第一話 |ホテル・カリフォルニアへようこそ 5


 有無を言わさず職員用のブレザーを手渡され、そでを通すと三十そこそこの女性職員に連れられて、言われるがままに葬儀の準備に駆り出される。

「あんたどっから?」

 女性は関西弁だった。スリムで目鼻立ちがはっきりしており、ちゃきちゃきとしていかにもやり手といった感じではあるが、いかんせん化粧けがない。シエルブリリアントのぽっちゃり先輩とは大違いだ。

「え、と……ずっと地元です」

「違う違う、どこから回されてきたのかって訊いてんの」

「あ、シエルブリリアントからですけど――」

「ああ、直系か。なに? えらいポカでもやらかした?」

「え? なんですかそれ?」

 パイプ椅子を三つづつ両腕に抱えたまま、女性はずんずんと先を歩いて行ってしまう。朱莉も遅れまいとそれについてゆく。

「事務所行って、芳名帖と筆記用具とってきて!」

「ほうめいちょう?」

「会葬者の名前と住所書くやつ、見たことあるでしょ? いそいで!」

 あいにく、朱莉は今まで葬儀というものに出席したことが一度もなかった。両親はもちろん祖父母も健在で親戚筋も皆元気だ。

 朱莉は踵を返し、事務所に駆け込んで言われたものを別の職員に問う。

「あ、の。芳名帖と筆記用具って言われたんですけど……」

 人のよさそうな小太りに眼鏡の中年男性が机から顔をあげる。

「ん? ああさっき則尾さんから連絡あった子だね。早速で悪いね、とりあえず落ち着いたら話させてもらうから、そこのやつ持って行ってあげて」


 夕刻を過ぎると続々と会葬者が訪れる。当然だが皆喪服に身を包んでいる。

 だが、会館内は対照的に実に明るく温かい雰囲気に包まれているようにも感じる。葬式というとしんみりと暗いイメージがあるものだが、どちらかと言えば華やかにすら感じる。

「こら、微笑むんじゃない」会葬者に会釈していると隣で、昼間の女性職員が朱莉のわき腹を小突いてきた。

 訪れる会葬者は天華会館の客ではない。そして葬儀も天華会館が執り行うのではない。

 葬儀は親族たちの手により営まれるのであって、朱莉たち職員はその手伝いをするにすぎないのだ。

 ここには“いらっしゃいませ”も“ありがとうございました”もない。こちらからかける言葉は“ご苦労様です”の一言だけだ。

「今晩がお通夜、明日の午前中から葬儀ね。とりあえずあんたは事務所の方へいっとき、明日からの段取りもきいとかなあかんやろ」長い髪を簡単に後ろで一つにまとめた女性職員はややきつめの早口でまくしたてると、朱莉の肩をポンと叩いて踵を返し、廊下を歩いて行ってしまった。


「鞠さぁん……」

 朱莉はコンパクトの鏡に向かって泣きそうな声を出した。

「ねえ、鞠さん……ねえ」

 鏡に映った朱莉の背後が一瞬歪んだが、鞠は姿を現さない。

 近くにいなくとも完全に離れることなど一度もなかったのだ、これも葬儀場という特殊な場のせいだろうかと思った。仕方がないと、コンパクトを閉じた。

 祭壇の方には目もくれずまっすぐに、奥の事務所に向かった。まずなぜ自分がここに配属されたかの事情を訊かなければ明日も何もない。


「ごめんね。ここではよくあることなんだけど、まあ、また人事異動でむこうに戻ることもあるから」というのは先ほどの眼鏡で小太りの如月館長だった。口調からして悪い人ではないと思うが、淡々とし過ぎているとも思う。

 如月は自分の向かいの席に着座を勧める。

「さっき女性の職員の方から“ポカやったのかって”訊かれましたけど、どういう事なんですか?」納得はいっていない、という感情を乗せて言ったつもりだ。

「あはは、飛騨さんか。いやね、AUNあうんグループは多角経営でね、一概にAUNの従業員といっても、どんなことに従事するかは、適性を見た上で現場判断し転々とすることが多いんですよ」

 物は言いようだと思う。

「AUNの経営理念の『人の生あるところ全てに手をさしのべる』って言葉通り、出産から子育て、教育、人材育成、結婚、医療そして介護にお見送りまで、文字通りゆりかごから棺桶までを見届けることができる大きな企業なんです。で、君はそこの社員という訳」

