ワクチンキラー:名探偵と殺人鬼
紅藍
#1:バレンタインを前にして
「真っ赤なお鼻の、トナカイさんは~」
ぽん、ぽん、ぽん、と。
引き延ばされ、テーブルに敷かれたクッキー生地に型を押し当てていく。
気持ちいいくらいするりと抜けて、次々にクッキーの元が出来上がっていく。
「
「もーいーくつ寝ると、お正月っ」
「それは一か月くらい前」
「うーん」
わたしは型抜きの手を止めた。
「思ったんだけどさ、バレンタインはこれって感じの曲ってないよね。お正月やクリスマスはあるのに」
「そりゃあ、バレンタインはあくまで商業的なイベントだからね」
なんて、一緒にクッキーづくりに勤しむ友人の長峰ちゃんは冷めたことを言う。
「童謡みたいな歌はないんでしょ。ポップスなら調べればあるかもだけど、そういうのって数年で廃れちゃうから」
「世知辛いものですなあ」
適当に相槌を打って、わたしはまた型抜きを開始した。
ちらりと外を見る。外では雪が猛然と降っていた。
尾道で雪が降るのは、それなりに珍しい、と思う。わたしが単に、記憶していないだけかもだけど。
「しかし降ってきたねえ。こりゃドタキャンしたみんなの方が正解だったっぽい」
今日は、クラスメイトの家でバレンタインに向けたお菓子作りの予行演習ということになっていた。ところが前日、大雪の予報が発令。これはやめたほうがいいのではとなり、ほとんどのクラスメイトは欠席してしまった。
だから今、この家にいるのはわたしと、家の主でもあるクラスメイトの長峰ちゃんだけという有様なのだった。
「欠片ちゃんは大丈夫なの? 帰りは」
「タクシーあるから大丈夫じゃないかな」
たぶん。タクシーは動くでしょ。たぶん。
「それにしても…………」
わたしは型を抜いて鉄板に並べたクッキー生地を見る。
「バレンタインって言ったらチョコだよね。なんでクッキー?」
「チョコなら入ってる。チョコチップ」
「いやまあそうなんだけどもさ」
長峰ちゃんが指で示す通り、クッキー生地にはチョコチップが練り込まれている。でもわたしが言いたいのはそういうことじゃない。
「バレンタインと言ったらチョコよ、チョコ。それはつまり、チョコ単体のことを指すのであって、チョコを含有する菓子類のことを指すわけではないのよ」
「そう?」
「そうとも。チョコレートにアーモンドを封じ込めたものをアーモンドチョコレートとは言うけれど、アーモンドにチョコをかけただけのものをチョコレートとは呼称しないわけ。つまるところ大事なのは含有量。その点から言えば、これはクッキーであってチョコレートではない」
チョコチップクッキーはクッキーであってチョコレートではない。
「そこでわたしが疑問に思うのはね。なぜ長峰ちゃんはバレンタインと言ったらチョコ、という絶対的な基準を揺るがしてまで、クッキーを作ることに固執したのか、ということ」
「ふーん」
長峰ちゃんは型を抜いて穴ぼこだらけになった生地をまとめて練り直す。
「それで、欠片ちゃんはどう思うわけ?」
「考えられる可能性はいくつかある。ひとつは単に、欠片ちゃんがクッキー好きという可能性。贈り物というのは他人が喜ぶかを基準に考えるものだけど、人間なかなかそれができない。だから自分中心に考える。自分が喜ぶものなら他人も喜ぶと考えがちなんだよね。ゆえに、クッキーが好きでクッキーを選択した」
でもそれはありえない。
「しかし、わたしが知るかぎり、長峰ちゃんが特別クッキー好きだという情報はない。この説を取るだけの確たる証拠はない。するとふたつ目に考えられるのは、オーブンが使いたかったという説」
「オーブン?」
「長峰ちゃんの家にはオーブンがあるけど、すべての家にオーブンがあるわけじゃない。だからバレンタインの手作りチョコは、湯煎で板チョコを溶かし、それを再成型するという方式がポピュラーになる。冷蔵庫はどの家にもあるからね。だからこそ疑問は強くなる」
バレンタインと言えばチョコ。そして手作りチョコはオーブンなどの特殊な調理家電を必要としない。つまり手作りしようとすればバレンタインは自然と、チョコを選択するのがベターになる。そのベターを外してまでクッキーを作る理由は?
