第一話 |ホテル・カリフォルニアへようこそ 3


 胸まであった、染め戻しを繰り返して痛みきっていた髪を肩口まで切りそろえ、ややおとなしめで嫌みのないアッシュベージュで染めた。ベースはいいんだから、とメイクの仕方まで鞠に指南してもらい、朱莉の外見はいっぱしの社会人としての風貌に落ち着いた。

 こんな時に朱莉は不思議に思うのだ。鞠は自分よりも過去、おそらくは百年近くは前の人なのに現代でも通用する尋常一様の女性のスタイルを提案してくれる。

 女性の美意識、あるいは人が良かれと思う印象は時代を超えても不変なのか、それともこれは彼女が百年間の女性のスタイルの推移をあちら側の世界から見て研究してきた結果なのか、あるいは守護霊という高等霊の超常的なセンスによるものなのか。

 とにかく古典的美人の鞠が提案したスタイリングは、何者をも寄せ付けなかったハリネズミを、見る者の目尻を無意識に下げてしまう愛らしいハムスターへと変身させた。

 午前八時四十五分、初出社。朱莉は指図された従業員入り口へと歩みを進めていた。扇状の建物のシエルブリリアントは、左右に大きく羽を広げた鳳凰を模して造られたのだという。大企業資本の名に恥じない尊大で豪華絢爛な佇まいだ。建物の内部には大小の式場が合わせて十間ありそれぞれレフトウィングは洋風、ライトウィングは和風と振り分けられている。

 鳳凰の頭部にあたる部分、敷地の中心部には本格的な洋式のチャペルと神式の神殿が背中合わせで建っている。それぞれから向こう側は生け垣などでカムフラージュされて見えないため、日本庭園とイングリッシュガーデンが隣り合わせでも違和感は一切ない。このような施設の徹底した造りと気配り、心配りのサービスが顧客の満足度につながって、巨大な企業の利益を支えている。

 朱莉の職場であるライトウィングには従業員研修室があり、しばらくはそこで九時から五時の間、休憩を一時間挟んで、結婚式の何たるかを叩きこまれる。ずぶの素人に結婚式場での振る舞いからマナー、そしてタブーまでをみっちり仕込むのだ。

 だが式場という華々しい場には霊体の類こそめったにいないが、生きている者のあらゆる思念が渦巻く場であり、霊感応力者にとっては鬼門の一つではある。

 この生きている者の思念とは霊体のようにそのあたりを浮遊するものではないが、音楽で言うならベース音だけで演奏されているビートといった感じで、霊感応力者には聞こえる。単なるリズムとしてとらえることもできれば、ひどい雑音として聞こえることもあり、相手側とこちら側の感応率により聞こえ方は様々である。

 もう一つ厄介なことと言えば、生きている者が引き出してしまう生霊(いきりょう)である。霊媒体質の人間がしばしば九穴きゅうけつからガスのように発生させるもので、これに念が乗ると文字通り朱莉のような霊感応力者の耳目に触れる。

 彼らの生霊が何をするわけでもないのだが、あられもなく実体を顕し、心の内の声を露わにし、本人の思考に合わせて所かまわず吹聴しまくるのでとにかく煩い。

 朱莉からしてみれば人の心の内などを視てしまうと、その外面的な態度との齟齬に辟易して気分が悪くなるのが常々であるため、たいていは見なかったことにして笑って過ごしていた。

 見えすぎる、触れすぎる、そんな体質を持つ朱莉は、この部署に採用が決まった時も嬉しさと安堵感半分あれど、人と付き合う事で触れざるを得ない思念の捌き方には最後まで躊躇した。しかし早く家を出たかったのと、(いい歳なんだからわがまま言ってないで、いい加減自立しなさい)と鞠に背中を押されたため、思い切って決めた。

 駄々をこねたところでこの能力がなりを潜めてはくれないのだから、うまく付き合うしかないだろうと。勝手に耳に飛び込んでくる雑音も、下衆のような生霊も、今までのようにうまく無視してやっていればよいのだからと。

 朱莉の教育係として、ぽっちゃりした厚化粧の女性が就いた。この業界に入って十三年目だというから、単純に考えても三十後半あたりだろうか。

「微笑みはいつ何時も絶やさない事、おめでたい席だから特にね」そう言う彼女はさすがのもので、メイクで書き足しまくった顔面には微笑みが張り付いているように見える。

「――ちゃんと聞いてる?」

 建物の各部屋を巡りながら説明をしてくれているのだが、どうにも朱莉には気が散る要素がある。

「はい……」

「ぼおっとしてちゃダメよ、いつでもお客様を観察して最良の気配りが出来なくてはダメ。あなた知っている? 気配りと気遣いは違うのよ?」

 彼女は悠々と生霊をぶら下げて歩いているのだ。視認できるガス体のようなものが耳と鼻と臍(へそ)から恒常的に出ており、それらが集まって溜まり、彼女の背中の方で人の形を成している。

