第一話 |ホテル・カリフォルニアへようこそ 4
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「っあああ! 今日であのダルマともお別れ、さすがに疲れたわ」
(先輩のことをダルマとかいうもんじゃありません、うるさかったみたいだけど勉強にはなったんでしょ)
夜の公園のベンチでコンビニ弁当を広げながら、コンパクトの鏡に向かって話しかける妙な女性がいる。
「そりゃああの人の観察眼はすごいと思うよ。ただネガティブすぎて聞いてる方が辛いわ――あのさ、ところで鞠さんって霊格が違う相手は見えないって言ってたじゃん? でも存在を認識はできるんでしょ? どんな風に見えてるの?」
(私の視点からっていう意味?)
「うん、まあ、そういうことかな」
(私たちには基本的に形というものは必要ないんだけど、人に対する場合はあえてその形をとる場合が多いわね。けど霊同士ならその必要はないわけ。亡くなってすぐの人や、何らかの目的を持っている霊は無意識に体を形作ることはあるけど、それも決まった形じゃないの)
「うん、霊は相手に見せる姿を変えられるんだよね?」
「そう、今私が見せてるこの姿も、私が意図してあなたの視覚野に感応するように見せているわけ。霊格が違うと見えないのは別格の霊同士では波長が合わないからで、そういう場合はね『式』って記号や模様みたいなもので見えるの」
「式?」
(すべての物質的存在は式によって成り立っているの。人間の魂はもとより、肉体ですら式なのよ。私たちの側に居ればそういった万物の構造が式として見えるの。だから朱莉ちゃんの部屋に居る地縛霊も私から見れば単なる記号にしか見えないの。“彼女”それほど霊格は高くないわよ)
「ま、言葉尻からして頭悪そうだけどね。それにしてもムカつくなぁ、なんであたしがこんな夜中の公園でコンビニ弁当食べて、コソコソ隠れるようにしてベッドにもぐって、逃げるように家から職場に出勤しなきゃいけないのよ、おかしくない?」
(そうねぇ、朱莉ちゃんの自立のためにも一肌脱ぐしかないかしらねぇ……)
「えっ、鞠さんが除霊してくれるの!」
(あまい! 除霊なんて気安く言うけど、私たち霊体の立場では“彼女”のような霊を昇天させることはできないの。できることは式の分解だけ。すなわち消滅よ)
「じゃあ消滅してくれたらいいじゃない」
(簡単に言わないでよ、私の方にすごいツケが回ってくるんだから。
「もぉお、じゃあ、どうするのよ!」
公園内をウォーキングする中年男性が、蟹股で両腕をぶんぶんと振るう朱莉を見て怪訝な顔をして去ってゆく。
朱莉はしばしば鞠と話しこんで周囲が見えなくなってしまうことがある。こういった奇怪な行動も、朱莉から人が遠ざかる一因となっていることに、彼女自身は気づいていなかった。
「周防さん」
翌朝、研修室に向かう途中に背中から呼び止められて、しばし構えつつ自分のことだろうかとあたりを見回す。
霊が見え、霊の声が聞こえる朱莉には妙な癖がついている。自分を呼び止めるのが決して人間とは限らないから、むやみに呼び止められてもすぐに反応をしないのだ。
「周防さん、ちょっと。こっちこっち」
どうやら今回は人間だったと、左斜め後ろから手招きをし、事務所から顔をのぞかせる中年男の顔を確認した。面接の時に見た顔だ。
「おはようございます」と、朱莉は両足をそろえ手を添えて丁寧にあいさつをする。ところが、そんなことはいいからこっちへ来て、とバーコードの額から汗を流しながら、人事部の則尾部長は朱莉を呼び寄せる。随分と焦っているようだった。
「周防さん、大変言いにくいんだけどね、ちょっとこちらの都合で部署が変わることになったんだ」
「えと、ええ! 部署ですか? でも私は……」
「ああ、研修中で本当に申し訳ないんだけどね、別の部署に突然欠員が出てしまってね。電話をかけておくから、すぐにここへ向かってくれないだろうか」といって、則尾は名刺の裏に住所と電話番号を記入し朱莉に手渡した。
「天華会館? 別の結婚式場かなにか……?」
「系列は
天華会館、どこかで聞いた覚えがある。人づてだったろうか、妙になじむ名前だと思った。
シエルブリリアントからは歩いても十分とかからない距離だったが、則尾部長の焦りようから、ヒールにもかかわらず小走りに駆けた。
