#5:名探偵と殺人鬼

「…………………………?」

 わたしは懐からナイフを取り出した。

 その意味を、運転手は図りかねたらしい。

 わたしは。

 ナイフを振るった。

 運転手の、顔面に向けて。

「がっ…………!」

 突然のことに。

 運転手はまるで反応できなかったらしい。

 頬にナイフが深々と刺さる

 返り血がつかないように、着物の袖を抑えてからナイフを抜く。

「ぐ、あ…………」

 慌てたように、運転手はドアを開けて外に出た。

 ふむ、好都合。

 わたしは腕を伸ばして、ボタンを操作する。後部座席のドアを開けて、外へ出た。

「な、なにを………………」

「だから言ったじゃないですか。わたしなら暴れてでも無理に脱出するって」

 ナイフを投げた。運転手が逃げ出せないように、足を貫く。

「ぐぎゃああっ」

「ああもううるさいな。足を刺されたくらいで騒がしいですよ」

 屈んで、運転手に近づく。彼の手を取って、手袋を脱がせた。

「やっぱり」

 彼の爪には、年輪状の筋がびっしりと通っていた。

「ヒ素というのは毒物ですが、人間の体内にも少量は存在する物質です。そしてヒ素は一度に大量に、でなければ死には至らない。慢性的に摂取することで、ヒ素にある程度耐性をつけることが可能なんですよ」

 毒物の中には、微量の摂取を長年に渡って繰り返すことで人体が耐性をつけるものがある。ヒ素はその一種で、どこかの少数民族は土壌の関係で食料にヒ素が混入し、慢性的な摂取によって耐性を得ているという。

 そしてヒ素の慢性的な摂取者は、爪に特徴が出る。爪にヒ素が溜まり、年輪状の筋を形成するのだ。これは急性ではない、慢性ヒ素中毒によって殺害された人間にも現れる兆候だ。他にも、髪の毛を調べれば残留したヒ素を検出できるだろう。

「つまりあなたは、ヒ素を飲んでも死なない。少なくともあの錠剤の量ではね。要するにあの錠剤はどっちもヒ素なんですよ。二者択一と思わせて、どちらを選んでも毒。被害者がどちらを選ぶか無駄な考えに頭を悩ませているのを、あなたはほくそ笑みながら見ていたというわけだ」

「……………………」

「自分が賢いとうぬぼれた人間はそのゲームに乗ったかもしれませんが、どっこいわたしは違う。わたしは自分が賢いなんて思ったことはないですから。そんなゲームを提案されたら、嫌になって全部ひっくり返しちゃいますよ」

