21話 青鬼と赤鬼

 月光に打たれながら銀色の髪の原罪人は空を見上げていた。夜空にくっきりと現れている青い月をじっと見詰めながら。その顔はどこか悲しげで、また締め付けられるような憂いを帯びていた。

 「クレシェント様」

 瓦礫の上に座っているとプランジェが何かいいたそうな顔をして傍に立っていた。

 「…別にね、あの人を許した訳じゃないわ」

 顔を見上げたままクレシェントは話を続けた。

 「私の恨みや憎しみは収まらない。収まってしまえば私が殺してしまった人たちに申し訳が立たないから。でもね…少しだけあの人の気持ちもわかった気がするの」

 そういって瓦礫の上に積もっていた砂を手で集めた。

 「あの人も必死になって自分の罪を滅ぼそうとしていた。私がそうしているように、あの人も同じだったのね。まるであの人の贖罪を受け継いでしまったみたい」

 さらさらと手から砂を零しながらいった。

 「『招かれざるエベンス・ペトラ』…それがデラの求めていたもの…」

 クレシェントはそう口ずさむと静かに立ち上がった。

 「プランジェ」

 「はい」

 「私、決めたわ。貴女には悪いかも知れないけど、そんなものがあるから悲劇が繰り返される。本当に誰かを蘇らせることが出来たとしても、私は生きて自分の罪を償い続ける。だからもし神の扉を求める人がいたら、私はその人を止める。きっとそれが私に与えられた責務だと思うから」

 そしてまっすぐにプランジェを見詰めた。するとプランジェは口許を少しだけ緩ませるとその場に跪いて頭を下げた。

 「それが貴女の決めたことならば、私は全霊を持って貴女の望みを叶えましょう。例えそれが茨の道であったとしても、私はどこまでも貴女に従います。だからクレシェント様、私に構わずに貴女の意思を貫いて下さい」

 「ありがとう、プランジェ…」

 クレシェントは安心した様に笑ってみせるとプランジェも同じようにして笑みを見せた。

 その様子をデラは隠れるようにして眺めると、自分の手の平を見詰めてぐっと握り締めた。そして唇を噛みながら苦い顔をして自らの罪を後悔した。


 暫く経った後、クレシェントとプランジェはデラの元にいって挨拶をしてから元の世界に戻ろうとしていた。瓦礫の上から降りて辺りを散策すると、デラの方から二人に近付いていった。

 「帰るのかい?」

 「はい、聞きたいことも聞けましたから」

 しかしいざ顔を合わせると、クレシェントもデラもどんな顔をして良いかわからなくなってしまったようで、目線を下にしながら黙ってしまった。

 「また…ここに来ても良いですか?」

 その言葉が意外だったのかデラは驚いた顔をするも、どこか嬉しそうだった。

 「今度は…お茶でも用意しよう。美味しい、お菓子もあるんだ」

 「…はい」

 クレシェントは躊躇いがちに返事をした。

 別れを告げてクレシェントとプランジェがその場から去ろうとした時だった。デラとクレシェントはこの場所にやって来た気配を逸早く感じ取った。その中にクレシェントは以前に慣れ親しんだ懐かしい匂いを感じた。

 「…マルテアリス?」

 「何だって?」

 その言葉に驚いたデラを他所に、三人を取り囲むようにして無数の泡が現れた。泡は拳程の大きさもあれば人がすっぽり入ってしまう程のものもあって、その一つ一つに強大な奏力が込められていた。

 「壊乱の魔姫、そして吸殲鬼」

 暗闇の中から現れたのは薄いオレンジ色の髪の毛を揺らした一人の女だった。裾の長い白いパンツに胸元がざっくり開いたベスト、透明感のある薄いブラウスに身を包んでいた。その隣には青いローブを羽織ったすらりとした背の高い男が立っている。二人はゆっくりとクレシェント達に近付いてその姿をまじまじと見せた。

 「マルテアリス…じゃない?」

 クレシェントは自分の思っていた人物と顔が似ているだけで、違う人物だと知ると改めてその二人に目を見張った。

 「『調律協会:フィルバース』の名に於いてあなた達の身柄を拘束します」

 その時だった。城の天井からランドリアが鎌を引っさげてその二人に迫った。その気配を感じ取るとローブの男は動こうとしたが、

 「良いわ、私がやる」

 オレンジ色の髪の女性が引き止め、ランドリアに向けて手をかざした。するとデラとクレシェントのそれぞれ体に埋め込まれている妖精のかけらが疼き出し、熱を感じ取ると驚いてその女性を見た。

