともう一人、とても強い力を持った人も…」

 「…開けるぞ」

 段を渡り切ったのは脹脛が腫れ上がった頃だった。階段の先にあった丸い扉を開けると、紫薇の目に飛び込んだのはじっと自分を見詰める男の姿だった。その顔はどこかメルトに似ていたが、その瞳の奥は淀んでいた。そして玉座まで続いている絨毯の隣には見慣れた少年の姿があった。しかし紫薇はメルトの姿を見て、すぐに違和感を覚えた。

 「紫薇…」

 メルトは紫薇の顔を見ると、嬉しそうな顔をしたがすぐに顔を曇らせた。

 「ようこそ、我が宮殿へ。さて、まずはこちらに来て貰おうか」

 紫薇たちはいわれるままにその男に近付いていった。

 「宜しい。私はセルグネッド第六代目国王ミグフェネスである。貴君らは名のある英雄の子孫や手練れの猛者を見事に圧倒してみせた。その功績、賞賛に値する」

 一行は立ち止まってミグフェネスの話に耳を傾けたが、紫薇だけは王に見向きもせずにメルトの傍に寄った。

 「貴君らが気難しい性格なのはわかった。しかし先も言ったその戦歴、実に魅力的だ。仮にそれがかの原罪人の名を持っていたとしても、私は貴君らが欲しい。どうだろうか?この城に留まって私の命を守ってはくれまいか?」

 「私たちはメルトに話があって来ただけです。用が済めばすぐに立ち去ります」

 クレシェントは出来るだけ相手を刺激しないようにいった。だがそれが返ってミグフェネスの好奇心に火を点けてしまった。

 「その方、壊乱の魔姫と言ったか…。美しい、そしてその可憐さの中に何か危険な光を孕んでいる。私の妾になる気はないか?正室とはいかないが、側室ならば…」

 クレシェントはミグフェネスの視線が自分の恥部に向いているような気がして身奮いした。

 「ふざけるな!さっきから黙って聞いていれば…何を考えている?」

 「即物的なことだ。これほどまでの力を持ち、そのような美貌を持っていれば私にとってどれほど有益か…。それに今の話は貴君らにとっても都合が良いと思うが」

 「どういう意味だ?」

 「その体に染み付いた呪いを拭ってやろうというのだ。原罪人の称号、君には重過ぎる枷だと思うがね」

 その瞬間、クレシェントは自分でも馬鹿馬鹿しいと思いながらも、その薄っぺらな希望に縋ってしまった自分を呪った。どんなに気丈に振るっていても、やはり心のどこかでは自分に対する救いを求めていたのだ。だがその希望をぶち壊したのはプランジェだった。プランジェは再び声を上げて手を振るった。

 「いい加減にしろ!貴様にクレシェント様の何がわかるというのだ!」

 「わかるとも、女は本能的に安寧を求めるものだ。それがどうだ?人殺しや世界を滅ぼす者と言われてどこに安らぎがある?彼女とていつかは子を産み、自らを削って愛を育みたいと思っている筈だ。違うかね?」

 クレシェントは目線を落としたが否定はしなかった。

 「確かにそれは女としての喜びなのだろう。だがそれ以前に我々は人間だ。思考する生き物だ。ときにその本能を捻じ曲げてでも、成し遂げなければならないこともある。それを知らぬ貴様が、我が主の本当の苦しみを知らぬ貴様が!しゃしゃり出ることではない!ましてや貴様ではクレシェント様と釣り合わん、鏡を見てものを言って欲しいものだな」

 そいういうと赤縞は嘲るように笑った。

 クレシェントは心の中で溜め息を吐いた。仮にそれが肉欲から来たものでも誰かの誘いを断ったのは二度目だった。そう、それはどんなに嬉しいことかわからない。初めてその誘いを断ったときは目が真っ赤になるまで泣いたものだった。プランジェのいった通り自分にはしなければならない、いや、そうしなければなりたい自分でいられなくなることがあったのだと改めて実感した。そうしてミグフェネスから受けた動揺が、かつてその誘いを断ったことを思い出してしまったことからだったということを知ると、クレシェントはぎゅっと手を握り締めて我に返った。

