第15話

 しかし昼の訓練はあえなく中断されることになった。

 葛城の屋敷に、予定外、しかし予想通りの来客があったからである。

「あーあ、おいでなすったか……」

 玄関に人の気配を察知し、俺は手でパルナに中断の合図をする。

「どうしました、師匠。また敵が来たのですか?」

 パルナの声には緊張感と少しの高揚が混ざっているが、幸か不幸かそうではない。

 だがまあ、ある意味それよりもはるかに厄介な相手であるのだが。

「いや、そうではないんだが……」

 だが俺の答えを待つよりも、事態のほうがそれを証明しにきてしまった。

 一瞬、空気が揺らいだ気配があった。

 パルナは気がついていないようだが俺にはすぐわかる。この揺らぎは、葛城家の結界の揺らぎだ。結界を強引に抜けられる時のアラートのようなものだ。

 だが、それを警戒する必要はなかった。

 次の瞬間、その存在は外壁を飛び越えて、そのまま庭の、俺達の目の前へと降り立ったからである。

 そいつは着地と同時に腰を落とし、柄だけの刀で居合術の構えを取る。

 その眼にはうっすらとした殺気が込められていて、それでパルナを見据えたままゆっくりと口を開く。

「おい、葛城亮。そこにいるそれは何者だ? 返答次第では貴様もこの場でまとめて叩き切るぞ」

 鋭くそう告げた侵入者は、黒い細身のスーツに身を包んだ、モデルと見紛わんばかりの背の高い女性である。

 長い脚に抜群のスタイル。切れ長の目が際立たせる美貌。夜空を思わせる長く艷やかな黒髪。

 しかしそのどれもが、こいつの持つ才能の前にはただの添え物にしか過ぎない。

 その本質は、今こいつが握っている『刀』だ。こいつはその刃のような存在なのだ。

 ここまで語るということは、俺はこいつを知っているということ。

 この女の名前は相馬翼。

 堀川ゼミが誇る『百年級の三神童』の一角『心速剣の相馬』にして、俺の大学の同期生である。

 現在は陰陽師協会のエージェントとして働いており、俺が会いたくない人間の中でも五本の指に入る厄介者であった。

 こいつがこうしてこの屋敷に現れるのは、陰陽師協会から厄介事を持ち込んで来ることと同義なのだが、今回はむしろ、先に起こった厄介事の取り立てにきたといった方が的確だろう。もちろん、今現在も充分に厄介事であるのだが。

「人の家に不法侵入ぶちかまして最初にいう言葉がそれか」

 こういう時、相手のペースに乗ってはいけない。なので極力相手を無視した言葉をぶつけてやるに限る。

「貴様のその顔、どうやら私が来た理由もわかっているようだな」

 ジリッ、と翼の足が地面を踏みしめる気配がした。

 手にかけた『刀』はまだ動かない。

 だが、動けば一瞬であることも俺は知っている。

 だからそういう綱渡りに俺が付き合ってやる必要はない。

「俺はいつだって君が来る時はこんな顔だがな」

 顔を歪めたまま、そんな悪態をついてみせる。

 もちろん、その程度で態度を変えるようなタマではないので、これは単に俺の態度の表明以上のものはない。

 一方で、状況がまったく飲み込めていないのは、殺気を向けられていた本人である。

「えっと、師匠、何者なんですか、この人は……」

 俺と翼の会話を聞いて、おそらく俺の方に敵意がないと感じ取ったのだろう。

 パルナは俺の背後に身を隠しながらそう尋ねてくる。

「こいつは相馬翼、俺の大学の同期だ。あちらさんは大学在学中に協会のエージェントに合格するようなスーパーエリート様だけどな。で、そのスーパーエリート様が不法侵入までかまして、いったい何の用だ?」

 俺がそう言うと、翼はそれを鼻で笑い、構えを保ったままそれに答えてきた。

「ふん、白々しい。まあいい、本題に入らせてもらおう。昨日と今日、この付近で立て続けに霊力磁場の異常、さらには未確認の霊力反応が感知された。これらについての調査に来たんだが、ちょうどこの家の中から見慣れない霊力反応があったのでな。もう一度聞く。そこの少女は何者だ? 回答次第では貴様ごと切り捨てるぞ」

 物騒極まりないことを言う。

 だがこの手探りな様子を見るに、どうやらパルナについての詳しい情報はまだ協会に入っていないらしい。実際、昨日の今日で俺もまだ報告を上げていない。正直に言えば、親父や明兄になんと伝えるか決めかねていたのだ。

 まあ、このままでは翼が『刀』を抜きかねないので、ここは素直に言えることを言ってしまうのが得策か。

「ああ、彼女か。彼女はパルナ。俺の姪で、おそらく、今回君らが一番求めている情報の持ち主だ」

 俺がそう紹介をすると、パルナは俺の背中から出てその姿を表し、翼に対して深々とお辞儀をする。

「パルナ・カツラギ・ロアヴァールです」

 そして翼の殺気の籠もった目をしっかりと見つめ返し、そう名乗った。

 仮にもまだ構えを解いていない相手にここまで無防備になって大丈夫なのかという気持ちもあったが、パルナにとっては紹介されたからには堂々とした態度を取ることこそがもっとも大切な部分なのだろう。

「話せば長いんでな、こんなところで立ち話じゃなくて、ひとまず中に入って話をしようじゃないか」

 俺はそういうが、どうやら翼の方はそれどころではないらしい。

「いや、ちょっと待て。姪だと。姪といったか? あの明さんにこんな子供がいたのか!? 言われてみると確かに面影があるような……いやまさか、しかし……そもそも今いくつなんだ……?」

 姪という言葉があまりに衝撃的だったのか、翼は思わず構えを崩し、ぶつぶつとなにかを呟き続けてしまった。その美貌も完全に驚愕に塗りつぶされ、すっかり一人の世界に入り込んでしまっている。

 驚くのはわかるが、まずはこちらの話をちゃんと聞いてもらいたいものだ。

「いや、そっちじゃない……、ああそうか、君は煌兄のことは知らなかったのか。まあ、そのへんの経緯についても詳しく話すから、とりあえず落ち着け。ほら、さっさと中に行くぞ」

「こら待て、まだ話は終わっていないぞ!」

「だからそれを中で話すんだろうが」

 構えが崩れたのをいいことに、翼の手を引いて、俺は屋敷に入ることを促す。

 そしてそれと同時にさり気なく、『刀』も奪い取ってしまう。

 こいつの『刀』は特にいわれのある呪具でもないので、こういう隙を見て取り上げてしまうのが一番だ。学生の頃からそうしてきた。

 相馬翼本人は強力な陰陽師なので刀そのものがなくともいくらでも術など使えるが、どれも『刀』ほどの速さはない。それならば、対処できる方法はいくらでもある。

 とにかく、なし崩し的にでもこちらにペースを取り返さなければならない。

 そうして俺は、そのまま翼を葛城の屋敷の中へと引っ張り込んでいった。

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