 金糸雀色の石がその女性の両掌に埋め込まれていた。目の形をしたそれはあらゆるものを監視するような風格だった。その妖精のかけらが光るとランドリアの体は煙のようにその場から消えてしまった。

 「安心して良いわ。彼、別に死んだ訳じゃないから。姿は見えなくてもこの場所にいることは確かよ。ただ別の世界に閉じ込めてはいるけど」

 「身柄を拘束するとはどういうことだ?」

 この事態を目にしても眉一つ動かさずにデラはいった。

 「本来ならあなた達を拿捕するのが我々協会の責務だけれど、実は折り入ってお願いがあるのよ。お話だけも聞いて頂けるかしら?」

 「会長、その要件は僕からお話しましょう」

 その男が頭に被っていたフードを肌蹴させると、クレシェントは驚いた。自分の知っていた人物と瓜二つで、違うところといえば目がやんわりとしていたことだった。体の作りも細身ですらっとしていたのも同じだった。

 「貴方は…」

 「僕の名前はリカリス・オフュートと言います。貴女ですね、兄さんの言っていた女性というのは」

 「兄さん?」

 「貴女が良く知っているマルテアリスは、僕の兄なんです。貴女のことは兄さんから聞かされていました。お会い出来て光栄です」

 「は、はあ…」

 クレシェントはマルテアリスと顔が同じでも、こうも性格が違うのかと戸惑ってしまっていた。

 「リカリス、その話は後でなさい」

 「大丈夫ですよ、もう終わりましたから」

 リカリスがそういうとばつの悪そうな顔をした。

 「…兎に角、話を続けるわ。先ずデラ・カルバンス、あなたはキジュベドという男を知っているわね?彼は今どこにいるのかしら?」

 「さてね、私の知った所ではない」

 「隠すと身の為にならないわよ?」

 「致命傷を与えたが殺し損ねた。愛想を尽かされて逃げられたのでね。どこぞで野たれ死んだか、或いは息を潜めて暮らしているか…。皆目検討も付かないな」

 「…無駄足だったか」舌打ちをして悔しがった。

 「何故キジュベドを追っている?」

 「その話をする前に、あなた達二人には極秘裏に調査の協力をして貰う必要があるわ。世界は今、一触即発の事態に陥っているのだから」

 「…虹拱結社か」

 デラは目を細めていった。

 「何ですか?それ」

 「言ってみれば政治運動の団体のようなものです、クレシェント様。元は一人の芸術家が始めた運動が切欠となり、やがてその人物が祭り上げられると一国家を揺るがすほどに成長したと聞きます。ですが確かその主導者は協会の手によって拿捕され、処刑されてからは大規模な活動を行っていない筈ですが…」

 「その虹拱結社が再び活動を再開し始めたのです。その影で動いているとされるのがキジュベド・デウロ・ラ・カーミラ。詳しいことはまだ何もわかっていません。その名前だけが頼りなのです」

 「噂では虹拱結社にゼルア級が関わっているとか…。もしそれが本当だとすれば一刻の猶予も許されない。でもあなた達が協力をしてくれるのなら、その存在自体が抑止力になる。たった一人で世界を揺るがすほどの力を持ったゼルア級なら」

 「毒を以って毒を制す、か…。合理的だが気に入らないな」

 「断ればあなたをこの場で罰しなければならないわ。一人なら兎も角、残りの二人を庇ったまま私を相手に出来るかしら?それにこちらには妖精のかけらもあるわ。履き違えないで、これは司法からの命令なのよ」

 「…私は無駄な争いが好きではないのでね。まずは話だけでも聞こうか」

 「殊勝ね。少しばかり反抗的なのが残念だけど。それとあなたはどうなのかしら?壊乱の魔姫、クレシェント・テテノワール。色好い返事を期待しているのだけれど、まさか協力してくれるわね?あれだけの犠牲者を出したのだから」

