#3:死体発見現場にて

 死体の発見現場は、尾道大学の傍にある湖の湖畔だ。地元の住人は水源地と呼んでいて、上水道がきちんと整備されていなかった昔に水を供給するための役割を担ったとか。今は、どういう意味があるのか知らない。昔の篤志家が整備したものだから、文化遺産的に残しているだけで今は機能していないのかもしれない。

 死体発見現場までは整備されているとはいえ山道だ。この猛吹雪の中ではどうしても車での移動はゆっくりになる。そこでわたしたちは車の中で、捜査資料を見ながら時間を潰した。

「つうかなんで嬢ちゃんがついてきてるんだ」

「師匠の弟子ですから」

「子どもの遊び場じゃねんだぞ現場は……まったく」

 刑事さんは溜息をついて、運転に集中する。

「今まで発見された死体は五体。男性が三人で女性が二人。今回発見されたのも男性だが、男女比に意味があるタイプの犯人ではなさそうだ」

 資料をめくりながら、師匠が言う。マスクで声がくぐもった。

「四対二くらいなら偶然の偏りで説明がつく範囲だからな。もっと死体サンプルが増えれば男女比に意味を見出せるかもしれないが」

「やめてくれ。あんたが出張るってことはさっさと事件を解決してくれってことなんだから」

「分かってますよ」

 なおも資料をめくる。

「さて欠片。この資料を見て分かることはなんだろう?」

「うーん、被害者の身なりがいいです」

 見たところ五人の写真は、いずれも身なりがいい。着ている服もファストファッションではなく、どことなく仕立てが良さそうだ。

「そうだな。ではそうなると、何を考える?」

「犯人は金銭目的で殺人を犯した?」

「残念。資料を見る限り金品に手は付けられていない。少なくとも強盗殺人ではないということだ」

「ふむ…………。あ、でも身なりがいいのは当然ですか。開発、供給されてすぐのワクチンを接種できるんですから、それなりに裕福な家庭の人じゃないと」

「そう。まずそれは考えられるな」

 すると、ワクチンキラーの目的はなんだろう。

「身なりのいい人を襲った。目的は金持ちが憎かったから。ワクチン接種者が被害者になったのは偶然、とかですかね。六人なら偶然の範疇では?」

「どうだろう。ワクチン接種者の少なさを考えると、その線は難しいだろう。金持ちを狙ったからワクチン接種者がターゲットになったのではなく、ワクチン接種者が狙われたから必然的に被害者が金持ちばかりになったと考えるべきじゃないだろうか」

「なるほど」

 でもそうなると、犯人はワクチン接種者を狙いすましたということになる。そしてワクチン接種後すぐに殺害した。

 どうやって?

 結局、問題はそこに集約される。どうやって犯人は、ワクチン接種者を狙ったのか。

「まさか道行く人たち全員に『あなたはワクチンを接種しましたか』って聞いたわけじゃないですよね」

「そんなことをすれば、目立つな。警察に何かしら情報が入っていてもおかしくない」

 普通は、か。師匠、含んだ言い方をしたな。

 もう師匠はことの全容が見えているらしい。さすが天下の名探偵。そうでなきゃ。

「ところで師匠。被害者は毒殺されているという話でしたけど、毒物はどこから検出されたんですか?」

「ここに書いてある」

 師匠は資料を開いて見せてくれる。被害者の司法解剖記録だ。

「被害者から検出された毒物はヒ素だ」

「ヒ素……」

「ああ。胃の中から検出されている。不可思議なことに、ヒ素をタブレット状にしたものが発見されているらしい」

「タブレット状……錠剤になっていたってことですか?」

「そう。食料や飲料に混ぜられていたわけではない。飲み込みやすいように加工された錠剤が毒殺に使われている」

 それは………………。

「錠剤も、その気になれば無理矢理飲ませることはできると思いますけど……」

「だが、普通は食べ物か飲み物に混ぜて、気づかせないようにする。気づかれずに殺せることが毒殺の大きなメリットだからな。無理矢理飲ませるくらいなら、もみ合いになりながらでもナイフを突き立てた方が楽だろう。これも不審な点だ」

