17話 悪魔に涙を捧げて
「本気で言ってるのか?」
「…うん」
赤縞の屋敷から家に戻ってくると、紫薇はクレシェントに話があるといわれ、リビングでプランジェと三人で話し合っていた。話の内容はクレシェントとプランジェがデラの城に赴いて話をしてくるということだった。
「護衛として私も付いていく。しかし、本心からすれば余り気は進みません。ウェルディ・グルスの口約束など当てにはなりませんから…」
「別に俺は反対しないが、また捕まったなんて話は止めろよ?」
「警戒は怠らないつもり。でも何より、私が何なのかそれが知りたいの。自分の贖罪の為にも」
「自分の正体、か…実は俺もお前の正体に近いものを探り当てた。尤も未だはっきりとした事は言えやしないが」
「どういう事だ?」
「しっかりとした情報が手に入ったらその時に話す。今はお互い目先にある事に集中した方が良いだろう」
「そうね」
「…そろそろ飯でも食いに行く頃合いか?」
紫薇はゼルア級犯罪者が営む飲食店を思い浮かべながら庭の窓を見て呟いた。
巫女のような衣装を着た女が朱色に染められた廊下を足早に歩いている。その面持ちは神妙ながらも、どこか焦燥感に駆られていた。その右目には赤い光を宿している。廊下の先には門があって、女は力任せにその門を開いた。中には六角形の部屋が広がっていて、その中心に青色に光った水晶が置かれていた。その部屋には七人の男女が各々の好きな格好でその女を待っていた。誰も彼もその右目は赤い。
「鼠之介からの連絡が途絶えたぞ!」
その扉が音を立てて閉じるとその女は声を荒げた。
「ちょっと落ち着きなさいよ、荊之介」
「
何人かが荒ぶったその女を宥めたが、怒りは収まらなかった。怒りに感けてその拳を傍にあった柱にぶつけた。
「落ち着いていられるか!我が弟だぞ!」
柱の表面は亀裂と共に深く凹んだ。
「うわっ、おっかな!」
「荊之介の腕っ節…細身ながらも豪力…」
「鹿之介!戦の秤を立てろ!鼠之介を助けに行くぞ!」
「いや、戦って何を言うてはりまんの。そんなことが出来る訳がありまへん。脳みそは筋肉にする為にあるんじゃないんやで」
眼鏡をかけたリーダー格の男が嗜めるようにいった。
「そうだぞ荊之介、折角の別嬪さんが勿体ない」
「うちもその通りと思います。体つきは健全な日本女子やけど」
「ワハハ、確かに!」
二人は指差し合いながら笑った。
「殴られたいのか貴様らは…」
「冗談は兎に角、そうやって笑っていられるってことは何か手が打ってあると考えて良いんですね?鹿之介さん」
一人の男がキセルをふかしながらいった。
「ちょっと庵之介、ここ禁煙なんだけど?」
「お固いことを言いなさんな。…で?どうなんです?」
「鼠之介の懐には、赤縞の若様に向けて書状を忍ばせてありますさかい。もし若様が鼠之介と接触したのだとしたら、何らかの反応が出るまで待つしかありまへんな」
「随分と気長なこって…鹿之介さん、余り時間がないのも事実です。今回の一件、アタシら『十傑集』だけで片付けなきゃいけないってこと、承知してますよね?だらだらとやられてはアタシの言い訳も詰まります」
「わかっとるわ。せやけど外界に出れるのは鼠之介だけなんやから、否応にも腰を落ち着かせるしかないやろ。掟には逆らえへんわ」
「…あと一日だけ待ちましょう。それで駄目ならアタシは当主に真実を伝えます。しっかり頼みますよ」
そういって煙を吐きながらその場から去っていった。
「十傑集の耳なだけあって肝を冷やされちまった…」
「でも鹿之介、ホントに大丈夫なのかよ?爺っさまに知られたら尻を叩かれるじゃ済まされないぜ?」
「その辺りは若様の気心次第ってとこやな。でもあの手紙を見れば尻でも捲ってすっ飛んで来るで」
「しかしまァ…
「理之介…稲之介の話は禁句…!」
「おっといけねェ!先代の悪い癖が移っちまった!」
「それ…いつも…」
「鹿之介、儂はいつでも戦に出れる準備はして置くぞ」
「はいな。でもねえ、出来れば話合いで終わらせたいんやけどね」
「何を甘っちょろいことを…元々赤縞と巫は敵対しているのだ。今更どうこうするものでもないだろう」
