第167話 絶望
研究所を飲み込んだ極光は30秒程でその輝きを失った。
光が晴れると黒川晶真は、サアラを盾にした体制のままでその場に1人佇んでいた。
彼以外の者は皆気を失ってその場に倒れている様だ。
「…… な、何があったと云うのだ…… サ、サアラ、サアラは居ないのか?!」
彼が盾にした彼女の姿がない。辺りを見回しても彼女の姿は見られない。
色濃く黒石の闇に侵されていたサアラは、【双成.太極光】の極光を受けて消滅してしまったのだ。
サアラを盾にする事によって晶真自身は、浄化の光の直撃を受ける事なく消滅を免れた。
彼のために死ぬ事も惜しまない彼女なら、この死も本望だったのだろう。だが−–
「い、痛い! 痛いぃぃい!! わ、私の腕が、腕がァァ!!」
消滅こそは免れた晶真だったが、彼の極光を受けた右腕と右足の膝から下が無くなっていたのだ。最初あまりの状況に驚愕して、時間差で自分の体の変化に、手足を無くした痛みに気付いたのだ。
体を支えられなくなりドチャリとばかりに力なくその場に崩れ落ちる晶真。
もはや彼を支えてくれるサアラはいないのだ。
「痛、痛いぃぃ…… だ、誰かぁ! 誰も居ないのかぁ!? い、痛ぃぃい! は、早く治療をぉ……」
あくまでも自分ファーストな晶真はサアラの死を嘆く事もなく、残った腕だけでズリズリと這いずりだした。
自分が有利な時は泰然自若とした態度でリーダー的な雰囲気の晶真だが、追い込まれた時の彼は本来の小心者が顔をだす。
黒石の力に目覚める前はオドオドとして陰険で内気な少年だった彼。今の晶真の方が本来の彼と言うことだ。
そんな彼の前に彼を見下ろす様に仁王立ちする腐獅子の姿があった。
彼は優畄達の【双成.太極光】を受けても、驚異的な鬼の回復力で消滅する事なく耐え凌ぐ事が出来たのだ。
その見た目も大きさこそは変わらないが、以前の腐獅子のものに戻っている。まあ先の戦いでの火傷痕は痛々しく残っているが。
「おっ! よ、良かった腐獅子よ、は、早く私を、安全な場所まで運ぶのだ!」
「…… 」
「な、何をしている!? 早くしろぉ!!」
「……」
そんな晶真の命令にも無言のままに彼を見下ろす腐獅子。
「ふ、腐獅子?! ど、どうして……」
晶真は知らない、彼が失った物が自身の腕と足だけで無い事に。
彼の命綱でもある魔眼の能力が失われ、腐獅子の洗脳が解けている事に……。
優畄とヒナが放った【双成.太極光】は直撃を避け消滅を免れたとしても、黒石の能力、邪悪の根源たる黒石の闇は払われるのだ。
洗脳から解放されて、ただ見下ろすだけだった腐獅子の視線に、徐々に憤怒と憎悪の色が宿っていく。
亜神レベルの眼光は睨みつけるだけで相手の動きを封じる事が出来る。だが腐獅子が晶真に向けているのは飽くなき憎悪の視線。
「カッ、ヒッ……」
晶真は腐獅子の大気をも震わせるその一睨みで、体が引き攣り全身の穴という穴から汚物を垂れ流した。
この世の何よりもこの者が憎い、殺したとて決して晴れる事の無い憎悪。腐獅子は腐手でもある右手で晶真の頭をむんずと掴み持ち上げる。
このまま頭を握り潰してしまう事は余裕だ。だがそうはしなかった。
「お前は殺さねえぇ、その代わり……」
腐獅子の右腕の腐敗は呪詛だ。はるか昔に彼が倒した魔物から受けたものである。
この呪詛の力はとても強く、解き放てば大地を空気を腐らせる無限の毒。それを防ぐために自身の右腕に封じていたのだ。
優しい鬼だった彼は、他の者がこの呪詛で苦しむ様を見ていたくなかった。彼は鬼の中でも随一の頑丈さと回復力を持っている。
彼だから右腕だけで済んでいたのだ。
その呪詛を今、彼は解き放とうとしている。
