第2話

 安濃津葛城家はわりと由緒ある陰陽師の家系、ということになっている。

 その源流は賀茂氏の発祥の葛木御歳神社付近にあるとされ、伊勢安濃津に移り住んでからは後に平清盛につながる伊勢平氏の後押しをしたとか、伊賀忍者に陰陽術を伝授したとか、安濃津藩藤堂家を陰ながら支えたとか、まあ色々と曰くを持っている、らしい。

 が、正直、俺自身はそれらの話の信憑性は限りなく低いと思っている。

 もともと資料的なものを残さない陰の仕事ではあるのだが、この辺の謂れは概ね、俺の曾祖父に当たる葛城諸矢が戦前戦後のどさくさに紛れて盛りに盛ったものではないかと疑っているからだ。

 うちの婆さんがいうには『あの人は現代で言うところの胡散臭いベンチャービジネスの社長みたいなもの』らしく、その腕は確かながらそれ以上に己を大きく見せるのが上手く、また、それを楽しんでいた節があったとのことだ。

 残念ながら俺が生まれた時にはとっくに鬼籍に入っており面識はないのだが、いくつかの書き残した資料からもそれは伺えた。

 そしてなによりタチが悪いのは、それを信じ込ませるだけの実力が曾祖父にはあったということだろう。

 おかげで葛城家は陰陽師界隈で一定の地位を得て戦後を裕福に暮らし、そのまま現在に至るというわけである。

 だがそれ以上に大きかったのは、その葛城諸矢の術の腕前の方も多くの子孫たちはしっかりと受け継いだことだった。

 葛城家を盛り立てたのは葛城諸矢の口八丁手八丁だったが、今なお陰陽師界隈で一定の地位を維持してしているのは祖父と親父の腕があったからに他ならない。

 しかしそれも、その次の代、つまり俺たち兄弟となると怪しいかもしれない。

 才覚にあふれていた長男の葛城煌は十四歳の時に神隠しに遭って行方不明となり、三男である俺、葛城亮は落ちこぼれとして行き場もなく、こうして実家に出戻ってきている有様だ。

 葛城家の行く末は真面目一辺倒の次男、葛城明に全てがかかっているといっても過言ではない。

 で、その出戻り落ちこぼれの俺はというと、故郷である地方都市、安濃津市で便利屋みたいなことをしながら日々を過ごしているわけである。

 もっとも、それだけでは食っていけないので、普段は小学生を対象とした小さな塾で講師などをしているのであるが。

 塾の講師は何がいいかというと、当たり前の話であるが、午前から平日の昼間はほぼ自由に使える時間ということである。もちろん、授業の資料をまとめたり事務作業などがあったりもするが、大人数の生徒を抱える大手の総合塾ならともかく、講師は俺と塾長の二人の小規模経営である。

 もちろん頭数が少ない分手間が増える部分もあるが、その手の作業も一時間ほどで終わることがほとんどだ。

 それに最初から塾長は俺の便利屋との兼業を認めてくれている。むしろそちらの仕事としても塾長経由での依頼が一番多いかもしれない。

 この道二十年以上ということもあり、あの人の教え子はどこにでもいる。ツテが相当広いのだ。二重にも三重にも俺はあの人に頭が上がらない。

 そんな俺が、あのと遭遇したのは、いつもと変わらないある日の昼下がりだった。


 俺は普段、平日の昼前には適当に街をブラブラしていることが多い。

 これだけ抜き出すと本当にロクでなしにしか見えないが、その解答ではせいぜい50点といったところだ。

 俺の稼業の一つは、街の中の綻びを見つけること。

 安濃津葛城家が屋敷を構えるだけあって、この街は人口の割に怪異現象が起きやすい風土であり、大事になってしまう前に、些細なところからその芽を摘んでやる必要があるのだ。