「それは不可侵条約があっても?」
「無論だ。あんなもの只の口約束に過ぎん。それに巫が赤縞なんぞに敗北すること事態が有り得ん。我等の史書にもそう記されてあろうが」
「だったら良いやけどねえ…」
鹿之介は小さい声でそう呟くと目を瞑った。
「それじゃ、いってきます」
「留守は任せたぞ」
次の日の朝、クレシェントとプランジェは庭に出て白銀世界へと渡っていった。
紫薇は二人を見送ると今の内に訓練をして置こうと権兵衛を呼び付けた。権兵衛を目の前に座らせると紫薇は胡坐をかいて芝生の上に座った。心を落ち着かせながら権兵衛と心を通わせる。次に紫薇が目を開いた時には紫薇の体は純白に染まっていた。ふうと溜め息を吐いてそのままの状態を維持した。権兵衛と同化できるのは時間が限られていて、どうやらそれは紫薇の意思に応じるようだった。紫薇はその状態のまま運動を始めた。その姿で外に出る訳にはいかないので、庭の中をぐるぐると回ったり、腕立て伏せや腹筋を何度も行った。その内に疲れが溜まり、ピークに達すると同化は自然と解けていった。
「一時間ちょいってところか…」
元の体に戻ると額からどっと汗が流れた。同化している間は身体能力が飛躍的に上昇するがその代わりに、同化が解けた際の疲労感は途轍もないものだった。
「今日のところはこれで終わりだな」
紫薇が庭の窓から家の中に入ると、羽月が水の入ったコップを持ってやって来た。
「お疲れ様でした。はい、お水です」
「ありがとうございます」
乾いた喉に水を流し込む。水はほんのり塩が入ってしょっぱかった。
そうして落ち着いているとふと羽月がじっと自分の顔を見詰めていることに気が付いた。
「どうか…しましたか?」
「初めに会った時と比べて変わったなあって思って。以前は運動なんてしていなかったじゃないですか。それに今は…とっても人間らしい顔をしています。きっとクレシェントさんが来てくれたお陰なんですね」
「確かに…あいつ等が来てから生活はごちゃごちゃになりました。でもそのお陰で、少しずつですけど自分が変わってきている。そんな気がします。でもそれはあいつ等だけじゃなくて、貴女のお陰でもあるんです」
「私の…ですか?」
「なんていうか…貴女がこの家にいてくれて、帰って来る場所が出来た気がするんです。余りこの家は好きじゃなかったから…」
紫薇がそういうと羽月は憐れむように眉間にしわを寄せた。
「でも今は、この家にいるのが嫌じゃなくなった。思えば、今までの家政婦に来てくれた人には悪いことをしたなって…。だからもう我が儘を言うのは止めました」
「…大人になったんですね、紫薇くん」
「まだですよ、ほんの少しだけ成長はしたけど、実際にはそんなに変わらない。だからこうして、せめて体だけでも大人にしないと」
そういって紫薇は必死に口許を緩ませて笑ってみせると、羽月は嬉しそうな顔を紫薇に見せた。その笑顔はとても綺麗で、紫薇はああ、やっぱりこの人のことが好きなんだと思った。断られても良い。それでも紫薇はいつか自分のこの思いを伝えてみせようと心に誓った。
不意に電話が鳴り響いた。二人ははっとした様に電話が置いてある方向に目を向けた。電話はリビングの傍にある小さな机の上あった。
「私、電話に出て来ますね」
そういって羽月は電話の前まで移動すると受話器を手に取った。
「はい、絵導でございます。…え?紫薇くんですか?少々お待ち下さい」
受話器を離すと不思議そうな顔をして紫薇を見た。
「紫薇くんに変わってくれって」
「俺にですか?」
赤縞の好々爺にしては早すぎるような気もしたが、紫薇は兎に角その受話器を手に取って耳を傾けてみた。
「もしもし」
「絵導か?」
「お前、赤縞か?」
電話の相手は赤縞だった。
「…何の用件だ?」
「お前に頼みがある。今夜九時に学校に来い」
それだけ喋ると赤縞はすぐに電話を切ってしまった。腑に落ちない紫薇だったが、赤縞のどこか普通ではない、動揺したような声に不信感を覚え、約束の場所に赴いてみることにした。
紫薇はその時間まで本を読んだりテレビで天気予報を見たりとゆっくり時間を過ごし、八時半になると支度をし始めた。赤縞の声を聞いてから嫌な予感が頭を過ぎり、こんな時の為に買って置いた筒状のバッグを取り出してその中に剣を入れた。