 「…お気持ちは嬉しいですが、この子の言った通りです。勝手に私のことを決め付けないで下さい。気持ちが悪いです」

 そういうと赤縞は再び声を上げて笑った。

 「…所詮は人殺し、まともな頭を持っていないようだ。ならばこの場を以って、私の手で貴様らを血祭りにしてくれる」

 必死に冷静さを装っていても顔は真っ赤になっていた。ミグフェネスは椅子から立ち上がり、手の平にじっとりとかいた汗を拭きながら椅子から離れた。


 「…待て」


 ぼたぼたと紫薇の手の平から血が零れ出していた。伸びた爪が肉に食い込んでも尚、手に入れる力を弱めなかった。

 「お前は…この子に何をした…?」

 紫薇はしきりに腕を失ったメルトの体を擦っていた。

 「罰だが?身勝手な行動を粛清する為に必要な措置だ」

 「何をしたかと聞いてんだ!」

 その怒鳴り声に紫薇を知っている誰もが驚いた。滅多に自分の感情を大っぴらに、直情的に表わさない紫薇が声を張り上げた。それは異常だが同時にまともでもあり、しかし病的だった。

 「…殺してやる」

 その目に一番恐れを抱いたのはクレシェントだった。初めて目にする自分から望んだ、誰かを殺めたいと思っている人間の目。それはどうしようもない切なさと、その後に後悔すら押しのける深い憤怒を映していた。

 「紫薇…」

 気付けばクレシェントの膝は笑ってしまっていた。

 「大それたことを言ってのける…。その言葉、現実に出来れば良いが」

 「殺してやる…」

 壊れた機械のように紫薇は同じ言葉をぶつぶつと呟いた。

 「駄目よ、紫薇!」

 しかしクレシェントの言葉が紫薇に届くことはなかった。

 「ちっ、止めに入った方が…」

 プランジェがそう口ずさんだ瞬間、紫薇はプランジェにその激情を目に乗せてぶつけた。

 「うっ…」

 「駄目よ、プランジェ…。今の紫薇に何を言っても通じないわ…」

 紫薇の視点はミグフェネス一点に集中していたが殺気の範囲は全体に及んでいた。

 「殺してやる」

 「やってみるが良い。その傷付いた体でどこまで出来るか見せて貰おう」

 「殺して…やる…!」

 刃に白い光を点すと、紫薇は剣を振るって魔女の手を繰り出した。その力は今迄に見せた概念よりも遥かに強力で、邪悪な念に満ちていた。魔女の手がミグフェネスに迫ったが、その軌道を読むとミグフェネスは体を数歩動かして躱してみせた。

 「あれをいとも簡単に…」プランジェはその挙動に驚いた。

 即座に紫薇は次の一手に移った。八月一日と戦ったときに繰り出した十字架を、それも辺りの空間を埋め尽くすほどの数で並べた。

 「おい、あれが満身創痍の力かよ?あれじゃ八月一日と戦ったとき以上の力だぜ…」

 「何がそこまで紫薇を突き動かすのだ?いや、それよりもこの概念の醜悪さは一体どこから…」 

 「(紫薇、貴方が恐いよ…)」

 クレシェントは手で肩を抑えながら身震いした。

 「これは驚いたな…!」

 ミグフェネスは十字架の隊列を眺めると、嬉しそうに頬を緩めて大げさに驚いてみせた。その笑みは紫薇を更に激しい怒りに駆らせ、一斉に十字架を投射させた。純粋な殺意が十字架の力に上乗せされ、雷のような軌跡を描きながらミグフェネスに向かって集約していった。

 人間を串刺した音にしてはやけに甲高い音が部屋に響いた。紫薇の十字架を受け止めた正体は、ミグフェネスの体ではなく、その前面に浮かんだ透明な壁だった。

 「あれはアイロニーの盾か…!」

 「違う…」

 透明な壁はやがて青く色付いていった。雪の結晶に似た金属樹、それと同じ広がり方をして青い壁はミグフェネスの周りに渦を巻いて現れた。二枚の巨大な葉っぱがきらきらと光を発し、ゆっくりと開いて中で腕を組みながら小さな笑みを見せているミグフェネスを映し出した。