 とはいえ、数こそ多いものの基本的に怪異の強度は人口に応じた低さなので、俺のような暇を持て余した落ちこぼれにピッタリの役割というわけである。

 だからその日も、いつもと同じように住宅街を見回っていたところだった。

 その気配は、すぐに察知できた。

 元々街のいたる所に葛城家の結界が張ってあり、いわゆるアラーム的に問題を知らせるシステムがあるのだが、今回のそれは、そんなシステムを使うことなく俺でも察知できるほど巨大な力を持つものだったのだ。

 車を止め、その気配の方へと向かう。

 するとすぐに、工場跡地に身をひそめる一人の見慣れない身格好の少女と、それを追う黒い獣のような怪物の姿が目に入った。

 少女の金色の髪や白いドレスのような姿は明らかにこの街と不釣り合いだったし、後ろから迫る黒い怪物は完全にこの世ならざるものの形をしている。

「うーん、こりゃどうにも厄介なことになってそうだ」

 なるほどわかりやすい。

 俺は怪物と対峙すべく少女のと怪物の間に割って入ろうとする。

 だが一方で少女は俺の姿を見て、少し戸惑いながら声を上げた。

「来ないでください!」

 なるほど、そうきたか。

 これはどうも助けてくれという感じではなさそうだ。

 つまり彼女が懸念しているのは、この事態に俺を巻き込んでしまうことについてだろう。

 そういうことなら、俺の方から声をかけなおしてやる必要がありそうだ。

 だがそれを考えるより先に、怪物の方も角を曲がってこちらに姿を表した。

 随分と恐ろしい敵意をこちらに向けてくれている。

「ところで君は、あのバケモノに追われているってことでいいんだよな?」

 状況の確定のための言葉。

 だが彼女の返答は、さらに大きな問題を明らかにする。

「えっ、あなたまさか、『嗅ぎ狗』が見えるんですか!?」

 なるほど、まずはそこが問題だったのか。

 あの黒い怪物は本来、俺には目視できていないはずだったわけだ。

 しかしいるし『名前』もわかった。これだけ揃えば材料としてはもう充分だ。

「なるほど『嗅ぎ狗』ね。そういう名前か……」

 視たところなかなかの霊気を持った怪物だが、まあ、やるしかない。

 街で暴れさせるわけにはいかないし、そのために俺がいるのだ。

 懐に手を入れて、持ち合わせた札に呪言を込める。

『喰らい尽くせ』

 そしてそのまま札を引き抜き、札越しに怪物に焦点を合わす。

『反魂解』

 言葉とともに札が舞い、怪物に向かって放たれる。

 怪物を覆う札たち。だが、ここでまず俺の計算は狂った。

 札はなんとか怪物を抑え込んだが、それ以上のことをさせてもらえない。

 たとえるなら噛み付いたが牙が通らない、という感覚だろうか。

 霊気を引き剥がそうとしても、俺の力ではその硬さを超えられない。まったくもって自分の能力の低さが嫌になる。

 身体中から霊気を絞り出し、脂汗が流れ落ちるのがわかる。

 それでも、今するべきことはしておかなければならない。

 つまり、この場はなんとか俺が全力で抑え込んで、婆さんが来てくれるのを待つしかないということだ。

 流石にこの気配だ、もうこちらに向かっていることだろう。

 それにまずそもそも、この少女を逃がすことが先決だ。

 彼女がどこの誰なのかは知らないし、事情もまったくわからない。だが、俺を巻き込むまいとした彼女とあの禍々しい気を纏う怪物なら、どちらを救うかは考えるまでもない。

「さあ、今のうちに早く逃げろ。……非常に残念ながら、アレはあまり長くは持ちそうにないからな……」

 しかし少女の答えは、俺の予想を遥かに超えたものだった。

「……いえ、あとは、こちらでなんとかします!」

 ん、いまなんて言った?