「どこかにお出かけですか?」
ファスナーを締め終わると羽月が心配そうに声をかけた。
「ちょっと出かけてきます、権兵衛も一緒に。もしかしたら朝までかかるかもしれません」
「権兵衛も?じゃあちょっと待ってて下さい」
そういって羽月は二階に上がると、何やら自分の部屋から何かを取り出して来たようだった。
「これ、私のなんですけど良かったら使って下さい。前のはボロボロになっちゃったから」
それはポシェットだった。皮製の茶色いもので腰に脱着できるタイプだった。紫薇は試しに腰に巻いてみるとサイズはぴったりだった。ポケットは口が広く、権兵衛を入れてみてもまだ余裕があった。
「あ、ぴったり」
「権兵衛も喜んでるみたいですね」
「…気を付けてね」
羽月は紫薇のしようとしていることがそれとなくわかっているかのようだった。紫薇はありがとうといって玄関から外に出ていった。時刻は八時四十分。少し急がないと約束の時間に遅れてしまう。紫薇はバッグの持ち手を握り締めると走り出した。
学校の正門に着いたのは九時ちょうどのことだった。待ち合わせ場所は正門で良いのだろうかと紫薇が思っていると、すぐに赤縞の姿が現れた。背中には大きな木箱を背負っている。
「…来たのか、絵導」
「お前が呼び出したんだろう。それより頼みって何だ?」
そういうと赤縞は黙って手を差し出した。
「握れ」
「何?」
「良いから握れ」
紫薇は訳のわからないまま赤縞の手を握り、握手をした。ぐっと力が込められると、負けじと紫薇は力を入れ返した。二人の指先が真っ赤に染まった頃、赤縞は手を離した。
「…まあまあだな。思ってたよりかはずっとマシだったが」
「何がだ?」
「お前の実力だ、大抵は手を握りゃそいつの力量がわかる。まあ、二人でもいけるか…」
赤縞は握手した手を何度も握って頷いた。
「さっきから何を一人で納得してる?そろそろ状況の説明をしろ」
「説明だ?あー、簡単に言ってやるとだ。これから巫家の本家に殴り込む。んなもんだからお前も手伝えよ、絵導」
「何の為にそんな馬鹿げた事をやらかすんだ?それに確か赤縞の家と巫の家は不可侵の条約があった筈だろう」
「ジジィから聞いたのか…なら話は早い。俺がその不可侵条約を踏み躙ってやったのさ。奴等のお宝を奪った上でな」
「…なんてことを仕出かしたんだ、お前は」
紫薇は赤縞の好々爺の悩みの種が手に取るようにわかった。
「仕方がねえだろ、気に入らなかったもんは気に入らなかったんだよ」
「悪いが俺には関係のない話だ。他人の家に首を突っ込むと碌なことが起きないらしいからな、精々一人で足掻いてろ」
そういって紫薇が背中を向けると、赤縞は取って置いた策のように言い放った。
「確か巫家の人間に用があるんじゃなかったのか?総本山に行けば、お前の知りたいことなんざ山ほどわかるぜ?」
「お粗末な交渉だな。お前が仕留めた黒子が目を覚ましたら、連絡を貰うようにお前の好々爺と話を付けてる。だからお前の企みなんぞに乗っかる必要はないんだよ」
「はっ、人様のジジィを手玉に取りやがって…。まあ良い、別にてめえの手なんざ端から期待してねえよ。俺一人で十分だ」
「…何の為に巫家の秘宝を奪ったんだ?」
紫薇は言葉の裏腹にどこか焦りを赤縞から感じ取っていた。ほんの少しだけ紫薇は相手の心がわかるようになっていた。
「いや…何をそんなに焦ってる?」
その言葉を耳にすると赤縞はぴたりと体を止めて紫薇を睨んだ。
「お前の取った行動は、好々爺の頭を悩ませる。そこは同情の予知がない。だがその後だ。今のお前は何かに競り立てられているように見える。…何があった?」
「てめえには関係ねえ」
「なら何故、俺に電話をかけた?俺にしか出来ないことだったんだろう?別にお前を心配してる訳じゃない。お前の好々爺にこれ以上、頭を患わせたくないだけだ。良い人じゃないか、出来の悪いお前と違ってな」
「…てめえはほんっとに気に入らねえ野郎だ」
「珍しいこともあるもんだ。お前と意見が合うのはどうもその時だけらしい」