「師匠は、もう分かっているんですよね」

「もちろん」

 運転席の刑事さんが咳払いする。

「分かってるならさっさと犯人を挙げてくれよ」

「きちんと起訴できる形で上げるには手順が必要ですよ。それに僕が警察に協力する条件は……」

「分かった分かった。そこの嬢ちゃんの教育機会を与えること、だったな。まったく、現実の事件はお手軽な知育ゲームじゃねえってのに……」

「後進の教育は大切ですからね」

「さすがに、天下の名探偵様は言うことが違うな」

 師匠と刑事さんの会話を尻目に、わたしは考え続けた。

 疑問点は、二つに絞られる。

 ひとつは、なぜ犯人がワクチン接種者を狙い撃ちにできたのか。これは、師匠からヒントが出ている。聞いたら目立つと。裏返せば、普通でない方法なら、直接被害者にワクチン接種の有無を聞いても大丈夫だということだ。

 だが…………。例えば被害者を拘束して、ワクチンを接種したかどうか聞いて、もし接種していなかったら? まさか解放するわけにもいくまい。じゃあ犯人はワクチン接種者以外も殺していて、そっちは表沙汰になっていないとか? いや、それも考えにくい。それなら犯人は表沙汰になっている数以上の殺人を繰り返していることになるが、尾道で死体の発見数がここ数か月で急上昇したという事実はない。

 つまり犯人はワクチン接種の有無をさりげなく聞き出し、被害者を選定する方法を確立しているということだ。

 そしてもうひとつの疑問点が、被害者を死に至らしめた毒物の接種ルート。毒物をわざわざタブレット状に加工して、飲みやすくしている。食べ物や飲み物に混ぜればこっそり殺せるのにも関わらず。それは、なぜ?

「よし、着く、が……」

 車が減速する。しかし、刑事さんはうっとおしそうに愚痴った。

「また連中だ」

「………………うん?」

 外を見る。

 死体発見現場である湖畔は規制線が張られていて、当然、野次馬が侵入できないようになっている。その規制線の外側では、野次馬が集ってぞろぞろと現場を見ている。

 いや、あれは野次馬ではなく……。

「探偵、反対!」

「反対!」

 各々がプラカードを掲げ、口々に叫んでいる。

「猫目石瓦礫、出ていけ!」

「出ていけ!」

「またか」

 師匠がため息を吐く。

「反探連の連中だ。まったく、こんな吹雪の日くらい休んでもバチは当たらないだろうに」

 反探連。

 反探偵活動連合。通称反探連。師匠のような探偵が活動を行うことに強い反感を抱いていて、事件が起きて探偵が出張ると、こうして現場に現れてはデモ活動を行う連中だ。とっちめてやればいいのに。ただ、野次馬ではあるし邪魔ではあるけど、規制線の外側で騒ぐ分には面倒なだけで違法じゃないから警察も取り締まれない。探偵撲滅団Ωみたいに違法行為でも働いてくれれば話が簡単になるのだけど、あくまで連中は市民活動のグループだ。