「くっ…………」

 反撃をしようとしたのか。運転手がナイフに手を伸ばす。わたしは懐からもう一本、ナイフを取り出して運転手の手を、足ごと貫いた。

「があああっ!」

「さて、これからどうしましょうかねえ」

 立ち上がり、運転席に戻る。適当にスイッチを操作して、トランクを開ける。何かないかと思ってトランクに回り込んで調べると、ガソリンを抜くポンプを見つけた。

 精々が工具くらいしかないと思っていたが、これなら…………。

「はいこっち」

 運転手の首根っこを掴んで、車の傍に引きずっていく。

「な、なにを…………」

「え、殺すけど?」

 ガソリンタンクの蓋を開いて、ポンプを突き刺す。しゃこしゃこと、ポンプを操作してガソリンを抜いた端から運転手にかけていく。

「こ、殺すだと……? 君は、猫目石瓦礫の仲間じゃないのか? 探偵の一党だろう?」

「そうですけど、それがどうかしたんですか?」

「捕まえるんじゃないのか!?」

「なんで六人も殺して穏やかに逮捕されると思ったんですか?」

 運転席に戻り、シガーライターを引き抜く。今どき、こんなのついてる車がまだあるとはね。

 おっと、そうだった。

「最後に一枚、どうですか?」

 首にぶら下げていたポラロイドカメラを向ける。

 運転手は、そこで気づいたように目を見開いた。

「まさか…………君は、死相屋――――」

「はいどーん」

 シャッターを押すのと同時に、シガーライターを放り投げる。ガソリンで濡れた運転手の服の上に落ち、火が点く。

 運転手は火だるまになった。

「……意外と静かだな」

 彼は苦しむように悶え、その場をのたうち回ったが、叫び声は上げなかった。酸欠で声が出ないのかもしれない。

 ………………よし。

 これで終わり。

 あとは………………。

「嬢ちゃん、こりゃあ……」

 後ろから、声がした。

 振り返る。

 そこには。

 礼戸刑事と、師匠が立っていた。

「欠片……」

「師匠」

 師匠はじっと、こっちを見ている。

 彼らの後ろにはパトカーが停車している。運転手とのやり取りに夢中になって、車のエンジン音を聞き逃していたか。

 まったく、悪い癖だ。

 獲物を目の前にすると、つい周囲への警戒がおろそかになる。

「長峰医院付近で客待ちしてるタクシーが犯人だって、探偵から聞いたんだ」

 礼戸刑事が言う。

「そんで長峰医院に向かったら、ついさっき青い個人タクシーが嬢ちゃんらしい人を乗せたのを見たと聞いた。こいつはまずいと後を追ったんだが……。こりゃあ」

 ちらりと、目線がわたしの後ろに動く。燃えている死体を見ているのだろう。

「嬢ちゃんがワクチンキラーとやりやって、勢い余って殺しました。正当防衛ですって雰囲気じゃねえな?」

「見られていたとは、お恥ずかしい」

「ふざけんじゃねえ!」

 刑事さんが、声を荒げる。

「嬢ちゃん、あんた……死相屋だったんだな?」

「どうしてそう思います?」

「ここへ来る前、長峰医院と、長峰の家を俺たちは見てるんだ」

 ああ、なんだ。

 そっちも、見てたのか。

「長峰医院の医院長夫婦と、その娘さん。。死体の傍には顔を写した写真があった。そんで、お前さん、さっきも写真を撮ったな」

「ええ、はい」

 わたしはカメラを首から外して、掲げて見せた。

「前も説明したと思いますけど、このカメラはメモリーに撮った写真を記録しています。刑事さんの想像が正しいなら、このカメラに長峰ちゃんたちの写真が残ってますね」

「欠片」

 師匠が呼び掛ける。

「どうして、殺した?」

「…………………………」

 少し、考える。

 でも、結論は出ない。

「そうか」

 ため息をついて、師匠は足元を見た。

「答えはないか」

「すみません…………」

「いや、いい。殺人鬼に、動機を聞く意味はない」

 刑事さんが一歩、近づく。

「しかし、まさか探偵の弟子が殺人鬼とはなあ。こいつはとんだ盲点だ」

「でしょうね」

「さあ、証拠のカメラを渡してもらおうか」

「はい」

 わたしは。

 カメラを。

 放り投げる。

「……………………っ!」

 刑事さんは、わたしの動作に慌てたような素振りを見せる。

 そのとき。

 師匠は。

 どんと。

 後ろから刑事さんを突き飛ばす。

「な…………」

 突然のことに困惑して、カメラを見ていた礼戸刑事は後ろを振り向く。

 その隙に。

 袂からナイフを取り出して。

 投げる。

 ナイフは吸い込まれるように、刑事さんの胸へ。

「あ、がっ……!」

 刺された刑事さんは、その場に倒れた。

、師匠」

「余計な一押しだったか?」

「いえいえ、助かりました」

 落ちたカメラを回収しながら、わたしは師匠の傍に寄る。

 師匠はわたしの頭を撫でた。

「運転手に目をつけたのは正解だ。それで、件のワクチンキラーは動機について何か語っていたか?」

「自分は賢いと思っている人を殺すのが楽しかったみたいです」

「どう思う? 的には」

「理解できませんね。わたしの殺人鬼理解も進まないものです」

 言って、カメラを刑事さんに向ける。

「さあ礼戸刑事。最後の一枚いかがですか?」

「お、まえ、らああっ!」

 刑事さんは叫ぶ。

「猫目石瓦礫っ! お前、まさか、!」

「もちろん。名探偵なので」

 おどけたように師匠は言う。

「まさか僕が身内に潜む殺人鬼に気づかないとでも? 当然、知っていましたよ。それにしても中国県警のごたごたには助けられました。反探連の連中にも感謝していい。おかげで尾道で起きた連続殺人を僕が捜査しなくても、不自然ではないという状況が生まれましたからね。中国県警からの要請がないので捜査できないという都合のいい言い訳ができた」

「師匠に本気出されたらわたしなんて二日で捕まりますよ」

「そこはもう少し頑張るように」

「はーい」

 かしゃっと。

 一枚撮る。

「なんで、だ……」

 なおも苦しみながら、刑事さんは言葉をひねり出す。吐血しているらしく、口を覆うマスクが赤く染まる。

「なんで、探偵が殺人鬼を…………」

「……………………」

「そんなことが、許されると思っているのかっ! 探偵が、しかも名探偵と呼ばれるあんたが、殺人鬼を囲っているなんて! 探偵業界そのものに亀裂が走るぞ! それでもいいのか!」

「そうですね……」

 冷めた目で刑事さんを見ながら、師匠が呟く。

「確かに、大スキャンダルです。名探偵が殺人鬼を弟子にしている。探偵業界の信頼を揺るがすような大事件になりますね。業界全体の信頼を損なうような行為を、よりによって業界の主たる存在の僕がするのは駄目なことだ。とてもいけない。しかし………………」

 師匠は、わたしの肩を抱いた。

「すべては、の前には正当化される」

………………」

 わたしは、肩にある師匠の手に自分の手を重ねた。

 あたたかい。

「僕の、いや僕らのあらゆる行いは、親子の愛情と絆の前に正当化される。家族って、そういうものでしょう?」

 まあ僕には両親がいなかったから分からないんだけどと、師匠は呟く。

 親子であり、師弟であり、名探偵と殺人鬼。

 それが、わたしたちだ。

「そんな家族が、あってたまるか……」

「事実ここにあるんですよ。ちゃんと現実を見ましょう」

「………………………………」

 礼戸刑事は。

 動かなくなった。

「さて、帰ろうか」

「はいっ!」

 わたしと師匠は、死体をその場に残して。

 帰る。

 わたしたちの居場所の、NG探偵事務所まで。

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