そういうと赤縞は舌打ちをしてやっとことを語り出した。
「巫家からの脅しだ。刀を持って来なけりゃ亜美に手をかけるってな」
「お前の知り合いか?」
「そんなとこだ。一人だけなら俺で事足りる。だが十傑集が総揃いとなると、はっきり言って手間がかかんだよ」
「なんだそれは?」
「巫家を取りまとめる筆頭どもだ。つってもその上には棟梁がいるけどな。そいつはずっと本殿の奥で寝てるから心配はいらねえ。手足を動かしてんのは十傑集だ、そいつらをぶっ潰せばそれで終わりだ」
「数でいえばこっちが不利だが、勝算はあるのか?」
「ああ、一番面倒な奴が巫家から抜けてる。そいつがいねえなら、俺とお前で事足りんだろ。これで説明は終わりだ、他にあるか?」
「山のようにある。が、それは道中で聞かせて貰うよ。気に入らないことの連続だが、俺の知りたいことは巫家にあるようだしな。それにお前の好々爺がこれ以上、頭を悩ませるのは見たくない」
「はっ、お優しいことだな。んじゃ、行くぜ。今から電車に乗れば明日の朝には着けんだろ。巫家の総本山は歩きで行けるような距離じゃねえからな」
「道中に巫家の事を聞かせて貰うぞ」
「俺が知ってる範囲でなら教えてやるよ」
二人は学校から離れて駅に向かって歩き出していった。
妖精のかけらに導かれて白い海面が辺り一面に広がった。実際に自分で白銀世界を通り抜けたのはクレシェントにとって二度目で、連れ去られた一度目の際に自分でも良く上手いことナーガに帰れたとクレシェントは驚いていた。
「…やはりこの場所は何度来ても慣れませんね」
恐る恐る橋を渡りながらプランジェはいった。
「実は私もこうやって歩いているのが不思議でしょうがないの。ミルク色の海なんて不気味よね。でもちょっと飲んでみたい気も…」
「ほ、本気ですか…?」
「じょ、冗談よ…」
プランジェの怪しむ視線にクレシェントは汗を垂らしながら、気付かれないように涎を拭った。
桟橋を渡っていくと、徐々に目の前の霧が濃くなってさながら白いカーテンのように移り変わった。二人がカーテンを通る最中、クレシェントの脳裏にナーガの世界が浮かぶ。その瞬間、波の音が止み、脈動のような小さな揺れが辺りに広がった。すると波は再びさざなみ、それから桟橋の先に赤い扉が現れた。
クレシェントは一度だけプランジェに視線を合わせると、お互いに相槌を打ってドアノブに手を伸ばした。扉を開ける手前、クレシェントは緊張から自然と息を飲んで指先を回した。
扉の先には忌まわしい、かつて自分が捕らわれの身になっていた城が再び目の前にそそり立った。こう後戻りは出来ない。クレシェントは自分にそういい聞かせ、プランジェと共に城の中に入っていった。
城の中は暗闇が続いていた。空は真っ暗になっていて、弱い光を点したコケのようなものがぽつぽつと出来ていて、辛うじて足元がわかるほどだった。目先の闇からは人の気配を感じない。
「今回は…敵の洗礼は受けずに済みそうですね」
それでもプランジェはしっかりとナイフを握って闇を睨んだ。
「プランジェ、わかっているとは思うけど、私たちは争いに来た訳じゃないのよ」
「承知しています。しかし相手はあの下劣非道なデラ・カルバンス。最大級の警戒を持って当たるべきです。正直に言って、私は半ば反対なのですからね」
「わかったわ」
警戒を緩めないというのはクレシェントは誰よりもわかっていた。頭では話し合いをしようと思っている。しかしこの身に受けた屈辱の熱はそう易々と下がってはいないのもまた事実だった。二人は警戒に警戒を重ねながら先に進んでいった。
道なりに進んでいくと小さな光が目先の闇から閃いた。その光を頼りに二人は先を進むと、その光の正体が空から降り注いだ月光だということに気付かされた。破壊された広い空間が広がり、道は途中で削げてしまっていた。あの時の戦いの後だろうか。青い月光に照らされたその場所はまるで廃墟になった神殿のようだった。その中心に、二人は最大級の警戒の相手を見付けた。
瓦礫の上にしんみりとデラ・カルバンスが座っている。その目には以前の野望に満ちた火はなかった。その火が草臥れたように消えてしまって、今では年相応な雰囲気を見せるただの中年に見えた。二人の視線に気付かないのか月を眺めている。