「ヒッ、や、やめて! やめてく……
そして腐獅子は燃え盛る業火の様な憎悪と共に、腐敗を黒川晶真に解き放ったのだ。
「…… おっ…… お…… おごぉぉぉぉぉ!」
腐敗の呪詛を受けた晶真の肉体が物凄い速さで黒紫色に変わって腐り出す。髪の毛は一瞬で白髪になり抜け落ち、全身に腫瘍が出来上がり膿が滴るり落ちる。
鼻をつく様な凄まじい悪臭が辺りに充満する。
この腐敗の呪詛は晶真を新しい宿主と定め、死なない程度にその体を生きながらに腐らせていく。
そう決して死なす事なく宿主に生き地獄をもたらすのだ。
サアラが生きていれば、そんな彼でも見捨てる事なく尽くしてくれたかも知れない。だが彼女はもう居ない。
彼女と共に消滅した方がどれだけよかった事か。これから晶真は、ただ1人腐敗の呪詛で生きたままに腐り続けるしかないのだ。
晶真の腐り行く様を見届けると腐獅子は、今度は突然に大きな声で泣き出した。
「うおおぉぉぉぉぉぉぉ〜!!」
それまで晶真への憎悪の感情で抑えられていた現実、操られていたとはいえ今まで自らがして来た事の全てに彼の感情が耐えきれなくなったのだ。
それは彼の魂からの叫び。逃げ出す様に彼はそのままフラフラと、その場から歩き去って行った。
絶望感だけが今の彼の全て。
どれ程歩いただろう、偶然か否か、彼が辿り着いたのは康之助が守る黒石の前線の砦。
簡易な木組みの柵に覆われただけの簡素な作りの砦だ。この砦は守るための物ではなく、優畄達や鬼を迎え討つための物だから簡易な物でも問題はない。
そんなフラフラと砦に近づく彼を最初に見つけたのは、この砦に康之助と共に待ち構える【黒真戯 】のリーダーの瑠璃だ。
大声で泣きながら歩き寄ってくる彼を訝しむと共に警告を発する。
「そこの貴様止まれ! これ以上近づくのなら容赦なく攻撃をする!」
彼女は黒槍を作り出すとその照準を腐獅子に合わせた。他の【黒真戯 】も手に持つ銃火器の標準を彼に合わせる。
彼女達もこの鬼が銃火器程度でどうにかなる相手ではないと分かっている。それでも無駄と分かっていても、彼女達に後退の選択肢は出来ないのだ。
出来る事なら退いてくれ、そんな彼女達の思いに応える様に腐獅子は、泣き止む事なくその場に跪くと今度はブツブツと何かを呟き出した。
そんな腐獅子の元に彼の強大な妖気に気づいていた康之助が歩み寄る。
【黒真戯 】には待機の合図を出して1人で向かう康之助。彼女達に犠牲を出さない様にとの考慮だ。
戦うとなれば彼も全力を出さねばならない相手。退いてくれれば良いのだが、一応話だけでもしてみるかと、彼に近付く事にしたのだ。
だが近付いてみれば、腐獅子はその場に跪いた状態でブツブツ呟いているだけで戦意も何も感じられない。
「悪いな、アンタにここを通らせる訳にはいかないんだ。諦めて退いてはくれないか?」
康之助は人格者だ。相手が例え強大な力を持つ鬼だとしても、無抵抗な相手に拳を振り下ろす様な事はしない。
これで退いてくれれば無駄な血を流さずに済むのだが。だが、そんな彼に腐獅子から予想外の応えが返ってきたのだ。
「…… 殺してくれ…… た、頼むから、オラを殺してくれぇ……」
康之助に懇願する様に顔を上げる腐獅子。そんな鬼の目にあるのは絶望の一言。先程から彼が呟いていたのは「殺してくれ」という言葉だったのだ。
死を望む程に彼は魂から絶望しているのだ。鬼の絶望の叫びが康之助を揺さぶる。
鬼に自殺の概念はない。そして彼程の強者を殺せる者なぞそうは居ない。だがそんな腐獅子が辿り着いたのは、偶然にもその彼を殺す事が出来る者が居る場所。
「…… 絶望に染まったその目を俺は知っている。アンタ程の強者が自ら死を望む程の出来事があったんだな」
