#2:NG探偵事務所

 広島県尾道市。

 文人墨客の町。映画の町。寺社仏閣の町。猫の町。小さいながらも観光地としてはそこそこ知られている。結構前だっけ、ヤクザゲームの舞台にもなったことがあるらしい。そんなこの町は、わたしにとっては探偵のいる町だ。

 尾道の中心地は、国道二号線とそれに並走するJR線を境目にして、南に長い商店街、北に寺社の並ぶ山の手がある。

 元は商店街の位置する場所はそこまで広い平地ではなく、もっと海が迫っていた。商店街を歩いていると、そのときの名残で、階段状の船着き場が内陸にあるのが分かる。埋め立てて、今の地形になったのだ。

 その当時はまだ人口も多くなかったようだが、人口が増えると住む場所がなくなる。それで、昔は山の手は寺社のある場所で住宅地にするべき土地ではないとされていたらしいのだけど、そうも言ってられなくなり、山の手にも住宅が建てられるようになった。その結果、山の手は寺社と住宅、時々喫茶店が入り乱れる迷路のように入り組んだ路地を形成した。これが尾道に特徴的な街並みの生まれる要因なのだとか。

わたしはここで生まれて育ったから、この街並みが当たり前で、特別珍しいと思ったことはないけれど。

 そんな山の手の一角に、NG探偵事務所はある。

「あ、ここで」

 ある程度までなら山の手も車が入れるけれど、一定以上進むと入れなくなるほど路地も狭くなる。適当なところでタクシーを降りて、事務所に向かう。

 NG探偵事務所、兼師匠とわたしの自宅は山の手の住宅でもそれなりに大きい部類で二階建て。とはいえ全部が事務所なのではなく、一階には『和喫茶雲母きらら』という喫茶店が入っている。二階が事務所だ。

 外階段を上る。すりガラスに『NG探偵事務所』と白い文字で書かれた扉を開く。

「師匠、ただいまっ!」

 部屋は入ってすぐ、応接室になっている。応接用のソファとローテーブルのセットの他、師匠がいつも座っている事務机と椅子のセットもある。

 師匠は、壁際のラックに置かれたコンポを弄っていた。

「おかえり、欠片」

 いつも通りの無表情。それでもどこか優しい感じがする。

 師匠は、三十台前半から半ば。働き盛りの壮年だ。身長は男性にしてはあまり高くなくて、ひょっとするとわたしがあと数年したら追い越してしまうかもしれない。師匠はいつも「それはない」って言うけど。

「ねえ師匠、さっき刑事さんと会いまして」

「分かってる」

 勢い込んだわたしを師匠が制して、髪を掻く。鳥の巣みたいにくしゃくしゃの髪がさらにごちゃごちゃになる。

「さっき連絡があった。礼戸刑事が来るらしい。その前に今回の事件について説明しようと思っていたところだ。ゆっくりお茶でも飲みながら。手を洗っておいで」

「はーい」

 一度自室に入って、コートを脱いでマフラーとカメラを置く。マスクを外し、手洗いうがいをして戻った。師匠は危なっかしい手つきで急須にお湯を注いでいた。

「そういえば雲母さんがさっき来たよ」

 唐突に、師匠がそんなことを言う。

「マスターが?」

 雲母さんは、下の喫茶店を経営する女性だ。年は師匠より少し若い。

「ここしばらく地元に帰るらしい。それで留守の間店を頼むと」

「へえ」

 師匠と雲母さんの関係は、正直よく分からない。師匠はもちろんのこと、雲母さんもあまり考えていることが表情に出るタイプじゃないから。師匠はぼうっとして何を考えているか分からない無表情だけど、雲母さんは冷たくじっとこっちを見通すような真顔だ。よくそれで客商売が勤まるな、という感じだけど、あれで案外ユーモアがあるのだ。

 ただ、師匠と雲母さんは馬が合うらしい。たぶん、普通以上には。傍目には付き合っていると思われてもおかしくない。二人とも、身を固めてもおかしくない年頃だから余計にそう思われるみたいだ。

 付き合っちゃえば? と、適当に言ったことがある。まあわたしの言うことなんて八割適当なんだけど、そのときはどことなく、本気の色も含んでいたと思う。でも師匠は「いや…………」と言って、いつも以上に黙り込んだ。

 それからようやく「僕はもう、女性とは付き合わない」と。何か女性に嫌な思い出でもあったのだろうか。でもそのとき、師匠は事務机に置いてあった写真を見ていた。その目は、いつにもまして優しかったようにも思うのだ。

