第七打席 風と共に現れる

「ごきげんよう」

 汗を滝の様に流しながら、いつもの如く運動場の備品を修理していた朝陽にあまりに涼やかにその声は掛けられた。


 声の方を振り向くと。

 漫画の様な立ち姿でポーズをとっている少年が見えた。


「……なんだ? お前 授業どうした? 」

 朝陽は、首に掛けていたタオルで顔の汗を拭いながらそう言うと、少年はその暑苦しそうな長い前髪を首だけで「バサッ」と靡かせた。


「ボクの名前は、人呼んでスカーレット・オキタ‼

 早速だが、貴方に朗報だ‼

 このスカーレットが、野球部のエースをしてあげようじゃないか‼ 」


 両手両足で凄まじい動きを加えながら、少年はズバッと動きを止めて天を仰いでいた。


「……。

 ああ、思い出した。お前演劇部の伊達だてだろ?

 伊達流星りゅうせい

 なんだ? でも、お前演劇部だろ? 野球部に入部はいりたいのか? 」


 それを聞いた伊達は「ふー」と溜息を吐いて首を横に振った。

「ノンノン。ス・カ・ー・レ・ッ・トオキタ。

 ハハハ、ボクほどの天才なら掛け持ちなど容易い事だよ。

 丁度、探していたのさ。ボクの才能を真に活かせる舞台は何処かとね」

 ビシッと人差し指を顔前に突き付けられたので、その手をとりあえず降ろさせた。


「何だ。目立ちたいのか。

 いいぞ、部員は大いに越した事は無い。でも、掛け持ちは本当にしんどいと思うし、野球部の方は毎日練習に参加してもらう。

 無理じゃないか? 」


 伊達は、チチチと舌を鳴らして人差し指を揺らして見せる。

「天才に不可能は無いよ」


 思わず朝陽は吹き出してしまう。


「面白いな。お前。

 役者やってる方が絶対似合うぞ」

 その返しに、うんざりした様に伊達は溜息を吐いた。


「いいかい? 先生。

 似合う場所で似合うのは、所詮数数多あまたなる人物Aにしか過ぎないんだよ。

 本当の主役とはね?

 舞台の方から似合って来るんだよ」


 汗が走ったのか。

 一瞬、朝陽の背筋にゾッとくるものが有った。


「……何故、野球だ?

 何故、そんな舞台が選ばないお前が。

 野球を選ぶ? 」


 その言葉に、初めて伊達は真顔を見せて、静かに足元に視線を落とした。


「テレビで観たんだ」

 その言葉は、先程までの派手なトーンではない。恐らくこれはスカーレットでない。伊達流星自身の声なのだ。


「甲子園ってとこに行けばさ。

 全国テレビでとっても大きく。

 ピッチャーの顔が映るだろ? 」

 2人の視線がそこで初めてまともに重なった。

 すると、ニカッと笑みを浮かべて伊達はまた大袈裟に両手足を羽ばたかせて踊りを始めた。


「ボクの様なスターには正にそれこそが運命だ。

 何故ならば、日本の一番星が全国に知られるんだからね

 そうさ、スカーレット・オキタ伝説の始まりだよ‼ 」


 その言葉を聞いて、朝陽は鼻を擦る。


「甲子園に行くのはそんな甘くねぇんだぜ? 」

 その言葉には、刺さる様な冷たさがあった。


「何度も言わせないでよ。

 天才に、不可能は無いよ‼ 」


 朝陽は小さく笑うと。

「今日の放課後から来い。

 ただし、投手をやらせるとは限らない。

 エースになりたかったら、自分で掴み取るんだな」

 そして、振り返るともう伊達の方は視ずに作業へ戻る。



 伊達流星は――。

 産まれて間もなく病院の入り口に親によって棄てられた孤児だ。

 朝陽はその事を、彼が唯一伊達流星として話したあの言葉で思い出した。

 それで何が起こるのかなどはこちらには関係ない。

 だが、目的は違えど。

 その目標は同じ場所にある。

 そして、彼のその本気を朝陽は確かに見た。


「さて」

 グッと腰を伸ばすと、その視界の真正面に真夏間近の青空を捉えた。


「中々、面白くなってきたじゃないか」

 そう言った朝陽は、自分が関わって初めて。

 野球に関わるこの毎日が面白い――と心から思った。

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