第十打席 warming-up

「……お疲れーっす」

 狭いロッカー室で里中から挨拶され野比が「おう」と答える。


「ユー、帰りラーメン食ってかね? 」

 臭気のキツいユニフォームをハンガーに掛けると、野比は壊れそうな勢いでロッカーを閉めた。

「いや、家で飯準備してくれてるから帰るよ」

 青山の返事を聞くと「ほうかー、じゃあイッカ行くかー」

 と、少し離れた場所で着替えていた天笠に声を掛ける。

「ええ‼ れ、練習の後すぐにご飯なんて入りませんよ~」

 だが、野比はガッとその小さな肩を抱き抱えると「ダメだ。食わす。おごりだ喜べ」と言って連れて行ってしまう。



「……いけねぇ。トンボをちゃんと片したか、気になってきた」

 丁度、ロッカー室の鍵を掛けた時に青山はそう思いだし、駐輪場と反対側のグラウンドへ早足で向かう。

「……? なんでナイターライトが付いているんだ? 」

 今日は、岡野が出張だからサッカー部も下校時刻と同時に切り上げている。

 サッカー部以外にグラウンドを下校時間以降に利用できる部活は無い。


 グラウンドに近付くと自転車を押した野比のシルエットが見えた。

「トーマ、帰ったんじゃないのか? 」

 青山の声に振り返った野比は、ノーアウト満塁の時の様な非常に困った表情をしていた。


 野比の隣に立つと、それが見える。

「いや、イッカに逃げられたから、お前を待ってたらグラウンドが急に明るくなってな。見に行ってみたらこれだよ。

 あのおっさん。わしらの練習中にはぐーたら口だけでサボリょーたくせに、何を皆が居らんようになってからあんないきがっとんな? 」


 2人の視線の先。

 そこは、ナイターライトがマウンドを照らしており。

 まるでそれは、そこに立っている男へ向けられている様だった。


「……なんや、あのおっさんピーじゃったんじゃな……。

 まずまずええ型じゃ」

 そこで、青山と野比は目を合わせる。

「からかいに行ってみるか? 」


「俺は、何か嫌な予感もするけどな」


 朝陽はマウンドの上で大きく振りかぶると投球を行う。


「ん? 」視界に青山と野比が入る。

「お前等、帰ってなかったんか。

 まぁ丁度いいわ。

 野比、受けてくれ。ミットあるんだろ? 」

 あまりにあっさりとそう言うので「はぁ? 」と野比の声が響く。


「いいから。

 青山、お前は審判頼むわ」


「あのおっさん。

 ダイエットの運動なら部活時間で済ませとけよな」

 と言いながらも、早々にミットを取り出す。

 2人とも確かに興味があった。元プロ野球選手の子どもがどんな球を放るのか。


「よっし。先ずは肩慣らしに数球、まっすぐ行くぞ」

 ホームベースに野比が構えると、朝陽はワインドアップで1球放つ。

「バジッ」その球を見て野比と青山は少し目を合わせて返球する。


「まぁ、プロじゃないし、こんなもんだよな」

 背中に立つ青山に聴こえる様に野比は言った。どうやら期待外れと言いたい様だ。


「まだ解んねぇよ。制球力投手かもしれないし、変化球投手かもしれないぜ? 」

 青山の声が聴こえた様に朝陽が手首を横に切った。


「ほー。カーブかスライダーか」

 軽口だが、野比の背中にグッと力が入るのが解った。


 朝陽の投げた球は、恐らくカーブ。

 どちらかと言うと、実戦では使用いにくい大きく曲がる山なりカーブだ。しかも制球も定まっていない。

「おちゅわっ‼ 」

 ホームベースの手前でワンバウンドしたそれを思わず野比は後ろに反らしてしまう。


「捕れよなー」という朝陽に「捕れるか‼ 」と悪態を吐く。

 あまりボールを出しても片付けをする時間も無いので、転がるボールを青山が取りに行った。

 と。転がるボールがその動きを止め。地からゆっくりと上昇する。

「え……」

 何の事は無い。ある人物が左手でそれを持ち上げただけの事。問題はそれが何者かだったという事。

 その少年は、中々の長身で大きな肩幅がその学生服からも解る程に鍛えられていた。

 目にかかる程の長めの黒髪と、周囲の暗さで表情は見えなかったが、青山はそれが誰か解った。


「……氷狼くん……」

 その言葉と同時に、青山の胸にゆっくりと球を投げる。そして、氷狼は野比の方へと向かっていった。

「やっと来たか」

 朝陽が笑顔でそう言うと。

「まさか、ナイターライトまで点けるとは思いませんでした。

 本当に、滅茶苦茶な人だ。きっぱりと諦めてもらうには、ハッキリと決着を付けた方がいいと判断したまでの事です」


「氷狼……」野比もその人物の登場には驚きを隠せなかった。


「野比、防具を付けて来てくれ。

 ついでに、バットも一本頼む」

 そんな野比に、朝陽は指示を出した。


 何かを言いたそうだったが、野比は大人しく部室の方へと向かう。鍵を持っていた青山がその後に続いた。


「まさか、あのおっさん。氷狼を動かしたのか。

 マジか。

 マジで、あのおっさんこの野球部をチームにしようとしてる……」

 困惑が混じっているが、その言葉にはハッキリと高揚の色も見て取れる。


「ああ。俺も正直驚いてる。

 氷狼くんなんて誰がどう考えても、誘うこと自体が出来ない」

 これから、一体何が起こるのかは解らないが、2人は胸が高鳴って治まらない事を自覚していた。


「よし、準備は出来たな。

 氷狼。お前、学生服でいいのか」

 朝陽の言葉に「前町さんも、作業着じゃないですか。変わりませんよ」と言って青山から金属バットを受け取る。

「……ありがとう」そう言うと、腰や膝の柔軟を始める。


 ――マジか。マジであの氷狼だ。


「勝負は一打席。

 打球が安打性かどうかは……青山。お前が判断してくれ」


「勝負⁉ 」

 その言葉に驚いたのは青山だけじゃない。野比も思わず立ち上がっていた。


「俺が勝てば、明日から氷狼は野球部員だ。

 当然、負ければお前の入部はすっぱり諦めるよ」

 氷狼は、それを聞くと静かに2人の方を見る。

「聞いてくれたね? ジャッジと決着の証人は君達に頼むよ。

 君達も理解るだろ?

 私に野球なんて不可能なんだ」


 そして、素振りを行いバッターボックスに立つ。

「あれ? 」

 それに言葉を漏らしたのは、野比だ。

「どうした? 」

 青山が尋ねて、間もなく「いや……」と言いながらマスクを被った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

ノンセンス・ベースボール ジョセフ武園 @joseph-takezono

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