小潮小学校 参

 「はーなこさん! 遊びましょっ!」

 一体何回目の呼び出しだろうか。やけくそになってドアを適当なリズムで5回も乱暴にノックしてそう呼びかけた。

 そもそもこの学校では出ないのではないかと、凛々は思い始めていた。この学校のトイレはほとんどが和式で、空き個室はドアが開いている。こんな状態で一体何処から花子さんが? この学校内に一つくらいはあるだろう洋式トイレを探して試した方がまだ可能性があるのではないだろうか。

 もう諦めようよ、と颯希を振り返った時だった。

『はぁーい』

 背を向けた個室から返事が返ってきた。慌てて振り返るが遅く、伸びてきた手が凛々の手首を掴む。小さな白い手がぐっと食い込む。当たり前だが子供の腕力ではなく、引きづられそうになる凛々の体を颯希が後ろから支えた。その腕はトイレの個室の壁から生えるようににゅっと出てきていた。

 刹那、トイレの小窓から風が吹き込む。耳を塞ぎたくなるような音で吹き込んできた風が、凛々を掴んでいた白い腕を切断する。白い腕はもやになって消えた。

『痛ぁーい』

 これぽっちも心のこもっていない悲鳴とも言えない声が、かなり遅れて聞こえた。凛々は掴まれていた痕の残る手首をもう片方の手で抑え、個室から距離を取るように後ろに下がった。屋内にも関わらず吹き荒らす風にその髪をなびかせながら、颯希はその凛々の前に立った。

「小潮小学校の花子さんにお尋ねしたいことがあって参りました。お話を聞いていただくことは可能でしょうか?」

 唸る風が颯希の邪魔をすることはない。しっかりとその場にいる全員に颯希の声は届いた。

 少し間を置いて、『……誰?』と小さな声が返ってきた。風が避けてその声を通す。

「颯希と言います」

『知らない子』

 すぐに興味の無さそうな声が返ってきた。

『知らない子とはお喋りしない。強くて悪戯できないし嫌い。もう帰る』

 完全に出てきてもないのにもう帰るとは。なんて飽きっぽく忍耐のない子供なのだろうか。そんなでも一応四十代のくせに、と凛々は心の中で悪態をつく。

「じゃあ私は? 私とならお喋りする?」

 凛々は颯希の横に立ち、そう個室の壁に問う。出てきてくれないことにはどこを見て話したらいいのか分からない。

『……誰? 大きい子供は知らない。小さい子供しか知らない』

「十二年前にこの学校に通ってたんだけど」

 そう言った途端、辺りの雰囲気が変わり、ぶわりと鳥肌が立つ。颯希は、凛々の腕をぐいっと引き、自分の後ろに隠した。凛々は颯希の背中しか見えなくなってしまった。

 首を伸ばして颯希越しに様子を伺うと、先ほど腕が生えていた壁が歪み、小学生一年生くらい小さな女の子が出てきた。浮いて出てきたくせに、こちらに向かってくる途中で思い出したかのように止まり、下降すると地面に足の裏をつけた。

 ひたひたとわざとらしい音をさせながら颯希の前まで歩いてきた花子さんは、黒髪おかっぱで赤いワンピースを来た青白い顔色以外は普通の小学生だった。流石にクラスと名前は書いていないが、上履きまでしっかり履いている。上履きはひたひたと鳴らないことは黙っておく。

『お前邪魔。後ろのが見たい』

 花子さんは颯希を見上げると生意気に睨めつけながらそう言った。

「……先ほどのような乱暴なことをしないなら退きます」

『しないよ、見るだけ。触らない』

 無意味な約束だと思う。怪異がそんな口約束を守ったのを見たことがない。まあ颯希は暗に、破ったら消す、と脅しているのだろう。ただ、花子さんには伝わっていない。

 颯希は、花子さんが〈取り付けた約束の真意〉を理解していないのもあって、少し躊躇っていたが、『早く退いてよ』と言われ横にずれた。

 花子さんはずずいっと凛々の前に進みじーっと顔を見た。凛々はこんなことならノーメイクで来るべきだったなと、思いながら花子さんが見やすいように屈んだ。花子さんは鼻がくっつきそうな方ほど顔を近づけてきて、真っ黒く大きな瞳でまっすぐ凛々の目を見た。

