第7話

「玄さん、もしある日突然、自分の姪と名乗る人物が現れたら、どうしますか?」

 授業開始前の準備を進めている時、俺は塾長である玄さんにそんな事を尋ねていた。なにしろこういう事をまともに相談できる相手は玄さんくらいである。

「なんだお藪から棒に、またキンさんからの無理難題か?」

 玄さんこと辰飛玄道は俺のお世話になっている小学校向けの学習塾『ドラゴン塾』の塾長である。

 名前も外見もカタギに見えない五十一歳だが、実際には気のいい男性で、生徒にも保護者にも慕われている頼れる人物である。二十年以上も塾を続けてこられた実績は伊達ではない。そもそも、実際にカタギでないのは俺の方である。

 少し話を聞いたところによれば、元々県外の小学校で教師をしていたらしいが、教育委員会といざこざを起こして三年ほどで退職、組織のあれこれに縛られるのを嫌って、教職には戻らず地元であるこの地に帰ってきて塾を開いたらしい。

 で、その時に色々と世話をしたのがうちの葛城キンであり、それ以来、ドラゴン塾と葛城家は親密な関係が続いているのである。

 俺も兄貴二人も、小学校時代の学習基盤はこの塾で作られたといっても過言ではない。

「いえ、今回のは婆さんは直接は関係ないんですが、煌兄……葛城煌の娘を名乗る女の子がうちにやってきまして……」

「ええっ、煌くんの娘!? でも煌くんは……」

「はい、今から十六年前に行方不明になったままです」

 葛城煌の件については玄さんもよく知っている。

 葛城の家とのつながりもあるが、元々教え子のその後の動向について気にかけている人だ。煌兄のこともについても、俺が塾に入ったときに随分と気を使ってもらったものである。

「その煌くんの姪なあ……。でもまあ、そういうこともあるんじゃないか」

 あっけらかんと玄さんは笑った。

「そりゃお前さんの家ほど特殊な事情はないかもしれないけれど、突然姪が出来るってのは人生においていくらかは起こり得るものさ。たとえばお前さんのもう一人の兄さん、明くんが連れ子を持つ女性と結婚したらどうだい?」

「それは……」

 明兄がそんな結婚相手と姪を連れてくるところを想像して、俺はなんとも言い難い気持ちになる。

 面白いような、腹立たしいような、軽蔑するような、見直すような……。

 普通に考えればそんなことはまずないのだが、あの堅物の見本のような明兄だからこそ、一周回って絶対ありえないと言い切れないのが複雑なところだ。

 もちろん、それ口にした玄さんだってそれはわかっているのだろう。

 冗談めかして笑って、バッサリとその仮定を切ってくれる。

「まああのお固い明くんにそんなことが起こるのは想像しづらいけどな。でも、誰の人生にもそういうことは起こりうるってことだ。で、お前さんが困っているのは、その姪との距離感かい?」

「まあ、そんなところですね。どうも変な印象を持たれたみたいで、弟子にしてくれとか言ってきてるんですよ」

 弟子という言葉を聞いてなにか思うところがあったらしい。

 玄さんは少し目を伏せて考えたあと、にこやかに微笑んで言葉を続けた。

「弟子ねえ……、まあいいんじゃないか? お前さんに教わるなら立派な育ち方をするだろうさ」

「それだといいんですが……」

「なんだい、まだ随分と複雑な顔をしているな」

「その子、十四歳くらいなんですよね。そんな年頃の女子と、いったいどう接していけばいいのか……。勉強を教えれていればいい、ここの小学生とはわけが違いますよ」

 それこそが、今の俺の最大の悩みだった。

 もちろん、恋愛とか性的とか、そういった女性としてどうという視線はないのだが、それでなくても難しい年頃であるし、それ以上に彼女が抱えている事情は深刻にして過酷である。

 もちろん力になりたいという気持ちは嘘ではなく、一応叔父としてできうる限りのことはしてやりたいとは思っているが、弟子となると話が変わってくる。

 この塾での授業のように決められたカリキュラムに沿い、特定の目標に向かって学習を進めていくわけではないのだ。

 パルナの人柄もまだまったく掴めていないし、なにから始めればいいのかさえわからない。

「まあなあ、とはいえ、お前さんなら大丈夫だろ」

「他人事だからって無責任なことを……」

「信頼だよ、信頼。それよりそろそろ授業の時間だぞ。弟子もいいが、仕事中は目の前の生徒に集中しろよ」

「それはもちろんですよ……」

 なんとか切り替えて、俺はその日の授業へと向かった。


 * * *


 年季が入りながらも広い葛城家の浴槽に浸かりながら、パルナはこれからのことを考えていた。

 暖かな湯に包まれていると、今日あったことが全て夢だったかのように思えてくる。

 王宮を襲撃してきた怪物と敵国の魔法使い。

 自分を逃がそうとした兵士たち、匿ってくれた侍女たち、そして敵国の魔法をも乗っ取り、禁断の術を使ってこの世界へと送ってくれた父。

 夢だったなら、どれほどよかったことだろう。

 せめてもの救いは、父の元の世界の家族たちが素晴らしい人達だったことだ。

 父の祖母、つまり自分の曾祖母にあたるカツラギ・キンは、いきなり現れた自分を家族の一員として迎え入れてくれた。しかも復讐したいという黒く身勝手な気持ちまで含めてだ。

 それに父の弟、叔父のカツラギ・リョウ。

 突如現れた怪物相手にもためらうこと無く魔法を使い、あの時点ではただの見ず知らずの他人に過ぎなかった自分を逃すために全力を尽くしてくれた。

 パルナには、彼のその行動がなによりも胸を打つものだった。

 そして、自分が姪とわかってからの分析と忠告。

 自分に足りなかったこと、考えが至らなかったこと、出来ていたこと、それらを明確な言葉にして、真剣に、自分を導こうとしてくれた。

 彼が語ってくれた言葉を思い出すと、胸の奥に不思議な熱が渦巻いてくる。

 王女として様々な教育を受けてきたし、多くの教師は熱心に指導してくれたものだが、リョウの言葉は根本的に違う。

 彼は明確に、今の自分に必要なものを提示してくれたのだ。

 それはどの教師も考えもしなかったことだった。

 だからパルナは、勢いにまかせて彼の弟子にしてくれと頼んだのである。

「でも、突然だったし、少し迷惑だったでしょうか……」

 その言葉を聞いた後のリョウの戸惑いぶりは、パルナから見てもおかしいやらみっともないやらで、不安に満ちていた彼女の心に少しの安らぎを与えてくれた。

 この世界がどんな世界なのかも、これからなにが起こるのかもまったくわからない。

 全てを失って、愛していた国も両親も無くし、まったく知らない世界で追手に怯えながら暮らすことになる。

 不安がないといえば、それは大嘘だ。

 怖いし、寂しいし、悲しいし、心細い。負の感情は山ほどある。

 それでも、あの突然現れた叔父であるカツラギ・リョウなら、自分を導いてくれる気がした。

 とりあえず今は、あの人の言葉を信じて生きていこう。

 それがひとまずの、パルナの固めた意志だった。

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