 『カープス・ノヴァイ・ディスハウンド=デュードネ(朕は国家なり)』

 「あれが処女の庭園の根を具現化した概念、『四奏詩(エスタート)』」

 「永遠不滅の存在証明、『廉正概念』か…」

 「さて、これより罰を与えよう。躾のなっていないけだものにな」

 その青い概念の輝きは光の中に棘があり、まるでセルグネッド王家の威光を表しているかのようだった。そして腰に一本の剣を携えてミグフェネスが玉座から離れ、紫薇と同じ床に降り立った。

 メルトと同じ深い金色の髪を持ち、頬はやや窶れ伸ばした髭は老いたときのメルトを彷彿とさせた。しかしその眼光は本当に親子とは信じがたいほど淀み、純粋さの欠片も感じられなかった。深く刻まれた眉間のしわは老獪さを物語っており、あらゆる計略を用いてその座に君臨していたことを示していた。



 『アーガスト・デルシュオーソ(花形の忘れ草よ)』

 『デルヴァーチェ・オルフォシンサス(覇者の玉条よ)』

 黒い光が煙となって巻き上がり、ランドリアが手を掲げると煙はうねりながらツヴァイベルに跳びかかった。一方でツヴァイベルの手の先からは真っ白な幕が壁のように現れ、煙の進行を妨げた。

 一瞬、時が止まったかのように両者の概念が止まったが、白い幕は黒い煙を押し返しながらランドリアに近づいていった。しかし黒い煙は押されながらも汚れのない幕をじわじわと染め上げ、侵食し始めていた。

 するとツヴァイベルは手を掲げたまま、片手で黄金の剣を振るった。刃からは波状の光が飛び出し、自身が繰り出した白い幕もろとも黒い煙を分断していった。波状の光が黒い煙の根本まで切り裂いていくと、ランドリアは手に持っていた鎌でその進行を防いだ。

 数度の金属音が鳴り響いた後、ツヴァイベルは切り裂いた概念の隙間を駆け抜け、一瞬でランドリアの側まで近づくと、黄金の剣を振りかざした。反射的にランドリアも黒い鎌を振り上げた。

 お互いの武器に力が込められ、体を硬直させながら二の腕だけを震わせる。傍らで具現化されていた両者の概念は小さな粒子となって消滅していった。二人の鍔競り合いはどちらも一歩も引かない。しかし両者を引き剥がしたのはランドリアの蹴りだった。両腕を徐々に広げ、相手の懐が空いた隙にツヴァイベルの胸を蹴り飛ばした。

 ツヴァイベルの体は大きく後退したが、彼の顔は平然としていた。膝に力を入れ、体を止めると手に握っていた剣を消滅させた。

 「戦い方がまるで野臥せりだ、品がない」

 『アーガスト・ロデンシュール(引き千切られた衣装)』

 そんな挑発に乗ってか乗らずか、ランドリアは耳を伏せながら鎌の先端に奏力を注いで形状を変化させると、鎌を構えて走り出した。

 「良い機会です、教育も兼ねて真の美芸師というものを見せてあげましょう」

 そういうとツヴァイベルは自分の傍に一枚の鏡を生み出した。それは長細い形をしていて、全体像をそっくりそのまま映し出せる大きさだった。ツヴァイベルは自分の手を鏡に近付けると、手はまるで水面に手を入れたように沈み、その中で何かを掴み、引きずり出した。

 『ヴェオツリューゲン・ガゼラブ(画家の長)』

 鏡の中から現れたのは幻覚的な色を垂らす大きな筆だった。ツヴァイベルの背丈よりも長いその筆の先には赤や青、緑や黄色の絵の具が縞模様に混ざっていた。その筆を後ろに掲げ、一気に振り払うと筆に着いていた絵の具は蠕動しながら宙に飛び散った。

 ランドリアが繰り出した黒い布にマーブル模様の多色がへばりつき、更には彼の鎧にまでべっとりと張り付いた。すると鎧は煙を上げながら腐食し始め、ランドリアの概念までもどろどろに溶かしていった。しかもその腐食は生きているかのようにその手を広げていく。ランドリアはその現象を目にすると、肩と腰の部分の装甲を外していった。

