第3話 亜竜使いの里へ

 ここは竜大陸の森林地帯の奥深く。本来であれば、月夜が優しく照らし、虫や精霊が戯れるのみの時間帯であるが、今夜は違うらしい。

 強烈な閃光が月の光を上書きし、辺りを染めるのは人ならぬ者たちの悲鳴や叫びである。 


 その最中、古精霊族の少女アルデミラが燃え盛るナイフをかざし、眼前に迫っていた首のない獣達を焼き尽くす。

 その近くでは一人の青年が串刺しにした怪物たちを振り回し、宙へ放り投げる。放り出された怪物たちの魂は、淀んだ魔力に無理に生かされ続けていたその朽ちた体から解放される。

 ジルはそのまま魔術を練り上げると亡骸に炎を飛ばし、燃やし尽くすと流れるように次の獲物である腕無しの大猿に風の魔術を、牙欠けの猪へ槍を放り仕留める。

 続いてジルは小さなナイフへ持ち替え辺りを警戒する。闇にまぎれ襲い掛かる片翼の大鳥を飛び込んでくる勢いのまま切り裂き、首を落とす。

 ジルはふとアルデミラを見る。性根が優しい者が多い古精霊族の中でもアルデミラには見込みがあるようだとジルは思う。そして彼女が初めての戦いよりもよく動けているのに一人満足げに笑う。


 どうやら亡霊の狂宴も終盤のようである。ほとんどの怪物たちは本来の動かぬ死体へと戻り、そうでない者も後を追うように、魂が束縛から解放されようとしている。

 だがそれに抗う者もまた存在している。


「オオオオオッ!」


 半身を失った歪な人獣型魔獣が、血に染まった牙から泡を吹きながら同胞を殺し続けたジルへ向かいがむしゃらに駆け寄ってくる。腐敗が進んでいないのか、他の魔獣に比べ圧倒的に速い。


「ジル!君の方に向かってるぞ!」


「分かってるよ、これでお終いだ!来いっ、命槍!」


 アルデミラの忠告を耳にしつつ、ジルは振り下ろされる鋭い爪を紙一重でかわし、ナイフを深々と怪物の顔面に突き立て、さらにジルの掛け声に応じ、猪の亡骸から抜けそのまま飛んできた槍で、激しく心臓を撃ち貫いた。


 とうとう限界に達した人獣の魂も解放され、動きを止めた。



「ふう、それにしても二人旅の初日からこんなに多くの穢れた魔獣、それも死骸の群れに襲われるなんて、なんだか縁起が良くないみたいだ」


 清めの聖紛をあちこちに散らばる死骸に振りかけながらジルがアルデミラに語り掛けた。べったりと踏んづけたなにがしかの汁に顔をしかめながらである。


「ううん、確かにこんなに霊魂が荒くれる日なんて僕の短い人生の中でも初めてだよ。原因は何なのかな?確かおばあさまが教えてくれた話では竜大陸では数十年に一度、ええと、なんだったっけか…」


 焼け焦げがあちこちに出来ている森で、先ほどまで暴れまわっていた魔獣達を調べていたアルデミラだが、何かを思い出しかけているのかうんうん唸って考え込む。

 辺りの片付けも済んだジルはそれを片目に、ぼんやりと空を眺める。月は周囲を明るく照らしていたが、それに影を差すように大きな魔獣のシルエットが重なった。


「あ、月に重なって竜のような魔獣が飛んでいるよアル。竜かあ、こうやって見かけるのは初めてだなあ。何かお願い事しないと…」


 数百年前に廃れた古い迷信を信じているのか指折り願い事を考え出したジルの傍ら、一瞬停止したアルデミラが飛び跳ねた。


「竜!それだよジル!ちょうど今は春の満月だから竜の産卵期なんだ、だからこの大陸には陽の気が満ち満ちているんだ!」


 謎が解けた事が嬉しかったのかジルに詰め寄りながらアルデミラが早口でまくし立てる。


「ふむ、竜の産卵期か、それってすごいことだよねたしか。あ、そうか!」


 一瞬キョトンとしたジルだったが、自身も合点がいったようで手を叩いた。


「なるほどね、満ち足りた陽の気を求めて、救われない霊魂たちや魔獣が騒めいているってわけだ」


「そうそう、こんなにあふれることは稀だと思うけど、けど竜の産卵なら有り得るかもしれないって訳だよ」


「ふむ、そういうことであればさっきの荒れ狂い様には納得だなあ」


 うんうんうなずくジルを横目にアルデミラはでも、と独り言のように続ける。

「…妙な話なんだ、竜はここ百年は産卵していないんじゃなかったかな。昔聞いた風のうわさでは確か、契約していた竜の民達とのいざこざだか何だかでさ。そんなに世間に詳しいわけじゃないけど、結構話題になってたから聞いたことあるよ」


「昔は竜の民は確かに居たんだよね、人竜一体の竜の戦士たちはみんな強かったらしいよ、文献に残っているし。彼らの末裔が残ってたりするなら有名な戦士の話でも聞けないかなあ…」


 せっかく納得いく答えを見出したアルデミラだったが、新たな謎に頭を悩ませ出した。

 そのままジルの呼びかけにも生返事でうろうろ歩き回っていた。

 アルデミラは考え事をするときは歩き回る癖があるようだ。


「…暇だし水浴びでもしよっと」

 アルデミラがそれに答えを見出すのは、朝日を拝む頃にになるのではと1時間ほど自身の武器を手入れし終え、おやつを食べながら思ったジルは、先ほど歩き回った際に見つけた小川に向かった。

