32話 百合若大臣はさしも犬猿に似て

 初めに踏み込んだのは紫薇だった。ぐっと足裏に力を入れて一気に八月一日に向かって駆け出す。その速度に紫薇は自分でも驚いた。体の調子が良いときよりも更に速い。あっという間に八月一日の懐に飛び込み、剣を切り上げた。

 刃が虚空を切った。幾ら体の調子が良くても二人の間にあった差はそう易々と埋められるものではなかった。真横を完全に取られ、八月一日に腕ごと胸部を狙われたが紫薇はそのまま更に速度を上げて刀が振られる前にその場を通り過ぎた。

 「…は、速い(どういうことだ?普段の紫薇の力量ではないぞ…)」

 紫薇の目覚ましい速度を見るとプランジェは思わず息を飲んだ。

 「…妙技、妙技」

 八月一日は口許を緩めると走り去った紫薇の後を追った。

 紫薇はある程度の距離を走ると急に両足を止めて床を滑り、体を反転させて無理矢理に体を止めると切っ先を床に突き刺して刀身を八月一日に向けた。

 『ヴィスタージア・キグタリアス(その声は断罪ように)』

 白く赤黒い光が刃に凝縮され、一気に放射される。標的は追いかけてきた八月一日だった。宙を突き進みながら光の先が向けられる。

 『巫流 柳揺らし』

 八月一日はその光を見て観念したように舌打ちをすると、走りながら体を左右に揺らした。すると八月一日の体はまるでステレオグラムのように左右に幾つも分かれ、光を素通りさせた。そして光が過ぎると膝に力を入れて高く跳び上がった。

 『巫流 川の字割り』

 鍔鳴りが二度響いた。床には巨大な亀裂が二つ現れ、紫薇を左右に封じ込めた。紫薇がその光景に呆気に取られている隙に八月一日は懐に降り立ち、体を丸めたまま柄に手を伸ばした。

 『巫流 陰間切り』

 確かな手応えが切っ先から八月一日の手に流れた。だが八月一日は刀を振り払った後に違和感を覚えた。刃を通じて金属でもない人間でもない妙な感覚を知り、気付いた時には八月一日は肩から左胸、腹に深い切り傷を負っていた。

 紫薇は、権兵衛は八月一日が自分たちの体に刀を食い込ませるぎりぎりのところまで防御を行わなかった。二人は無意識に体の中でそのことを確かめ合い、見事に八月一日に一太刀を入れてみせた。

 『巫流 隠れ角』

 しかし八月一日もただでは食い下がらなかった。即座に柄から手を離すと、人差し指に特殊な気を混ぜて指先を尖らせると紫薇の体に四つ穴を空けた。その挙動は権兵衛ですら間に合わず、秒を越えたものだった。

 「こいつ急所を狙って…」

 八月一日が離れた後に紫薇の体から四つの血の噴水が出来た。傷は鳩尾や心臓、水月、肺を狙ったものだったがどれも辛うじてそこから避けることが出来た。

 「これほど技を繰り出して、立っていられるのは鹿之介以来だ…」

 八月一日は刀を鞘に仕舞いながらいった。

 「十傑集の欠番なだけはある…。あのときお前がいたらと思うとぞっとするな…」

 「…あのとき?まさか鬼退治でもしたんじゃあるまいに…」

 「そのまさかだ、どこで道草食ってるかわからないあの赤縞の馬鹿に連れられて、着いた先が鬼の巣だった。今にすれば誰も彼も人外だったな…」

 「赤縞だって?そんな話…いや、僕にはもう関係のないことだ」

 言葉の途中で八月一日は顔を俯かせた。

 「お前に聞きたいことは幾つかあるが…これだけは聞かせろ、どうやってこの世界に渡ってみせた?」

 そういうと八月一日は躊躇いがちに、それでも吐き捨てるように口にした。

 「…この世と産まれ故郷を呪い歌っていたら、この地に流れ着いたのさ。あの里の人間は…鬼は狂っている。人殺しの為に生きているなんて頭がどうにかなりそうだったからね。尤もあの里にとっては僕が狂っていると見做されたけど」