 「貴様…」

 眉間にしわを寄せてプランジェは短刀に手を伸ばした。しかしその手をそっとクレシェントは止めると、意外にも落ち着いた表情でその女性を見た。

 「私に出来ることなら協力をするつもりです」

 「…少し驚いたわ。あなたも吸殲鬼のように反抗的な態度を取るのかと思ったのだけれど…。話が通じる相手で良かったわ」

 「でも一つだけお願いがあります」

 「何?」

 「私を…私とその人を忌み名で呼ぶのは止めて…」

 静かだが、鋭い怒りを漲らせながらクレシェントはその女に目を向けた。赤い目が今以上に濃い色を映してぴったりとその女性の姿を逃さない。余りの威圧感にその女は思わず後ずさってしまった。

 「口は利けても所詮はゼルア級ね…。でもわかったわ、次から気を付けましょう。私もあなた達を怒らせるのは本意ではないから。…では話が纏まったところで引き上げね、リカリス」

 「はい」

 そういってリカリスは長細い杖を自らの庭園から具現化させると、床に向けて一突きした。すると辺りに漂っていた泡々は一斉に弾けていった。

 「ああそうそう、あなたの従者を元に戻さないとね」

 「いや、その必要はない。そろそろか…」

 突如としてランドリアが消えた場所に亀裂が生じた。何もない空間にまるで爪で引き裂いたかのような痕が生じると、その中からランドリアの姿が現れた。しかしその全貌は空間の裂け目で見て取れなかったが、まるでランドリアの体自体が薔薇色に染まったかのような格好をしていた。両腕に描かれた刺青が真っ黒に光ると元の姿に戻り、その裂け目を通ってデラの元に帰ってきた。

 その光景にデラを除いた誰もが度肝を抜かれた。

 「妖精のかけらだけがこの世界に蔓延る超越力だとは思わないことだ。至る所に扉はあり、いつ我々がその中に眠っている力を手にするかわからないのだからな」

 「まるで自分が妖精のような物言いね」

 「お互い身を委ねているものはその力の一部だろう?グリエール、いや…調律協会フィルバース会長、レヴィス・グリエール・ラムナス殿」

 「…追って指示は出すわ。それまで大人しくしていることね」

 面白くなさそうな顔をすると、背中を向けて去っていった。リカリスはクレシェントに向かって一礼するとそそくさとレヴィスを追いかけていった。

 二人が居なくなるとクレシェントはほっと溜め息を吐いて安堵した。すると何やらデラにじっと見られていることに気が付いた。

 「どうか…しましたか?」

 「いや、まさか君があんなことを言うなんて思ってもみなかった。それに…私のこよなど放って置いてくれても良かったのにな…」

 「でもそれは…」

 貴方の罪を私も引き継いでしまったからと、クレシェントがいい終える前にデラはありがとうといって少しだけ笑ってみせた。何故かクレシェントはそれが嬉しくて自分もほんの少しだけはにかんでみせた。

 「それにしても君があのマルテアリスと関係を持っていたとは驚いたな。剣術のいろはなど誰に教わったのかと思っていたが、そういうことだったのか」

 「あ、でももう彼とは…」

 クレシェントは恥ずかしそうに顔を俯けた。

 「いや、良いんだ。余計なことを聞いてしまったね。さあ、もう帰りなさい。きっとあの子も君の帰りが遅いと心配するだろうから」

 「紫薇ですか?多分、それはないと思います」

 「うんうん。あやつならもう帰って来なくても良いなどと平然と言ってのけるぞ」

 「…てっきり私は彼が良心的な人間だと思っていたのだが」

 そういうと二人は嫌らしげに首を横に振った。

 「しかし遅くなればなったでまた愚痴を言われる始末。クレシェント様、少しでも気分を害さない為にも今日は帰りましょう。きっと今頃の時間帯ならば寝っ転がっている頃です」

 「そうね、機嫌が良いときに帰らなきゃ。という訳で失礼します」

 「あ、ああ…」  

 クレシェントはその場でレミアの鍵を取り出すと宙に向けて鍵を開けた。真っ赤な色をした扉が現れ、いざ二人がその中に入ろうとすると、

 「待って!」

 幼い声が二人の足を呼び止めた。その声に導かれるまま二人は顔を向けると、そこには意外な人物が立っていた。



 雲が鳴かぬ間に電光が一つ、また一つ。やれ踊れといわぬばかりにあちらこちらに刃が重なり合って火花が立った。鬼退治に繰り出した二人の若人は仕切りに精を出すものの、いとも容易くいなされ額に汗を腕に痺れを携えてしまっていた。

