落ちこぼれボンクラ陰陽師、亡命マジカルプリンセス(姪)の師匠となる

シャル青井

第1話

 走る、逃げる、ただ逃げる。

 それだけしか出来ないのだ。

 だが、どこに行けばいいのかわからない。

 パルナにとって『この国』は、なにもかもがまったく未知の場所だった。

 必死になって走り続けていると、目の前には人の集まる市場のような場所が現れる。

 あそこに入り込めば、人混みの中に紛れることができるだろうか?

 一瞬そんな事を考えてしまったが、首を振ってそれを打ち消す。

 自分の事情に『この国』の人々を巻き込んでしまうわけにはいかない。それが自分に残された、胸を張って故郷に帰るための、王女プリンセスとしての最後の矜持だ。

 なのでなんとかこの場を離れ、できるだけ人のいない方向を目指して走る。

 だが『この国』は、どこまでいっても人工物で満ちている。

 それでもなんとか人の気配のしないところをみつけて、建物の陰に隠れる。

 しかしこうやって隠れていても、このままでは追っ手に捉えられてしまうのも時間の問題だろう。ならば、とパルナが覚悟を固めたその時だった。

 道の向こうから、一人の男性がこちらに向かって歩いてくるのが目に入った。

「うーん、こりゃどうにも厄介なことになってそうだ」

 彼はそれだけ呟くと、そのままパルナのいる建物の側まで近寄ってきてしまう。

「こ、来ないでください……!」

 パルナは慌てて姿を現して声をあげ、その男性の足を止める。

 このままでは彼が、自分の『追っ手』と遭遇してしまう。

 そうなる前に、なんとかしてパルナ自身が対処をしなければいけない。

 だが遅かった。

 路地の向こうの角を曲がって、四つ足の黒い影が姿を表す。

『嗅ぎ狗』だ。

 執念深くて探知能力に優れる使い魔で、パルナが故郷から逃げる際にもこいつによって多くの同胞が失われた。

 嗅ぎ狗が唸り声をあげ、パルナと男を敵意に満ちた赤い目で凝視する。

 ダメだ。

 ここで嗅ぎ狗を倒さなければ、この男性も犠牲となってしまう。

 今のパルナにも、嗅ぎ狗を攻撃できる魔法はあるにはある。だが、練習でも力の加減がほとんどできていないのが現状だ。もし攻撃を外せば、男性やこの街に被害を及ぼしてしまうかもしれない。

 パルナが有効策を見いだせない中、男性はひとことこう尋ねた。

「ところで君は、あのバケモノに追われているってことでいいんだよな?」

「えっ、あなたまさか、『嗅ぎ狗』が見えるんですか!?」

 パルナが驚いてしまうのも無理はない。

 使い魔は通常、魔力を持たないこの国の人間には見えないはずなのだ。

 しかし彼はやはり明確に、その姿を捉えるように視線を向けている。

「なるほど『嗅ぎ狗』ね。そういう名前か……」

 そしてそのまま迫りくる影を見据えながら懐に手を入れ、なにかひとことふたこと、言葉にならない言葉を口にする。

 一瞬、彼の目が光ったような気がした。

 パルナがそんな事を考えていると、彼はその懐から数枚の紙切れを取り出し、それであの影を自分の視界から覆い隠すように構えを取る。

『反魂解』

 そして彼は不思議な、パルナには認識出来ない言葉を叫んだ。

 すると、彼の言葉に呼応したかのように手から紙が宙を舞い始め、前方の影に向かってひとりでに飛んでいく。

 間違いない、これはなんらかの『魔法』だ。

 彼はこの国の魔法使いなのだ。

 影に無数の紙が纏わりつき、そのまま地面へと抑え込む。

 かなりの魔力を消費するのだろう。彼の方も相当苦しいらしく、その額には脂汗が浮かんでいる。

「さあ、今のうちに早く逃げるんだ。……非常に残念ながら、アレはあまり長くは持ちそうにないからな……」

「……いえ、あとは、こちらでなんとかします!」

 ここまでお膳立てしてもらえたなら、もう逃げる必要はない。

『マジカ・ブーシ』

 空をなぞってステッキを取り出し、そこに魔力を集める。

『マジカ・ダンガ・ハシッ!』

 そしてステッキを振り、抑え込まれた影に向かって集めた魔力を射ち放つ。

 魔力が凝縮されて光の塊となり、空気を震わせながら一直線にその影に向かって飛ぶ。

 動けない影に塊が直撃する、その瞬間、魔力は影を飲み込んで爆発し、そのまま雲散霧消した。

 あとに残されたのは、いくらかえぐれた地面と、散らばった紙切れのみだ。

「ふう……」

 パルナが一息つく横で、男性は力を使い果たしたかのようにその場に座り込んでいる。

「あの、大丈夫ですか?」

「それは、本当はこちらが言うべき言葉だったはずなんだがなあ……。もはやこれは俺のほうが『助けてくれてありがとう』というべきだろうか」

 息を整えながら、彼はそうおどけて見せた。

「しかし君、凄い魔法を使えるんだな。まったく見たことのない術式だ。君を追っていたさっきのバケモノといい、いったい何者だ?」

「それは……」

 パルナは言葉に詰まる。話せば間違いなくこの男性を巻き込んでしまうだろう。

 いくら相手が魔法使いといっても、あくまでこれはパルナ自身の問題だ。

 しかしそうはいっても、パルナにはこの国で頼るものがなにもないのもまた事実である。

 そしてそれを知らせるように、グゥとパルナのお腹も鳴き声を上げた。

「あ、これは、その、違うんです……」

 思いがけない身体現象に顔を真っ赤にして弁明するが、男性の方は特に気にした様子もなく優しく声をかけてくれた。

「まあ、あんな大掛かりな術を使えば腹も減るだろうな。少しばかり話をする必要もありそうだし、どこかで食事でもするとしようか。どうせ君、行くところもないのだろう?」

「そ、そんなことはないです。実はですね、私、人を探しているんです。この国に来たら、その人物を頼れって……、その人が多分、この近くにいるはずなので……」

 黙っていてはかえって巻き込んでしまうと悟り、パルナはその事を打ち明けた。

 それにこの男性なら、もしかしたらその人物のことも知っているかもしれない。そんな淡い期待もあった。

「えーと、カツラギ・マサルという方なんですが、なにか心当たりはないでしょうか……?」

 しかしパルナは答えを聞くまでもなく、男性になにかしらの関係があると悟ることになった。

 なにしろその名前を聞いた途端、彼の顔は苦虫を噛み潰したように歪んだからだ。

「……知ってるとも、非常に残念なことだが。……葛城勝は、俺の父親だ。俺はその息子、葛城亮」

 そして男性、葛城亮は大きくため息を付いてみせた。

「とりあえず、家まで案内するとしよう。まああいにく、葛城勝は不在だけれど、君の要件は、おそらく俺にも関係するだろうからな……」

 パルナもそれにただ黙って頷くしかなかった。

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