第22話

 パルナを中心とした光の波が消えると、そこは先程までの葛城家の庭ではなく、赤と青、そして金で彩られた、洋館を思わせる小さな一室の中だった。

 だが部屋には窓も出入り口もなければ家具の類いもほとんどなく、ただ部屋の中央に、きらびやかな内装に不釣り合いな、質素で現代的なデザインの椅子がぽつんと置かれているだけである。

「ここは……?」

 辺りを見回すが、部屋の中にいるのは俺と先程のドレスを纏ったままのパルナだけであり、どうやら翼はこの空間に招かれなかったようだった。

 そんな瀟洒で殺風景な空間の中、俺は、その椅子にだけ見覚えがあった。

 これは俺たち兄弟が子供の頃に使っていた学習机付属のデスクチェアだ。

 背もたれが青色なのは、葛城家では長男が使っていたものである。

 それを見て俺は察しがついた。ついてしまった。

 間違いない、これは葛城煌の作っただ。

 屋敷を守っているような外性結界とは真逆の、世界と切り離された小さな領域を編み上げる内性結界。

 そしてこの術をもっとも得意としていたのが、葛城家の長男である葛城煌だった。

 なにしろ行方不明になる直前、十四歳の身で結界を使って物置ほどの空間を作るまでになっていたほどである。

 同じ結界術の使い手であった婆さんが、長年かけてようやく本棚くらいの大きさの空間を確保できるレベルだったにも関わらずだ。

 そんな煌兄が順調に術の力を伸ばしていたならば、どこにもない空間にこれくらいの部屋を作るなど容易いことだろう。

 俺とパルナが落ち着きなく部屋の様子をうかがっていると、唯一の家具であったその椅子に、一つの影が浮かび上がってきた。

 幽霊のような、存在感の希薄な揺らぐ影。

「お父様!」

 そこに腰掛けた姿を見て、パルナがいても立ってもいられずにそう叫ぶ。

 少しずつ輪郭がはっきりしてくると、俺にもそれが誰なのかわかった。

 もう何年も会っていないし、そもそも年齢を重ねた現在の姿など知るはずもないのだが、それでもひと目で理解できた。

 その人物はやはり葛城煌だ。

 俺の兄であり、パルナの父親である人物。

 つまり、本当に幽霊だったわけである。

 しかし、そこに現れた葛城煌は娘であるパルナの声にもなんの反応も示すことなく、ただ焦点の合わない泣きそうな笑みを浮かべて、ぼやけた姿でその口を開き始めた。

『パルナよ、我が娘よ。お前がここに来たということは、地球の葛城家にたどり着いて、ステッキの封を解いたということだろう』

 目の前のパルナのことなど見えていない、機械のような一方的な語り。

 だがたとえなんの反応を示さなくても、パルナはただその声を聞いただけで立ち尽くし、泣いていた。

 無理もない。

 この葛城煌の幻影は、まさしく彼女の中の思い出そのものなのだ。

『お前の隣にいるのが誰なのか、今の僕にはわからない。だがきっと、それが誰であろうと、その人はお前の力になってくれるはずだ。葛城家の人々はそういう人たちだ』

 もう十年以上も会っていないにも関わらず、その煌兄の幻影は、一方的に随分と勝手なことを言ってくれている。

 だがまあ、俺は煌兄のいう葛城家の人々の顔を思い浮かべてみて、煌兄の言葉を否定できる材料を何も持ち合わせていなかったが。

 実際、俺も婆さんも無条件でパルナを助けようとしているわけである。

 そしてその葛城煌の幻影は今度は手探りのようにこちらを向き、真剣な表情を作って大きく頭を下げる。

『そこにいるのは父さん、母さん、あるいは婆ちゃんか、もしくは明か、亮だろうか……。誰なのかは今の僕にはわからないけれど、突然いなくなって、こんな形でしか話ができなくてすいません。僕はずっと、なんとか元気でやっていました。こんな僕からの勝手なお願いですが、どうか、僕の娘を、パルナをよろしくお願いします。彼女には、まだ家族が必要なんです……』