 「呆けるには未だ早いぞ小童ども。鬼を退治しに来たのではないのかえ?」

 かんらかんらと笑い出して上機嫌だったが、対峙していた紫薇の体は既に血塗れで青ざめてしまっていた。

 「余所見してんじゃねえ糞ババァ!」

 巫の若君の背後に回り込み、赤縞は背中に向けて斧を振るった。斧の刃は僅かに巫の若君の背中を切り裂いたが、傷の深みは一センチにも届かなかった。刃が触れる直前に巫の若君がぽんと前に跳んだ為だった。

 「良いぞ、僅かに動きが良うなって来たではないか」

 ゆっくりと体を回して刀の切っ先を赤縞に向けると、赤縞は慌てて後ろに何度も下がった。まるで子供の鬼事のように楽しそうに緩やかに赤縞を追いかけていく。しかし赤縞は避けるのに必死になって足をばたつかせていた。

 「ほれほれ、どうした?後がないぞ」

 「嘗め腐りやがって…糞がっ!」

 途中で斧を反転させて刃を地面に突き刺し、つっかえ棒にして迫り来る刀に近付いた。その際に切っ先は頬を掠めてぱっくりと割れたが、赤縞は気にも留めずに前進し、首に力を入れて巫の若君の脳天に頭突きを入れた。

 鈍い音が二人の間に生じる。

 「莫迦は頭が硬いというが、正にそれじゃな」

 額から血を流したのは巫の若君だった。だが何故か赤縞の顔は苦渋に満ちている。血は巫の若君のものではなく、赤縞のものだった。鼻先を伝わり、上唇に垂れると舌をべろりと出して赤縞の血を味わった。

 「どうした勇璃?理之介の時に見せた勢いが足らぬぞ。それとも血を流し過ぎたか?ん?」

 「がっ…」

 ぐらりと頭を揺らして赤縞は上半身を倒した。

 「火照ぬというならお前にくれてやった血、一滴も残さずに啜ってくれよう」

 そういって牙を見せると赤縞に手を伸ばした。

 『ノヴェント・キグタリアス(その手は魔女の様で)』

 その隙を紫薇は狙った。射程範囲は赤縞のつま先すれすれだった。にも関わらず紫薇は何の躊躇もなしに刃から概念を撃ち放った。余裕など微塵もない。あっけらかんとしていても、その奥底には確かな殺気を紫薇は若君から感じ取っていた。

 「面妖な力じゃの」

 巫の若君は刃を横に向けて紫薇の概念を受け止め、その鋭さで真っ二つに切り払った。白い光は巫の若君の目の前で眩む。紫薇はその時を狙って膝に力を込めた。その動作を肌で感じ取っていたのか、巫の若君はにたりと口許を緩ませ、待っていたかのように光が収まると、視界に飛び込んできた紫薇を迎えた。

 持てる腕力の全てを出し切り、最速の太刀筋で紫薇は剣を振るった。それでも巫の若君には届かず、直前で受け止められてしまう。それどころか切っ先を曲げて剣を明後日の方向に滑らせようとしている。紫薇は咄嗟に刃を刀の柄に向けた。剣の刃は流れ、柄にくっきりと食い込み鍔迫り合いを始めた。

 「赤縞っ!」

 刃と刃が重なり合うと、紫薇は即座に片方の手を若君の肩に向け、肉ごと掴むとがっちりと体を押え付けた。その瞬間、若君の胸元から刃が背中から飛び出た。赤縞が体を起して斧を巫の若君に突き立てたのだ。だが斧の切っ先は紫薇の二の腕をも裂いてしまっていた。

 「くたばりやがれ…」

 赤縞は更に斧を押し込める。切り裂かれた胸元からはどくどくと血が流れ、どう見ても命を絶ったように思われた。事実、若君の体は痙攣している。二人はやっと終わったと安堵した。

 「心臓を貫かれたのは初めてじゃわ」

 二人ははっとして巫の若君から離れようとしたが、時既に若君の両手は二人の重心を掴んでいた。へその下辺りに手の平を置かれ、二人は凍り付いた。

 『巫流 達磨捻り』

 巫の若君が手を回転させると、それに引き寄せられるかのように二人の体は天地逆転し、宙に持ち上げられると背中から地面に向けて叩き付けられた。体全体が圧迫され、息をするのもままならないまま二人はその場に転がり回った。