 至近距離で冷気と邪気を浴び、鳥肌と寒気が止まらない凛々の体は震え始めた。冷や汗が出て、それがすぐに冷えてさらに体の熱を奪う。言うまいと思って耐えていたが、このままだと気絶するかもしれない。凛々は集中して凛々の瞳を見つめる花子さんに、「ごめん、寒いんだけど」と言った。

 フリーズしていた花子さんは、思い出したかのうように……いや、実際思い出したのだろう、パチパチと瞬きをした。

『私が寒いのか。知らなかった。こんなに長い間、子供と居たことがなかったから』

 花子さんはきょとんとした顔でそう言った。その顔は見た目の年相応で、拍子抜けする。震えは一向に止まらないが。

 ここまでやり取りで、この小潮小学校の花子さんがどんな性格なのかが見えてきた。おそらく、あまり呼び出されることがなかったために、花子さんの中では引っ込み思案な方で、長くいる人間に対し愛着がわくタイプだ。好奇心は強くなく、新しいものよりも親しんだものを好む。

 少し離れてくれた花子さんに、「私のこと覚えていた?」と聞く。ここで知らないと言われたら花子さんとの会話は終了だ。きっと何も話してくれない。話すも何もこちらの言葉を待たずに帰ってしまうだろう。今更だけど卒業アルバムでも持ってくれば良かった。

『……一年一組の凛々ちゃん』

 花子さんはもじもじと俯いて、小さな声でそう言った。その瞬間、辺りを這っていた冷気が弱まり、花子さんから絶えず発せられていた邪気も薄れた。比例して、トイレの中を駆け巡っていた風も弱まる。

「よく分かったね。一年生の頃の面影はもうあまりないと思うんだけど」

 素直に驚いた凛々に、花子さんは『二年一組、三年一組、五年三組……。六年生のも分かるよ、目は変わらないから』と言った。照れ笑いをする花子さんはそこら辺の子供と同じにしか見えなかった。しかしその考えを咎めるような風が頬を掠めていき、凛々は今一度気を引き締めた。

「ねぇ、花子さん。聞きたいことがあるんだけどお話聞いてくれる?」

『いいよ、花ちゃんって呼んでくれたらね』

「花ちゃん。私がこの学校にいた頃はなかったけど今はすごい力がこの学校に溢れているでしょ? これで変わったことってある?」

 花子さんは分かりやすく考えるポーズをして考え始めた。先ほどからたびたび行われていた、この猿真似みたいなわざとらしい動作は、この花子さんが人間に憧れていることを示していた。

『うーん。凛々ちゃんとそこにいる乱暴な人みたいに、ただの子供じゃない人が増えたかな。先生もね。あと、私の力も強くなった気がする』

 なるほど風を操っているのが颯希だと分かるのか。人間同士だと誰の能力でそれが起きているのかは決定的な証拠を見ない限り分からないものだが、怪異は少し違うらしい。

 花子さんはどうやら人間には、子供と先生しかいないと思っているようだ。子供はおそらく生徒と親で、先生はそのまま先生を指しているのだろう。

 凛々たちの組織では、人間の噂や恐怖によって生まれた人工的な化け物、七不思議や都市伝説とさせるものを怪異と呼び、他と区別している。その定義での怪異はパワースポットの影響を受けない。これはこれまでの研究で分かっていることだ。それなのに花子さんの力が上がったことから考えられるのは、力を持った人間の影響を受けたという説。

 何ということだ。怪異は間接的にならパワースポットの影響を受けるということになる。これが本当ならとても厄介である。今まで怪異と仲良くなったことはないため、ここにきて怪異の新事実が判明することは充分にありえた。

「……そっか、ありがとう。じゃあ、この学校の中にその力の塊みたいなものって無いかな?」

『うーんと。凛々ちゃんと私は友達?』

 花子さんのどこまでも底無しに真っ黒い瞳を見る。ぱっと見は普通だけど、よく見ると他では見ない全てを飲み込みそうな真っ黒い瞳。

「……私は、例えば名前を知らなくても、仲良くお喋りしたり遊んだりしたらもう友達だと思っているけど」

 肯定や〈友達だよ〉が何かの契約や発動の合図になっているかもしれない危険性がある以上、曖昧に返すしかなかった。しかし、嘘を孕む言葉がキーの場合も多い。凛々は少し考えて、その質問の答えにもなりうる自分の考え方を、素直に吐露することを選んだ。

