第6話

「で、弟子になってもらった早々に申し訳ないんだが、俺は今から用事があるから、少し席を外させてもらう。まあ、君も色々あっただろうし、少し落ち着く時間を作ったほうがいい。今後の生活のことも含めてのことは、相談するなら俺よりもそこの婆さんのほうがいいだろうしな」

 あの話し合いの後でいくつか部屋の候補を見せてもらうと、亮はそれだけ言い残して慌ててどこかへと出ていった。

「師匠は、あんなに慌ててどこへ行ったのですか?」

「ああ、仕事だよ仕事。葛城家のお役目のほうじゃなく、街の方で職業についているのさ」

 葛城キンにそう説明を受けて、パルナは納得したような出来なかったような、曖昧な感じだった。

 働いて、その対価として給与を得る。

 異世界で王宮暮らしをしていたパルナにも、それくらいの社会の仕組みはわかる。

 パルナが引っかかっているのは、葛城亮がいったいなぜそんな仕事をしているかということだ。

「師匠は、魔法使いではないのですか? なぜわざわざ外に働きに出ているのでしょうか?」

「まあ、そこは色々と事情もあるんだが、あの子は陰陽師の協会試験、ようするにエリート魔法使いの仕事に不採用になってね、非正規の魔法使いをやっているのさ。で、それだけだと稼ぎが足りないから、掛け持ちで魔法使い以外の仕事もしているわけだ」

「なるほど……、師匠は落ちこぼれ、というわけですか」

 パルナは神妙にそうつぶやいた。

 パルナからすれば、亮に弟子入りしたのは彼の魔力を目当てにしたものではないので仕事面で能力に不適合と言われていてもさして問題はないのだが、彼女の言葉は、キンにはさぞかし愉快なものだったらしい。

 それを聞くとこらえきれずに、声を上げて笑いだしてしまった。

「アハハハハ、これは手厳しいね。まあ、それが正解に一番近いかね。でも安心しな。あの子は確かに霊力、ようするに本人が持ち合わせている魔法の力は低いけれど、アンタの師匠としては十二分にその才を発揮するだろうさ。それは孫への贔屓目抜きに、アタシが保証するよ」

 そんな笑うキンの姿に、パルナもどこか安心する。

「さて、じゃああの子が帰ってくるまでに一通り説明をしておかないとね。とりあえずはなにか着るものを用意しないと。いつまでもそんな格好ではいられないだろう?」

 そう指摘され、パルナは今の自分の姿に目をやった。

 城から逃げ出してきた時のドレス姿のままだ。

 社交の場に出ていくような形式張ったものではないが、それでも、この世界で動き回るには目立ちすぎるし、やはり動きにくさはある。

 しかもそんな格好で街中を逃げ回ったのだ。ドレス自体も今日だけでだいぶ傷んでしまっている。

 だが他の衣装を持ってくる余裕はなかったし、それにもし持ってこられたとしても、こちらの世界では今のものと似たりよったりだろう。

「じゃあちょっと取ってくるから、ここで少し待っていなさいな。とはいえ、あまり期待はしないでおくれよ。なにしろ男三兄弟のお古ばっかりだからね。お姫様には悪いが、今日のところはそれで我慢しておくれよ」

 そう言い残して、キンも他の部屋へと消えていく。

 そうして、パルナは葛城家の居間に一人残される。

 まったく見たこともない世界の、何も知らない部屋。

 見るもの全てが珍しいを通り越して、理解が及ばないものばかりだ。

 最初はおとなしく座っていたが、やがて好奇心に負けて、部屋の中を見て回るようになっていた。

 特に気になるのが、部屋の一角に立てられた横長の黒い板である。表面は鏡面状となっておりそこにパルナの姿が写り込んでいるが、鏡にしては位置が低いし、なにより面が暗すぎる。

 裏を覗き込むと、いくつかの線が内部から伸びて壁までつながっているようだ。ここから魔力を伝えているのだろうか?