 「なんだ、そんな自由に取り外せるんですね」

 ツヴァイベルは頭を四十五度に右と左に傾けると、再び黄金の剣を握ってランドリアとの距離を詰めた。

 ランドリアは焦る気持ちを必死に落ち着かせながら身軽になると、ツヴァイベルの剣筋を見切って無駄のない足さばきで躱していった。しかしランドリアは気付いていなかった。鎧を引きはがすことがツヴァイベルの狙いではなかったのだ。まだ辺りには幻覚色の絵の具の塊が四散している。

 黒い鎌の持ち手を握りしめ、ランドリアは腰から腕に力を込めると大きく振りかざしてツヴァイベルの体を大きく後退させた。斬撃は黄金の剣によって防がれていたが、距離を離せばランドリアに追撃の機会が加わる。その機を逃さぬよう、今度は両足に力を入れた。

 そのときだった。これからランドリアが猛烈な速度を出してツヴァイベルとの距離を縮めようとした最中、ツヴァイベルはランドリアに手を開いて掲げると、ぐっと手を握ってみせた。途端に辺りに散らばっていた幻覚色の絵の具がぷるぷると震えながらランドリアに目がけて一斉に集まった。

 「ちっ…!」

 ランドリアの反応速度はツヴァイベルの予想以上だった。視覚だけでなく、全身から奏力を感じ取っていたせいで、背後や視界から外れた絵の具の軌道を避けることが出来た。しかしそれこそがツヴァイベルの狙いだった。四方から襲いかかる絵の具までは避けられても、ツヴァイベルが密かに絵の具の影に隠れていることまでは認識が追い付かない。ツヴァイベルはランドリアが絵の具に意識を取られているほんの一瞬のうちに潜み、隠れ、ランドリアの懐に黄金の剣を突き立てた。

 刺さったのは肩と胸の間だった。潜んでいてもツヴァイベルも殺気までは隠し通せない。ランドリアはその僅かな感覚を頼りに刃が体に突き刺さる直前に体を曲げ、致命傷を躱していた。だが食い込んだ刃から色が滲むと、屈強なランドリアをもってしても顔が歪んでしまった。

 『アーガスト・シュヴァイツ(袖際の青花紙が)』

剣に貫かれていない片側の手に黒いガラス状の塊が添えられ、ランドリアがその塊を握りつぶした。指の隙間に砕けた破片が刺さるも、傷口から流れた血は真っ青だった。そして破片が青い血を吸うと、一斉に砕けたガラスの破片が手から飛び出していった。

 「!」

 その青い破片を見るや否やツヴァイベルは握っていた柄から手を離し、その場から離れていった。破片はひらひらと飛び散ってツヴァイベルを追いかけるも、大きく後ろに後退する彼の姿には追い付かなかった。

だがランドリアの狙いはツヴァイベルではなく、自分の体に突き刺さった黄金の剣だった。青い花紙が黄金の剣に纏わりつくと、徐々にその色を同じ色に染め上げていった。するとその剣はいつしか青い花紙となってランドリアの体から消えていった。

 と同時にランドリアはその場から駆け出し、刃創から血を流すことなどお構いなしに鎌を握った。焼けるような痛みがランドリアを苦しめていたが、その痛みを紛らわせるように腕を振るう。その様子をツヴァイベルは薄ら笑って再び黄金の剣を呼び出し、刃で受け止めてみせた。

 『アーガスト・ロメニアン(詩姫の悩み種を)』

 ふとツヴァイベルの足もとに黒い百合のような花びらが落ちた。その花びらは一瞬で膨れ上がり、ランドリアの現し身となってツヴァイベルの背後から襲いかかった。

 『エメルタ・オルフォシンサス(書生役者は浮かぶ)』

 しかしその斬撃を受け止めたのは黒い仮面を被ったツヴァイベルの現し身だった。その現し身はツヴァイベルの背中から上半身だけが浮かび上がり、二本の剣を握りながらツヴァイベルと同じ動きをしてランドリアの現し身と剣劇を広げた。

 奇妙な光景だった。同じ姿をした四人がそれぞれの色を持ちながら舞踊する。それはまるで対を表わす紙絵のようだった。だがその相反する姿から抜け出したのはランドリアだった。ランドリアとその現し身は剣劇の合間に床に黒百合の花びらを二つずつ投げ、計四枚の花びらからランドリアの現し身を更に呼び出した。

