18話 鬼の里

 芽吹町から夜香街で乗り換え、そこから寝台列車に乗って約四時間。更に各駅停車の電車に乗って一時間ほど揺られると、辺り一面の景色は山の表面に切り替わった。まるで谷の中を電車が走っているようで、紫薇は朝焼けを見ながら来たこともない秘境に寝ることを忘れていた。

 「この辺りは、昔は海だったらしいな」

 赤縞は窓を一瞥していった。朝日が差し込んで起きたのだ。

 「そうなのか?」

 「何でも鬼が海を切り開いて作ったのが巫家の始まりらしい。そこに傍にあった山を運び、谷となった集落はやがて磐石な里となった。そっからだ、巫家が忍びの里となり暗躍するようになったのは」

 「そして時は流れ、独自の文化を持った巫家は明治の政府間と秘密裏に協定を結び、アングラながらも一大傭兵部族へと返り咲いた。大戦時から現代に至っては諸外国と提携し、優れた忍、傭兵を生み出す研究を行っている、か…やはり刀から鍬に持ち替えた赤縞家とは雲泥の差だな。良し悪しはわからないが」

 「良くもまあ、俺が言ったことをしっかりと覚えてるもんだな…」

 「それほど出来の良い頭じゃないさ。並以上だとは思ってるが」

 赤縞は鼻で笑うと首を傾げた。

 「お前の好々爺が言っていたんだが、鬼は三つに別れたんだろう?最後の一つはどんな家だったんだ?」

 「光胡屋ひごまのことか?詳しいことは俺も聞かされてねえが、鬼の三家の中で一番最初に滅んじまった家で、何でも桃源郷に住んでいた女人だけの部落だったらしい。占星術に長け、一時は巫家よりも政府と密着していたらしい。光る胡麻を使ってこの国の生末を占ってたって言ってたな。そういや…」

 「何だ?」

 「光胡屋家は滅びても散ってはいない。訳のわからんことをジジィが話してたな。まあ、もう年だしボケたんだろ。最後の一人を看取ったのもジジィだしな」

 「しかし問題は巫家だ。赤縞、赤い目を持った鬼はいないんだな?」

 「その話題に拘るなてめえも…。言っただろ、鬼の目は山吹色にしかならねえんだよ。赤い目の鬼はいねえ。賭けても良い」

 「なら何で巫家の連中は目が赤いんだ?それも片目だけ」

 「さあな。ただ…お前に話した通り、巫家は優れた忍、いや傭兵を作る為に鬼の血を海外の研究施設に提供していた時期があるらしい。それが行われ始めたのがちょうど二十年前だ」

 「それまで赤い目が発現しなかったとなると、その研究施設が関連していそうだ」

 紫薇は何故か海外の研究施設ということに引っかかりを感じていた。どこかでその話題に関係するものを目にした気がする。そんな気がしてなからなかった。

 「その話を聞いたのが、巫家の若君だったと」

 「ああ、あのババァに婿養子に来いと言われたときだったな。聞いてもいねえことをべらべらと饒舌に語ってたよ。それにしてもまだ小学生の餓鬼にだぜ?青田買いにも程があんだろ」

 「生活文化は戦国時代で止まったままなのかもな。頭の中身が化石になってなきゃ良いが」

 「だが何だってそんな話に食ってかかる?単なる好奇心じゃねえな」

 「お前には関係のない話だよ。というより実際は俺にも関係がないんだが…とするとやっぱり単なる好奇心だな」

 「訳わかんねえ奴だな」

 そうしていると車内アナウンスが流れた。

 「次はー、尼宿あまやどー、尼宿ー」

 「…そういえばお前、母親がいないんだってな」

 「小さい頃に死んだ。後は碌でもない父親がいるが、もう何年も会ってない」

 「…そうか」

 それっきり赤縞は黙ってしまった。紫薇も特に話すこともないので視線を窓に戻した。気付けば車内には自分たちだけしか乗員がいなかった。それだけ田舎なのだろうと思いながら紫薇は窓の景色を見た。幹の太い針葉樹が並び、何か得体の知れないものが潜んでいるかのようだった。