 さらに他のものを見ていくと、パルナは棚にいくつかの小さく精密な肖像画が飾ってあるのが目についた。

 パルナ自身はどのようにしてこれほどの忠実な絵が描かれたのかわからなかったが、そのおかげで、絵の中に描かれた人物たちについてはわかることもある。

 例えばこの一番手前のものは、亮とキンとが玄関の前に立っているのを描いてるいものだ。二人の様子が先程までとほとんど変わらないということは、今よりそう遠くない時期に描かれたものなのだろう。

 その他にも様々な絵があった。

 いかにも堅苦しそうな青年と、おそらくは亮の若い頃と思しき少年を描いたもの。

 さらに若い亮とその青年、そして二人を見守るおそらくは彼らの両親である男女が描かれたもの。その男女だけを描いたもの。その男女と、今より若い葛城キンが描かれたもの。さらにいくらか若い葛城キンと、その夫と思しき男性が描かれたもの。

 おそらく、どれもこの家族を描いたものなのだろう。

 その中でもパルナが特に目を引かれたのは、そこそこに古い、一人の少年の姿を描いたものだった。

 パルナは彼の姿にどこか見覚えがある気がした。

 おそらくこの少年こそがパルナの父、コウ・カツラギのこの国での在りし日の姿なのだ。

 そう思ってみれば父の面影はかなりあるし、それと同時に、どこかパルナ自身にも被っているようでもあった。

 やはりここは、父の故郷、かつて父が住んでいた家なのだ。

「ああ、その写真かい。それが葛城煌、アンタの父親だよ」

 いつの間にか戻ってきたキンが、目を細めて優しげにそうつぶやいた。

「ちょうど、いなくなる直前くらいに撮ったやつだよ。いまのアンタと同じくらいだろうかね。こうしてみると本当にそっくりだね……」

「そうですね。まさかこんなものが見られるとは思いませんでした……」

 自分はこの頃の父親のことをまったく知らないし、葛城キンはこの先のコウ・カツラギの事をまったく知らない。

 その二人が今、同じ絵を見ているのだ。

 それがなんだか不思議に思えて、パルナは思わず涙がこぼれてしまった。

 父も含め、三人でこの絵を見て話をしたかった。

 そんなパルナを、キンが正面から抱きしめてくる。

「大変だったんだね……。慰めるつもりじゃないけれど、煌に関してはまだ希望を捨てる必要はないんじゃないかと思うのさ。なんせあの子は、アタシらの前からいなくなっても生き続けて、こうしてアンタをここまで連れてきたんだからさ。ただでくたばるとは思えないよ。まあ、そんなことにした奴は絶対に許さないけどね」

 そしてキンはパルナを離し、わざとらしく凄みのある笑顔を作ってパルナの頭を軽く叩いた。

 それだけのことで、パルナは今の自分が一人でないことを実感する。

「それからほら、服も持ってきたよ。煌の着ていたやつだけど、あの子は華奢だったからね、サイズはそんなに違和感がないはずだよ。ただ、いかんせん長い間仕舞ってあったやつだか、ちょっと埃っぽいかもしれないのは勘弁しておくれよ」

 その服を渡され、パルナは目の前で広げてみる。

 ずっと大切に保管されていたのだろう。十年以上誰も着ないまましまわれていたとは思えないほど、痛みも汚れもないまっさらなものだった。

 シンプルな作りの襟もボタンもない服で、男性用なのでパルナには少し大きめにも思えたが、小さいよりはまだ良いだろう。

「お風呂の方も今沸かしてきたから、準備ができたら入るといいよ。身体を暖かくして、ゆっくりしなさいな。もしその間になんかバケモノが来たら、アタシが撃退しておくからさ」

「はい……」

 キンの言葉にパルナは再びソファに腰掛け、残っていた麦茶に口をつけた。

 落ち着いて飲むそれは、とても安らかな味だった。

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