 「世捨ての末に行きついたとでも言いたいのか?」

 「信じる信じないは君の自由だ。ただあのときの僕は尋常ではなかった。自分がどこを歩いていたのかわからず、ただ深い霧の向こうに足を向けた。狂ったように子守唄を口ずさみながら」

 「狂った故に普遍の道から外れた、か…。お釈迦様もさぞ驚いただろうな」

 「諸行無常、されどその理に鬼は当て嵌まらず。不変の道を歩め。かつて鬼の王がいった言葉だ。だが巫はその言葉に背いた。人体実験や諸外国の紛争や戦争に加わり、その名を水面下に轟かせた。あの実験も僕だけは断った」

 「ならお前の寿命は…」

 「そう、僕の命の灯火はいつ萎んでも不思議ではない。わかっていたことだった。そしてそれは彼女も同じだ」

 八月一日は倒れていたクライヴに顔を向けた。その目は実に透き通り、まるで死の淵で悟りを開いた者のようだった。

 「かつて力を求めた余り、手にしてはならない魔性の目に取り込まれ、今もああして半死人のように生きている。『左の悪夢』というゼルア級犯罪者のお陰らしい」

 「左の悪夢…確か意識の間に住んでいる存在で、強大な力を持った目を授けるが、その試練に破れれば身も心も取り込まれると聞いた…。まさか実在するとは…」

 プランジェは思わず喉を鳴らした。

 「正反対なんだよ、僕らは。戦いから逃げるか、挑むか。だから放って置けないんだ、彼女を。彼女が戦場を欲しがるのなら、僕がそれを根こそぎ奪ってやれば良い。この命が尽き果てるまでね」

 そういって刀を抜き放った。その刃は青白く、まるで死相を映しているかのようだった。それは死神の持っている鎌よりも恐ろしく見えた。

 「健気な望みだけど、君に壊せるかい?」

 「恨みを買うのは慣れてるよ。それに俺には関係のない話だ。勝手に野たれ死ね」

 「はははっ、君って最低だね。でもどうしてかな?急に君と戦うのが躊躇って来たよ…」

 「そりゃ良い、さっさと俺も終わらせたいんでね。そろそろ全力で来い」

 「勿論、そうさせて貰うよ」

 言葉の通り、八月一日は刀身に手を掲げて鍔から切っ先にかけて手の平を滑らせた。すると刀は羽衣を覆ったように光に包まれ、濃い赤い光を帯びた刀になった。しかし刃の真ん中は黒い芯があり、どこか不気味な色をしていた。

 『巫流 降魔の利剣 曼殊沙華』

 「彼岸花か…確かに嫌な色だ…」

 紫薇が目を細めている間に八月一日は鞘を投げ捨てた。

 「その流れは俺の勝ちで良いのか?」

 「生憎とここは巌流島じゃない。今の僕には邪魔なのさ…この姿の時はね…」

 紫薇ははっとして鵺義の言葉を思い出した。


 「今の十傑集は寿命を手に入れた代わりに、鬼の力を失った」


 肌は青銅色に成り代わり、髪の毛は黒から白に染まった。虎のような爪を持ち、牛のような角が額から二本飛び出した。ぎらりと目が山吹色に光ると、紫薇はあのときに味わった恐怖が蘇ったのを感じた。

 「サア、始メヨウ…。青鬼ノ力、特ト見ルガ良イ…」

 鬼と化した八月一日は天井に向かって咆えた。その声量は部屋全体を揺るがし、まるでこの世の終わりを示しているかのようだった。


 「よう、随分と面白そうな相手と戦ってんじゃねえか。なあ?絵導」


 紫薇が完全に相手に飲まれているのを弄りにきたかのように赤縞が現れた。

 「赤縞…?お前、今までどこをほっつき歩いてた!」

 「うるせえな、さぼってた訳じゃねえよ。手当てはされたらしいが、体中が糞いてえ。にゃーにゃー鳴いてくれんな」

 紫薇はむっとしたが、自分でも気づかないまま口もとを緩めていた。

 「オ前ハ…赤縞ノ小鬼カ…。ソレモ良イダロウ、二人纏メテ切リ伏セテクレル」

 「今度こそ鬼の首を取んぜ?」

 「足を引っ張るなよ」

 「はっ、てめえがな」



 赤縞は斧を肩で担ぎながら八月一日に向かって走ると、紫薇も同じように向かっていった。いがみ合いながらも二人の速度はまるで息を合わせたかのようにぴったりだった。八月一日はどちらを相手にすれば良いのか数秒迷ったが、腕をぐるりと回して一気に刀を振り回した。

