第12話
ワトの無機質な鳥の目が俺を見つめる。
俺も油断なく目の前の敵に注意の視線を向け続ける。
どちらが先に動くか忍耐の時間だが、お互い、この場にいるのは自分たちだけではなかった。
一番初めに動いたのはワトの用意した駒、生き残った方の嗅ぎ狗だ。
明らかに俺の気をそらそうという動きで、柵を避けてワトの背後から飛びかかってくる。
俺の霊力では正面から対抗しては押し負けるのは昨日で思い知っている。その事を相手がどこまで把握しているかわからない以上、ここでこちらの底を見せてしまうわけにはいかない。
一瞬だけ悩み、俺は手札を切る。
『円縛網』
呪言とともに嗅ぎ狗に数枚の札を投げつける。
札はその黒い身体に当たると同時に白い網となり、次々に嗅ぎ狗の四肢に絡みついて束縛する。
力任せに祓ってしまおうとした昨日の『反魂解』と異なり、これはそういった攻撃性を捨て、完全に動きを封じることに特化した術だ。これなら俺程度の霊力でも充分効力を発揮する。だがこれは本来、人型を捕虜にするために用意したものだ。それを先にさらけ出してしまった以上、この目の前の鳥人間に対しては厳しい戦いが待ち受けるのは間違いない。
先程の『円縛網』は命中させなければ発動しないため確実性が低く、一度バレてしまうとよっぽど上手く使わないと決められないだろう。
そしてそれを相手も理解したはずだ。
それくらいのソツのなさはこのワトという鳥人間は持っている。鳥の頭をしているが、決して愚かではない。
俺はじわじわと間合いを離し、様子をうかがうような素振りで構えを取る。
打って出るには少々手が足りない。こちらの優位があるとすればパルナと二人がかりでという数ということになるだろうが、生半可にそれを活かそうにもかえって翻弄されてしまうだけになる。
おそらく速さを武器にするこの手の敵は、今のパルナにはもっとも相性の悪い相手だ。こいつにあの一撃を命中させるためには、まず最低でも俺がお膳立てをしなければ話にならないだろう。
ちらりと後ろを見る。
パルナもじっと戦況を見据え、好機を伺っているようであった。
そのためにもなんとか状況を変えるには、少しずつ状況を整え直すしかない。
まずは『地天柵』の霊力の再構築を待つ。
「……二対一だぞ、ここは素直に引いたらどうだ?」
「ふん、そうやって口先で時間稼ぎでもするつもりか、地の民よ」
だがワトは俺の話を打ち切ってそう吐き捨てる。
バレている。
「ならば、もう終わらせてやろう」
そう思ったときには、ワトの身体が翔んでいた。
羽を広げ、矢のようにこちらに向かってくる。
『円防盾』
慌てて後ずさりし、転がるようになりながらなんとか防御の術を発動させる。
目の前に現れた円形の壁に阻まれ、ワトも勢いをそがれて再び間合いを離すが、こちらの状況の有利不利は歴然だった。
そして休む間もなくさらに一撃が来る。
同じように防御をするものの、明らかに一方的に攻撃を受けるばかりだし、そもそも『円防盾』には限りがある。
一方で見たところワトの突撃は純粋な身体能力によるものであり、魔力を消費するような類のものではない。羽を硬化させることには魔力を使っているようだが、突撃そのものには魔力的な消耗がないということである。
加えてこの速さだ。隙がほとんどない。
しかしこれ以上悩んでいる時間はもらえそうにもなかった。
「その防御も見切ったのでな、そろそろ決めさせてもらうぞ、地の民」
こちらの困惑を見抜き、ワトは低い姿勢で狙いを定めてくる。
速さと低さでこちらの術を越えようという魂胆だろう。
どうにかしてそれに対応すべく術を構えるが、どこまでやれるか……。
そしてワトが翔ぶが、その瞬間、俺の背後から大量のメモ用紙がその鳥人間めがけて飛んでいった。
「え?」
「な!?」
『コチョーマイ!』
メモ用紙たちが俺の前に出た途端に後ろで呪言の叫び声が上がる。
その声とともに、目の前でメモ用紙が一斉に引き裂かれて弾け飛び、突然の紙吹雪が視界に現れる。
いきなりの出来事に俺は目を見開いたが、それ以上にこの状況に驚いたのはこちらに向かって翔んだワトの方だっただろう。
移動直線上にいきなり大量の紙が現れたのだ。
もちろんそのスピードから急に回避に移れるはずもなく、紙吹雪の中に頭から突っ込むことになる。
破れ散った無数の紙が、鶏の顔の鶏冠やくちばしへと張り付く。
それだけではない。さらに数枚の、破れずに羽ばたこうとしたメモ用紙がそのままワトの顔へと覆いかぶさったのだ。
「くそっ、なんだこれは……」
「今です、師匠!」
これによって眼を完全に塞がれ、ただ闇雲にまっすぐ突撃するしかなくなった敵をかわし、俺はすぐに呪符を取り出す。