初夏の六月、さっきまで晴れていた空は厚い雲に覆われ曇天になり、蒸し暑さを一層際立たせた。通勤は一応スーツと決めていたが、さすがに上着の内側が汗で蒸れて心地が悪い。
系列の部署とはいえ、いきなりの人事異動なんて、これはもしや採用された時から仕組まれていたことなのではないだろうかと思い始めていた。
そして数分後、小脇に上着を抱えて天華会館に着いた時、朱莉は呆然と立ち尽くしていた。
堂々たる白塗りの外観を持つ建物。巨大な筒をモチーフとして組み合わせた前衛的な建築物、敷地はシエルブリリアントほど広くはないが駐車場とエントランスは贅沢に空間を確保している。
「葬儀場……」
合点がいった。
どおりで聞き覚えがあったのは、部屋で聞いたローカルのラジオのCMだ。軽快な旋律に乗せて、テーンテーン、テンガカーイという歌とともに、“旅立つあの人へ最高のおもてなしを” というナレーションが流れる、あれだ。
朱莉はそれが葬儀場のCMなどとは思っていなかった。いや、朱莉だけではないだろう。ああいったCMに死を惹起させるようなものはない。神聖で清潔感にあふれたイメージを前面に押し出して、名称の刷り込みを行うことが目的なのだから。
法人の業務内容が冠婚葬祭を謳う以上、結婚式から葬祭業務まで一緒くたであっても何ら不思議ではない。
このシエルブリリアントと天華会館のケースは、AUNグループ内の子会社である株式会社AUNセレモニー内の別部署という扱いである。
朱莉にそのあたりの詳しい仕組みはわからなったが、世間的にあたかも無関係のように経営している様は多少なり道義上の体裁を意識しているということだろう。だが、内部にいる人間は結婚式場の職員であると同時に、葬儀施設の職員でもあるという心地の悪い現実を思い知らされる。
AUNホールディングスを筆頭とした、AUNグループという巨大コングロマリットの内訳は保育園から始まる教育機関全般と、医療、介護施設経営と多岐にわたっており、さながら人の一生のどこかでは必ずAUN関係会社とは触れることになるとも言われるほどその裾野は広い。朱莉のように同一会社の部署間で人事のやり取りをされることもあれば、グループ内企業間で出向という形での移動も常態化していた。
業務内容を伏せられて、雇用契約を結んだわけではない。開示は受けていたはずだった。こんな人事がまかり通るがゆえ離職率も激しいのかと、今になって真剣になって雇用契約に目を通していなかった自分を詰る。雇用主からすれば、自分が就職を希望する会社の業務形態など知っていて然りであるといいたいだろう。
だが朱莉は声を大にして言いたかった。
こんなことなら、こんなことなら、だれが無理して就職するかよ、と。あのダルマに付き合った三日間は何だったんだと。
立ち尽くす朱莉の眼前をおそらく遺体を運ぶストレッチャーが、空のままガシャガシャと音を立てて数人の男たちの手により運ばれてゆく。
霊感応力者朱莉にとって最も避けたかった職場、それは葬儀場。
視線の先、重厚な扉の向こう側に、荘厳な祭壇がそそり立っていた。
廊下を挟んだ傍らの室内を覗いて見てみれば、案内板に“猪口家葬儀”と達筆でしたためる初老の男性がいた。
紺色のブレザーを羽織った男女がすれ違いざま、口早に言葉を交わして駆けてゆく。
皆が皆、あわただしく走り回っていた。
それはまるでスクランブルがかかった最前線基地のように。いや、そんな現場を朱莉は知らないが、そんな気がした。これが職場というものかと。
間もなく遺体がここへ運ばれてくる、すなわちそれに引き連れられるかのようにアレもここへ来るのだ。
故人の霊、まだ完全に霊体となっていない生前の記憶を保ったままの、あけすけな意識集合体。
これまで何度となく、あらゆる場所であらゆる機会に遭遇してきた。
朱莉は彼らに存在を気取られないよう、いつも視線を避けて生きてきた。
彼らに感じ取られないよう、いつも気配を消すために、彼らが忌み嫌うような金髪に人相と視線が解らなくなるようなメイク、大量のアクセサリー、境目のはっきりしない杜撰(ずさん)な服装、けだるさを前面に出した横柄な態度を身にまとってきたのだ。
だが、この就職を機会に住処を変え、すっぱり過去とは決別することを心に決め、いっぱしの社会人に見えるようになった途端、これだ。
誰かが自分の名前を呼んでいるように聞こえたが、空耳だと思いたかった。
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