 無視してこっちは動くしかない。

「まったく。なんで師匠を目の敵にするんでしょうね」

「さあ。僕は探偵だから、彼らの心は分からない」

 師匠は鞄からニット帽とサングラスを取り出した。

「ほら、欠片。顔を隠すんだ」

「別にわたしは構いませんよ?」

「僕が構うんだよ。僕はともかく、未成年の君が連中に顔を知られるのは穏やかじゃない」

「はーい」

 受け取る。ニット帽を目深にかぶり、サングラスをかけた。その上でマスクをしてマフラーに顔を埋めているから、人相は分からないはず。

「反探連の連中がいるなら着替えれば良かったですね。着物着てくれば良かった」

「着物は変装になるのか?」

「なりますよ。着物着るとわたし、大人っぽく見えるみたいで」

「中学生が大人も何もないだろう」

「大人っぽいんですー」

 言いながら、外に出る。吹雪は多少弱まっているけれど、相変わらず寒い。

「それに着物は動きにくいだろう。捜査向きじゃないな。君の持ち物は古着が大半だが、それでも汚れるかもしれないし」

「ですね。『解読屋』の睦月おばさんみたいに安楽椅子探偵決め込むならまた別なんですけど」

「あの人は暗号の解読が専門だからなあ。僕はどうにも昔から、実地に現場を見ないと落ち着かなくて」

 聞いた話では、師匠はかなりの事件誘発性体質なのだとか。昔から殺人事件に巻き込まれてばかりいたらしい。それで探偵としての腕が身に付いたのだろう。その経験から、今では情報収集だけで大抵の事件は解決できるけど、それでも一度は現場を見ないと気が済まないようだ。癖なんだろうね、死体を見るのが。

 それはともかく、死体の検分である。

「どんな感じですか」

 師匠が近くにいた鑑識の人に尋ねる。

「司法解剖しないとなんとも断言できませんが、手口は同じみたいです。死体の状態は、典型的な急性ヒ素中毒に見えますからね」

「なるほど」

 ちらりと周囲を見渡す。やはり、被害者がここまで来るのに使った車などは見当たらない、か。まあここは大学のすぐ近くだから、バスがあるけれど。とはいえ、被害者が自力でここへ来たわけではなさそうなのは間違いない。

「この周囲で怪しい車などの目撃情報は?」

 犯人が被害者を運ぶのに車を使った可能性が高い。それを師匠も考えたのか、鑑識の人に聞いた。

「それも今調査中ですが、たぶん空振りでしょう。前五件と同じです。怪しい車の目撃情報は無し」

「ふむ…………」

 師匠が髪を掻きながら考える。自分の推理との齟齬がないか確認しているのだろう。

 尾道はそれなりに田舎だ。田舎というのは車がないと普段の生活もままならない。裏返せば一人一台くらいの感覚で車をみんな持っているけれど、それゆえに普段目にしない車が通ると目立つ。それなのに、これまで犯人らしき車の目撃情報はない。

 と、すると犯人は…………。

「そうだ、あれはありましたか?」

「あれ?」

「診察券」

「ああ、はい」

 鑑識の人が袋を見せる。そこには黄色い診察券が入っている。

 診察券には、長峰医院と記されていた。

「…………………………」

 わたしはその診察券を尻目に、首から下げていたポラロイドカメラを掲げた。

 被害者は全員がワクチンを接種している。そして、師匠の調べが正しいなら、尾道で新型感染症のワクチンを提供しているのは長峰医院だけだ。

 つまり被害者は長峰ちゃんの病院を出てすぐに殺されているということ。だから礼戸刑事は、今日もしつこく長峰家に聞き込みに来ていたのだ。犯人が医院の内部にいるなら、話はだいぶ簡単になるから。

 医院の人間なら、誰がワクチンの接種者なのか知るのは容易い。

 だが、内部犯の可能性はない。なにせ被害者はワクチン接種後すぐに殺害されているのだ。それは被害者が医院を出てすぐ犯人に捕まっていることを意味している。もし内部に犯人がいるのなら、被害者が医院を出るのとほぼ同タイミングで毎回抜け出している誰かがいるはずだが、そんな目立つ行為をしている人間は長峰医院にいない。いるなら今頃事件は解決している。

 犯人は、他にいる。

 ポラロイドカメラを向けて、レンズを覗き込む。レンズの向こう側で、死体は苦悶に顔を歪ませている。典型的な、毒物による中毒の状態。

 被害者はどうやって毒を飲んだのか。

 これはわたしの直感だけど、たぶん師匠も服毒の方法までは気づいていないと思う。師匠はよく言えば合理主義、悪く言えば怠け癖のある人だ。犯人を特定できるなら、推理はそれで満足してしまう。服毒の方法が分からなくても、犯人が分かるならそこを詰める必要がないと考える人だ。

