第13話
これは、私のための戦争だ。
ワトと名乗る敵が襲撃してきた時、パルナはあらためてそれを実感させられた。
カツラギ・リョウと協力してその敵はなんとか撃退できたものの、そのことが指し示す事実に、パルナは気が重くなるばかりだ。
それでも、その刺客をひとまずは撃退できたこと、そしてなにより、パルナ自身の魔法が増えたことは、彼女の気持ちを安らかにさせることでもあった。
「ほら、どうですか、もう完璧じゃないですか」
新たに覚えた魔法を披露しながら、パルナは自信たっぷりにそう胸を張る。
リョウの教えてくれた『コチョーマイ』は、パルナが初めて使うこちらの国の『魔法』だったが、すぐに物にすることが出来た。
リョウはこれを『小さな魔法』といっていたが、使ってみてパルナもすぐにその意味がわかった。
ペンを使って術を込める。
ただそれだけの動作で物質に魔力を込められることにも驚いたが、それによって自分の魔力を出す量を調整するという発想に驚かされた。
そして同時に、あの感触を思い出す。
まず最初に、リョウはパルナの手に自分の手を添えて『術』を書き、パルナの手を使って術を使ってみせた。
それであのメモ用紙が翔んだことも感動だったが、それ以上に、パルナの手の中を彼の『霊力』が通っていった感覚が、なによりも鮮明だった。
他人の魔力が自分の中を通る。
そんな事が可能だったことさえ知らなかったし、自分の中で魔力の道を作るなんて、考えたこともなかった。
リョウの霊力は暖かく、それでいてどこか刺すような痛みを伴っていた。
それが霊力が通る時の普遍的な感覚なのか、それともリョウ固有のもので人によって変わるのか、パルナには区別する情報がない。
だからパルナは、それをリョウのものだと考えることにした。
何度も、それを思い出し、反芻する。
そして自分も、その流れをなぞろうとする。
リョウの霊力が、自分の魔力を導いてくれる。
そんな事を考えながら、自分の中の魔力を動かす。
最初は勢いがつきすぎて、あふれる魔力を止められなかった。
自分の中にある魔力が、ペンを通してほとばしっているのを感じる。
そして最後に術を添える。
『コチョーマイ!』
するとメモ用紙は何度かピクリと震えた後、その送り込まれた魔力の高さに耐えられず、その場で勝手に何重にも引き裂かれてしまった。
「力の加減を間違えるとそうなる。ようするに、ここの加減と感覚を身に着けることが重要になってくるわけだ。とはいえ、最初はだれでもそんなもんだよ。俺は元々の霊力が低いから逆になかなか動かせないパターンだったな。一発目から動いた分だけ筋がいい」
リョウはそう言ってくれたが、パルナとしては納得できない。
もっと練習をしなければ。そういう意識が高まった、その時だった。
「あとはこれを練習していけば……おっと……」
なにかに反応してリョウがアドバイスを途中で止める。
パルナにも、嫌な予感がざわつく。
「……どうかしましたか?」
パルナが恐る恐る尋ねると、リョウは正直に起こったことを告げる。
「どうやら、敵さんのお出ましだぞ。玄関前でお待ちかねみたいだ」
やはりそうであったか。
それだけいうと、リョウはなにかの準備を進めながら、敵への対応を始める。
一方でパルナは、それを聞いてなお、再びペンを片手にメモ用紙と向き合う事を選んだ。
一秒でも早く、この『術』を自分のものにしなければ。
もう後は自分の中の調整だけなのだ。
大丈夫、上手くいく。師匠だって褒めてくれたではないか。
一枚目、失敗。
二枚目、失敗。
三枚目、失敗。
どれもバラバラに引き裂かれる。
なので四枚目は最低限まで魔力を減らす。動かない。これでは意味がない。
そして五枚目。メモ用紙は破れることなく、先程までの紙くずの上でバタバタと動く。だが飛んではくれない。地に這いつくばったままだ。
次こそは、そう思っていると、あちらとのやり取りの終わったリョウがパルナに声をかけてくる。
「とりあえず、座学はここまでだな。いきなりで悪いが、実戦編だ」
「……やっぱり難しいですね、これ。ぜんぜん上手くいかないし、師匠の作ったものみたいに飛んでくれないんですよ」
もう少しでできそうだったのに、とは言えない。
時間が欲しいのはリョウだって同じはずだ。
そう思っていると、リョウはこちらに来て、紙束の上で蠢いていたメモ用紙を掴み上げ、いくらかの驚きの表情でそれを見た。
「……いや、これだけ出来れば充分だ」
彼が羽の形を整えると、先程までもがいていたメモ用紙は、まるで嘘のようによろよろとながら宙を舞った。やがて力を失って地に落ちて動かなくなったが、確かに宙を浮いたのだ。
「さすが師匠です! 私では飛ばせなかったのに、こんなにあっさりと」
「……いや、俺はなにもしていないぞ。今のは君の魔力で飛んだんだ」
リョウの声は落ち着いていたが、そこには確実に、パルナに向けてのある種の敬意のようなものが込められていた。