「確かにそうですが……あんな言い方されるとここが流刑地のように聞こえます――あ、すみません……」

「あっははは。流刑地ね。確かに来たくはない職場かもしれません。ですが誰かがやらねばならないことも確かなんですよ。行政の不備が少子化問題を発生させ、子育て問題、教育問題、就業問題、介護問題、あらゆる問題が現代に生きる個人にはまとわりついています。社会は皆が協力せねばやっていけません。行政だけでは賄いきれないというのであればそれを補う資本をAUNが持ちましょうということです。お金だけではなく、土地や施設や機会もね。無論対価は発生しますが、一企業が包括的に諸問題に取り組もうとしたのは革新的だと思いますよ。まあ、それだけ行政の求心力が薄れているという証左なんですがね」

 なんだか話がはぐらかされたように思いながらも渋々、明日からの葬儀の段取りを説明を聴く。

 通夜が終わり、職員が後片付けをする中ついでのように紹介され、今日は先に上がってもいいと告げられ、朱莉は如月に挨拶をし事務所を後にした。

 天華会館の廊下を職員用出入り口に向かって歩きながら考える。

 別に今までやりたい仕事があった訳じゃない。結婚式場でするはずだった業務にしてもたまたまという言い方は出来た。誰もが好きな仕事に就ける訳ではない。かといってコンビニのバイトみたいに何の職歴にもならないものに身をやつして、時間を浪費するのも嫌だった。

 だが住処は地縛霊が占拠、誘われるように就いた職場は鬼門中の鬼門、自分の力で切り開く未来を夢見たのもつかの間、これはリセットしろという事か。神などもはや信じてはいないが、これは何の思し召しか。ここまで――

「お、あがり?」

 如月館長が飛騨さんと呼んでいた、先ほどの関西弁の女性職員が、館内の自動販売機に商品を補充しながら朱莉のことを呼び止めた。

「あっ、はい。今日は上がってもいいということなんですけど――」

「ほい!」と、飛騨は朱莉に缶コーヒーを投げてよこした。朱莉はたどたどしい手つきでそれを受け取る。

「すみません、いただきます……あの――」

「いや、昼間はごめんな。うちら忙しいときは嵐のようにバタバタしてるから。ウチもこれ終わったら上がるつもりやけど――なんか訊きたいことある……やんなぁ?」

 飾り気のない容姿は女性としては地味の一言に尽きるが、その話口調は語尾までしっかりしており、意志の強さを感じる。目が大きく鼻筋が通っており、えらが少し張った輪郭は少し日本人離れした感じに見える。

「あの、飛騨さんも前の職場で何かやったとか?」

「ああ、あれね。ウチはもともとAUNの系列病院で看護師やってんけどな、ドクターともめてここへ島流しにおうてん」

「そんなことって……普通にあるんですか?」

「ま、同系列やから、どこにいても社員は社員や。人事異動っていやあ聞こえはいいけどな。組織によっては私みたいに出向って形をとってる場合もある。今日来るはずやった子が、介護士降ろされてこっちに回されるはずやったんや、それがこおへんかった。それであんた……ええと」

「周防です」

「そ、周防さんが急きょ呼ばれたってことやね」

「ええ? 看護師だろうと介護士だろうと畑違いじゃないですか。異動させてまで葬儀場で働かせるんですか?」

「まあ、罰みたいなもんや。二三か月で元の職場には戻すよ、たいていは」

「あたしは会社ってとこ初めてで、異動だとか出向だとかよくわからないんですけど、そういうのってアリなんですか? 正直ちょっと……」

「――信じられんよね。AUNのやり方は」

「あたしこんなつもりじゃ――」

「ここに来た人はみんな最初はそういうんやけどねぇ……」

 飛騨はそう言いながら、ペットボトルの緑茶のキャップをひねる。

「……っていうか、あたしはいつまでなんですかね? 今日就職してまだ四日なんですけど……」

 それを聴いた飛騨は、一瞬前のめりになって、飲み物を吹き出すのを堪えた。

「えっ、そうなん? ええと…………ええと、そうかぁ……」

「ちょちょちょ! なんで目ぇ逸らすんですか! しかもちょっと語尾に哀れみ含んでませんか?」朱莉は思わず、向かいに座った飛騨の両袖をつかんで詰め寄ってしまっていた。

 そこへ通りがかりの初老の男性職員が人差し指を唇に当てて、静かにしろと無言でたしなめながら通り過ぎていった。

「あのひと、津森さん。ここでは一番長いんやけどね。葬儀でわからないことはあの人に訊いたらええよ」

 廊下はしんと静まり返り、通夜が終わった葬儀式場も一部を除いて照明が落とされる。その中で、色とりどりの無数の仏花と黄金色を基調とした豪華な祭壇が存在感を増していた。

 そして祭壇前に安置された桐のお棺が、ひっそりと静かに息をしていた。

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