17. 結末と破るべき『殻』と歩み続ける人生

 テンプルム・タワーのインフラは、夜が明ける直前までには全面的に復旧した。幸いにも重篤な怪我人や被害は確認されず、タワー内の自治組織は階段を使って救援物資の輸送を行っていたという。

「短時間とは言え、泥臭い人間の互助が現代的テロリズムに対抗できた──これだけでも、歴史に刻まれるべき出来事ではないですか?」

 横に立つヒナがそう言って微笑む。しかし、その顔からはひどく疲弊した様相が見て取れた。彼女は第十二階層との連絡役に加えて、警察職員として宿直の業務も並行でこなしていたらしい。

 松島ヒロトの身柄は、人気ひとけの少ない第十階層で引き渡された。空の玄関口であるこの階層らしく、エレベーターホールは高い天井と爽やかな装飾が目を引く。

 騒動の首謀者となった『志賀野I・Cインターナショナル・カレッジ』はすぐさま家宅捜索が入り、計画の実行を証明するメール文章が次々と押収されたらしい。内通者の主犯格以下六名が逮捕、全員がテロ行為への荷担を目的として事業を興したことを認めた。





『そういや例の記録潰しっすけど、分析してみたら、ほらこれ』

 リンが階下に降りる前、モモが分解した箱を両手に乗せて見せてきた。騒動の後、ライブ配信に目を奪われながらも徹夜で作業していたようだ。

『中の基盤の構造があまりにも特殊だったんで、種類の同定が無理だったんです。ただ、正体は分かりました、たぶん』

『正体? カードの履歴を操作する装置じゃないのか?』

『ご名答。これはそんなチャチな装置じゃなかったんすよ。

 これは、次世代高度人工機能体ネオ・オーガノイドに搭載される予定の末端制御基盤でした。って、私もネット上の論文を途中まで読んだだけなんで、専門的な事はあんま分かんないっす。簡単に言えば、これまでのサイボーグとは逆を行く理論、全く新しい生体技術っすね。

 使。人体の繊細さと電気駆動のパワーを兼ね揃えた、要は最強のサイボーグっす。でもこの理論はロボットに髪を生やすようなもんで、けっこう色んな課題が山積みになってんすよ。その一部を解決するのが、このアイテムってこと』

『何でそんな基盤がその箱に? それは彼の父親が作った違法機器だと言っただろ?』

『その父親の工場って、第一階層四十階のとこでしょ? そこが研究所から請け負ってパーツを試験生産してるんすよ。多分働いてる時にこっそり盗んだんでしょうね』

「そんなことをする理由は? 息子には記録潰しとして渡したんじゃないのか?」

 モモは心底めんどくさそうな顔でリンを見る。

『ちったぁ自分の頭で考えてくださいよ。どうせこの事件の手柄は全部リンの物なんだから。

 ……私の予想っすけど、父親は薄々気付いてたんじゃないすか? あの予備校のヤバさに。圧力掛けられて仕事を追われるぐらいの事されて、流石に何かがおかしいと思って調べてみたら、当事者たちの息子同士がその予備校で出会っていた。そうなるともう怪しさはMAXっすよね』

『つまり、父親は息子に予備校を辞めさせるために記録潰しを持たせた……』

『というより、試したんだと思います。彼らがどんな反応を見せるか。

 その父親の思惑と、少年を辞めさせたい同級生の親と、テロの機会を伺う奴等。奇跡的に三つの思惑が重なっちまったんすね。少年にプログラムの開始コードを仕込んだ上で、見せしめみたいに他の生徒より一足先に帰らせて、それで二者の目的は達成。たぶん父親の中でも、今回の事件で学校は『クロ』だと結論が付いたはずっす。

 でも少年の人生がそれで終わるわけじゃない。外国語を学ぶのはただの手段、周りと同じレールの上を歩かなくたって、夢を叶える方法なんていくらでも用意されてるしね』

『箱の中に基盤を入れたのも、その技術を隠れて渡すために?』

『『を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ』、少年のオヤジが言いたかったのは、このことだったんすね……』

『なんだ? それ』

『なんでもない、こっちの話っす。

 とにかくその基盤の正体を自力で解析できれば、今必死に机に向かってる奴等の頭なんて軽々飛び越えるスキルを手に入れられる。それが彼にとって本当に取り組むべき『手段』で、目指す『ゴール』っす。父親はそのメッセージを伝えようとしたんじゃないすかね。

 ところで、これどうすんの? なんとか捜査の目からは隠し通したけど、これはこれで窃盗罪とかっすよ』

『……そうだな。本当は見逃すべきではないんだろうが、それは俺が何とかする』

 そう言うと、リンは皺だらけのジャケットに腕を通す。

『とにかく、助かった。礼を言うよ』

 リンはモモの頭を雑に撫でると、お世辞にも整ったとは言えないスーツ姿でエレベーターホールに消えた。モモはボーっとその後ろ姿を見つめる。

『……ま、悪い気はしねぇや』


 自分の顔を見られないように、モモも早足で部屋に戻った。




 昇りつつある太陽に照らされた第十階層には、早朝にもかかわらず『関係者』が多く集っていた。超高所特有の痛いほどの陽射しが全員の顔を黄金色に染め、タワーに慣れていない捜査員は耐えがたそうに顔を強張らせている。