「家族か……」

 その言葉に、パルナに対して俺と婆さんの行ってきたことを振り返る。

 最初に指摘されたとおり、俺たちは既にそういう振る舞いをしていた。

 ここで煌兄に言われるまでもなく、なんの疑問も持たず、パルナを家族として受け入れていた。

 心配いらない。パルナは葛城家の一員だ。家族だ。

 だがもう煌兄にそれを伝える手段はない。

 そして煌兄の幻影は俺のことなど無視して、再び父親の顔をしてパルナの方へと向き直る。

『だからパルナ、葛城家の人たちと仲良くして、いい子でいるんだよ。彼らに甘えたっていい。だけど、自分を見失わないことだ。それがあの家で、もっとも大切なことなんだ。でも、心配しなくても大丈夫。僕はいつでも、お前の側にいるんだから……』

 それを口にした煌兄の顔は、本当に穏やかで、人の親であることを実感させられる。

 この言葉こそが、もっとも伝えたかったことだったのだろう。

 それだけ告げると、葛城煌の幻影は再び揺らめいて、その姿は霧が晴れたかのように消散していった。

 ようするにこれは、煌兄が最期に残したビデオメッセージのようなものなのだろう。

 同じビデオメッセージでも烏丸のものとは大違いだ。


 そうして幻影は消え去ると、俺とパルナは再び部屋に二人残された。

 パルナと目が合うと、大粒の涙をこぼしながら俺の顔を見たパルナが、少し楽しげに口元を歪めて笑い、声をかけてきた。

「……師匠も、泣いているんですか」

「えっ?」

 その言葉に思わず目頭を拭う。

 指先に、温かい湿り気がまとわりつく。

 指摘されるまで気が付かなかったが、どうやら俺も泣いていたらしい。

「煌兄とはもう何年も会っていなかったし、別に泣くようなことでもないと思っていたんだがな……」

 自分でも、何故泣いてしまったのかわからない。

 正直に言えば、一緒に過ごした時間はまだ物心が曖昧だったこともあり、これまで煌兄にもう一度会いたいと考えたことはほとんどなかった。

 俺にとって葛城煌とは『いつの間にかいなくなっていた兄』というくらいの存在だったのだ。

 それがどういうことかちゃんと理解できるようになる頃には、もう葛城煌という存在はただ思い出の中だけのものになっていた。

「そうなんですか?」

「ああ、正直に言えば、子供の頃の思い出だけだからな。なんなら君のほうが……ああ、そうか……」

 そう言いかけて、俺は自分が本当に泣いてしまった理由にたどり着いた。

 俺は彼女のため、葛城煌の残したパルナという少女のために泣いていたのだ。

 彼女が葛城煌を失った重さは、あの時俺の前から煌兄がいなくなったのとは訳が違う。それに気付いたとき、俺は、自分の涙を止められなくなっていた。

「師匠、どうしたんですか、いったい……!」

 明らかにおかしくなってしまった俺の態度に、パルナも流石に心配そうに気遣ってくれる。

 自分が涙を堪えられないほど泣いてしまうほど心配している少女、そんな彼女を逆に心配させてしまっていることに苦笑いしながら、俺はゆっくりと息を吐き、流れ続ける涙を無視したままパルナと向き合った。

 あらためて見ると、そこにはやはり煌兄の面影がある。

「いや、もう大丈夫だ。俺のほとんど知らない煌兄が、君を託してくれたことを考えていたんだ。だからあらためて言う。君は、俺が、俺たちが守る。葛城煌の分まで守ってみせる……」 

 俺たちに葛城煌はもういない。

 だから、彼を失って本当に辛い、この眼の前の少女だけは、先に彼を失っていた自分たちが支えていかねばと思う。

 しかしパルナという少女は、葛城家の血を引く者の強さを持つ少女であった。

「大丈夫ですよ、師匠。いえ、全然大丈夫ではないですが……、私は、私のできることをしていくので。だから師匠には、私の力になるよりも、私に力を与えてください。私はなによりも、コウ・カツラギの娘として恥ずかしくない魔法使いになりたいのですから」

 その言葉は強がりのようでもあり、もっと根本的な、彼女自身を形作ろうという意思の表れのようでもある。

 一つだけ言えるのは、パルナは強いということ。

 それに応えるためにも、俺は俺にできる方法で、彼女を導いてやらればならない。

「ああ、そのためにも、今はまず修行を続けないとな……」

 そして俺は、出来得る限り力強く微笑んでみせた。

 それからもうひとこと、まったく別の根本的な質問をパルナに尋ねる。

「ところで、ここからどうやって出るかわかるか?」

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