 電車がゆるりと速度を落とし、赤茶けた古い屋根の掘っ立て小屋のような駅で止まった。電子切符のスタンドもなければ、車掌もいない無人の駅。小屋の壁にはぼろぼろの看板に年代物の広告が張ってあった。

 「着いたぞ」

 そういって赤縞は傍に置いてあった木箱を持ち上げると電車の出口に向かった。紫薇もそれに続いて電車を降りていった。

 外は山の中のせいか異様に肌寒かった。紫薇は堪らずジッパーを上に上げて白い息を吐いた。山は木々に満ち溢れている割には人の気配がしなかった。次第に辺りが霧がかっていく。その時だった。矢庭に電車のベルが鳴り響いて、権兵衛が驚いた声を上げた。

 「ああ?お前、何でペットなんざ連れて来たんだよ?」

 「こいつに何度も助けられてるからな。少なくとも戦力の一匹に数えて良い。それにこいつがいれば、あとでお前が驚くようなものを見せてやれるよ」

 「驚くねえ…」

 「そんなことよりさっさと案内しろよ。殴り込んで得るものを得たらとっとと帰りたい。いっそのこと盗んだ宝とやらをその辺にほっぽっとくのはどうだ?」

 「馬鹿かてめえは」

 「だが実際、連中が求めてるのはその宝なんだろう?そいつを餌にしろって言ってるんだ。そうすれば自ずと向こうからやって来るだろ。なら…」

 「その通りだ」

 突如として霧の中から一人の女性が現れた。青銅色の巫女の様な服を着ながらその右目は紅玉の様な色をしていた。美しい濡羽色の髪の毛は櫛で梳いてあるのか滑らかな光を持っていた。

 「てめえは…荊之介だったか…」

 「そやつの言った通り、我等が欲するのはお前が奪った巫の秘宝だけだ。しかし、お前がこの場所に来た際には里に通すように鹿之介から言われている。その手筈なのだが、何故に無関係な人間の童がここに居る?」

 「ただの付き添いだ。居ないものと思ってくれて良い」

 「居ないものだって!?やっぱり赤縞の鬼は信用ならないねェ!」

 どこからともなく声がしたかと思いきや、地面に散らばっていた落ち葉を掻き分けてその場に現れたのは体の小さい、紫薇の半分ほどの背丈しかない猿のような男だった。その男も右目に赤い光を宿している。

 「でも結構いい男じゃん!あたしのタイプかも」

 駅の屋根から声が響く。それから一人の女が飛び降りて姿を現した。荊之介と同じ青銅色の巫女のような服を着ていたが、裾を太ももの辺りで切りそろえて生の足をむき出しにしていた。すらりと伸びた両足の下には歯が高い下駄を履いていて、背丈が高く見えた。この女も同じように右目が赤かった。

 「泥之介も鮎之介も油断はするなよ?こんな場所まで来るなど、普通の者ではなさそうだからな。ま、一番わしが油断しそうだがな!ワハハ!」

 「理之介は…もう少し口数を減らすべきかと…」

 「死之介は手厳しいのう…」

 僧侶の格好をした大男が紫薇たちの後ろから現れると、禿げた頭を叩いて笑い出した。薄く閉じた片目からは赤い光が見え隠れする。そして理之介と呼ばれた男の背中には年端もいかない少年が担がれていた。真っ白い髪に何の装飾もない振袖を着ている。しかしその眼光は鋭く、片目が赤かった。

 「その木箱の中にアタシらの秘宝が入っていると見て良いんですね?」

 「火薬の臭い…庵之介か…!」

 ぷんと花火の臭いが赤縞の鼻を突いた。駅の小屋の側にあった木の淵から細長い鉄の筒が伸びている。火縄銃と呼ばれる古の銃口は赤縞の眉間に狙いが定められていた。細身の体に和服を着崩して着ており、火縄銃の煙とは別に口に咥えたキセルの煙が立ち上っていた。