 六人となったランドリアの分身が一斉に鎌を振りかざし、六枚の刃が床に突き刺さる。それはさながら一片の花が咲いたようにも見えたが、その中心にツヴァイベルの姿はなく、天井に向けて飛び上がっていた。

 ランドリアが視線だけを天井に向けると、そこには壁に両足が張り付いたツヴァイベルの姿があった。両腕を高らかに掲げ、そして振り下ろす。

 『アプゾル・リト・エルマ(長靴を履き忘れた女)』

 ランドリアの真上から現れたのは細長い足首を持った女の裸足だった。しかしその大きさは柱のように雄大だった。その足を見た瞬間、ランドリアは急いでその場からつま先を蹴り、振り下ろされた女の裸足から逃げ出した。現し身たちはそこから逃げ遅れてしまい、踏みつぶされると消滅していった。

 間一髪のところで逃げ出すことが出来たランドリアだったが、攻撃の手を止めなかった。距離を取った後、腰を曲げて手に持っていた鎌を放り投げた。円盤のように高速回転しながらツヴァイベルに目がけて宙を切る。ツヴァイベルはその軌跡を即座に読み取ると、微動だにしなかった。

 「苦し紛れに投げたところで…」

 鎌が突き刺さったのはツヴァイベルの足裏が張り付いていた天井だった。鎌の切っ先が天井の壁に亀裂を入れ、ツヴァイベルの体が宙に落ちる。

 「おやおや」

 ツヴァイベルにとってこの状況は取るに足らなかった。高い場所から落下したとしても、何かしらの概念を具現化させて足場を作れば良いし、または宙で体を反転させて床に降り立っても良い。ツヴァイベルには悪条件をいつでも変えることが出来た。

 しかしその自信はほんの一瞬の油断を生んだ。ツヴァイベルの視界の先にはランドリアが口惜しそうにこちらを見ている。それだけだった。何か仕掛けてくる様子もない。それが何よりの疑問だった。その代わりに天井に突き刺さっていた鎌の形が音を立てずに変貌する。それはやがてランドリアの現し身となってツヴァイベルの背後を追いかけた。

 「なっ…!」

 ツヴァイベルの背中を鎌の刃がなぞった。一瞬の油断、取るに足らない状況、好機にも関わらず次の一手を仕掛けないランドリアを見くびったツケだった。そう、例えどんな悪条件を覆す者であっても追撃は止めない。それをランドリアが敢えてしなかったのは潜ませていた現し身の伏兵だった。

 落下するツヴァイベルの体は項垂れ、床に激突するまで力が抜けたように全身が脱力してしまっていた。不思議なことに背中の傷からは虹色の血が出ている。やがて水が弾けたような低音が床に広がると、ツヴァイベルの体はあらぬ方向に曲がった。体の至るところから虹色の血が流れ、床に広がっていく。その勢いは強く、体中の血液が押し出されるようだった。

 「さて、ここからか…」

 床一面に広がっている虹色の血が止まった。いや、それは出し切ったといった方が正しい。極彩色に染まった床は突如としてその色を漆黒に染め上げ、まるで光を遮ったように辺りを暗くさせた。

 ツヴァイベルの背中の亀裂から手が伸びる。更にもう一つ手が伸びると、その亀裂をこじ開けてばくりと口を広げた。そして亀裂の中からランドリアと同じ顔をした男が現れる。その男は暗緑の軍服のような恰好をしていて、床に倒れているツヴァイベルの顔立ちよりも険しく、両目から垂れる涙模様の黒い化粧が施されていた。

 「本当に…あのときの小僧が良くもここまで成長したものだ」

 ツヴァイベルが床に降り立つと、辺りに広がっていた黒い血が蠕動して一つに集まっていった。途中、床に倒れている体を飲み込み、黒い血はツヴァイベルの肩に集約されると、真っ黒な外套と化していった。

 「この芸闘士の姿を曝けるなど、滅多なことではないのだが。久しいな、レーシア。その顔、二度と見ることはないと思っていたが」

 「今になって貴様と言葉を交わすことなどない。さっさと続きを始めるぞ」

 「何の為にだ?」

 「主の命だ」

 「私怨はないと?」

 「…何の話だ?」

 一瞬だけランドリアの目が変わったのをツヴァイベルは見逃さなかった。

 「美芸師の姿であったときにも言った筈だ。その赤い髪、レギスチオンの家に汚れを持ち込んだ証だ。それ故に貴様は家名を剥奪され、母親は処罰を受けた。まだ手足が殆ど伸び切っていない頃だったな、貴様と初めて会ったのは」