 赤縞は走りながら飛び跳ねて刀を避け、紫薇はその場で体を寝かせてつま先から体全体を床に滑らせた。

 『 「絵導!」 「赤縞!」 』

 二人のかけ声が同時に響いた。二人の体が交差し、その間に立っていた八月一日の体を二人同時に切り裂いた。腹部と背中を同時に切られ、八月一日は声を上げて痛がったがすぐに次の挙動に移った。

 八月一日は腕を交差させて振り払った。その動作は二人が思っていたよりも早く、二人はぎりぎりのところで防御をしたが、八月一日の腕力は二人を吹き飛ばした。その威力は部屋の隅まで体を飛ばし、二人は壁に突っ込んでいった。

 瓦礫となった壁の中からよろよろと赤縞が立ち上がると、反対側に倒れていた紫薇も体を起こした。だが二人の体は今の一撃でその力の殆どを削られてしまっていた。赤縞は両手を項に着けると、ぐっと力を入れて指を肉に食い込ませた。

 紫薇がやっと体勢を立て直したのも束の間、目の前に鬼となった八月一日が降り立った。既に刀は振りかざされ、紫薇は咄嗟に横に飛び退いた。刀の切れ味は壁を障子のように切り裂いてみせ、八月一日は人差し指を紫薇に放った。

 展開した尻尾のお陰で指は紫薇の眼前で止まったが、あろうことか指はめりめりと音を立てて体毛の隙間を掻い潜ろうとしていた。紫薇は人間では味合わない奇妙な痛みに苛まれながらも、持てる力の全てを使ってその指を食い止めた。

 「刀より鋭い指など認めるか…!」

 尻尾の骨が悲鳴を上げていた。指の鋭さを最大限に生かした無力の突きは確実に紫薇の額に近付いていった。

 不意に八月一日の悲鳴が響いた。赤縞の斧が背骨の部分に食らい付いたのだ。赤縞は八月一日が紫薇に気を取られている間に後ろに回り、力の限り斧を振りかざしていた。指が少しだけ引いた隙に紫薇は尾を元に戻しながら後退して難を逃れた。

 痛みに目くじらを立てながら、八月一日は人差し指を拳に変えて今度はそれを赤縞に向けた。正拳を前に赤縞は避けるどころか体を横にすると、息を静かに吸ってその拳に自分の拳骨を向けた。強烈な衝撃が二人の拳の間で破裂した。赤縞は捻れのかかった八月一日の拳を止めてみせたが、不快な音が腕に流れると声を上げてその場に崩れた。八月一日の手は中指が折れ曲がっただけで腕までは損傷していなかった。

 『ノヴェント・キグタリアス(その手は魔女のように)』

 八月一日の胸に向けて紫薇は目一杯の奏力を込めて魔女の手を飛ばした。その力は八月一日の体を大きく後ろに仰け反らせ、胸に大きな傷を着けた。だがその傷も八月一日にとっては浅かったのか、不適な笑みを零して紫薇を見下した。

 「…まだだ」

 紫薇はすっと目を閉じて自らの処女の庭園を導き出した。ぞくりと背中が凍えるのを我慢しながら、紫薇はかつて権兵衛の為に作った墓を思い返した。祖母の目を盗んで権兵衛の遺体を庭に埋めたとき、本で読んだ十字架を木の枝で作った。そして恐いとき、苦しいときにはその十字架を紫薇はいつも思い出して、祖母の虐待から身を守ったのだった。