 もうってことは、以前は誰かと付き合っていたのかな。

「それで、雲母さんが挨拶代わりに置いていったお菓子がある。それも出そう」

「お菓子?」

「尾道水道」

「師匠の好物ですね」

「君もね」

 お茶が淹れられる。わたしと師匠は、ローテーブルを挟んで向かい合うように座った。

「それで師匠、今回の一連の事件なんですけど、あれですよね。連続毒殺事件」

「ああ、それだ」

 まあそうだろう。だって礼戸刑事来てたし。

「ここしばらく話題になってましたよね。でも最初、山中に死体が捨てられていること以外は共通点がないって言われていましたけど、結局連続殺人事件ってことになったんですか?」

「そうだな。まずはそのあたりを軽くまとめよう」

 言って、師匠がリモコンを操作する。するとコンポから、軽快なリズムで音が流れ出す。

『DJササハラの、血みどろニュースチャンネル! どんどんぱふぱふー』

「録音ですか」

 『DJササハラの血みどろニュースチャンネル』は、深夜帯で放送しているラジオ番組だ。女性ラジオパーソナリティのDJササハラが怪奇的、猟奇的な事件を紹介していくというのが基本コンセプト。でもたまに犯罪学者や被害者支援団体の代表を呼んで話を聞くなど、本格的な犯罪講義を行うこともあって、深夜帯ながら人気のある番組だった。

「この番組、わたしが師匠と会った頃から流れてましたけど、けっこう長寿番組ですよね」

「僕が学生の頃からやっていたからな。ラジオ番組、しかもこの手のスプラッタ趣味にしては息が長い方だろう」

 なにせDJササハラ、ついに去年の紅白では司会を務めたくらいだ。まあ、それには若者人気を取り込みたい制作サイドの思惑もあって、パーソナリティだけでなくネット番組でも著名な彼女が起用されたという話だったけど、とにかく今人気急上昇中の司会者だ。そんな彼女のデビュー番組だから、その点からも人気がある。

『さて、今回紹介するのは尾道山中で発見された連続不審死事件ということで……。情報入りたてのホットなニュースをお届けします』

 なるほど。ちょうど番組で事件のことを扱っていたのか。

『広島県尾道市。志賀直哉や林芙美子で有名な文人墨客の町ですが、ここ一か月くらい、ある事件が町を騒がせています。それが連続不審死事件。え、不審死? なんだよ殺人事件じゃないの、と思ったそこのあなた! チャンネルはそのままで。不審死というのはあくまで、現在捜査中の警察がそう言っているだけ! 確かな筋からの情報によると、これは間違いなく、連続殺人事件なのです!』

「確かな筋ってなんでしょうね」

「さあな」

 あまり興味もないのか、師匠はお茶を啜った。

『事の発端は一月中旬。新型感染症が再び猛威を振るう中、尾道市山中で死体が発見されました』

 尾道山中。観光地としての尾道は商店街と、寺社のある山の手が中心だけど、無論それだけが尾道の全容ではない。東尾道へ足を向ければそこは国道二号線を中心として発展した街であり、尾道市立大学周辺を見れば深い山が広がる。尾道市山中とは、ここではやまなみ街道の下あたりか、大学のさらに北か、その辺りのことだろう。

『発見者はトラックの運転手。山中をトラックで移動中、道の傍で誰かが倒れているのを見つけたので車を停めて近づきました。倒れていたのは身なりのいい紳士だったとのことですが、呼び掛けても応答がない。それで慌てて救急車を呼んだところ、駆けつけた救急隊員によって彼が死んでいることが確認されたのでした』

 この話には、大事な点がある。

『おっと? トラックの運転手は死体を発見したのに、救急隊員が来るまでそれが死体だと気づかなかったと? そうなのです! その死体には争った跡もなく、また外傷もなかったので発見者の運転手は、気を失っているだけだろうと思っていたのです』

 ゆえに、不審死なのだ。

『警察が司法解剖を行い調べたところ、体内から毒物が発見されました。では被害者は毒殺されていたのか? これがイマイチ分からない。争った形跡を与えずに毒殺したのなら、後は死体なんて処分し放題。だってその辺は山なんですから。なのに死体を適当に放置している。かと言って服毒自殺だとするとこれもおかしい。被害者が現場に行くための足が傍にはない。また毒物を入れていた容器も発見されない』