「…行きましょう」
そういって二人がデラに近付こうと、つま先を月光の中に入れた瞬間、
「止めなさい、ランドリア」
デラの一声が二人の首元に近付いた鎌の刃をぴたりと止めた。驚いた二人を他所に二人の後ろには目に有りっ丈の殺気を込めたランドリアが立っていた。
「(こいつ…いつの間に…)」
虚を取られたプランジェは完全にしてやられたといった顔をした。
しかしクレシェントはデラから闘気を感じないと、冷めた顔のまま彼を見詰めた。
「デラ、今日は貴方に話があって来ました」
「もうそろそろ来る頃だと思っていたよ。女王の…いや、自分のことが知りたいんだね?」
そういうとクレシェントは黙って頷いた。するとデラはランドリアに向かって手を払うと、ランドリアは静かに鎌を二人から離して闇の中に消えていった。
「こっちに来てくれるかい?ちゃんとした腰かけもなくて済まないが」
クレシェントは顔色を変えずにデラに近付いたが、プランジェはぴったりと彼女に着いて離れなかった。クレシェントはデラの傍にあった倒れた柱の上に座り、プランジェはその隣に腰かけた。
「今夜は月光のお陰で魔力に満ちている。月は我々にとって恩恵を齎すものだ。先ずは…自分の中に流れている血を確かめてみなさい」
そういって割れてしまった手鏡をクレシェントに手渡した。表面に大きな亀裂が入って大小様々な顔が映り込むと、クレシェントは愕然とした。自分の両目が血のように濃い赤い色をしていた。
「これ…どうして…」
「生理現象のようなものだよ。魔力を帯びた月の光はその者の中に眠った女王の力を目覚めさせる。仮にそれが血の薄い、普段その目に魔力を映さない者であってもだ」
赤い目を確かめた途端クレシェントは、はっとした。
「大丈夫、月光によって君が魔姫になることはない。ただいつもより自分の体が軽いだろう?君の体の中に眠った女王の血は、とても強い力によって鍵がかけられている。その力の源こそが君の正体、女王の写し身なんだ」
「女王の写し身?私は…一体どこで産まれたの?それに、貴方は私を失敗作だって?誰かが私を作り出したってことなの?」
混乱するクレシェントの脳裏に再びおぼろげな研究施設の映像が過ぎった。
「君がどこで生まれたか、それは私の知った所ではないんだ。それに言った筈だよ。私にはそれを語る知識を持たないと。私が知っているのはね、君が女王の体をもとに生み出された一つの命だということだ」
「待て、女王の体をもとにだと?ヴィシェネアルクは伝説の存在だった筈だ。出鱈目を言っているのではあるまいな?」
身を乗り出してプランジェはいった。
「女王は実在した。その証拠に女王の創り出したと言われる七つの月からはこうして魔力が溢れ続けている」
「世迷言を…」
「私を作り出した人は…そして貴方は私を使って何をしようとしていたの?」
「私は…自分の罪から逃れたかった。そして彼も。君の創造主と私は同じ目的を持っていた。どちらも決して現実味のない妄想に取り付かれていた。私はね…自分の殺めてしまった同胞を蘇らせたかっただけなんだ」
そういってデラは手の平に小さな光を具現化させると二人に向かって差し出した。二人は臆しながらもデラ・カルバンスの心の奥底を覗き込んだ。
沢山の枯れ枝の中心に幼い姿のデラが腰を下ろしていた。その枝は今にも折れてしまいそうで、酷く肉々しかった。枯れ枝はミイラになってしまった人間の慣れの果てだった。実際には干からびた亜人の群れで、そのミイラは赤子から老人や女まであって辺り一体を覆っていた。幼いデラは半笑いでことの顛末に狂わされているかの様だった。
深い絶望と現実味のない渇望。それらは心の奥底に食い込んでいた。
その光景を身を持って味わったクレシェントはいつの間にか頬を濡らしていた。許さない。確かにそう思っていた筈なのに、クレシェントは無意識の内に警戒を緩めてしまった。そしてまた一つ、激情の雫を床に落としていった。
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