 『ノヴェント・アーグネルギス(その墓は偶像のように)』

 紫薇の真上には無数の青白い捻れが現れ、その中から十字架の形を取った白い光が現れた。紫薇が手を掲げると、その光は一斉に八月一日に向かって飛び出していった。機関銃を撃ったかのように八月一日の体に十字架が次々と突き刺さり、八月一日は声を上げて痛がったが、その途中で刀を振り払って十字架を砕いていった。

 紫薇は体裁など関係なしに大声を上げて有りっ丈の奏力を撃ち込んだ。刀を振るった八月一日は十字架を切り裂いていたが、その余りの数に少しずつ体に十字架が突き刺さるようになり、最後には振るった刀などまるで追い付かない速度で十字架を受け、その反動で壁に激突して瓦礫に埋もれていった。

 「はあっ、はあっ…!」

 力が抜けたように紫薇は両膝を落とし、上半身が倒れそうになるのを手で抑えた。

 「まだ終わっちゃいねえぞ…」

 「ああ、これで終わるならめっけものだ…」

 二人の予想通り、瓦礫がぱらぱらと落ちると一気に崩れた壁を吹き飛ばして八月一日は立ち上がった。体を真っ赤に塗らしているがその勢いは未だ弱まることはなかった。平然と歩き出し、切っ先を後ろに回して二人に狙いを定めた。

 「…奴に何か弱点はないのか?」

 「ねえよそんなもん。だが野郎が鬼人化したところで体の脆さは人のまんまだ。赤縞と違ってがたいに頼らねえからな。首を飛ばすか、前みたいに心臓を突き立てるしか術はねえ…」

 「結局は今迄と同じか…」

 「後はどっちかが野郎の注意を引いて、その隙にって寸法だが…んな役回りは…」

 『 「お前がやれ」「てめえがやれ」  』

 そういうと二人してやれやれと溜め息を吐いた。

 「(…何であの二人ってあれで友達やってるのかしら?)」

 クレシェントにはさっぱりわからなかった。

 「(あれぞ漢の友情か…良いものだ…)」

 プランジェにはしっかりわかった。

 赤縞と紫薇は武器を握り締めると二人揃って顔を上げ、八月一日に向けて走り出した。どちらが囮など決めなくても二人はお互いを踏ん付け合おうとしているのはわかっていた。だが逆にその張り合いが返って二人の息を合わせていた。

 八月一日が引っ下げていた刀を切り上げると刃が宙を切った。二人は走っていた道を途中で分け、同じ動きをして八月一日の左右に回っていった。二人は同じことを考えている。ならばその逆をしてやれば良いだけの話だった。

 二人は瓦礫の上に乗って床を蹴飛ばし、体を交差させながら八月一日の脇の下を切り裂いた。すると八月一日の両腕は下がり、その隙に二人は八月一日の後ろに回り、背中を叩き切った。八月一日は体勢を崩されながらも標的を紫薇に絞り、刀を振り回した。

 尻尾を展開させていたお陰で紫薇は刃に触れることはなかったが、その後に八月一日は尾の重心を見極めて流れるような手付きで紫薇の体を宙に浮かせた。そして紫薇の体を回して尾が伸び切っていない部分を露出させた。

 「その首へし折ってやんよ!」

 その間に赤縞は八月一日の真後ろに回り込み、斧の刃を八月一日の首元に向けていた。狙いは完璧で見事に頚動脈を狙っていた。

 『巫流 漣抜き』

 その時だった。二人は巫の技の冥利を身を持って体感した。まるで時が止まったかのように八月一日の体だけがゆるりと動いて居合いの型を取ると刀は元に戻り、二人の体は一斉に切り刻まれた。刀が振り切られる前に斧が八月一日の肩を抉ったお陰で二人は致命傷にならずに済んだが、体の前身から大量の血を噴き出した。

 二人は同時に床に倒れ込み、ごろりと転がって受けた刀傷に苦しんだ。八月一日は標的を紫薇から赤縞に変えると、横になっている赤縞の体を蹴り飛ばし、大の字に寝かせると刀の切っ先を赤縞の喉に向けた。思わず赤縞は斧に手を伸ばすが痛みで目を晦ませ、伸ばした手を止めてしまった。

