第158話 フェンリル


明らかに他の銀狼とは違う群れのリーダーと思わしき銀狼の正体は黒石ひなたが変化しているフェンリルだ。


心まで野獣のそれと化している彼女はもはや人間ではない。


彼女は次元の狭間から出てきた銀狼達のボスのダークフェンリルを倒し、代わりに銀狼の群れを力で従えさせ鬼を、赤蛇を探していた。


その時刻羽童子が戦っている所を見つけて襲い掛かったというわけだ。



『お前たちそいつを死なない程度に痛ぶりな!』


ひなたの命令で一斉に銀狼達が刻羽童子に襲いかかる。


【空間歩行】の能力で刻羽童子の上空のアドバンテージは意味をなさない。



「チッ……(ここは【風装.花月】で一気に逃げてコイツらをまくか……)


刻羽童子の奥の手【風装.花月】を使えば、ひなた率いる銀狼達と戦ったとしても負ける事はないだろう。だがそれでは意味がない。


何故ならひなたのフェンリルが後方に控えているからだ。


それに今は先程の戦いでの疲労が残っている状態だ。


【風装.花月】を装着すれば銀狼達から逃げ去る事は出来る。だがそんな彼の判断の迷いが敵の合流を許してしまう。


先程引き離した雑魚共が追い付いて来たのだ。


(…… ここは後退が最善か、だが……)


