二章 戦の残り火
第17話 いざ魔導大陸へ向けて
竜の翼は風を切り、地上の獲物目掛けて太陽を背に急降下していく。
その背には一人の戦士がまたがり、長槍を構え、竜の鉤爪が討ちもらした獲物を逃さぬようにひとたびもその目を凝らしている。
対して空を駆けることが叶わない地上の獲物である彼、ジルルステイジは隙を見せず、かつ柔軟な対応が出来るように筋肉の強張りを解きほぐして迫りくる相手を待ち受ける。
そして、彼らがぶつかり合う。
竜の鉤爪はジルを鷲掴みにせんと迫ったが、彼は巨体故に挟み込まれるまでは幾らかの余裕がある竜の足へ潜り込み、軸とした槍の石突きをもってさらにその体を跳ね上げ、すり抜けてしまった。
追撃の長槍をも空中にありながら身を捩じり受け流し、槍で弾き飛ばすとジルは相手の槍を掴みにかかった。このまま力んで槍を構える戦士を引き摺り下ろすつもりなのだ。
竜使いの戦士といえども、彼らはあくまで人間であるし、引きはがしてしまえば戦力半減以上の大きな被害を相手にもたらせる。それを狙ってのことで、今その策が決まりかけた。
しかし、そう易々とはいかない。
竜の武器は鉤爪だけではない。彼らのあらゆる部位が人にとっては致命傷を与えかねない非常に強力な力を誇っている。
音速に迫る竜の尾がジルの身を打たんと迫り、一旦彼は掴んでいた長槍を手放し、構えた槍で受け止めるも空中であったため、あえなく吹き飛ばさ岩にその身を叩きつけられる。ジルも予定通りに攻略が進まないことに笑みをこぼしながら鼻血を拭う。
とどめとばかりに放たれる竜のブレスは、体勢を立てなおすことが出来ていないジルにとっては詰みの一撃となりかねない。ジルは即座に炎で濃くなった己の影に逃げ込む。
着弾し、大きく土煙を上げる地上の様子を窺う竜と戦士だったが、その隙を食らうように、岩壁を這う影が迫り、腕だけを出すと何か長縄のような物を竜に放つと、尾に巻き付いた鉤縄は竜の羽ばたきによりきしむも、一時ばかりはその動きを鈍らせることが出来た。
影から飛び出したジルは不安定に揺れる縄の上を駆けると、竜の背に飛び乗ってしまう。
戦士が咄嗟に撃ち落とそうとするも、この距離では彼の長槍は有効なものとは言えない。
ジルは抑えつけた槍をそのままに、戦士の首へ槍を突きつける。
「こんな所でそろそろ終いにしましょうか?」
「さすがは戦神の使徒だ、鮮やかだな。崩すイメージがまるで湧かなかった世」
「まさか。戯れの模擬戦なればこそですよ。実戦だったら編隊を組んで、敵の攻撃が届かないところから攻撃することがあなた方の主戦法になるでしょうし」
「むう、私も人と共に戦うのは久々であった故口惜しい気もするが、楽しめたぞジルルステイジよ」
春の雨が続き、アルデミラの武器が完成するのも竜のこだわりにより遅れたため、予定よりも一週間ほど出立が伸びたジル達は各々が里の人間と交流していた。
ジルは村の若い男衆に混じり戦闘訓練で戯れていた。
肉弾戦ではジルに敵うものが居なかったため、途中からは竜の若い個体も参戦し竜の里にとっては久しぶりの人竜一体の戦法を会得しようと盛り上がった男たちとジルは楽し気に遊んでいた。
そしてレーンの父レグトと白老の甥っ子の竜のコンビとの模擬戦を締めとし、クタクタになって転がっていた男たちも各々の家に帰っていく。
家族に遊んでばかりでどやされなければ良いがと、泥や擦り傷だらけの彼らを見送りながらジルは思った。
「それで、そろそろ行くのだろうジル君?」
「そうですね、確か今日にはアルデミラのナイフも完成するらしいので、明日の朝にでも向かうと思います」
