第8話

 俺がなんとか塾での仕事を終えて屋敷に戻ってくると、居間では婆さんとパルナが俺を待っていた。

「なんだ、まだ起きていたのか」

 授業を終えてその後一日の各種処理をして、帰ってくる頃には十時過ぎだ。

 婆さんは普段ならもうそろそろ就寝準備に入る時間だし、パルナも波乱の一日かつ、慣れない世界でかなり疲労していたはずである。

 こんな時間まで起きている必要などなかっただろうに。

「なにいってんだい。アンタを待っていたんだよ。感謝のひとことでも言ったらどうだい」

 婆さんが俺を責め立てる。そう言われては俺も返す言葉もない。

「ああ、それもそうだな。こんな遅くまで申し訳ない。ありがとう」

「よし、じゃあパルナ、話をしてあげな」

 婆さんは俺の言葉に満足げに頷いて、横で待っていたパルナに話を振る。

「はい。えっと、とりあえず今日はありがとうございました。まだちゃんとお礼を言っていなかった気がしたので……」

「そうだったかな……」

 言われてみると、最初のときもむしろこちらが助けてもらった形になってしまって、俺のほうが先に感謝の言葉を口にしていた気がする。

「それで、一応明日からのことについて話し合っておきたいと思ったので。こうして弟子となったわけですが、私はなにからしていけばいいでしょうか」

 そう言われても、正直に言えばまだこの少女のことをなにも知らないのだ。予定もなにも組める状態じゃない。

 ならば、俺から言えることはたった一つだ。

「まあ、今日はなによりもまずゆっくりと休んでくれ。こっちとしても君の万全の状態を見てみたいしな。全てはそれからだ」

 そう言われて、パルナはどこか納得いかないような表情で俺を見ていたが、その横の婆さんはいかにも愉快に笑っている。

「な、言ったとおりだったろう。この男はそういう奴なんだよ。ほら、師匠に言われた通りゆっくり休みな。明日からはガンガン修行をつけてもらうんだろう」

「はい。では師匠、明日からよろしくお願いいたしますね」

 まだなにかいいたそうなパルナだったが、婆さんに追い立てられてすごすごと部屋へと向かって歩いていく。

 しかし婆さんもガンガン修行とか適当なことをいわないで欲しい。こっちはいったい彼女がなにを求めているのかもわからない状況なのだ。

 復讐を軸と考えているなら、やはりその戦闘能力を伸ばすことだろうか。

 なら今日の彼女に課した質問のとおり、パルナの『術』について固めていくのが筋になるだろう。なにしろ荒削りだ。いくらでも改善する余地がある。

 それに合わせて、あの『嗅ぎ狗』以外の怪物についても情報はほしいところだ。

 同じような獣型か、多種多様な動物を模したりしているのか、形にはこだわらないのか。なにより、敵に人型はどの程度いるのか……人間も含めて。

 それによって彼女に求められる力の方向性も変わってくるだろう。

 推測するに、雑魚散らしなど彼女は求めていないはずだ。

「まあ、なにもかも明日からだな」

 俺自身、まだ現実を飲み込めきれていないところもあり、頭で考えていても話がまとまらない。

 今日はひとまず俺自身も脳を休めることに専念することにした。


 その日俺は一つの夢を見た。

 いつだったか、俺と煌兄、明兄の三人で、小さな池のほとりで遊んでいたことだ。俺も物心がだいぶハッキリしているから、行方不明になる直前くらいのことだっただろうか。

 一番上の兄のはずなのに、池にはまって俺と明兄で引っ張り上げたのを覚えている。真面目な明兄が滅茶苦茶にキレてお説教をしているのに、煌兄はどこか遠くを見ているように笑っていたのも覚えている。

 そんな煌兄が消えてしまったと聞いた時は、なんというか子供心に『とうとうやったか』みたいな感情を抱いたし、寂しさや悲しさよりも、俺には、来るべき時が来たのだという実感だけが残っていた。


「師匠! 起きてください! 師匠!」

 朝から部屋の戸を叩く音と声。

 覚醒しながら思い出す。この声は昨日やってきた姪にして弟子、パルナのものだ。

 時計を見るとまだ朝の六時半である。

 元々夕方からの仕事ということもあり、俺の朝はそんなに早くない。さすがに昼まで寝ているということはないが、いくらなんでも六時半は早すぎる。

 起き上がりきれずに布団の中を這い回っていると、容赦なく入り口の戸は開かれた!

「さあ、朝です、修行をしましょう! 修行!」

 そこに立つのはもちろん昨日やってきた姪のパルナである。

 ドレス姿の昨日とは一転、赤色のくたびれたジャージに身を包み、やる気に眼を輝かせてこちらを見下ろしている。

 どうやらジャージは煌兄のお古のものらしい。そういえば婆さんとおふくろが術まで使って大切に保管していた気がする。回り回って娘がそのジャージを着ることになるとは、なんとも物持ちがいいことだ。

「わかった、わかった。着替えるから玄関前で待っていてくれ。こっちは今起きたところなんだ……」

 立ち上がってまだイマイチ納得のいっていない様子のパルナを無理やり部屋から追い出し、大きくため息を付いた。

 朝の一番に年頃の娘が寝起きの成人男性の部屋に奇襲をかけてくるのは本当に良くないことだ。師匠として、叔父として指導するなら、まずはそこから始めなければいけないかもしれない。