 花子さんが満足気に笑うのを見て、何の罠でも無かったことを知る。無意識のうちに止めていた息をほっと吐く。

「さっきの質問、難しかったかな? 力の塊を探していて、花ちゃんなら知っているかなと思ったんだけど。物知りそうだし」

 この花子さんの性格を見て、幼い子に使う〈煽て都合良く動いてもらおう作戦〉を行う。効果は読み通り絶大で、花子さんは得意気に教えてくれた。

『力がすっごくなっているところ分かるよ! プールの方だよ!』

「プールね。ありがとう。すごく助かった」

『いいよ! 友達は取り引きじゃないんだよ! みんな無償で助けているの!』

 花子さんは興奮しっぱなしだった。そんな花子さんに凛々はニコニコと笑いかけていたが、内心では震撼していた。やはりこの花子さんも例外ではなく情報提供には対価が必要だったのだ。仲良くなれなかったら危なかった。

「優しいんだね。本当に助かったよ! これは対価じゃなくてお礼だから受け取って欲しいんだけど」

 凛々は颯希に目で合図を送った。颯希は腰に提げていたエプロンバッグから、小さな宝石が一つキラリと輝くネックレスを取り出した。そして、それを花子さんに渡す。

 花子さんは興味津々でそれを受け取ると、じぃっと見つめてみたり、小窓から差し込む光に当ててキラキラさせてみたりした。

「優しい気持ちになれるネックレス。花ちゃんには必要ないかもしれないけど……。きっと似合うよ」

 花子さんは凛々の瞳をまたじっとみた。誰かを確かめる時よりは短かった。真意を探られていると思った。それを見越して嘘は言っていないから問題はない。そのネックレスは邪気を吸い取る宝石がついている、本当に優しい気持ちになれるネックレスだ。

 これで花子さんが平和に過ごせたら良いと凛々は思っていた。問題が起きなければ怪異は共存できる。

『……ありがとう』

 もじもじとした後、花子さんはネックレスをつけて見せた。花子さんの細い首に収まったネックレスに輝く小さな石が、花子さんに染み付いていた僅かな邪気を吸い取り、辺りはゆったりと冷気が這うだけになった。

 凛々の鳥肌は収まり、室内の風は止んだ。

「良いじゃん」

 凛々は自分の首元をトントンと指先で叩いて、にやりと笑った。颯希も「よくお似合いです」と褒めた。

「じゃあ、そろそろ行かないと。本当にありがとうね」

 凛々は花子さんに挨拶をし、トイレの入り口へ颯希と向かう。花子さんはにっこりと頷いた。

『また来る?』

 ドアに手をかけたところでそう聞かれ、振り返る。少し寂しそうに花子さんはトイレの床のタイルを見ていた。

「うん、たぶん」

 嘘を吐いたところでまた瞳を見られてバレるだけだ。凛々は正直に答えた。来ないと決まっているわけではないが、来る予定が決まっているわけでもなかった。

 そこで一つ思い出し、確認するように聞く。

「今はまだすごい力によって困ったことや悪いことが起きてないんだよね? 問題があればついでにどうにかするけど」

『うん、無いよ。まだない』

 花子さんはにっこり笑って答えた。

「そっか。良かった」

 凛々はトイレの入り口のドアを開けた。

『またね!』

 トイレから出て行く凛々に花子さんは言った。

「うん、ばいばい」

 手を振りトイレの入り口のドアを閉じる。ドアの下の隙間から僅かな冷気が漏れ出ていたが、すうっと消えた。花子さんが帰ったのだろう。

 凛々たちはそのまま先ほどまで居た連絡係の待機場所になっている教室へ行くと、ドアをドンドンと叩き、「連絡係以外全員プールへ」と連絡指示を出した。

 すぐに頭の中に紅葉の声が響く。

『リーダーより全員へ。連絡係以外、全員プールに集合』

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