逃げ期は逸した、ここは戦う以外に選択肢は無さそうだ。


だがその時ーー



「あっ! 刻羽! こんな所にいたのか!!」



刻羽童子が銀狼達の攻撃をいなしながら逃げるか戦うかで迷っていると、聞き慣れた声が辺りに響き渡る。


「赤蛇…… ちょうど良い所に来てくれた」


自身も見た事のない魔物に襲われながらも、それらを蹴散らしながらも刻羽童子を探していた彼女。


竜巻が魔物を巻き上げる光景を見てそこに刻羽童子が居ると目指してやって来たのだ。


形勢も不利なため逃げる方向に傾いていた刻羽童子。1人ではキツいが赤蛇とならばこの魔物共を蹴散らすのは容易い。


一つ気がかりなのは犬共のボス、一際大きな銀狼だけだ。その銀狼は赤蛇をその目に捉えた途端に歓喜の声を上げたのだ。



『見つけた! ついに見つけたぁ!! グルルルル……十兵衛の仇、八つ裂きにしてやるぅ!』


赤蛇を見つけたひなたの目が血走り、心を野獣が支配していく。そしてその全身から100本の漆黒の鎖が禍々しい妖気と共に飛び出て来る。


彼女の周りにいる他の銀狼達もそんなひなたに怯えている様だ。


この鎖は【魔紐グレイプニル】、伝説ではフェンリルの体を縛り付け封印していた鎖だ。


ひなたの変化しているフェンリルは、彼女が倒したダークフェンリルとは違い、【獣器変化】によるオリジナル。


本来は自身を封じる【魔紐グレイプニル】だが、ひなたのフェンリルはそれを自由自在に操る事ができるのだ。



『行けグレイプニル! その雌鬼を捕らえろ!」


ひなたの命令と共に100本のグレイプニルがまるで意志を持っているかの様に赤蛇を狙い動き出したのだ。


「このクソ! アタイと刻羽の再会を邪魔してんじゃねえ!」


赤蛇も【血の祝祭日】の能力で鎖を溶かして回避していく。だが溶かし損なったグレイプニルが彼女の腕に迫る。


「クッ!」


グレイプニルが赤蛇を捕らえようと迫って来るが、それを絶妙なタイミングで刻羽童子が弾き飛ばし、赤蛇を抱えて後方に飛び退いた。



「刻羽! ……あ、ありがとう」


赤蛇は戦闘中にも関わらず、頬を赤くしてもじもじしながら刻羽童子に礼を言う。やはり彼女の中では何に増しても刻羽童子が1番なのだ。



「赤蛇、ここは共闘と行こう。俺達でコイツらを蹴散らすんだ」


「ああ、望むところよ!」


敵前でイチャつく、そんな2人を正面にひなたは血走った目で獲物を睨む。


『グルルルル…… そうか、そいつがお前の大切な思い人、好きな男か? いいぞ、お前にも私と同じ気持ちを味合わせてやる!』


ひなたは先程の3倍の300本のグレイプニルを出すと、刻羽童子と赤蛇目掛けて放ってくる。


「なっ! さっきよりも多いだと!?」


「鎖とあの犬はオイラが何とかする。赤蛇、お前は他の犬共の相手をしてくれ!」


「分かった!」


赤蛇のスピードではグレイプニルから逃れるのは難しい。【血の祝祭日】も範囲が狭いため補え切れないため、刻羽童子がひなたの相手をする事にしたのだ。


ひなたがグレイプニルを放つと同時に銀狼達も一斉に動き出していた。


刻羽童子は【風装.花月】を見に纏うと迫り来る鎖を掴み、上手いこと絡ませ合わせながらひなたに迫っていく。


【風装.花月】を纏った刻羽童子にはグレイプニルでは追い付けず、刻羽童子の狙い通り鎖はめちゃくちゃに絡まり合いその役割を無くす。


だが次の瞬間、その絡まり合ったグレイプニルが消えると同時に新たなグレイプニルが放たれたのだ。それも先程よりも多い500本、刻羽童子の顔が歪む。


「…… なら見せてやるそんな鎖なんぞ意味をなさないオイラの速さをな!」


刻羽童子の纏う【風装.花月】の全てのブースターから凄まじい勢いで風が噴き出す。そして音速を超えたスピードでひなたに迫る刻羽童子。


グレイプニルでは刻羽童子のスピードを捉えきれず、チッとばかりに舌打ちをするひなた。


赤蛇もひなたと戦う刻羽童子の事が心配なのか、雑魚や銀狼達を溶かしながらも視線は常に彼を捉えている。


彼女の中では刻羽童子の事が1番、自身の事よりも彼の無事が全てなのだ。


刻羽童子もこのままひなたの周りを飛び回っていてもしょうがないと攻勢に出る。彼の【風装.花月】の長所は、そのスピードよりも100個のブースターによる高速の小回り。


その高速の出入りによるヒットアンドアウェイが彼の最大の持ち味なのだ。それも音速を超えた事によるソニックブームのオマケ付きだ、相手としてはたまったものではない。


だがひなたの顔からは、グレイプニルの性能の悪さに対する苛立ち以外に、この戦いに対しての余裕を感じる刻羽童子。


「お前達なぞいつでも蹴散らせる」との余裕がその顔に現れているのだ。


「いつまでも澄ました顔でいられると思うなよ!」


ナメるなとばかりに刻羽童子が、様子見から本気の攻めに転じる。まるで疾風の槍の様な刻羽童子の拳がひなたに迫る。


その巨体ゆえ接近してしまえば、こちらが有利と高を括っていた刻羽童子。彼の接近と共に瞬時に人狼モードに戻ったひなたが、刻羽童子の攻撃に対して【パーフェクトカウンター】で迎撃して来たのだ。



「なにぃ!」


相手の攻撃力に合わせて攻撃力が跳ね上がる【パーフェクトカウンター】。全ブースターからのスピードに乗った刻羽童子の攻撃力だ、直撃すれば死は避けられない。


だが刻羽童子も伊達に戦鬼を名乗っては居ない。ひなたの【パーフェクトカウンター】が当たる瞬間にブースターから風を逆噴射させてその威力を相殺したのだ。


それでも威力を殺して致命傷は逃れた刻羽童子だったが、その一撃は彼の至る部分の骨を砕きその動きを止めた。


「グギギ……」


「刻羽ぅ〜!!」


具に状況を伺っていた赤蛇の叫びがこだまする中、グレイプニルが刻羽童子の手足を拘束し吊し上げる。


『さあ私と同じ絶望を味わうがいい』


ひなたの放ったグレイプニルが刻羽童子の手足を貫いていく。


「ガアアアアッ〜!」


『ヒャハハハハハハハッ〜! さあトドメだ!』


ひなたが吊り上げた刻羽童子にトドメを刺そうと手刀を構える。


「やめろ〜!! 邪魔だ、退けぇ!!」


赤蛇が刻羽を助けようと駆け出し【血の祝祭日】の手毬を放っていくが、銀狼達が邪魔に入りとても間に合いそうにない。


「やめろ〜! やめてくれ〜! 頼むから刻羽だけは殺さないでくれ〜!」


『ヒヒャッ!』


そんな赤蛇の魂からの叫びにもサディスティックな笑みで返すひなた。そして殺意のこもった手刀が刻羽童子に目掛けて放たれたのだ。



「そうはさせん!」



突然の紫電の放電が刻羽童子を捕らえていたグレイプニルを消滅させていく。五万を超える軍勢をたった1人で蹴散らして夜鶴姥童子が駆け付けたのだ。



『新手!? ガアアアア!!』


ひなたが新手からの攻撃を認知して退こうとした瞬間、特大紫電の砲撃【紫電.激砲撃】が彼女を捕らえた。


「グギギギギ……」


特大の紫電砲を受けたひなたが吹き飛ばされ、黒焦げになり全身からプスプスと煙を放っている。即死こそは免れたが彼女も継続戦闘は無理そうだ。


実は5万の軍の上位個体を残らず食らった結果、種族進化で【戦鬼.羅刹】へと進化した夜鶴姥童子。


かつて黒雨島で海斗アレハンドロが進化した鬼の上位個体、しかし彼は元人間だった。だが夜鶴姥童子は生粋の鬼だ。その強さは超越者と呼ぶに相応しいもの。


「これ以上貴様らに仲間は殺させん! 我が必ず守り通してみせる」







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