 ツヴァイベルの髪の毛は光を一切逃さない濡羽色だった。

 「記憶にない」

 ランドリアはきっぱりといった。

 「自らにとって都合の悪い記憶ほど頭に残るものだ。それをそう簡単に忘れる筈がない。私ははっきりと覚えているぞ、湖だ。あのとき、私は絵を描こうと外に出ていた。そして見付けたのだ。広大な水面の上に一際その存在を訴える血の色を」

 ツヴァイベルは目を閉じ、そのときの光景をじっと頭の中に浮かべた。緑の木々や青い空の存在を否定するかのような強い赤い髪の毛を持った少年だった。

 「おぞましいものだった」

 目を開いて体を震わせながらいった。

 「まるでその色は私を拒むかのようだった。赤い、血よりも強い、濃密な単元色。初めての気持ちに私の心は乱れたよ、死にも似た感傷だった。そして私の心は貴様が追放されるまで曇ったままだった。今だからこそ口に出来るが、当時の私は貴様を恐れていたのだ。だから断ったのだ、貴様と母親との絆をな」

 ツヴァイベルが零した笑みは勝ち誇ったようで、また酷く歪んでいた。

 その途端、ツヴァイベルの目の前で火花が散った。話を聞いていたランドリアが有無をいわさず懐に飛び込み、その進行をツヴァイベルが濡羽の剣を作って受け止めた。剣は美闘士だったツヴァイベルのものと同じ形をしていたが、色ととして構え方が違っていた。片方の手だけで剣を操り、もう片方の手は腰に回している。

 「やはり怨みには勝てんか…。母親が恋しい年頃でもないだろうに」

 「貴様の御託に聞き飽きただけだ」

 そういいながらも鎌に込められた力は必要以上に込められていた。

 「素直ではない義弟だ、可愛げのない」

 「貴様にそんな感情は無用だ。良くも飽きずにべらべらと…その舌 叩き切ってくれる!」

 その言葉の後にランドリアは限界以上の力を出してツヴァイベルを吹き飛ばした。

 『アーガスト・ラグエル・ゼファイド(硝子絵は悪夢に染められて)』

 闇の柱をツヴァイベルに向けて放った。床から天井までの大きさを持った三本の柱が部屋の幅をいっぱいに広がり、ツヴァイベルを追い詰めた。

 『バルチェルグ・ガゼラブ(氷心皇帝)』

 濡羽の剣を眼前に立てると、ツヴァイベルの背後には透明な槍が隊列を成して浮かんだ。槍はツヴァイベルが指揮する剣の動きに併せて動き、切っ先をランドリアに突き立てると一斉に飛び出していった。

 飛行する槍はその大きさこそ柱に比べて小さいものの、威力は闇の柱をいとも間単に音を立てて砕いてみせた。それどころか柱を貫いても尚、その勢いは弱まらずランドリアに向かって手を伸ばす。

 咄嗟にランドリアは手を掲げてアイロニーの盾を作り出し、槍の進行を食い止めるもその威力は収まらず、肩や腕を切り裂いていった。その間にツヴァイベルがランドリアの背後に回り込み、曝け出している背中を切りつけようとしたときだった。展開していた盾を消滅させ、食い止めていた槍を背後にいたツヴァイベルに追いやった。

 「やってくれる…」

 五本の槍がツヴァイベルに向けられたが、軌道から体を逸らして全て避けてみせた。その僅かな時間の間にランドリアは体を回し、ツヴァイベルとの剣戟の態勢に入った。二人の位置がすぐ目の前まで詰められる。

 つま先の間に火花と金属音が何度も生じ、続いて二人の腕が宙を切った。八度目にお互いの刃が交わると、二人の体は同時に離れていった。

 ランドリアは自分の周りに黒いナイフを具現化させ、一列に並べるとツヴァイベルに向けて一斉に放った。しかし当のツヴァイベルはナイフが自分に向かっていても構わずに足を前に突き出し、ランドリアに駆けていった。途中、濡羽の剣で飛翔するナイフを弾いて。美芸師から芸闘士に移り変わったツヴァイベルの戦い方は、概念の具現化するよりも白兵戦に特化していた。

