僕の記憶
そんな記憶を、僕はいくつも持っている。洞窟で気を失って、赤ちゃんになって岩場で拾われて、青年になってまた洞窟へ行って、気を失って、気がつけば岩場にいて…その繰り返し。
岩場で付けられる名前は、記憶ごとに違っている。だから、洞窟へ行ったときの、青年としての記憶の中でも、自分の名前はそれぞれ違う。
最初、洞窟に行ったときの名前がAだったとしたら、次に岩場で拾われるときの名前はB。その次の記憶ではBとして洞窟へ行って、また気を失う。そして岩場で拾われて、Cという名前を付けられる。もうわかるよね?次の記憶では、Cとして洞窟へ行くんだ。それでまた気を失って…
洞窟での記憶も、岩場での記憶も、大まかな流れは全部同じで、結末が変わることはない。けど、岩場で赤ちゃんを拾ってくれる人たちは記憶ごとに違う人になってる。付けてくれる名前も違う。洞窟へ行ったときに着ている服とか、持ってるものとかも違う。全部似たような記憶だけど、全部違う記憶なんだ。
だから、たぶんだけど、記憶が進むごとに、時間も進んでいるんだ。Bの記憶は、Aの記憶よりも後のことなんだ。記憶は似ているけれど、AとBが同時に存在することはない。
ということは、洞窟に行った青年は、気を失っているんじゃない。死んじゃってるんだ。きっとね。逆に、岩場にいる赤ちゃんは、産まれたての、新しい命なんだろう。
ところで、これらの記憶の中には、僕自身のの記憶は一つもない。岩場で付けられる名前も、洞窟に行ったときに覚えている自分の名前も、全部僕の名前じゃない。まるで僕が実際そこで生きていたかのように憶えているけど、僕が体験したものじゃない。他人の記憶を勝手に見せられているような、そんな感じなんだ。
もし僕自身の記憶があったなら、岩場で付けられる名前は「ミナト」になるはずだし、洞窟へ行った青年は「八汐ミナト」であるはずなんだ。
僕が持っている、一番新しい記憶は、岩場で拾われるときの記憶。その赤ちゃんは、「ヨウジ」と名付けられた。「八汐ヨウジ」、僕のお父さんが産まれたときの記憶だ。
……いつか、僕のお父さんも、洞窟へ行ってしまうのかな。
いや、きっともう行ってしまったんだ。だって、僕のお父さんは…
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