 「こいつ等が十傑集か…」

 片目に輝く赤い光を見て、紫薇は否応にも壊乱の魔姫の姿を想像してしまっていた。直観的に紫薇は必ず何かが魔姫に関係していると感じた。

 じりじりと鬼が赤縞と紫薇に寄ってくる。自然と二人は背中を合わせていた。霧の中で赤い光が六つ浮かぶ。ポシェットの中ではもぞもぞと権兵衛が動いて紫薇に危険を知らせていた。

 「まあ、そう構えなさんな。何も取って食いやしない」

 ふと理之介がそういうと、他の鬼は足を止めた。

 「本来なら外部の者を里に入れる訳にはいかないんだが、こんな所で捨て置く訳にもいかん。ここいらは野犬が出るでな、お前さんもついて来るといい」

 「理之介!ここでふん縛ってしまえば良いだろう!」

 「荊之介、まずは里に連れてこいとの指示だったろう?鹿之介の言いつけに従わん気か?」

 「ちっ…!」

 焦る顔を横に切ると、荊之介は一人で先に霧の中に消えてしまった。

 「済まんな、先陣 切った鼠之介は茨之介の姉でな。帰りの遅い弟を心配しているばかり、ああも苛立っておるんだ。命はあるんだろう?鼠之介は」

 「ああ、赤嶋の老人が介抱している。手酷い傷は負ってるが…」

 「そうか、そりゃ良かった。もしそうじゃなかったら、今ここで叩き潰してるところだからな。いや、実に良かった」

 温和な口調に反して背中からは尋常でない闘気が溢れていた。紫薇の喉が自然と鳴る。それは理之介の実力を感じ取るには十分だった。

 そうして赤縞と紫薇は十傑集に導かれて山道を歩いていった。霧の中に乱立する樹木がどことなく不気味な空気を醸し出し、お天道が木の葉に紛れて辺りは薄暗かった。人が掘り返した道はあったが一歩でも逸れれば獣道になっていて、文明の香りがしなかった。紫薇は辺りをちらちらと眺めつつ十傑集の全員の顔を見た。やはり誰もが右目に赤い色を宿している。

 「そんなに見詰められては照れちまうな」

 紫薇の視線に気付いたのか、はみかみながら理之介はいった。

 「その赤い目は生まれつきなのか?揃いも揃って同じ目をしているなんて」

 「ああ、この目か?わしらの結束のようなもんさ」

 「理之介、べらべらとくっちゃべるようなことではないぞ」

 紫薇はばれないように舌打ちをして悔しがった。

 山道を歩いていると、その内に水の流れる音が風に乗って聞こえた。ただその音はとても強い流れの音で、霧を抜けた先にその正体がわかった。巨大な滝が空高くから流れ、その場所から霧が生まれ出ていた。その滝の傍には山に囲まれる様にして大きな神社が聳えていた。辺りには背の高い木々が並び、木の葉が舞ってまるでそこだけ時間が止まったかのような錯覚に陥った。そして紫薇はその場所にかつて赤縞の屋敷で感じたものを感じ取っていた。

 「我等の秘境、滝隠れの里だ」

 「ここが…巫家の総本山…」

 滝の傍には何本もの刀や欠けた手裏剣が刺さっていた。どれも長い年月が経ち、表面に苔が付着してかつての面影は残っていなかった。だが紫薇はそれを見るとその場所で行われた時代の音を感じ取れた。幾重もの戦の歴史。血で血を争ったおぞましいものだった。

 神社の前には青い鳥居があってその中を潜ると不思議な気持ちになった。胸の中のむかむかがすっと取れたような感覚だった。鳥居の先には和服を着た数人の人影を見たが気配というものを紫薇は感じなかった。奇妙なことにその里では誰もが般若の面を被っていた。そして頭の先には小さな角を生やしていた。