「さらに疑問。今回のお菓子作り、発起人は長峰ちゃんだった。だからクッキーという選択肢は長峰ちゃんの意志が強く反映されている。ゆえに考える。どうして長峰ちゃんはクッキーにしたのか」
「その答えが、オーブン?」
「ノン、それは違う」
オーブンを使いたい。せっかく持っているのだから腐らせたくない。そう考えるのは人間なら自然だ。
だからこそ違う。
「クリスマスとお正月が直近にあった。オーブンで御馳走を作りたい放題のイベントがね。オーブンを使いたければそこで使えばいい。だからオーブンを使いたいという可能性は排除できる」
「クリスマスで使って、また使いたくなったっていう可能性は?」
「それだけ頻繁に使いたいなら、もう普通の料理で使うでしょ」
では、残された可能性は?
「本命に残した。これで決まり」
「本命?」
「チョコは本命用。だから大量配布の義理はクッキーにした」
たぶんこれだ。
「義理も本命もチョコは芸がないもんね。趣向を変えようというのは納得のいく話だよ」
「ふーん」
長峰ちゃんは適当に流そうとする。これ、図星のやつだな。
「ほれほれ、言いなされ言いなされ。誰が本命なの?」
「言わない。言っても仕方ないでしょ」
「むー」
はぐらかされた。
「まさか大量配布の選択肢をクッキーにするだけでそこまで突っ込んでくるとはね。だからあんた、他の女子から嫌われるんだよ?」
「え、嫌われてるの?」
「そりゃデリカシーないし」
なんてこった。
「これでも愛されキャラを演じていたつもりだったのに」
「演じてたらダメでしょ。心の底から愛されキャラになりなさいよ」
それもそうか。
「そのくせ男子からの人気は高いからねあんた。典型的な同性に嫌われて異性にモテるタイプ」
「そうなの?」
「自覚ないのか……」
異性からモテた記憶はない。
「そりゃあんた、思春期真っただ中の男どもに誰彼構わず話しかけてたらころっと行くでしょ。それにあんたの家は…………」
「おっとメールだ」
「人の話を聞けっ!」
ポケットからスマホを取り出してメールを見る。噂をすれば影だ。師匠からメールが入ってる。至急、なるべく早く戻ってくるように。無理そうなら連絡を……。
至急なのになるべくっていうのが相変わらず……。さっさと戻って来いって言えばいいのに、それが言えない師匠だなあ。
「どうしたの?」
「師匠からメール。戻って来いって」
「そう。なんかあったの?」
「なんかって言うなら、ここ最近ずっとなんかあるけどね」
「それもそっか……」
長峰ちゃんがため息を吐く。その何かにしばらく振り回されているのが彼女だ。
「まあいいや。そんなに急ぎじゃなさそうだし」
「そうなの?」
「急ぎなら師匠が直接迎えに来るから」
そういうわけで、クッキング続行。とはいえ、あとは並べたクッキー生地をオーブンに放り込んで焼くだけだ。さすがに完成までは待ってもいられないから、後片付けを終えたら帰還することにしよう。
「あー、早くまたみんなで遊びたい」
「そうだねえ」
彼女の呟きに、相槌を打った。
「密になっちゃうからね」
去年の三月くらいからか、新型感冒がうるさく言われるようになったのは。スペイン風邪とか、社会の授業で習ったことはあったけど、まさか自分が生きている間に感染症が世界的に流行する様を見るなんて思わなかったからびっくりだ。
「でもワクチン開発されたんだもんね。もう収まるよね」
「十六歳以下はワクチン打てません。あたしたち、まだ十四」
「そうだった。さすが医者の娘」
「一般常識でしょ」
そうかな。
そうかも。
「今ウチでもワクチン打ってるけど、大変で」
長峰ちゃんがため息を吐く。
「連日さ、病院に電話が来るわけよ」
「電話? ワクチンの予約?」
「そうじゃなくて、なんかこう、変なの」
変なのとは。
「ワクチンで儲けてるんだろー、とか。ワクチンは中国の陰謀だから止めろとか。とにかく変な電話」
「ああ」
何となく分かった。
「なーんか病気が流行ってから、世の中おかしくなったよね。師匠は元からおかしかったって言うけど……。ウイルスは中国のバイオ兵器だとか、WHOは中国に買収されているとか、陰謀論ばっかり」
ま、師匠の業界なんて陰謀論がたまに真実になったりするから、なかなか厄介なんだけど。