 「決死の覚悟とは言ったものじゃが…それではこの鵺義の首は取れぬぞ」

 鵺義は背中に手を回し、痛みなど感じていないかのように斧を簡単に引き抜いた。風穴から出血しながらも、平然と斧を赤縞の傍に投げる。

 「人間の急所と同じに見て貰ってはこの巫 巌流丸 鵺義、鬼とは呼べぬわ。この体から心の臓を取り出さぬか、首を刎ねなければ我を殺せぬと思え」

 「この…バケモンが…」

 赤縞は血まみれの斧を地面に突き刺して必死に立ち上がっても、信じられない事実を付き付けられ、目の光が僅かに弱まっていた。同じように全身を鞭打った痛みに耐えながら紫薇も腰を上げる。しかし赤縞と反してその目はある光を孕ませていた。

 「(本当に…今 受けた傷が何の障害にもならないのか?)」

 紫薇は目を凝らして鵺義の胸元に見入った。乳房の隙間に空いた穴が徐々に閉じていく。避けた筋肉がぴたりぴたりとくっ付いて穴の中にあった心臓を隠した。

 先程と打って変わって今度は鵺義の方から攻撃をしかけた。片手で刀を持ったまま赤縞に駆け寄り、大振りで体の四肢を根元から切り落とそうとしているかのようだった。その猛攻を赤縞は辛うじて裁いて受けいるものの、刀の切っ先が徐々に体を抉っていった。

 じっと紫薇は鵺義の胸元を見詰めている。そうしながら同じ人外の者たちのことを思い返していた。クレシェントにジブラル、どちらもその気になれば単一世界を滅ぼしかねない力を持っている。しかしその二人に共通する点はやはり人体の急所がまともに傷付いたなら、命の危機に陥ってしまうことだった。とすれば攻撃が受動から能動に移ったことも頷けた。

 「ほれ少しは抵抗してみせんか、赤鬼の名が泣くぞ?」

 鵺義は剣戟に加えて爪で顔を引っ掻こうと異様な戦い方で赤縞を攻める。

 「んな…ろっ…!」

 「情けない…。嗚呼、情けない。やはり赤縞の者など娶るべきではなかったかの?

鬼の血を持っていても、所詮は脆弱な農民。成り下がりは成り下がりらしく陽の光に当たらない影にでも居れば良い。そうじゃ、巫こそこの国を守ってきた八百万、全ての人間は皆等しく我らに跪いていれば良い!」

 斧を弾いてから鵺義はがら空きになった赤縞の懐に刀を突き刺す。だが寸での所で赤縞は鹿之介の時に見せた構えを繰り出し、刺される箇所を腹部から肩に移動させた。

 「腕を使い物にならなくさせるるもりかえ?伽の際には優しゅう撫でて貰わぬと我も気が乗らぬわ…」

 「誰がてめえなんざと…!」

 「知っておるぞ、お前…人間の小娘に惚れておろうな?折角、我が与えてやった血を更に薄める気かえ?言ったであろう。人間など下等で貧弱。かつて妖と交わった者もいたようじゃが、やはりそのせいで血は汚れ、力を失った。わかるか?我ら鬼に、人と交わることなどままからぬ!鬼は妖、人は人でなければ安寧など求められぬのよ!勇璃、それが何故わからぬ?もうお前は…」

 その瞬間、赤縞の目の前に刃が飛び込んだ。まるで鵺義の言い分など微塵も気にも留めぬような一刺し。紫薇の剣は再び鬼の心臓を貫いていた。

 「愚かな…効かぬと言ったであろう」

 鵺義は体に剣が突き刺さったまま体を回して紫薇の顔面に手の甲をぶつけた。それでも紫薇は柄から手を離さず、その勢いで剣は鵺義の体から抜き放たれた。先ほどよりもずっと多い血が胸元から零れる。