 「文字通り鬼の里か…」

 入り口は大人が十人ほど縦に並んだ程の大きさで、荊之介が片手で扉の表面を押すと勝手に両側の扉が開いていった。

 「ここから先は靴を脱いどくれ。出来れば裸足が望ましいな」

 紫薇はそのことに深い絶望を覚えたが、周りの人間がいそいそと草履や足袋を脱ぎ始めると渋々それに習って靴下を脱いだ。

 ひたひたと肌を通して木の板の表面が伝わるのが気持ち悪いと紫薇は思いながら神社の中を歩いていった。だがその嫌悪感も壁に並べられた般若の面を眺めれば少しはましになった。一定の間隔で並んだ面は何かを訴えているかのようだった。

 途中で右に曲がり道なりに歩いて着いたのは道場の一室を刳り貫いたような外の空間だった。地面に白い線で区切りが付けられ、辺りは岩によって囲まれていた。その真ん中の岩に腰をかけていたのは一人の青年だった。黒ぶち眼鏡をかけて和服をだらしなく着ている。その青年は一行を見るとへらへらと笑った。だがその右目はやはり血に染まっていた。

 「ご苦労さん。ひと月振りですなあ、赤縞の若君」

 「鹿之介か…」

 「そちらの御仁は?」

 紫薇に気が付くと会釈した。

 「ただの付き添いだ。気にかける程のことでもねえ」

 「ほうですか。では単刀直入に伺いましょ。刀は…持ってはりますか?若君」

 その言葉と共にその場にいた十傑集の視線が赤縞に集まった。次いで紫薇も赤縞に顔を向ける。木箱の中に入っているものがそうなのかと紫薇は思った。しかし赤縞が口にしたのは全員の予想を裏切るものだった。

 「そんなモン持って来てる訳ねえだろ」

 一番初めに動いたのは荊之介だった。右手を赤縞の首元に向けようとしていたが、瞬時に岩の上から移動した鹿之介によって腕を掴まれ、指先は首の手前で止まった。

 「落ち着きなはれや、荊之介」

 荒い吐息をしながら宥める鹿之介だったが、周りの人間の顔は荊之介と同じ様に殺気立っていた。

 「しかし若君、あなたがこの場所に来はったということは、うちが鼠之介に忍ばせた手紙をお読みになったと見て宜しおすか?」

 「ああ、しっかりと読んだよ。汚え手を使うんだな、巫家の鬼ってのは」

 「うちらも後がないものでして…。ほな、刀がないなら彼女に傷物になって貰いましょ」

 「その前に…」

 鹿之介は赤縞から殺気を感じ取ると膝に力を入れた。

 「てめえらを一人残らずぶっ潰してやんよ!」

 赤縞は肩に背負っていた木箱を片手で握り締めると目の前に向かって振りかざした。鹿之介と荊之介は二人同時にその場から飛び退いた。その直後に木箱は地面に向かって叩き潰され、木片が弾け飛ぶと中から出刃包丁に長い取っ手を付けたような斧が姿を現した。

 十傑集は各々の武器を取り出すと赤縞に向けて構え始めた。赤縞は持ち手を握り締め、円を描いて滲み寄る十傑集を見渡した。

 「若君は…赤縞家と巫家の闘争がお望みですか?」

 そんな中で一人だけ平静を装っていたのは鹿之介だけだった。落ち着いた素振りで赤縞を見ながら周りの人間を手を差し出して宥めている。

 「そんな大層なモンじゃねえ。やられる前にやるだけだ。それに前々から思ってたんだが、どうも巫家ってのは俺の肌とは合わないらしい」

 「だから刀を盗みはったんですか?気に入らないという理由で?」

 「他に理由がいるか?喧嘩ってのは気に入らない同士がやり合うこよだ。ご大層な理由を並べる巫の奴等にはわからねえだろうがな」

 「こいつは…」

 この状況で尚 周りを挑発する赤縞に紫薇は頭を痛ませた。

 「わかりました」

 そんな空気を変えるように鹿之介は手を叩いた。

 「そんなに気に入らないなら、一つうちと組んで頂きましょ。そっちの方がわかりやすくてええやろ。それでどないどすか?」

 「良いのか?頭が潰れりゃ後がねえぞ」

 「うちの連中は若君が思っている以上に優秀ですから。どうってことないでしょ。まあ、そういう訳だから、みんなうちに任せてな」

 そういうと滾っていた十傑集の面々は嘘のように怒りを沈め、武器を仕舞って体を後ろに引き始めた。飄々としていながらもしっかりとした指揮能力を鹿之介は持っていた。紫薇は直感的にこの男は手強いと感じ取っていた。