 そしてそれに続いて、彼女の口からは、ある種の呪言が発せられる。

『マジカ・ブーシ』

 言葉とともに彼女の指が空をなぞると、そこから、ピンク色の不思議な形状をしたステッキが現れる。

 大気中の霊気を固めて物質化した?

 いや、アレはどこかと空間を繋いで、そこから取り出したのか?

 いずれにしても、これは『術』だ。しかも、相当強力なやつだ。

『マジカ・ダンガ・ハシッ!』

 そして彼女がステッキを振るうと、集められた霊気が凝縮され、光の塊となってその先端から射ち放たれる。

 その霊気の塊は空気を震わせながら一直線に飛んでいき、動きを封じられた影を直撃、その瞬間、解き放たれた霊気は怪物を飲み込むように爆発し、そのまま雲散霧消した。

 膨大な力をただ集めて叩きつける。

 シンプルで粗削りながらもそれが恐ろしい威力だ。

 あとに残されたのは、いくらかえぐれた地面と、散らばった俺の札の残骸のみだ。

「ふう……」

 彼女は大きく息をつくがまあその程度で、俺が全力を持って抑え込むのがやっとだった怪物を、ただの一撃で粉砕してみせたのだ。

 一方の俺はというと、抑え込むのに霊気を大量に消耗したのもあって、腰が抜けて立ち上がるのもままならない状態である。

「あの、大丈夫ですか?」

 あまつさえ彼女は、俺を気遣う余裕さえ見せるほどだった。

 なんてこった。格が違うとはまさにこのことだ。

「それは、本当はこちらが言うべき言葉だったはずなんだがなあ……。もはやこれは俺のほうが『助けてくれてありがとう』というべきだろうか」

 もはやそんな自嘲の言葉しか出てこない。

 いったい彼女は何者なのか……。

「しかし君、凄い術を使えるんだな。まったく見たことのない術式だ。君を追っていたさっきのバケモノといい、いったい何者だ?」

「それは……」

 事情があるのだろう、彼女は言葉に詰まる。

 しばらく悩んでいるようであったが、それを打ち破ったのは、他ならぬ彼女の腹音だった。

 グゥと可愛らしい鳴き声を上げ、その途端、彼女は赤面して慌てふためき出す。

「あ、これは、その、違うんです……」

 あれだけの力を使えば疲労はなくとも腹が減るのは当然なのだが、その慌てる様は、やはり中身は見た目相応ということだろう。

「いやまあ、あんな大掛かりな術を使えば腹も減るだろうな。少しばかり話をする必要もありそうだし、どこかで食事でもするとしようか。どうせ君、行くところもないのだろう?」

 だから俺は、つとめて冷静に、落ち着いてそんな声をかけた。

 彼女を怯えさせてはいけない。おそらく彼女は、この世界の人間ではない。

 それだけに、なんとかして彼女の出自を知っておきたい。

 彼女の『術』といい、彼女を追っていた先程の怪物といい、どうにも不穏な感じがする。

 しかし流石に警戒したのか、彼女は落ち着きなく、自分の目的を話し始めた。

「そ、そんなことはないです。実はですね、私、人を探しているんです。この国に来たら、その人物を頼れって……、その人が多分、この近くにいるはずなので……、えーと、カツラギ・マサルという方なんですが、なにか心当たりはないでしょうか……?」

 その名前を聞いた途端、俺の顔はおそらく、苦虫を噛み潰したように歪んだことだろう。

「……知ってるとも、非常に残念なことにね。……葛城勝は、俺の父親だ。俺はその息子、葛城亮」

 もはやため息をつくしかない。

 よりにもよって、こんな得体のしれない少女から、あの親父の名前をきくことになるとは……。

「とりあえず、家まで案内するよ。まあ、葛城勝は不在だけれど、君の要件は、おそらく俺にも関係するだろうからな……」

 黙って頷く少女に対して、俺はただ、諦めたようにもう一度小さなため息を付いた。

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