 ブリブリと大きなお尻を振りながら歩いてゆく彼女の背中に同調しながら、生霊もついてゆく。これほどはっきりと目に見える生霊体だと“喋る”だろうな、とおもったら案の定だった。

(もう、なによこの子、バッカじゃない? 学生時代までは細くてかわいければモテたでしょうけど、社会に出たらものをいうのは仕事の出来、不出来よ。外見じゃないわ。きっとこの子も長くはもたないでしょうね。アーア、すぐ辞める人間にこうして教えてるのって無駄だわぁ。あ、友達と約束してたケーキバイキング、予約しておかなきゃ。みんなは食べ過ぎだって言うけど私が太っているのはストレスのせいなの、ケーキは悪くはないわ。ブライダルコーディネーターって仕事はプレッシャーの重圧に耐えることなのよ、そのためにエネルギーは必要なの!)

 彼女の“心の分身”の仰る通りであると、メモを片手にブラが食い込んだ彼女の背中を気にしながら朱莉は頷く。

「でぇ、こっちが衣装室ね――あ、矢上ちゃん、この子今日から入った新人の周防さん」

 朱莉は矢上と呼ばれたスーツ姿の中年女性に丁寧に頭を下げ挨拶をする。おとなしそうで上品な雰囲気を漂わせている衣装室担当の職員だ。

コーディネーターわたしたちは各部門と連携していかなきゃいけないの。お客様の意見や要望に耳を傾けて、最善で最高の結婚式となるように、私たちは持てるすべての知識と技術を結集してプランの提案をするのね。そのためにはお客様の風貌、雰囲気、人間性、こだわり、つぶさに観察する目と、小さな言葉も聞き洩らさない耳が大事なのよ。そのためには相手の目をしっかり見て話すこと、これ必須よ」

 週末のケーキバイキングを待ち望む推定三十八歳のぽっちゃり大人女子は、変わらず張り付いた微笑みをたたえている。二重つけまつげ、ぶっといアイラインでなんとか糸のような目を大きく見せようと努力は感じる。しかし朱莉はその奥の瞳までを直視することができない。

(はあ、なあに、この子。視線は定まらないし、おどおどしてるし。ほんとダメね、最近の子は。私が若いころは――って、今も若いんだけど! あ、矢上また私が太ったとか思っているに違いないわ、じろじろ見る目が笑ってる。私はコーディネーターよ、あなたが心の中で何を考えているかなんて目を見ればすべてお見通しなのよ。馬鹿にするんじゃないわよ!)

 まあ、色々あるんだなぁ、と朱莉は思う。

 こういうのが嫌で人付き合いも積極的になれず避けてきたのだが、彼女とのケースのように他人の思考を一方的に共有できる能力だと思えば有効に活用することができる。役に立つと思えばいい。もっとも、よほど強い霊媒体質の人間でなければ、認識できるような言葉を発する生霊を生み出さないものだが。

「でぇ、朱莉さんは彼氏とかいるわけ?」突然、語調を崩していやらしい視線を投げかけてくるぽっちゃり先輩は、相変わらず瞳が見えない目を向けてくる。さすがに彼女の目から心を読み取るのは難しいだろうなと思うが、朱莉には必要がない。彼女の心情はすでに駄々漏れだ。

(どうせ仕事後に彼氏と待ち合わせなんかしちゃって、今日は流星群観に行きたいなぁ、なんて甘えてるんでしょ。それでディナー食べながら、弁舌巧みで頭脳明晰、その立ち振る舞いには一寸の隙もないグラマラス上司への嫉妬とか愚痴とか吐き出して、あたし明日も頑張るから! なんて頭ナデナデしてもらってうふふとか。ムっキーっむかつくわぁ!)

 彼女の背後で地団太を盛大に踏む人型のガス体の動きが滑稽だ。なので「いや、あたしは……彼氏とか今までいなかったんで」と半笑いで返してしまった。

 瞬間彼女の糸のような目が吊り上がり、背中のガス体はグレーからダークグレーへと変化する。

(あーでたよ、付き合ったことない宣言。嘘つけ、そんな顔して彼氏いないとかどこの恋愛ドラマだ。もしそうならあんたに問題があるんだよ)怨嗟にまみれた心の声。それに対し「えー、マジで? 周防さんなら絶対モテるでしょ、ひょっとして選り好みし過ぎとか?」と冗談めかして歯並びの悪い口元を開く。

 確かに問題はあります、ありまくりです、それに付き合う人も選んでます、と言外に首肯する。

 こうして朱莉の三日間はこのぽっちゃり先輩と、その本心を垂れ流す分身により、ずいぶんと有意義な研修となった。明日からはいよいよ実務に入る。達成感のあおりで思わずコンビニで焼き肉弁当と缶ビール、そして特大プリンを買ってしまった。

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