 赤縞と鹿之介が部屋の中央に移動すると、その周りを囲むように十傑集は腰を下ろし始めた。その中で理之介だけは紫薇の隣に腰を下ろした。大きな体をしていたので、座っていても紫薇の目線と同じくらいの高さのままだった。

 「この騒動でも驚いていない所を見ると、お前さん素人じゃないな。肝が据わっておるわい」

 「というより奴の性格からして、こうなることは予想の一つだったからな。今さらこんな結果になっても驚きやしないさ。改めてまともじゃないってわかったがね」

 「若君のご友人って感じではないなあ。なんだってここまでついて来た?」

 「あんたらのその目に用がある。その赤い目、どこで手に入れた?」

 「…お前さん、何を知ってる?」

 紫薇はやっとまともな話が出来ると思ったが、その前に赤縞と鹿之介の戦いが始まってしまい理之介の顔が横に逸れてしまった。

 「始まるよ…今は二人に目を配った方が良いかと…」

 死之介がそういうと、紫薇はいわれるままに視線を赤縞と鹿之介に向けた。

 先に動き出したのは赤縞だった。肩に乗っけていた斧を片手で振り回し、左から右に払うと空気が弾かれる音が響いた。斧の刃は赤縞の背丈の半分はあって、分厚い鉄の塊のようだった。それを軽々と持ち上げるのは赤縞の太い腕だった。

 「なんて馬鹿力だ…」

 「だが浅い…片手でなければ仕留めただろうにな」

 理之介がいった通りだった。斧の切っ先は鹿之介の胸の表面、皮一枚だけ切っただけで致命傷とはらなかった。ぷっくらと血の雫が零れたが鹿之介は気にも留めていないようだった。後ろに引き下がると余裕の笑みを見せる。

 「あの男、まさか素手で斧に立ち向かうつもりか?」

 「いんや、鹿之介の本領は刀だ。胸元を見てみろ。小太刀が隠れているだろう」

 紫薇は目を凝らして見てみると確かに肌蹴た胸元に小太刀の柄があった。

 「あるにはあるが…あんな場所に仕舞って置いて使えるのか?抜き身のまま握っていた方が立ち回りやすそうだが」

 「小太刀は体の動きに合わせて抜刀するものだからなあ。刀剣術というより体術に近い。ここぞという時にしか使わんのよ」

 「なら何で戦うつもりだ?」

 「組み手さ。ただそれに法力を込めて威力を上げてる。神通力と言ったらわかるか?鬼の血の力だよ。もとは妖怪や魑魅魍魎を退治する為に使われた力だ」

 「鬼の血か…」

 紫薇は再び二人に視線を戻した。

 「流石は若君や…避け切れなったのは久し振りどす」

 「今のが本気だったと思うなよ?」

 「勿論、鬼の心技体のうち、体を受け継いだと言われる赤縞の血ですからね。この程度で終わっちゃ、仁衛門さんに顔が向けられないんとちゃいますの?」

 「…当たり前だ、その薄気味悪ぃ目ん玉をかっぽじて見てな!」

 赤縞は肩の力を少しだけ抜いて一気に走り抜けた。その走り方は異様で体をしならせる様に動かすものだった。独特な動きであっという間に赤縞は鹿之介の傍まで近付くと、力を抜いた腕で手の平を引っこ抜くように斧を振り払った。

 『赤縞流 紡ぎ断ち』

 走り出したスピードに乗せて斧が下から鹿之介の体を切り裂いた。先程とはまるで速度の違う一太刀は鈍い音から鋭い空気が破裂した音に変わり、地面に落ちていた小石が吹き飛んでしまう程だった。