 車内で師匠がわたしの問いに「もちろん」と答えたのは、あくまで事件全体は分かったということで、細部に関しては詰め切っていない、と思う。あの人そういうことするから。

 師匠が分からないことを、わたしが分かるはずもない。だからこれは、犯人をとっちめてから聞き出せばいい。

「『死相屋』の真似事とは感心しねえな」

 後ろからわたしに、礼戸刑事が声をかけてくる。

「仏さんの顔なんて取るもんじゃねえ」

「毒殺された死体は見るのが珍しいもので。参考資料として一枚欲しくて」

「せめてデジカメとかにしろよ。ポラロイドなんてそれこそ『死相屋』だ」

 死相屋。

 ワクチンキラーと並び、ここしばらく尾道を騒がせているもう一人の殺人鬼だ。ポラロイドカメラで撮影した被害者の死に顔を置いていくことから、そう名付けられている。

「しっかし、いつから尾道はこんなに物騒になっちまったのかね」

 礼戸刑事がため息を吐く。

「死相屋だけじゃねえ。目刺し魔、手フェチ、坂の上の殺人鬼…………。ここ数年、ひょいっと殺人鬼が現れては消えるを繰り返してる。全部未解決だ」

「そういうこともありますよ」

「天下の名探偵たる猫目石瓦礫を抱えても、か?」

「師匠も万能じゃないですから」

 ちらりと師匠を見る。師匠は死体を検分するためにこちらへ近づいてきていた。

「僕が万能かどうかはともかく」

 話を聞いていたらしい師匠はくちばしを挟む。

「既に何度もご説明している通り、それらの殺人鬼は特定されないよう、殺害現場を転々と移しているタイプです。尾道での活動もその一端。観光地ゆえに観光客のふりをすれば赤の他人も紛れこみやすいこの土地の性質を利用しているのでしょう。連中の行動範囲が尾道市に留まらない以上、尾道市警だけの要請では僕も動けません」

「広島県警のお偉いさんは探偵嫌いで有名だからな」

 コートのポケットに手を突っ込みながら、刑事さんは呟く。

「さっきからうるさい反探連の連中に、県警の上層部の身内がいる。そのせいでこっちも連中を力づくで排除できねえってこったな」

 逆に師匠の地元である愛知や、知り合いの同業者がいる京都や東京だと歓迎されて動きやすいんだけどなあ。土地が変わると探偵への態度も変わるわけで。尾道市警は師匠が長年ここで活躍しているから受け入れるようになってきているけど、それ以外の広島県内はどうもね。

「それで? 死体を見た感じどうだ?」

「さて…………。見たところ、捜査資料から受ける印象と大差はないですね」

 師匠は立ち上がる。

「じゃあなんで見たんだよ」

「ルーティンのようなものですよ。直に見て推理と齟齬がないか確認した方が安心できる。安心は、大事です」

 ひょいっと、師匠はわたしのカメラを覗く。わたしのポラロイドカメラはデジカメのようになっていて、撮影した画像をUSBメモリーに記録して、必要なものだけを現像できる。ポラロイドのフィルムは高いから、デジカメ機能は地味に助かる。

「どんなもんだ」

「こんなもんです」

「いい感じだ。欠片は写真家になれる」

「えへへ」

 隣で礼戸刑事がため息を吐く。

「死体専門の写真家なんてぞっとしねえな。で、犯人は分かったのか?」

「あと数手で詰みですね。ただ、それまでの間に……」

 ぽんぽんと、師匠はわたしの頭を撫でた。

「欠片。君はこの事件の犯人が分かるかな?」

「うーん」

 少し考える。

 一応、それらしい答えは出ている。

「一人だけ、心当たりが」

「よろしい。じゃあ欠片はそっちを詰めるんだ。それが正解かどうかは、後で確かめよう」

「はいっ」

 いようし。

 師匠から許可が出た。

 これから楽しい、犯人狩りだ。

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