「えっ、でも……」
「君ほどの領域になると、大切なのは想像力だ。飛ぶ姿を術に込めることで、飛ばないものも飛ぶようになる。それが『魔法』だろう。足りなかったのは、紙が飛ぶという完成後のイメージだ。だから飛べなかった」
その言葉で、パルナの心の中に強い光が差し込んだ気がした。
そうだ、私は『魔法』を使っていたんだ。
それがわかると、魔力を込めることばかりに悪戦苦闘していた自分が、いかに遠回りしていたのか思い知る。
さすがに今これ以上試している猶予はないが、次は上手くいく。そういう確信があった。
「とりあえずそこのメモ用紙は持っていけよ。さっき教えたこと、さっそくお披露目になるからな」
「はい! 師匠!」
そしてパルナはリョウの後に続き、敵を迎え撃つ事となる。
刺客である鳥人間のワトは、とにかく動きが速いという印象が強かった。
最初は庭に仕掛けられた罠でリョウが優勢を保っていたように見えたが、嗅ぎ狗に状況をかき回されて形勢は逆転、そこからは防戦一方となってしまった。
だがパルナも、黙ってそれを見ていたわけではない。
ワトは動きは早いが、直線的だ。
直接その攻撃を受けるリョウは対処をする余裕がなかなか持てないようであったが、パルナは後ろからその様子をしっかりと見ていた。
そして、それに対する準備も着実に進めていたのである。
「その防御も見切ったのでな、そろそろ決めさせてもらうぞ、地の民」
彼女は、ワトが勝負を決めようとする、その瞬間を待っていたのだ。
ワトが翔ぶのに合わせて、大量のメモ用紙に魔力を乗せて飛ばす。
これは『コチョーマイ』ではない。自分の魔法の応用だ。
蝶ではなく、弾丸。
「え?」
「な!?」
『コチョーマイ!』
そして紙がワトに到達する、まさにその瞬間に今度こそ術を発動させる。
だがその大半は、あえて過剰に魔力を込めた紙である。
他の失敗作と同じように、魔力に耐えきれず、多くの紙がその場でバラバラに引き裂かれる。
ワトは頭からそこに突っ込んでいく。
そしてそこを狙って、魔力を調整した破れなかった紙を鳥人間の顔に貼りつかせる。
「くそっ、なんだこれは……」
「今です、師匠!」
こうなればもう勝負ありだ。
結局ワトはその後リョウの術をいくつも受けることになり、そのまま地面に押さえつけられることとなった。
「お姫様にはやられたよ。あんな魔法を隠し持っているとはな。まあその様子では、貴様も想定していなかったようだが……」
「そんなことはありません!」
地に伏せたままそう語るワトにパルナは強く反論をする。
ワトの言葉には、根本的な視点が抜けている。
「あれは師匠直伝の『コチョーマイ』です。師匠の力があったこそ出来た魔法なのですよ。私は今、師匠の元で急成長中ですからね!」
そう言ってパルナが胸を張ると、ワトは倒れたまま、呆れたように笑ってみせた。
「なるほど、次からは気をつけることにしよう。とりあえず、次に俺と戦うまでくたばらないようにしろよ、ご両人」
そう言ったワトの嘴から、小さな黒く丸い球が吐き出され、そこに浮かんだかた思うと、そのままワトの身体を吸い込んでしまった。
そして球は地面へと落ちて割れる。
もうそこには、ワトの姿は影も形も残っていなかった。
「逃げられた、ということか……」
「おそらく、身体を特定の場所へと移動させる魔法でしょう。あの国はこういった魔法の技術を高めて、私の国へと攻めてきたのだと思います」
そしてパルナの父は、その魔法を乗っ取る形で、パルナをこの国へと送り出したのだ。しかしあの国はまだ、私を諦めていない。
「そして、このままだとこの国にも……アイテッ!」
パルナの言葉を待たずに、リョウがそのおでこに『小蝶舞』でメモ用紙を飛ばしてきた。
「な、なにをするんですか!」
「いや、辛気臭い顔をしているなと思ってな」
「私は真剣に……イテッ……もうっ!」
さらに一発叩かれて、流石にパルナも頬をふくらませる。
「まあ、心配なのはわかるさ。今日のあいつが刺客の中でも強い方だとも思わんしな。だが、こっちだってそれだけじゃない」
そう口にするリョウの横顔には自信と不安がごちゃまぜになっていたが、パルナはそれを見て、あらためてこの人を信じようという気になっていた。
そう思っていると、不意にリョウがパルナの方を向いて、にこやかに、しかしどこか照れくさそうに微笑んで見せてきた。
「ところでパルナ、あの『小蝶舞』の術、よくやったな。この勝利は間違いなく、君のおかげだ。ありがとう、助かった」
思いがけない言葉に、パルナは、ただただ喜びを全面に打ち出して、胸を張ってこう答える。
「はい! そうでしょう、私、本番に強いんです!」
パルナがそう微笑むと、彼女の師匠もまた、弟子を称えるように満足げな笑みを返してきた。
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