 だがその斧の刃を擦れ擦れの所でかわし、また同じように皮一枚だけ切られると、鹿之介の体は赤縞の真横に動いていた。そしてがら空きになった赤縞の肋骨に手の平を添えるとぼそっと何かを呟いた。

 『巫流 空木霊』

 その瞬間、赤縞の体は真横に吹っ飛ばされた。紫薇はその一瞬、鹿之介の手の平が緑色に光った様な気がした。赤縞の体は五メートルは鹿之介の元から五メートルは弾き出され、地面に叩き付けられるとはっとしたように体勢を立て直してその勢いを殺した。肋骨に損傷を負ったのか手で痛む箇所を押さえている。

 「強い…」紫薇は思わず口ずむと額に汗を垂らした。

 鹿之介は片足を宙に浮かせ、突風のような赤縞の一刀を避けた。片足を軸にして体を揺らしながら、斧の軌跡を読み取って同じように紙一重の場所で避けた。そしてがらんどうになった赤縞の真横に掌底を叩き込む。体を浮かせるように動いているので、即座に次の行動が取れた。

 「赤縞の技も恐ろしい。あんな速さで刃を受けたら骨ごと真っ二つだ。強靭な肉体に柔軟さを持っていなきゃ出来ない技だが、心技体のうち、技を受け継いだ巫家にとっては児戯に等しい。それに鹿之介の法力が加われば、正に一騎当千よ」

 「あの手のひらの光ったものが…神通力なんだよ」

 「もとはただの突っ張りだったが、鹿之介はそれに神通力を混ぜた独自のものを作り出したんだ。今の若君は…肋骨に亀裂が生じ、臓器に相当な負担がかかっているに違いない」

 「…糞がっ!」

 ずきりと胸の内側が痛むと赤縞は顔を顰、口許からは少量の血がこぼれた。

 「心技体、この言葉の通り…体を主にした赤縞家は、鬼の中で最もひ弱な一族として巫家の歴史に刻まれております。鵺様が貴方を気にかけたのは、貴方の才能が赤縞家で埋もれてしまうのではないかと危惧した為や。底辺の技術を習っていただけでは、一行に巫家に勝てやしまへんで」

 半ば赤縞を見下しながら鹿之介は言い放った。

 「…ナマ言ってんじゃねえよ」

 赤縞は俯きがちになったまま膝を太股の中に入れて正座をし始めた。

 「まさか端っからてめえがやって来るとは思ってなかったからな…。面白え、だったらもうひと踏ん張り体に鞭を打ちゃ良いだけの話だ」

 赤縞は両手をうなじに回し、深い深呼吸をしながら目を閉じた。そして指先を首の中に押し込み、八個の窪みを作った。

 『赤縞流 益荒男』

 ふっと赤縞はその場に倒れ込むと咄嗟に手を前に突き出し、地面に四つん這いになって息を荒げ出した。唸り声が上がる。犬のような声を上げてゆっくりと顔を上げ、赤縞は鹿之介を睨み付けた。途端、辺りにどろりとした嫌な空気が流れ、十傑集の面々は驚いた顔をした。

 「鬼の体を司る赤縞流の真髄。まさかこの目で見るときが来るなんて…」

 「特殊なつぼを突くことによって、体内を活性化させる。かつてその身一つで戦を終わらせた、赤鬼の伝説はあの技から始まった。海を切り開いたと言われるアタシらの技とは異質ですね」

 鮎之介と庵之介はお互いの顔を見合わせ、目を丸くしながら赤縞に視線を戻した。

 「肌が痛む…醜悪な気じゃのう…」

 がらりと空気が変わり、紫薇はまるで魔姫を見ているかのような錯覚がしていた。同時に赤縞の体から何故か奏力に近いものを感じていた。

 赤縞が斧の持ち手を握り締めると、全身の筋肉が引き締まった。膝を上げ、立ち上がれば受けた痛みなど微塵も感じさせない血の滾った赤鬼がその場に現れた。角もなければ鬼の目でもない。しかしそれでも赤縞の体からは鬼気迫る闘気が滾っていた。

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