 俺自身ももう随分と長く着続けている青ジャージに身を包み、あくびを殺しながら外へと向かう。


 葛城の屋敷は古くから続く陰陽師の屋敷である。

 広い裏庭の一角には家の者が修行を行うための敷地があり、俺も何度も婆さんや親父にここでしごかれたものである。

 玄関でパルナと合流し、正門の脇から横に入り、彼女を連れてそこへと向かう。

「うわあ、凄いですね……、えっと、なんですか、アレは……」

 その修行場を目の当たりにして、パルナが驚きの声を上げたが、まあ無理もない。

 俺からすれば生まれた時から存在していた日常の風景だが、たまに学校の人間などがこの家を訪れると、誰もがその存在に驚きの声をあげたものである。

 なにしろ特に畑などでもない庭の一角に、竹でできた案山子のバケモノのような存在が仁王立ちをしているのである。今にして思えばかなりおかしな光景だ。

 しかもこの案山子にはとっておきの術が込められており、自動で一定の動きをすることが可能な代物である。

 現在の陰陽師でも正確に再現するのは難しい、正直、かなりのオーバーテクノロジーなやつだ。

「ああ、あいつか。見ての通りの模擬戦用に式神だ。婆さんが二十歳過ぎに嫁入りしてきたときにはすでにあったらしいからな。メンテナンスを重ねて五十年近くここに鎮座し続けている長老ってわけだ。まあ、君があいつを使うのはもうしばらく先になるとは思うが……」

 ひとまずパルナには基礎から教えていく必要があるというのが俺の見立てである。

 昨日の戦闘から見ても、おそらく彼女はまともな戦い方も術の使い方もほとんど知らないのだろう。ただ自分の使える術を全力全開でぶつけるだけだ。

 なにしろお姫様なのだ、そういったものとは縁のない暮らしだったはずである。

 なのでまずは術の基礎と動きの基礎、しばらくはこの二つを軸にしていくことになるだろう。

 俺のそんな考えもつゆ知らず、彼女は期待に満ちた純粋な目で俺の方をみつめてくる。

「ではまずは朝飯前に、君の限界を見ておこうと思う。昨日みたいな一発を俺に打ち込んできてくれ」

「えっ、いいんですか?」

「問題ない、遠慮せず全力で来い」

 パルナの正面に立って、俺は手で合図をした。

 彼女は最初は戸惑った様子だったが、やがて意を決して昨日のようにステッキを取り出し、そこに霊気を溜めていく。

 なるほど、これは相当な威力なはずだ。

 それに合わせて、俺も一つの呪符に力を込める。

「行きますよ!『マジカ・ダンガ・ハシッ!』」

 振るわれたステッキから魔力の塊が唸りを上げて向かってくる。

 正面から見ると昨日見たときよりも遥かに迫力があり、相当な力の塊であることが感じられた。

 それがモロに俺に打ち付けられるのだから、ちょっとした覚悟が必要だ。

 衝撃が来ると同時に、先程用意した懐の呪符から霊気が弾けてそれを相殺する。

 俺が長い時間をかけて編み上げた、対術用の一品である。

 ここで使うとまた霊力を込め直さないといけないが、まあ、彼女の力を見るのはそれだけの価値はある。

 しかし、ここで俺の想定していなかったことが起きた。

 パルナの一撃の威力が呪符の許容量を上回り、そのまま俺の本体まで届き始めたのだ。

 身体が押される。このままでは吹き飛ばされてしまう。

『絡繰動』

 慌てて起動の呪語を叫び、案山子のバケモノを背後に呼び寄せて支えさせる。

 それでも1メートルくらいは押されてしまい、霊気が消え失せた後、俺はそのまま尻餅をついて座り込んでしまった。

「あ、わわっ、だ、大丈夫ですか、師匠……!」

 そんな俺を見てパルナが慌てて駆け寄ってくるが、俺はそれを手で制して立ち上がる。流石に少しばかり想定を超えただけで、万全の防御を張った分俺自身のダメージはほとんどない。

 それより重要なのは今のパルナの様子と状態だ。既にわかりきっている俺のことなどどうでもいい。

「ああ、問題ない。それより君の方だ。どうだ、疲労感とかそのへんは……」

「あ、いえ、私は大丈夫です……」

 彼女はそう答えてみせたが、肩で息をしているし、額から汗が滴り落ちている。

 全力で来いと言ったのだ。それくらいになってもらわないと困る。

「強がりとか見栄を張ったりするのは今は必要ないからな。俺が知りたいのは、君が全力を引き出した時の、君自身の状態だ」

 全力を出せ、と言われてどこまで全力を出せるのかは人によって大きく異る。

 自然と力加減を調節して出し終えた後も本人はケロっとしている者もいれば、それこそ全身全霊を出し尽くして立てなくなるほど者もいる。

 見たところパルナはいくらか体力を残すものの、本人もある程度消耗しているくらいだろうか。

「……すいません、本当はかなり疲れました……」

 俺の言葉の意図をすぐに察したのだろう。パルナからはすぐに訂正の言葉が出た。

 それでいい。俺は指で小さく円を書く。

「よし。それでいい。俺もそれを共有できたからな、まずはその感覚を基準にして、そこから詰めていこう。ひとまず、朝はこのへんだな。戻って朝飯を食べるとしようか」

「え、でもいいんですか、たった一発だけしか撃っていませんが……」

「その一発が重要だったんだよ。それに俺の方も疲れた。午前中の残りは、まあ座学といったところだな」

「はあ……」

 パルナは物足りなさそうに俺を見たが、俺はそれを突っぱねて屋敷へと戻るように促す。

 ひとまずこの最初の朝は、充分な収穫があったといってよい。

 幸先の良いことだ。

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