第10話

 朝は座学といったものの、実際のところ、そもそも完全に座ったままで行うの文字通りの『座学』自体はそんなに多くする必要はない。

 あくまでまったく新しいことをする場合のとっかかりのイメージを作る材料のためのものであり、大切なのは実践、あるいは実戦だ。

 なので朝はお互いの世界の知識を交えつつ、とにかく様々な言葉のすり合わせに終止した。

 ちなみに婆さんは朝飯が終わると、用事があるといって出かけていった。まあ、あの婆さんに後ろでチェックされながら講義を行うなど、それだけで体力がガンガン摩耗してしまう。

 朝の話の内容はと言えば、まずは『術』の話である。とにかく重要なのが、俺の『術』とパルナのいうところの『魔法』の間にある違いについてだ。

 これまでの行動からもわかるように、パルナは体内に相当な『魔力』を持っており、それを駆使するのが『魔法』であるという。

 曰く、「魔力の大小に関わらず、魔法を使えない人間があの国で生活するのは非常に難しい」らしい。

 もちろん、俺たち『陰陽師』も体内に霊気を持っていて、それを媒体に術を組み立てるのだが、なにしろ向こうは日常的に魔力のある草の摂取を習慣にしたりしているのだ、まず根本からして出力も貯蔵量も違う。

 しかしその分、出力頼みになっているところは否めない。魔法王国全体ではどうなっているのかまではわからないが、少なくともパルナには細かい魔法に対しての知識がないというのが俺の見立てだ。

 だからこそ、パルナ自身も『術』をどんどん使った方がいいに決まっている。術は文字通り『技術』だ。使えば使うほど洗練されていくものである。

 そうこうしているうちに時間も過ぎ、ひとまずは昼休憩の時間をとることになった

「そういうわけで昼からはわりとガチの魔力を使っての訓練になるからな、まずは昼飯だ。腹が減っては戦も出来ないという言葉もあるくらいだしな」

 それだけ言って早速飯の支度に取り掛かる。なにしろその飯も作るのは俺である。俺が動かないと飯は出てこない。

 パルナになにか食べたいものがあるか聞いてもよかったのだが、リクエストにはまず答えられそうもないので、期待はさせないようにする。まあ今日も、ありあわせの具材とインスタントのスープで作るスパゲティとなったのだが。

 興味深そうに食べていたので、ひとまずはよかったが。

 そもそもの話として、パルナは向こうではいったいどんなものを食べていたのだろうか。また落ち着いたら聞いてみるとしよう。


 昼飯を食べ終えて居間に戻り、まずはパルナに対してこれからやるべきことを宣告する。

「昼からは実践編になるが、まず最初は出来ることを増やす方向で行くとしよう。そうだな、とりあえず『小さな魔法』を少しずつ覚えていくところから始めようか」

「小さな魔法、ですか……?」

「ああ、今の君の魔法は、あまりにも大振りすぎるからな。知能を持つ相手にと戦うには明らかに隙が大きすぎるし、まずそもそもあの『嗅ぎ狗』程度に攻撃を当てるのにも苦労しているようでは、それこそ話が始まらない。なのでまずは、そこを補う小技を覚えていこうというわけだ」

 パルナはまだ飲み込めていないようで、不思議そうな表情で俺を見ている。

 では一つ、サンプルを提示することにしよう。

「たとえばこういうのだな。『小蝶舞』」

 即興で目の前のメモ用紙に呪言を殴り書き、そこに霊力を込めて発動させる。

 するとメモ用紙はひとりでに二つに折れ曲がり、それを羽のようにして机の上に羽ばたいた。

「ええっ、か、紙が、飛んだ!? この動き、念動力ではないですよね。いったいどんな仕組みなのですか?」

 羽ばたくメモ帳と俺の顔を交互に見て、パルナが目を輝かせる。『術』としては子供だましともいえる初歩的なものなのだが、それでも、知らない人間が見れば奇跡にしか見えないだろう。

「簡単にいえば霊力……君のいうところ『魔力』を込めながら特定の言葉を書き留めると、その命令のとおりに反応するようになるという『術』だな。いまのは羽ばたけという命令を込めたわけだ」

 しかし言いながら、一つ気になることもある。

「というか、君の世界にもこういう『魔法』はあるんじゃないのか? そこまで驚くことでもないだろう」

 何も知らないこの世界の一般人みたいな存在ならともかく、仮にも魔法王国の王女様である。この程度の『術』でそこまで驚かれるのは少々意外だった。

「いえ、私たちの国では、物に魔法を込めることはあっても、そこにそのまま命令を乗せるようなことはほとんど出来ません。たとえば『嗅ぎ狗』みたいな存在は、核になる魔力を込めた石にあらかじめ行動を仕込んでおいて、そこからあの形を造っていくんです。即興で命令を流す魔法は聞いたことがないですね……」

「なるほどな……、発達した技術がまったく異なるというわけか……」

 この手の文字から霊力を流すのは、地球でも紙文化が早くから発達した東アジア地域が特に強い。ルーン文字などにも似たような効果を持つものはあるらしいが、『彫る』という工程上、どうしても機能が限定されてしまう。