 濡羽の剣がランドリアの頬を掠める。ランドリアはその一刀をかわしながら鎌を切り上げた。だがツヴァイベルは上半身を仰け反り、その鎌の切り上げを鼻の先すれすれで見送ると、懐を晒したランドリアに再び剣を振るった。その挙動をランドリアは臆せずに前進して掻い潜り、二人の体が交差した後に黒いナイフをツヴァイベルの背中に向けて再び投げた。

 黒いナイフが宙で弾かれる。ツヴァイベルは背中を向けたまま刃をナイフに当ててみせた。

 「コールポージュほどの腕前ではないな、安い道芸だ」

 顔はまだランドリアと反対の方角を見たままだった。そこからランドリアが背中を切り付けようとすると、間を置かずに体を反転させながら鎌の一閃ごと薙ぎ払った。鎌の刃が断たれ、ランドリアの鎧は装甲を裂かれて肉が切り裂かれた。

 「…ぐっ!」

 「武芸の力量もさして高いとは言えん」

 ランドリアは腹部に受けた傷を見て一旦 距離を取った。

 「どこへ行ってしまうのだ?この兄を置いて」

 が、その直後にツヴァイベルの体はランドリアが意識するよりも前に懐に潜り込み、その手をランドリアの顎に添えた。

 「…ちっ!」

 ランドリアは咄嗟に鎌を振り払ったが、既にツヴァイベルは目の前から去った後だった。そしてランドリアの視界には黒い帯のようなものが何度も通り過ぎていった。その正体は帯ではなく、高速で動き回ったツヴァイベルそのもので、ランドリアの目を翻弄しながら鎧に濡羽の刃を突き刺していった。

 装甲が割れるとランドリアは吐血しながら崩れ落ち、膝を着いてしまった。刺さった刃はランドリアの体の中に残り、しっかりと肉に食い込んでいた。

 「罰は何が欲しい?鞭か?鉄の枷か?それとも縄で縛られたいか?延々と女を抱かせるのも一種の罰にはなるが…精が尽きても尚も応えなければならないのは酷だぞ?貴様の母親もそうやって先代を誑かしたのかもな…。はしたないものだ」

 そういった後にツヴァイベルはランドリアの心臓すれすれを狙って剣を刺した。

 「このまま心臓を貫いてやっても良い。だがそれでは私の気が済まんのだ。私が味わった絶望を貴様にもたっぷりと味わって貰わねばな。…そうとも、将軍の血を受け継いだこの私に…恐怖などという不要なものを寄越した貴様に対する怨みだ。会いたかったぞレーシア、私の願いを叶えてくれるのは貴様だけだ。だからもっともっと私の歪んだ愛情を注いでやる。受け取っておくれ、レーシア」

 刺す力を強めながらツヴァイベルは笑った。

 「…耄碌したな、レギスチオン」

 ランドリアの手もとからガラスが割れた音がすると、血溜まりの中から黒い結晶が伸びてツヴァイベルの体を貫きながら天井に向かって押し出していった。やがてその結晶は幹のように広がり、黒い花びらが天井いっぱいに咲いた。

 濡羽の剣はランドリアの手に触れられると消滅し、残った刃もそれに呼応するかのように砕け散った。だがその代わりに結晶の幹から強い光が発せられ、辺りを地鳴り始めた。

 「やはりこの程度では倒れないか…」

 わかっていたことのようにランドリアは鎌を持ち直し、その光に体を向けた。

 ツヴァイベルを封じていた結晶が一瞬にして粉々に砕け散った。いつの間にか結晶の周りには歯車のように黄金の剣が扇状に並び、次々と現れる刃によって壊されていった。

 やがて飛び散った結晶の中、ツヴァイベルよりも先にランドリアの目に映ったのは巨大な劇場だった。それはランドリアが壊した筈の劇場だった。いや、実際にはランドリアが壊したのはその劇が開幕する前のもの。今はその完成した場面が広がっている。そして黄金の舞台の真ん中に黒い髪の花形が降り立った。

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