「そうでなくても新型の感染症だから情報が錯綜してるのにさ。……でも実際どうなの? 医療業界に明るくないわたしからすると、ワクチンって安全なのか分からなくて」
「安全だよ。父さんいわく、だけど。副作用が出ることもあるけど、確率はごく低いって。ソシャゲのガチャで一発SSR引く方が簡単なくらい」
「それはとんだ低確率」
そのとき。
ピンポーン、と。
玄関のチャイムが鳴った。
「はーい」
今、長峰家にはわたしたちしかいない。長峰ちゃんは両親ともが医者で、自分のところの病院で働いているからだ。結果、長峰ちゃんが応対することになる。
一方わたしは、片付けもあらたか終わったので帰る準備をすることにした。
「………………ん?」
コートを羽織ってマフラーを巻いていると、耳に不審な音が届く。なにやら、玄関でごたついている音だ。言い争いでもしているのだろうか。
クッキング中は置いていた、愛用のポラロイドカメラを首にかける。マスクもきちんとつけた。
そっと、廊下に出て玄関を伺う。
「だから、何度ウチに来ても意味ないって言ってるじゃないですか!」
玄関では、怒ったように長峰ちゃんが叫んでいる。相対しているのは、コートにスーツ姿の中年男性だ。
「そうはいってもねえ、事件が事件だからな」
「とにかく、ウチは関係ありません」
「それはこっちが決める話だもんでね」
ふむ…………。
長峰ちゃんに相対している男には、見覚えがあった。マスクで人相は判然としないけども、あれは……。
「礼戸刑事じゃないですか!」
乱入することにした。
わたしはわざと足音を立てて、どたどたと二人に近づく。
「どうしてこんなところに?」
「…………嬢ちゃんか」
くたびれた中年、礼戸刑事は溜息をついた。
「勘弁してくれ。なんで猛吹雪の中聞き込みに来たら嬢ちゃんがいるんだ」
「クラスメイトの家にいたら変ですか?」
「ああ、そう。そういえば聞き覚えのある中学だと思った」
あからさまに不満そうな、苦虫を潰したような顔をする刑事。
「欠片ちゃん、知り合い?」
長峰ちゃんが聞いてくる。後ろの姿見に、彼女の姿が反射する。
「うん。ほら、師匠の仕事の」
「そっか」
わたしは刑事に向き直る。
「それで、何かあったんですか?」
「何かもなにもないよ」
刑事は白い息を吐く。
「ここ最近の事件で聞き込みさ」
「だから、聞き込みはもう何度も受けてます!」
長峰ちゃんが息巻く。
「お話することは何もありません」
「そうは言ってもねえ、刑事ってのは何度も同じ話を聞くのが仕事だからな」
そんなこと言ってるから師匠に手柄取られてばっかりなんだと思う。
もっと師匠を見習って、合理的に、スマートにやってほしいものだ。
「まあまあ、ここは一旦引いてくださいよ」
「なんで嬢ちゃんが出しゃばるんだ」
「引かないと師匠にチクります」
「ちっ…………」
露骨に嫌な顔をして引き下がる刑事。
「分かったよ。どのみち他にも聞き込みの必要があるしな。それにお前の師匠にも、今日会いに行く予定だったんだ」
「じゃあ!」
思わず前のめりになる。
「ようやく師匠にお声がけですか! 遅いですね」
「こう何度も何度もお前の師匠を頼ったらこっちの面子が潰れるんでね。とはいえ、今回の事件はそうも言ってられないが……」
「じゃ、わたし先に帰ってます。早く来てくださいね」
手早く靴を履く。
「そういうわけだから、長峰ちゃん、行くね」
「うん。気をつけて」
「大丈夫。事件、師匠が解決するからっ!」
ひょいっと、玄関を抜けて外に出る。猛然と叩きつけてくる吹雪を前にしてさすがに身が縮んだが、それでも事件が師匠の手に渡ることの高揚感の方が強くて、寒さは気にならなかった。
長峰ちゃんの家は、彼女の両親が開いた病院のすぐ隣だ。小さな病院だけど、新型感染症のワクチンも打てるくらいには最新の設備も整っているものだから、地域の医療を担っていると言っても過言じゃない。そういう病院だから、すぐ近くにタクシー乗り場もあって、タクシーを捕まえるのに苦労はない。
停まっている一台に滑り込んだ。珍しく黄色でも黒でもない青い車だが、よく見ると個人タクシーらしい。
「NG探偵事務所まで!」
「はい」
運転手は白手袋をはめた手でハンドルを握ると、ゆっくりと車を発進させた。
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