 パルナの世界もまた、どうやらそういう方向の技術は伸びなかったようだ。

「それならまず、この『術』をできるようになるというのが最初の目標だな」

 霊力の込め方、命令の組み方、そしてシンプルな呪言。

 どれをとっても、まさに初心者にうってつけの術である。

 さらにここから付与術や式神術への応用もつけやすく発展性も高いため、基礎の基礎として最初にこの術を学ぶのが術師としてのスタートとなっている。

 おそらく現在の日本の陰陽師の99%がこの術を使えるのではないだろうか。

 俺のいた堀川ゼミの神童たちだって、この術から始まっているはずだ。

 なのでそれに従って、俺も教える立場として、これを最初に選んだわけである。

「出来るのでしょうか、私にも……」

 一方で教わる側であるパルナは不安げな表情を隠さない。

 魔法の国のプリンセスにこういうのもおかしな話だが、まるで魔法でも見たような気持ちなのだろう。未知との遭遇だ。

「まあ霊力と魔力で多少質が違っても、やろうとすることは根本的に変わらないからな。出来ることは出来るだろう。まずは『魔力』のコントロールだな。とりあえず一回やってみようか」

 そして俺はメモ用紙をパルナに差し出してペンを握らせる。

 もちろん、何も知らない彼女にいきなりやってみろと言っても出来るはずもないので、俺は横から彼女の手に自分の手を添えて、一緒に動かしてみせる。

「ここをこうして、こう」

 もちろん、そこに魔力を込めながらだ。これで霊力の加減を覚えてもらいたい。

「この文字自体にももちろん意味はあるんだが、正直にいえばこの程度の術ならどう書いても大した問題じゃない。読めないような崩し文字でも『術』はちゃんと発動するからな。書くことによって、己の意識を筆先に乗せることが大切なんだ。もちろん、もっと高度な術になると話は違ってくるが……」

 そして俺は、パルナの手を使って先ほどと同じ術を編み上げてみせた。

『小蝶舞』

 最後に呪言を唱えれば、同じようにメモが羽ばたき出す。

「わ、動きました! 凄い!」

「この術、というか俺たちの『術』で重要なことは、どうやってそこに霊力を流すのかだ。その点、君は既に『魔力』という形でその概念は知っているし、コントロールも出来る。ならあとは力加減だな。さっきの俺のやつの見様見真似でいいから、一度やってみてくれ」

 俺がそういうと、今度は霊力も込めずに目の前のメモ用紙に『術』の文字を書き記す。パルナに見せるための見本であり、もちろんこれは羽ばたくこともない。

 パルナは真剣な表情でその見本とメモ用紙とを見比べるように睨み続け、やがて意を決したかのようにペン先を走らせる。

 いかにも書き慣れない、力加減が滅茶苦茶なふにゃふにゃな線の集まりだ。だが、それでも問題はない。

『コチョーマイ!』

 そして最後に術を添える。

 するとメモ用紙は何度かピクリと震えた後、その圧力に耐えなかったのか、その場で勝手に何重にも引き裂かれてしまった。

「あぁ……、ダメでした……」

 パルナはがっくりと肩を落とすが、なんのことはない。基礎の基礎といってもさすがに一発で出来るようなものではない。

「力の加減を間違えるとそうなる。ようするに、ここの加減と感覚を身に着けることが重要になってくるわけだ。とはいえ、最初はだれでもそんなもんさ。俺は元々の霊力が低いから逆になかなか動かせないパターンだったな。一発目から動いた分だけ筋がいい」

 そう言って指で丸を描く。

 そもそも最初は霊力の込め方だってままならないのだ。初めてでこれだけできれば上等すぎる。

「あとはこれを練習していけば……おっと……」

 だがそこで、俺は言葉を止めた。

「……どうかしましたか?」

 俺の態度をパルナは当然不審がる。

 俺も隠す理由はないので、それを正直に告げるだけである。

「どうやら、敵さんのお出ましみたいだ。玄関前でお待ちかねのようだぞ……」

 どういう手段か、相手もパルナの位置を察知しているらしい。

 婆さん特製の結界が異物接近の警報を伝えてきた。それをたどり、敵の位置を把握する。玄関前なら都合がいい。

 俺は素早くテレビを付け、玄関に据え付けられたカメラの映像を映し出す。

 陰陽師なんて物騒な家だと、こういうシステムも導入されているわけである。文明の利器を嫌悪しない婆さんの柔軟性の産物だ。

 そこに映ったのは昨日と同じ『嗅ぎ狗』が二体に、嗅ぎ狗と同じくらいこの世界に不釣り合いな、黒いローブに身を包む人影が一つ。雨でもないのにレインコートを着ているような不自然さだ。現代日本にはまったく馴染まない。

 そして人影は玄関まで歩み寄ると、不思議そうに一度周囲を見回し、注意書きに目を向けて、そのインターホンに手を伸ばした。

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