 そのまま、呪言をいくつか唱え、身を守っていた鎧を脱ぎ捨てると流れるように服を脱ぎ捨てると川に飛び込む。

 幸いにも小川には澄んだ水が流れ、動き回り火照った身体を冷ますには程よい水温にジルはその身を投げ出す。


「ふう、今日は夜もわりと暑かったからいい感じだ、春が来たんだな。春は好きだ」


 すっかりとジルは寛いでいる。その様子は先ほどまで戦いを堪能していたようには見えず、穏やかなものだった。しばしくつろぐ。


「おーいジル、どこにいるのー?良い事思いついたんだけどさー!」


「やれやれ、思ったことには一直線なんだなアルは。おーい!俺はこっちだよアル」


 先ほどと同様に、水面に浮かびながら何処かへ優雅に飛んでいく竜をぼんやりと見つめていたジルであったが、探しているアルデミラの声に答えざばざば水を切ってジルはアルデミラのもとに向かう。


「やあ、今水浴びしてたとこなんだ、アルもどうだい?」


「ああ、そうだったのかジル、それで思いついたことなんだけどさって!?君よく見たら裸じゃん!?服ぐらい着なよ!前を隠しなさいよ!」


 アルデミラもほとんどの時間を彼女の祖母としか過ごしてこなく男の裸体には免疫がなかったのか、両手に覆った顔の指の隙間からしっかりガン見しながらジルをたしなめた。


「そうか、普通は服とかは人前ではしっかり着ないとなんだった。ごめんよ、だらしなくて。僕はあまり家族以外と過ごしたことがないからさ、気づかなかった」


「そうだよ、もう。これから街に寄ることも有るんだから忘れないでよね?警吏に捕まっちゃうよ。それにしてもジル、その体の紋様は一体何だい?私からしてもかなり古い様式だけど…」


 アルデミラに促されとりあえず下着を穿いたジルの体を、また好奇心が刺激されたのかアルデミラが指でつつきながら検分していく。


「これはね、俺の体質が生まれつき多くの呪いを引き寄せるっていう厄介なものでね、それから身を守るために家族が彫ってくれたものなんだ。恐らくこれがないと俺は十日と持たずに呪いに潰されてしまうか、呪いによって人ではない怪物にでもなっちゃうだろうね」


「それは、厄介だね…」


 ジルの心臓を守るように広がる紋様は古いまじないで、母が子を想う情愛を込めて刻まれるものである。

 離れ離れになった人を思い、繋ぐ意味が刻まれていて、アルデミラは思わず手でそっと触れ、慌ててひっこめる。


「まあこの紋様のおかげで生きれているから気にしていないよ、込めてくれた人の力か、相当強い効果を持っているしね。それより、思いついた良い事っていうのは何だったんだい?」


 ちょっと感傷的になったアルデミラは勢いがそがれたが、当人のジルが気にしていないこともあって、手荷物から古めの地図を取り出しつつ、ジルにも地図を出すように促し、ジルが取り出した地図を指し示しながら話を戻した。


「それはね、このジルの地図を見てほしいんだ。今僕らはこの竜大陸南端付近の竜の尾という街道に近づいている。それでこの竜の尾に合流したら大陸西部の山脈へと向かっていくするとそこにはほら、ここで、ジルの持っている新しい地図と比べてみると、亜竜使いの里が山の山頂から距離を置いた場所にある。でも、僕の地図を見ると、山頂にだいぶ近い場所に竜の民の里がある。つまり、僕の推理だと今は名を変えてしまって少し離れた場所に彼らの末裔は暮らしているというわけだね」


「そこにはかつての竜使い達の末裔達が住む里って訳だ。そこならこの突然始まった竜の産卵期について何か知っているのかもしれないね」


「そうそう!こんな百年ぶりの異変についてやっぱり詳しく調べてみたいと思ってさ、ジルがいいならそっちに向かうけど良いかな?それともジルは急ぎで向かっている?」


 推理の勢いと一転、ダメかな、と幼気な視線を向けられたら別に火急の用を要する訳ではないジルとしては否定は難しかった。竜も気になるし。


「まあ、そっち側から行ったとして時間は大きく変わらんし、おまけに急いでいるわけでもないから、そうしようか。出来るなら俺も竜と力比べがしてみたかったんだ」


「…ええ、それは無茶じゃないかなあ」


「ははは、武人たるもの戦いに生きるものだアル。戦い無しでは生き残れない時代が続いてるんだ、際限なく強くなっていかないと人は魂が腐敗するのさ」


「武人の心がけにしても物騒だねえ。いつか皆が争いなく生きていける日が来たらいいんだけどなあ。現に戦争が終わって平和が近づいているし。それじゃあ明日に備えて、今日は見渡しのいいあそこの木の下で野営しようか、結界の構築も簡単だし」


「いいよ、それじゃあさっさと準備しちゃおうか」


 二人が手早く準備を終え、それぞれ交代で寝る準備を整えると、魔力の消耗が激しいアルデミラが先に床に就いた。


「念のため獣除けの香を焚いておこう。いちいち相手にするのも面倒だし。それでもまあ死霊の類は防げないものけど」


「死霊には僕がさっき作ったこっちの香で対策しとこう、それじゃあ、明日のため、今日はおやすみジル」


「ああ、おやすみアル」


 焚火を前にジルはこれから起こる面白そうな戦いに胸を馳せ、旅の楽しさというものをその身に刻んでいく。


 そして夜が明ければ、急遽決まった亜竜使いの里への訪問に向け、二人は進んでいく。

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