ワトはなんとか紙を剥がして視界を確保しようとしていたが、硬質化した状態の手ではそれもままならず、俺に背中を向ける形となってしまっていた。
『円縛網』
がら空きになったワトに向け手札を飛ばし、よろめく足に呪符で作られた網が絡みつく。
「くわっ……!」
足をもつれさせ、その場に転倒するワト。
俺はその隙を逃さない。
『地天柵』
まだ完全に戻ったわけではなかったが、動かない、倒れた相手ならもう充分だ。
再び足踏みで屋敷の術を作動させ、ワトの周囲に柵を作ってその身体を抑え込む。
動きの止まった相手なら確実に捉えられるというわけだ。
これにてゲームセットである。
「勝負ありだな、羽刃のワトさんよ」
地面に磔にされたワトを見下ろしながら、俺はそう勝利宣言をしてやる。
「クソッ……ここまでということか」
倒れたまま身動きを封じられたワトは、そんな悪態をつきつつも、どこか余裕の表情である。
「お姫様にはやられたよ。あんな魔法を隠し持っているとはな。まあその様子では、貴様も想定していなかったようだが……」
「そんなことはありません!」
ワトの言葉に反応したのは、様子をうかがいに来たパルナであった。
「あれは師匠直伝の『コチョーマイ』です。師匠の力があったこそ出来た魔法なのですよ。私は今、師匠の元で急成長中ですからね!」
そう言って胸を張るパルナに、ワトは倒れたまま、呆れたように笑ってみせた。
「……なるほど、次からは気をつけることにしよう。とりあえず、次に俺と戦うまでくたばらないようにしろよ、ご両人」
その言葉に俺は瞬時に警戒心を高めるが、既に遅かった。
ワトが嘴から何かを吐き出したかと思うと、小さな黒く丸い球がそこに浮かび、ワトの身体を吸い込んでしまった。
そして球は地面へと落ちて割れる。
もうそこには、ワトの姿は影も形も残っていなかった。
「逃げられた、ということか……」
黒い割れた球を拾い上げて確認するが、そこにはもう魔力はほとんど残っていない。僅かな残滓も、今この瞬間にも溶けてなくなっていっている。
「おそらく、身体を特定の場所へと移動させる魔法でしょう。あの国はこういった魔法の技術を高めて、私の国へと攻めてきたのだと思います。そして、このままだとこの国にも……アイテッ!」
パルナがまた変な責任を背負おうとしている気配を感じたので、俺は残っていたメモ用紙で『小蝶舞』を飛ばしてその綺麗なおでこをはたいてやった。
「な、なにをするんですか!」
「いや、辛気臭い顔をしているなと思ってな」
「私は真剣に……イテッ……もうっ!」
さらに一発叩かれて、流石にパルナも頬をふくらませる。
「まあ、心配なのはわかるさ。今日のあいつが、刺客の中で強い方だとも思わんしな。だが、こっちだってそれだけじゃない」
ワトと自分たちの比較は正直さして意味がないが、この『葛城の屋敷』に攻め入れなかった時点で、力関係は明確だ。
おそらく、この世界よりもかなり小規模な世界同士の争いなのだろう。
そして今日ワトが逃げ帰ったことによって、相手さんも力関係を把握するはずである。つまり明確に、狙いをパルナに絞ってくるというという選択になると思われる。
この『世界』そのものを敵に回して戦争をするというのは、あちらとしては極力避けたいところだろう。
むしろなにかしらの別ルートを通じて、パルナの件に対しての不干渉の根回しをしてくるかもしれない。
それを考えて、俺も一つ気になることが思い当たった。
昨日今日と、こう立て続けに二度の異界との揉め事で怪異騒ぎである。
なにしろ耳の早い連中だ。向こうの根回しを待たずとも、さすがにこの事態は陰陽師協会にも伝わってしまっているだろう。
パルナという亡命者の処遇も含めて、そろそろ協会内部に動きがあってもおかしくない。
パルナの処遇から今回のワトとの戦い、さらには今後の対応まで、色々と文句をつけてくるに違いない。
そういうクソ面倒な仕事は婆さんに投げてしまいたいところだが、婆さんも俺に投げる気満々だろう。
どうやら面倒事は、この刺客だけで終わりそうもなかったが、まあ、今本当に気にするべきことはそこではない。
「ところでパルナ、あの『小蝶舞』の術、よくやったな。この勝利は間違いなく、君のおかげだ。ありがとう、助かった」
「はい! そうでしょう、私、本番に強いんです!」
嬉しそうなパルナを見て、俺も微笑みを返す。
今後のことはさておき、今回はまあ、いい勝利だった。
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