「…… こ……頼む、オラを殺してくれ……」
康之助の問いかけにも、腐獅子は絶望に染まった目のままにその言葉を繰り返すのみ……
運命めいたものを感じながら、康之助は自身の右腕を刀の様に変化させる。
「【武体琰滅陣】……」
そして刹那の瞬間に1万度にまで上げた斬撃で、腐獅子に痛みを与える事なく、即座に彼の首を切り落としたのだ。
康之助が操る火炎は超回復を有する鬼の体をも焼き払う事が出来る煉獄の火炎。彼はせめてもの弔いとばかりに跡形も無く腐獅子の亡骸を焼き払った。
「…… まったく、損な役回りだぜ……」
鎮痛な面持ちで陣に引き上げて彼は思う。
(もし優畄達がここに来たとき俺は……)
そして決意を宿した眼光を茜色に染まる空に向けるのだ。
ーー
時間は遡り優畄達が【双成.太極光破砲】を放つ少し前。もう1組の黒石の者達が終わりの時を迎えようとしていた。
それは1人の恋するお嬢様と、そんな彼女を誰よりも思う授皇人形の男だ。
2人は極光が放たれた時何故か逃げようとはしなかった。
あの光の性質は黒石の者なら一眼見れば分かる。逃げても間に合わないという事もあるが、彼等はその光に身を献げる事にしたのだ。
今や両思いの七菜とフィレスだが、このまま生きて居たとしても彼等が結ばれる事はない。黒石に有って授皇人形と結婚する事は禁忌、タブー。
たまに例外はいるがその殆どが、黒石から出奔して追われているか命亡き者達だ。
まして彼女の家は、現役の国会議員を家長にする政治家一家だ。そんな家では尚更あり得ない事なのだ。
小さい頃からそのワガママで傍若無人な振る舞いの七菜には友達が居なかった。黒石の者という事でイジメられる事はなかったが、皆彼女を恐れて近づく者は居なかったのだ。
予想外にメルヘンチックなところがあった彼女、白馬の王子様に憧れてライトノベルにハマっていたのは内緒の話だ。
そんな彼女の転機は黒石本家での授皇伎倆の儀式。
その日彼女は、ライトノベルで読んだ事がある様な不思議な能力と、自身の憧れの白馬の王子様を手に入れた。
授皇人形は主人の理想が色濃く反映される。長年憧れていた王子様にやっと巡り合えたのだ。
正直一目惚れだった。
だが政治家の娘としての現実が彼女にブレーキを掛ける。どうせ結ばれる事のない相手なら辛辣に扱っても構わない。
だからフィレスには辛く当たり、理不尽な命令を出して彼を困らせたのだ。
本当に酷い仕打ちを彼にはしてきた、彼の苦しむ顔を見るのは正直辛かった。
それでも彼の七菜に対する思いは変わる事が無く、一途に彼女を守り寄り添い続けたのだ。
彼女が黒石七菜である限り現世で彼女達が結ばれる事は無い。
彼女は疲れていた。黒石の者である事に、そして素直に成れない自分自身に……
最初は有頂天になった能力も、使えば使う程に自身の体を心を侵していく諸刃の剣。それと共に自分より圧倒的に格上の存在を知り、怖気付いてしまったのも事実だ。
今2人は光が迫る窓際で互いに寄り添い、抱き合い最後の時を迎えようとしている。
「…… ねえフィレス、あの光が私達を包み込めば間違いなく私達は消えて無くなるわ……」
七菜はフィレスの頬に手を添えると確かめる様に彼に聞く。
「それでも私とこのまま最後まで、一緒に居てくれる?」
「はい、お嬢様の行く所ならば何処へでも。私は貴方様の授皇人形、貴方様のために存在するのです。だから何処へでもお供致します七菜お嬢様」
「ああ、フィレス…… 私の王子様……」
最後に初めての口付けを交わす2人、そして極光が2人を飲み込んだ。
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