 『ノヴェント・キグタリアス(その手は魔女のように)』

 体を横にしたまま紫薇は魔女の指を八月一日の顔面に放っていた。八月一日の眼前に白い光が通り過ぎると、顔の中心に深い傷が生じて鮮血が舞った。これには堪らず

八月一日は降り下げていた刀を止め、顔を抑えて悲鳴を上げながら仰け反った。

 「ハァ…ハァ…。流石に今のは…ビビったぜ…」

 赤縞は血と安堵の息を吐いた。

 「うっ…!」

 激痛が紫薇の体のあちこちを襲った。

 「強がってみせても限界が近いか…」

 床に刃を突きたてながら立ち上がると、それに続いて赤縞も腰を上げた。

 「…ちっ、もうこっちも余裕がねえ。絵導、囮になってやるから次で決めろ」

 「なんだ?珍しく弱気…」

 そういいかけた途端、紫薇はじわりと赤味がかかった赤縞の胸元に目がいった。

 「お前、心臓を…」

 「傷めちゃいねえよ。だがかなり近いところをやられてる」

 傷が痛むのか手で胸を抑えていた。

 「…赤縞」

 「あ?」

 「一分で良い、その間に目にもの見せてやる」

 「…飛車角落ちは勘弁しろよ?」

 赤縞は斧を肩に乗っけると体全体に力を込め、紫薇は目を閉じて再び処女の庭園に目を向けた。

 顔の痛みになれた八月一日が赤縞に顔を向ける。すると二人の思惑を感じ取ったのか目を細めた。

 「来いよ、桃太郎様のお出ましだ」

 人差し指を曲げて挑発をすると八月一日は鼻で笑ってみせ、その場所から一気に赤縞との距離を縮めた。宙を滑空しながら刀を振りかざす。赤縞は標的を八月一日の体から刀に向け、斧を振り回した。刃と刃が触れ合い、お互いの刃が光った。

 「腕っ節なら負けねえんだよ!」

 赤縞の体内で爆発させた力は八月一日のそれとは別格だった。小手先の技術も妙技も今は必要ない。赤縞は力の限り斧を押し出して八月一日の体を突き飛ばした。そして赤縞は宙に浮かぶ八月一日を追いかけた。

 空中に身を投げ出されても八月一日は至って冷静だった。鬼の形相を浮かべながら向かってくる赤縞に狙いを定めると懐に手を伸ばし、隠して置いた暗器を投げた。

 「…手裏剣!?くないか!」

 宙に閃いた鈍色の小さな短刀に赤縞は足を止められた。体を止め、斧の刃に身を隠すと四度金属音が鳴った。八月一日はその間に床に降り立って体勢を立て直すと、刀を腰の辺りに下げ両手で柄を握り、ぴったりと腰に貼り付けた。すると刀を覆っていた光は消え去り、もとの日本刀に戻っていった。

 「(あの構え…ババァの言っていた妙技か…!)」

 赤縞は八月一日の奇妙な構えを見るや否やじりりと足を床に着け、持ち手を握り直して横に構えていた斧をまっすぐ八月一日に向け、切っ先と切っ先を合わせた。両者揃って相手の切っ先に意識を集中している。

 八月一日が動いた。腰に刀を貼り付けたまま足を動かして瞬時に赤縞との距離を詰める。その間、赤縞はじっと動かないでいた。

 二人の間合いが一尺になった途端、八月一日は抑え付けていた力を解き放つように刀を突き出した。

 『巫流 一尺の極み』

 空を切りながら八月一日の刀が赤縞に向けられる。対して刀に切っ先を向けていた斧は赤縞の身代わりとなって先端から真っ二つに裂かれていった。その刀の切れ味たるや数ある妖刀や名刀など跳ね除けるようだった。

 「(…俺の二代目を!)」

 赤縞の心の叫びが響いた。しかし刀は突如としてぴたりと止まった。切っ先は赤縞の体を確かに貫いている。刀身は左胸の下に食い込んでいたが、赤縞の手はがっしりと刀を捕まえていた。

 「…絵導ぉぉっ!」

 歯を血で汚しながら赤縞が声を上げた後だった。瞬く間に辺りの空間は青白い光の世界へと移り変わった。逃げ場など一切与えない無数の十字架が宙に張り巡らされ、八月一日にその切っ先を向けた。