 「赤縞、手を緩めるな!」

 体勢を立て直すと、即座に紫薇は鵺義に向かって剣を振るった。残った力を全て出し切っての攻撃だった。後のことなど考えず、体を軋ませながら刃を閃かせる。

 「妬けになったか小童!?まだ我との力の差がわからぬというのなら、特とその身に刻み付けてやる!」

 「心臓を貫かれて平気な者などいるものか!赤縞、全ての力を出し切れ!この化け物を沈めるには今だけだぞ!」

 紫薇は下払いから上に切り上げ、その太刀筋を鵺義は上半身を仰け反って避けた。頬にすらりと刃創が生じ、紫薇は憶測を確信に変えて更に仕掛かけた。鵺義は体をいなしながら柄をくるりと回し、弧を描いて内側に刃を振り回した。紫薇は上げたままの剣先を鵺義の体ではなく、振り回された刀に向けて落としながら刃を受け止め、片腕でしかも力が半減している今を狙って思い切り刀を外側に押し出し、その反発力で鵺義の体を切り付けた。剣は擦れ擦れで避けられ、代わりに帯の紐がぷっつりと切れて地面に落ちた。紫薇は隙を逃すまいと、更にもう一歩踏み込んでいった。

 「どんな力を持っていても、その形が生物を取っているのなら急所は必ずある!その証拠に二度目はいとも簡単に貫かれ、今正に形勢は傾き始めている!出し惜しむな、一気に巻き返すぞ!」

 剣を振るう速度を更に上げ、持てる力を駆使して鵺義に向かった。赤縞もその背水の陣の如き紫薇の特攻に負けじと斧を握って駆け出した。

 「小癪な童よの…!我の心を読むとはな!」

 「前例があっての推測だ。でなければこんな無謀なことなどするものか」

 「くくっ…良いぞ良いぞ…。だが未だここに届いておらぬわ!」

 瀑布のような紫薇の連続攻撃を一目にして読み切り、丁度剣が体から離れた時を狙って横一線に切った。

 「ぬっ、この手応えは…!」

 紫薇の胸部を半分だけ切り裂いたが、後の半分は尾を伸ばされて防がれていた。切ったのも致命傷には届かず、人差し指の半分だけ筋肉を断っただけだった。

 紫薇は体を後ずさりしながらも刃に奏力を纏わせ、一振りの内にその概念を撃ち出した。

 鵺義はその概念を見るや否や、刀で弾こうと手に力を込めたが、その直後に背後に強烈な殺気を感じ取った。首を向ければそこに赤縞の姿があり、既に斧を振り上げた後だった。肩の傷など構いなしに押し迫る。

 逃げ道がないことを鵺義は悟ると、背中に傷をくれてやり、唇を噛んでその痛みに耐えると、握っていた刀で紫薇の概念を受け止めた。そして刀から片手を離し、その手で赤縞の首根っこを掴むと、赤縞の体をその概念に近付けた。

 赤縞は反射的に斧の表面を自分の心臓に押し付け、概念から身を守ったが、余りの強烈さに刃は悲鳴を上げてばらばらに砕け散り、それでも尚その勢いは収まらずに赤縞の体と、体を掴んでいた鵺義の指を包んでいった。

 「許せよ勇璃、これも兵法じゃ…――――な…こ奴っ!?」

 締めていた鵺義の腕を赤縞はぼろぼろになりながらも残り少ない力でがっしりと掴んだ。そしてその間に最後の一撃を加えようと紫薇は全速力で駆け出し、切っ先を下に向けたまま刃の表面を鵺義の胸元に押し付け、残った奏力を剣に込めた。

 『ヴィスタージア・キグタリアス(その声は断罪ように)』

 人の血よりもずっと濃い光が鵺義の目前で強烈に閃いた。光は鬼の体を飲み込み、天に昇って雲を掻き分けながら進んでいった。紫薇は更に体から、心の底から奏力を繰り出そうと躍起になって力を入れた。

 とその時だった。突如として紫薇の心臓に電撃が走り、急速に、ものの束ぬ間に紫薇の体はもとの人間の体に戻ってしまい、剣から放たれていた光も萎れてなくなってしまった。

 「しまっ…」

 体全体に痛みと疲労が染み渡り、腰に次いで両腕を地面に落として座り込んでしまった。何より驚いたのは権兵衛が横たわって荒々しい呼吸をしていたことだった。二人の限界はとうの昔に過ぎてしまっていた。だが紫薇は両の足で立ちながらも、がっくりと項垂れる鵺義を見てやっと終わったと安堵した。