「うちのレーンも寂しがるかな。外の世界に憧れるあの子にとって仕事以外で出来た親しい友達が行ってしまうんだからなあ。ジル君、里に住まない?」
「私は戦神様に仕える神官でもあるので、しばらくは一所には留まる予定はないですね。レグトさんや里の方々は良い方なので、別に嫌というわけではありませんけれど」
「はは、それでは巡礼が済んだらまた遊びにおいでよ。アルデミラちゃんと一緒に泊まれるように家でも造っておくよ」
「それはありがたいです。さあ、お腹が空いたのでお昼ご飯を食べに戻りましょう」
口から出た言葉が建て前か本音かも自分で分からぬうちに、ジルは今後の事を頭から押しやり、とりあえず目下の問題である空腹を解消せんとレグトと共に里へと戻る。
「あ、遅いから迎えに行こうと思ってたとこだよお父さん!」
「おかえりー、怪我はしていない?」
「レーンにアルか。怪我なんかはしていないけど、少し盛り上がったから遅れてしまったよ。ごめんよ」
「うん、すまないね二人とも」
もうすぐ家に着く、という所でレーンとアルデミラが揃ってやってきた。彼女たちもいつもより遅くなった二人の様子を見に行くところだったので、無事すれ違いからのレーンの怒りが爆発することもなく済んだ。
「またお父さんジルとの模擬戦で粘ったんでしょ?土台ふだんは戦わないのに戦神の使徒に一本取ろうなんてぜいたくよぜいたく!」
「ごめんごめん。ジル君との模擬戦はあっさりって予定なのに何故かいつも、いつの間にか全力でやりたくなってしまうんだ」
父親にぷんすかしているレーンと、いなすレグトのやり取りはジルとアルデミラにはとても微笑ましいものに見えた。
それぞれが事情で両親というものに触れ合えることが無かったためである。
笑われていることに気づいたレーンが顔を赤くし、さっさとご飯に行く!と皆を置いて駆けだしたことに苦笑しつつも後を追いかけ昼となった。
「それでさ、午後には出来上がっているらしいから良ければジルも一緒に受け取りに行かない?」
「そうだな、あそこで買った竜の髭を混ぜた鉤縄はなかなか頑丈で良い物だったし、また二人で行こうか?」
「あたしも付いていきたいけど午後から滞ってた運送業のほうで打ち合わせがあるなー。無念」
「受け取ってきたら一番に見せるから待っててね!」
「絶対よー!それじゃあ午後一番で打ち合わせがあるから一足先にあたしは行くね!」
昼食を食べ終えた皆はそれぞれの用事へ向かうことにした。
ヴァーダは霊山として知られるこの山の魔力に澱みがないかを確認するために白老と共に飛びまわているのでここ数日の明るいうちは不在であった。
幸いなことに今のところ大きな問題は無いようである。
「それじゃあ、服を変えてくるからちょっと休んでてくれ」
「了解、あ!これ作ったからあげるよ」
「これは?竜の牙か?小さめだが乳歯かね?竜に乳歯が有るかは分からないけれど」
「その通りだよ。僕が初めていい感じに作れた奴だから記念にあげる!きっと悪い物から守ってくれるよ」
「ああそうか、ありがとうアル。似合うか?」
アルデミラが差し出したのは牙をあしらった翠のブレスレットで、なにやら不思議な力を感じる一品であった。
「いい感じだね!ほら、僕とお揃いだよ」
ひらひらと既に着けていたブレスレットを自慢げに振ると、ニヒヒとアルデミラは笑った。
ここ数日、アルデミラはレーンと共に村の呪術師のおばさまの所で彼女の持つ森の霊薬の知識と、竜の素材からできた触媒などの知識を交換していたのだ。
先ほどよりジルの左手で鈍く輝いているブレスレットもそうした中で生まれた一つである。
「頼もう、アルデミラの頼んでいた品はもう出来ただろうか?」