「ふーむ」

 考える。まあ、状況から察するに、というか師匠に声をかけた警察の動きから察してこれが殺人事件なのは間違いない。ただ、死体がひとつ発見された段階ではなんとも言い難かった。ゆえにまだこのときは『不審死事件』と呼称されていた。

『この死体が一件だけなら、そういう変な事件もたまにはあるよね、で済みました。ところがさらに一月中、三件の死体が発見されます。同様に山中で、同様に死体には争った形跡も外傷もなく、毒殺されて』

 ここへ来て、事件は急速に重大性を帯びてくる。同様の死体が合計で四件見つかれば、警察も目の色を変える。

『さらに二月に入りもう一件。これで警察も我慢ならず、事件は公になったのです』

 だが、それだけならただの不審死が五件だ。こう言ったらなんだけど、大した事件じゃない。少なくとも、この手のゴシップ好きを納得させるような話題性には欠ける。

 この事件には厄介な共通点が実はある。

『うーん。これだけだと普通の事件じゃない? って思ったそこのあなた! 違うんだなーこれが。実はこの事件には、今の時期らしい共通点があるんです』

 それは…………。

『ワクチン』

「……………………」

『そうワクチン。今、というか去年から流行している新型感染症のワクチン。被害者を調べたところ、すべての被害者がそのワクチンの接種者だったのです。しかも、接種してすぐに殺害されていると!』

 つまり犯人は、ワクチン接種者を狙い、さらに接種後すぐの状態を狙い撃ちにしている。

『ゆえに今回の連続殺人、その犯人はワクチンキラーとでも言えるでしょう! ワクチン接種が叫ばれる中、尾道ではワクチンを打つと殺される、なんて言われて大変なことになっています』

 ワクチンキラー。

 それが、今尾道を騒がせている殺人鬼の名前。

『ここ数年、尾道を騒がせている殺人鬼である死相屋とあわせ――――』

 そこで師匠はリモコンを操作し、コンポの電源を落とす。

「以上が、簡潔なまとめだ」

「いつも思うんですけど、警察にも仕事を依頼されるくらいの名探偵な師匠が、長寿番組とはいえ一介のゴシップラジオを鵜呑みにしていいんですか?」

「問題ない」

 リモコンを置いて、師匠は息を吐く。

「今回の、というかこの番組の大抵の情報提供は僕だ」

「え?」

「DJササハラは高校時代の後輩でね。彼女はその当時からこのラジオ番組をやっていた」

 そうなのか。じゃあ確かな筋って師匠のことか。いや、じゃあさっきの「さあね」は一体なんだという話になるんだけども。

 こういうところが適当なんだよな、師匠って。自分のことなのに他人事みたいに話すときがある。

「それはともかく、以上の点から見て、君はどう思う」

「うーん」

 尾道水道の包装紙を破りながら考える。

「ワクチンキラーってのはあまりセンスのない名前ですね」

「名前、重要かい?」

「重要ですよ。殺人鬼にとって他人からどう呼ばれるのかはすごく重要です」

 わたしが知る例では、気に入った名前で呼ばれるために手口を変えて何度か殺人を犯した殺人鬼の例もあるらしい。あるいは、捕まらないように手口を変えている内にいくつもの名前を貰ったりする場合もあったり。

 存在を大っぴらにできないからこそ、殺人鬼にとって通り名は重要だ。

「でもともかく」

 お菓子を齧りながら、話を続ける。

「今回の事件で一番興味深いのがそれですよね。ワクチンキラー。ワクチン接種者を狙う殺人鬼。なんででしょう?」

「一番いやなパターンは、政治的な思惑が絡む場合だな」

 師匠もお菓子を食べながらぼやく。

「探偵が解決できるのはあくまで個人的な事件だ。政治的な思惑が絡むと面倒この上ない。犯人が反ワクチン論者だとか、中国の陰謀論にかぶれた人間でないことを祈るばかりだ」

「さっきも長峰ちゃんと話してましたけど、なんでそんな陰謀論が出てくるんでしょうね。つい最近もアメリカで陰謀論者が国会議事堂を襲撃しましたけど」

「あれとこれのベクトルはだいぶ違うが……。共通しているのは、複雑な世界を単純に、しかも自分が丸々きちんと理解できるという傲慢だろうな」

 傲慢、か。

「世界というのは複雑で、個人の思考や目線が届く範囲には限界がある。それを理解できず、自分はすべてを理解できるという万能感に浸るとああなる」

「なるほど」

「とはいえ厄介なのは、僕等のような業界にいると陰謀論がたまにひょいと本当になることだろうな。ある教育機関は天才を人為的に作り出していたし、国は裏で殺人を教育に組み込むプログラムの実験をしていたし、探偵撲滅団Ωとかいう謎の集団は暗躍している。業界の人間で、そういうのに関わっている内に陰謀論から抜け出せなくなったやつは何人もいる」