 しかしその安心は赤縞の悲鳴によって打ち消された。赤縞の首を掴んでいた指がびくんと動くと、指先が肉に食い込み始め、赤縞が死に物狂いで腕を退かそうとするが、やがて鵺義の指は赤縞の体の中に侵入していった。

 紫薇は辺りの様子を伺ってやっとことの次第を把握した。十傑集はこれだけの怪我を鵺義が負いながらも眉の一つも動かさずに黙って頭を下げている。まるでその程度の損傷は見慣れたものように。そう、これからが始まりだったのだ。

 首を貫いている指の色は血に染まって濡れていたが、いつの間にか皮膚の色は文字通り青ざめて人のそれとは変わっていた。艶のあった日本人特有の濡羽色の髪の毛は魔性を帯びたように真っ白に垂れて流れている。口許からは虎のように鋭い牙が出て、頭からは拳よりも大きい牛の角が生えていた。そして目は闇夜に這いずり回るような濃い山吹色に染まっていた。

 「これが…鬼か…」

 それは御伽草子に描かれていたものをそっくりそのままこの世界に写したようだった。全身が真っ青な体をした鬼。怪力で地獄の監視役に嵌まり、罪を犯した人間を罰し、時にその体を一飲みにしてしまう正真正銘の化け物。いつしか雲は雷鳴を呼び、辺りの木の葉は震え上がりながら音を立てていた。

 「この姿になったのは実に百年ぶりじゃ…」

 空気が重いと紫薇は感じた。威圧感だけなら魔姫やあのデラ・カルバンス以上だと紫薇は思いながら、取り敢えずその目を見てみることにした。そして紫薇はお互いの戦力差を見て笑ってしまい、がっくりと肩を落とした。

 「ここまでか…」

 「先ずは小童、お主から片付けてくれるわ…」

 既に手には降魔の利剣が握られ、その形は十傑集が繰り出したそれとは違っていた。辛うじて刀に見える光の集まり、触手のように光の線が方々に伸びて宛ら生きているように見えた。その刀を紫薇の目の前で振り上げ、紫薇の存在ごと切り捨てるかのように振り払う。紫薇はその威圧感に負けて目の前の死を受け入れてしまっていた。

 天界からの裁きにも見える一刀だったが、その断ちは紫薇を切り伏せなかった。しわだらけの指が刃を挟み、受け止めている。いつの間にか老人が紫薇を守るようにして目の前に立っていた。

 「お前は、仁衛門…。何故ここにいる?」

 「知れたこと、この争いを止めに参った次第」

 「非はそちらにあると思うが?それに十傑集の一人が行方知れず…。どこぞで野垂れ死んだか、それとも鬼に食われたか…」

 「それには心配に及ばない」

 そういって鵺義は目線を右に向けると、そこには鼠之介が頭を下げていた。

 「ふん、準備の良いことだ…」

 「これ以上は双方に取って痛手にしかならぬであろう。どうか武器を収められい。それとも…本気で赤縞との戦をお望みか?」

 その言葉の後に仁衛門の目は鵺義と同じように山吹色に輝いた。しかしその目を見ても鵺義は口許を緩ませ、望むところだと口にしそうだった。

 「そこまでだ」

 男の声がどこからか聞こえると、十傑集の面々は即座に顔を見上げた。

 「お館様!」

 声の正体は四十代ほどの男だった。顎と口もとに髭を伸ばし、上半身のはだけた着物を着ている。頭髪の殆どを剃り、後頭部には時代錯誤を思わせる髷が付いていた。

 「三十年振りか、仁衛門…。老いたな」

 「お前はあの頃から変わらないな、龍義」

 仁衛門がそういうと龍義は鼻で笑ってみせた。

 「鵺、刀を下ろせ。大将が出て来たところでお前に勝ち目はない。そやつが鬼にでもなってみろ、わし以外は生き残れぬと思え」

 「此度の騒ぎ…赤縞の者が引き起こしたとしてもですか?」

 「二度は言わぬ」

 そういって龍義は背中を向けて大社の中に入っていった。その後ろ姿を見ると、鵺義は口惜しそうに歯軋りを立てて刀を手もとから消滅させ、掴んでいた赤縞の体を床に置いた。と同時に青鬼と化していた姿をもとの人間の姿に戻していった。

 こうして古の時代を感じさせる両家の激闘は幕を閉じたのだった。

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