 捜査の結果、ヒロトに過失は無し、不本意に第十二階層へ辿り着いてしまったという結論が出た。ただ、なぜ普通の定時運行エレベーターに乗らなかったのかなど不審な点は残るため、警察で取り調べを受けるらしい。ヒナ曰く、『私の後輩が担当することになったので、なんとでもなります!』だそうだ。どちらにせよ、面倒な問題にはならないだろう。


 


「では、我々はこれで」

 大きく口を開けた臨時便のエレベーターに捜査員が次々と乗り込み、ヒロトも背を押して促される。リンとヒナはその様子を黙って眺めていた。

「おい、少年」

 そう呼び掛けるリンに、ヒロトは振り返らない。

「『を破ってこそ浮かぶ瀬もあれ』、限られた世界での常識を鵜呑みにしないことだ。学歴やメンツなんかより大事なことを忘れるなよ」

 ヒロトはエレベーターの一歩手前で立ち止まる。

「それ、からのメッセージですか?」

 その言葉に、リンは大袈裟に驚いて見せる。

「モモ? 君はそんな人物の存在を知らないし、これは俺からのメッセージだ。と言うより、大昔のことわざだ。覚えておいて損は無い」

 ヒロトはそれを聞いて、僅かに肩を上下させる。どうやら笑われたようた。

「それ、ちょっと間違ってますよ」

「そうなのか?」

 リンは本当に知らなかったらしい。

「でも、少し気が楽になりました。もう少し視野を広げて頑張ってみます。……その、色々とお世話になりました」

 ヒロトは最後まで一度も振り返ること無く、フロアからカゴヘ乗り込んだ。

「なんだか、呆気ないお別れでしたね」

 ヒナの言葉を無視して、リンは手元の記録潰し──もとい、基盤入りの箱を握り締めた。

 ヒロトの脇に立つ黒服の男が行き先を操作し、扉が別れの方向に動き出す。現場の責任者と思われる男が、無感情な様子で小さく頭を下げた。




「えっ、ちょっと! 倫太郎さん?」

 同時に、リンが閉まりかけのエレベーターに向かって走り出す。カゴの中に腕を伸ばし、俯きがちなヒロトの胸ぐらをつかんで力任せに引きずり出した。細身のヒロトは狭い隙間をくぐり抜け、呆気に取られる黒服の手から引き剥がされる。

 『開』のボタン操作は間に合わなかった。黒服だけを乗せたリニアエレベーターは快適な下降運動を開始し、どよめく声を乗せた箱は足元のさらに下へ消えていった。

 引きずり出された本人もまるで訳が分からないという顔をしている。そんなヒロトの前に、リンは小さな箱を差し出した。

「あの諺は間違っちゃいないさ。学校では教わらないかもしれないけどな」

 細い指を伸ばし、確かにそれを捕らえる。分解した跡も無く完璧に閉じられた箱は、仄かに桃の香りがした。

「いつか、君自身の殻も破れるさ」

 ヒロトはリンの言葉の意味を理解しただろうか、その箱を大事そうにリュックのポケットに仕舞った。

「そうですね……もっといろんな世界を、見てみます」

「だからって、もう第十二階層には来るなよ」

 リンは冗談めかして、しかし、少し厳しくそう言いつける。

「ちょっと寂しいですけど、仕方ないですね」

 初めて、ヒロトの自然な笑みを見た気がする。ヒロトは二人の目をしっかりと見て、今度こそ別れの挨拶を口にする。

「じゃあ、改めてお世話になりました。

「……それでいい」

 ヒロトはやがて来た後続のエレベーターに乗り込んだ。次に合うのは十年後か、五十年後か。ヒナは目の周りを赤らめながら、ドアが閉まりきるその時まで手を振り続けていた。

 気が付けば、陽光は上空三〇○○メートルの二人と同じ高さまで昇っていた。一晩で復旧を果たしたこのタワーは、またいつもと変わらない鼓動を打ち始めるのだろう。

「次に会える時は、すごい人になっているかもですね」ヒナが言う。

「また会う気なのか?」

「子どもたちの将来を見届けるのも、少年課の仕事ですから!」

 ヒナは胸を張って、そう言う。


「なら、その時は俺の遺言状も持って行ってくれ」

 リンはごく自然に言う。だがその言葉で、ヒナの表情は途端に暗くなった。

「あと、どれくらいなんですか」

「……長くて七年だそうだ。最近は目のかすみが酷くてな。状況次第ではもっと早まるかもしれん」

 リンはそう言って目を細めた。目元にできる皺はその歳には似合わないような、老練した趣きを匂わせる。

「辞めるつもりは、ないんですか」

 強い陽射しが逆光になって、見上げたリンの表情はよく見えない。無駄な質問だったかな、ヒナは直感でそう思った。

「考えておくよ」

 その時、リンの端末が鳴った。自由の利く左腕で取り出すと、短い応答を二、三回繰り返す。

「ええ、すぐに向かいます」

 通話が切れた。リンは耳元に当てた端末を降ろさず、何か思考するように目を瞑った。

「……お電話、警察の方から?」

 リンは小さく首を横に振った。

「『観測室』からの召集命令だ。……行ってくるよ」

 ヒナの頭に軽く手を置くと、リンはエレベーターと逆の方向に歩いていった。ここは空の玄関口、第十階層。すでにエアポートには迎えが来ているらしい。



「私、もう子供じゃないんですけど」

 ヒナは自分の頭にそっと手を置いて、不満げにそう呟いた。



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マジカルガール・オン・ザ・フロア918 千歳 一 @Chitose_Hajime

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