 「…上出来だ」

 紫薇は身も心もやつれたような感覚に苛まれながらも狙いを八月一日だけに向け、口角を緩ませる赤縞と同じ口の動きをした。 

 『 「くたばりやがれ」 』

 八月一日は無意識に刀から手を離し、逃げ場所を探したがそんな場所はどこにも見当たらなかった。一時の無音が流れた後、掲げられた十字架は一斉に八月一日のもとに集った。あらゆる場所から光が荒れ狂い、それを操っている紫薇ですら半ば混乱しながら奏力を向けた。

 そこに八月一日の影はなかった。残ったのは光の十字架が無造作に突き刺さり、積もり積もって出来上がった丸い光の墓場だった。その形は偶然にも卵のようにも見て取れた。

 「うっ…!」

 咽ながら赤縞は体に刺さった刀を抜き放つと床に寝転がった。

 「ババァの講釈がなかったら死んでたな…」

 脇の下にあるつぼを指で押すと出血は次第に収まっていった。

 「…無事か?赤縞」

 病んだ顔をしながら紫薇は赤縞に手を差し伸ばした。無意識に差し伸ばした手の意味を疲れた紫薇は自分でもわかっていなかった。

 「お前も人の心配が出来るようになったんだな」

 「…いらないなら自分の足で起き上がれ」

 紫薇はむすっとした顔をした。

 「いらねえよ、てめえの助けなんざ」

 赤縞は自分の足で立ち上がってみせると、紫薇の顔を見て鼻で笑ってみせた。

 「勝手にしろ」

 不機嫌そうな顔をして一足先に紫薇がその場に背中を向けた時だった。二人の耳に獣のような唸り声が耳打ちしてきた。卵の中から手負いの鬼が孵ったのだ。既に手には降魔の利剣が握られ、その刃先は遅れて歩いた赤縞に向けられていた。

 紫薇は刀が振り下ろされる前に赤縞を突き飛ばし、もう片方の手で握っていた剣を振り放った。肉を裂いた感触が刃を通して紫薇に伝わる。だがその感触は赤縞に触れたせいで弱い反発に限ってしまった。そのせいで八月一日は怯んだだけで倒れはしなかった。

 しかし紫薇はその好機を逃さなかった。八月一日の心臓に狙いを付け、胸の窪みに目がけて剣の切っ先を突き立てた。その時の八月一日の絶叫はこの世の終わりのようで、紫薇の鼓膜をびりびりと刺激した。

 「あ…あ…」

 刺された衝撃に八月一日は体を震わせると、紫薇の体を剣ごと突き飛ばした。胸に開いた穴から大量の血が噴き出し、八月一日は二、三歩後退して膝を落とした。心臓からの出血は瞬く間に血の池を作ったが、八月一日が胸をぐっと締め付けるとその溢れていた血は体の中に戻っていった。その代わりに八月一日の体に起こっていた人外の変化は元に戻り、深い傷の殆どを埋めていった。

 「まだあんな力を残しているのか…」

 「いや、鬼人化を自分で解いたんだ。傷を治す為にな。もう野郎は動けねえよ…」

 赤縞のいった通り、八月一日は自力で立ち上がるのも困難だった。上半身を起こすだけで精一杯で、しきりに手を震わせている。

 「まさか僕がここまで追い込まれるなんて…。鬼退治、本当にやってみせるとは恐れいったよ…」

 「…お前には悪いがこっちも体を張ってるんだ。出来ればもう向かって来ないで欲しいもんだが…」

 「…いや、僕の完敗だ。好きにするが良いさ、もう止めやしないよ。ただね…」

 八月一日がそういいかけた途端、足音が階段から鳴り響いた。

 「…まだ最後の砦が残っている。それは無情で無機質で、いと恐るべき存在」

 その場にいた全員の視線がその足音に向けられた。

 「王宮守護兵団総隊長、ツヴァイベル・レギスチオン…。王の片翼だ…」

 濡羽色の髪を携えたその男の顔はランドリアの顔に似ていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る