「おう!ちょうどさっき研ぎまで終えたところだぜよ。ほれ、お嬢さんの注文の品はこれでい!」
「おお!鞘から綺麗な作りですね」
アルデミラが受け取ったナイフは深紅の装いを基調とし、あちこちに光を乱反射する輝石を散らばらせた礼装用といっても差し支えない美しいナイフだった。
「宝玉を溶かして鞘と刀身に宿してあるから、自然から魔力を吸収して徐々に力を蓄えて置けるようになってるぜ。それと炎に親和性のある宝玉だったからよ、試し打ちで何か火の系統の魔術を使ってみいや!」
「分かりました、それじゃあえーと、それ!」
「おお!素晴らしいじゃあないですか」
「さすが古精霊族だな!俺っちのテストの時とは比べ物にならんわ」
「やっぱり触媒が違うと全然違うかも。ありがとうございます!」
アルデミラの振るった魔術はいつもより圧倒的に出が速く、それでいて込めた魔力に対しての威力も桁違いだ。
焦げ付いた匂いのする壁を納得したような面持ちで眺めた職人は、それでは代金を、とそろばんを持ち出して材料費や加工費の計算を始めた。
「諸々をまとめると金貨で50枚くらいだな。材料も半分持ち込みだしだいたいは加工代だな」
「ええと、50枚か。あ」
財布の中を確認したアルデミラは全然足りないことに気づいてしまった。
無理もない、金貨50枚もあれば都市部の借り住まいの若者が節約もせずに暮らしていけるほどの金額で、あまり貨幣を使うことの無い古精霊族のアルデミラたちは馴染みのない金額であるのだ。
こそっとジルに近づいたアルデミラが耳打ちをする。
「あの、悪いんだけどジル、今持ち合わせが全然足りなくてさ。ちょっと貸してもらえないかな?目処が立ったらすぐに返すからさ、お願いします」
「もちろん良いよ、俺はわりと多めに持たされてきたからね。ちょっと待ってくれ、倉鏡」
「おお、兄ちゃんも彼女の分まで持つとはやるねえ!」
鏡から膨れ上がったがま口を取り出したジルはざっと多めに金貨を積むと、余っている鉤縄を追加で注文した。
臨時の収入にほくほく顔の職人を背にし、二人は家に帰ることにした。
こうして、無事にアルデミラの元へ新しい武器がやってきた。
「港に着いたら霊薬でも作ってお金を貯めるから、待っててね」
「なんだ、そのことで変な顔してたのか。それじゃあこれの代金替わりってことでもう気にしなくていいよ。霊験あらたかな古精霊族に作ってもらったこっちの方が高くなるさ」
「でも、わるいし、」
「いいからいいから。それでもっていうならしばらく旅の途中の食事の片づけはやってくれ。片付けは苦手なんだよね」
「うん、ありがとう」
帰り道には借りたお金を気にしていたアルデミラとジルの、初となる言い合いも有ったが、二人だけの秘密である。
「それじゃああたしは二人を送ってくるからね。夕方までには帰るよ!」
「皆さんお世話になりました。それではまたいつか」
「気をつけてね。ジル。あんたが無茶をしたらアルデミラちゃんも危ない目に合うんだから自重するようにね」
「分かりましたヴァーダさん、気をつけます」
「ふん、達者でね」
「そいじゃあ出発!舌を嚙まないようにね!」
レーンの操る亜竜が翼を大きく広げ、ゆったりと飛んでいく。
普段見ない空からの景色から、二人は初っ端から大変な目にも、貴重な瞬間にも立ち会えた里がぐんぐん小さくなっていくのを眺めていた。
「なかなか面白い旅になりそうじゃないか?」
「うん、僕もそう思ってたとこだよ」
二人にはこの先なにが待ち受けているか分からない。
なにせ彼らの旅はまだ始まったばかりなのだから。
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