 探偵も人間、ということか。事件を解決できる才覚と能力があっても、陰謀論に巻き取られることはある。

「とはいえ、反ワクチンに関してはある意味仕方のないことでもある」

「そうですか? 聞いた話だと、副作用が発生する確率は低いみたいですし……。この21世紀にワクチンを疑うってのも変な話ですけど」

「ワクチンに対する恐怖や不安、というのは実は正確ではない。彼らが不安を抱えているのは、ワクチンではなくそれを提供する医者たちに対して、だ」

「医者?」

「君は年代じゃないからあまり知らないと思うけど、昔、予防接種で注射器を使い回したせいで病気を感染させたケースがあるらしい。まあ僕も世代じゃないんだが……」

 そんな初歩的な衛生ミスを。

「アメリカじゃ黒人相手に人体実験をしたものだから、今でも非白人層は医療業界に不信感を持っている場合があるらしい。それに医科大学で入試の不正操作があったのはつい最近だ。そうやって、医療業界ってのは昔から自分たちの信頼を棄損し続けてきた」

「……………………」

「ワクチンを打って副作用が出る確率は低い。だから安全というのは一面では事実だ。だが何万人もが接種すれば、必ず誰かはババを引く。大事なのはそのとき、副作用にきちんと向き合って治療と補償がなされるかという点だ。残念ながら医療業界ってのは日本に限らず、その点はまるで信頼できない」

「そんなもんですか」

「そんなもんだよ。ほら、けっこう前だけど君に子宮頸がんの……えっと、そうだ、HPVワクチンを打たせただろう。あれも僕としてはかなり戦々恐々だったんだ。あれは副作用が出ても、医療業界は心因性だと言ってまるで取り合わなかったからな」

 師匠、そんなこと思ってたのか。意外、でもないのかな?

 嬉しいけど。

「ともかく、そういうことってのは積み重なる。業界全体が信頼を棄損すれば、こういう有事の際に陰謀論に付け込まれる隙になる。だが元はと言えば信頼を失墜させた連中の自業自得。同情はしないが、他山の石としないといけない」

「師匠は探偵業界のトップですからね!」

「そういうこと」

 それで、話を戻して。

「犯人が政治的思惑を持っていないことを祈るとして、仮にそうだと仮定するなら、問題は……」

「どうやって被害者がワクチンを接種したのを知ったか、ですよね」

 そこだ。なにせ司法解剖の結果では、被害者はワクチンを接種してすぐに亡くなっている。

「まあこれも、可能性はいくつかあるし、その中で一番現実的な案は既に調べているんだが……」

「なるほどー…………」

 ん?

「え? 調べてるんですか?」

「ああ」

「もう?」

「もう」

 いつの間に。

「相変わらず仕事早いですよね、師匠って」

「まあね。探偵の仕事は八割が情報収集だ。そこを怠ってはいけない。たとえ警察から依頼がなくても、めぼしい事件の情報はあらかじめ収集しておくくらいはしておくさ。そうしておくと、依頼が来たときすぐに対応できて有能っぽく見える」

「あくまでぽくなんですね」

「とはいえ、それっぽく見えるってのは重要だ。実際に有能であることはもちろん大事だが、それをきちんと他人に見せること、いわば自己ブランディングがフリーランスの探偵には求められる」

「勉強になります」

 覚えておこう。自己ブランディング。

 しかしセルフプロデュースとはほど遠そうな師匠から自己ブランディングなんて言葉が出るとは……。大変だなあ、探偵業界。

 お菓子の残りをほおばる。そのとき、事務所の扉がノックされる。

「刑事さんだ」

「開いてます。どうぞ」

 扉が開く。猛吹雪の寒風とともに、コート姿の礼戸刑事が入ってくる。

 その姿はさっき見たときよりもやつれているように見えたが、その原因はすぐに分かる。

「今し方、新しい死体が発見された」

「………………ほう」

 師匠の目が光る。事件を前にして活き活きするところは、普段無気力っぽく見えてもやっぱり探偵だ。

「来てもらおうか。名探偵、猫目石瓦礫の力を借りよう」

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