16. 三つ目の選択肢と逃げ場の無い問答と天蓋よりの使者

『たぶん、気を失っちゃったんですね』

「……御苦労だった」

 リンは動く方の腕で腹上の義体を持ち上げると、足を曲げてその下から這い出る。

「……おいモモ、手貸してくれ」

 華奢なモモの肩を支えにすると、痛みに顔をしかめながら立ち上がる。

 足元には、まだ身体を動かせないでいるサイボーグが仰向けで転がっている。驚愕と狼狽の感情が、彼の目の動きだけでも読み取れた。「あれだけの深手を負ってまだ動けるのか」、そう言いたいのだろう。

 まだリンの指先からは血が止めどなく流れているが、逆に皮膚は血色を取り戻し始めている。

「長いこと魔法少女の近くにいると、生命力を吸われ続けた身体は少しずつ変質するらしい。より強固に、より柔軟に、まるで進化するみたいにな。……消し飛んだ腕は生えないが、皮一枚繋がって助かったよ。

 でなきゃ、こんな仕事は務まらない。文字通り『死』と隣り合わせの仕事はな」

 隊員の顔が歪む。憤怒と、羞恥と、微かな後悔。満足に物も言えぬ身体の奥で、激情だけが滾る。しかしそれを噴出する手段は、もう残されていない──。

「モモ、何か縛るものを持ってこい。『歌』の効果が切れたら厄介だ」

 モモはリンと隊員を心配そうに交互に見て、それから後ずさるように部屋を出て行った。

「……オ、シえテ、くれ、お、マえ……、はな、にモの……」

 震える舌の筋肉で紡ぐ、最後の言葉。左腕で小銃を拾い上げていたリンは、その顔を真上から見下ろした。

「その質問は、お前の組織への手土産か? それとも、個人的な興味か?」

「ど……ア…………」 

 隊員の肩は小刻みに震えている。神経伝達阻害による副作用か、極度の怒りによる生理的な現象か──それとも



「いや、違うな」



 二回の銃声で、すべてが決した。

 部屋を出ていたモモが血相を変えて飛び込んで来る。そこにはすでに武器を投げ捨てた後のリンと、頭部を二回貫かれた金属の死体があった。

「え……どうして……」

 リンは返答の代わりにその場にしゃがみ、隊員の頭部から顔面を覆うガードを取り外した。

 その内側にはデジタル表示で、小さなグラフや文字列が点滅しながら流れ続けている。

 そして中央部で一際異彩を放つのは、00:04で停止した赤色のタイマー、のような物。

「なんすか、それ……」

 リンは目を伏せる。

「自爆装置のカウントダウン、だろうな。どこかのタイミングで発動させていたんだろう」

 任務の遂行が不可能になった時点で敵に一矢報いるためだけに搭載された、後先を一切考えない最終手段ラストリゾート

「最後の問いは、ただの時間稼ぎか……」

 リンは仄かな温かさの残るガードを強く握る。浮かび上がっていた表示は徐々に薄くなり、やがて強化プラスチックの冷たい感触に取って変わられた。

「リン、大丈夫っすか?」

 床に散乱した金属片を素足で踏まないように、モモは部屋の入り口に立っていた。

「この程度の傷なら慣れてる。血さえ止まれば問題ないよ」

「そう言う問題じゃないでしょ」

 射竦めるように、モモはこちらを見る。

「サイボーグと言っても、コイツらだって一応人間っす。痛覚はほとんど無いし、流れ出る血は純粋な赤色じゃない。それでも、コイツらの存在の根っこはリンと同じなんすよ。リンは今、そのサイボーグの頭を撃ち抜いた」

「そうだな」

「リンの人殺し」

 平坦な口調で、モモがそう口にする。

「非難したいのか?」

 平静な様子で、リンはそう答えた。

「もちろん、違いますよ。私は事実を言っただけっす。でもリン、人殺すの初めてでしょ? 自覚あんのかなと思って」

「……まさか、お前に言われるとはな」

 リンは苦笑する。しかし、モモの表情は至って真剣だ。

「人を殺すことはただの行為だと分かったよ。その善悪を決めるのは、いつだって自分以外の人間だ。

 ……お前は、どう思う?」

「アンタは自らの意思で人の命を断った。どんな理由があろうとも、その事実は死ぬまでアンタの体を蝕むし、心を侵す。自分がどれだけ否定しようともね。一生剥がせない称号をゲットしたってことっす」

「……」

「ただ、私のマスターとしては合格点っす。人の一人ぐらい殺せなきゃ、その仕事は勤まんないすよ。 

 ……改めて、よろしくっす。私の優秀な召し使いさんShem-ha-mephorash

「マスターなんだか召し使いなんだか、はっきりしてくれ……」

「こういうのは雰囲気なんすよ! リンもちょっとは乗れ! そんで私の設定に合わせろ!」

 そんなやり取りの中、端末のスピーカーから大音量でヒナの声が響いた。


『倫太郎さん! そちらへ向かうリニアエレベーターの復旧の目処がたちました!

担当の方がひとまず状況を知りたいとのことですが……』

 リンは端末を拾い上げてボリュームを下げる。

「ああ、秘匿回線で繋いでくれ」

 保留音が数回流れた後、電話口に壮年の男が出る。警察疔ではなく内閣安全管理だか情報部だかを名乗っていたが、リンの対応に変わりは無い。

「ええ……はい。状況から推測して、日本へのテロ行為の可能性が高いかと。……私も動揺していまして、詳しいことはあまり」

 早口で騒動の経緯と被害の内容を説明し、明らかに怪訝な様子を見せる男を説き伏せた。こういった事案は日本政府が口出しできない事項も多いので、こちらの都合の良いように言いくるめることも容易だ。

 もちろん、魔法少女に関する情報は一切口にしなかった。

「……以上です。じきにそちらから捜査チームが来ることも伺っています、それでは」

『ちょっと待ってくれ』

 電話の向こうの男に引き留められた。

「まだ、何か」

『あなたの身分を伺っていない。捜査を担当する機関として、第一発見者の素性を明らかにするのは当然だろう』

 また肩書きの話か。リンは心の中で愚痴を吐いた。

「申し遅れました。警察庁」

天蓋てんがい計画、という名称に聞き覚えは?』

 相手の方が一歩早かった。

「は? 天蓋? さぁ、何の事でしょう……」

『返答に通常より0.06秒の遅れ。私の推測では、あなたはこの言葉を聞いたことがある。それも、高い頻度でね』

 ハッタリだ。流れに乗せられないよう黙っていると、相手は先を続けた。

『情報機関として恥ずべきことだが、我々はこの計画に関してほとんど情報を有していない。だが、一つだけ明らかになっている事もある。

 現在タワー地上部で待機している捜査員のほぼ全員が、天蓋計画への内通者だ。政府が事態を収拾コントロールすることなど、最初から出来なかったのだよ』

「……それを私に言ってどうしたいのです? 私も暇じゃない。手短に頼みたいんですがね」

『あなたも天蓋計画の関係者だ。そうだろう?』

 男の口調はおそらく初めから変わっていない。しかし、有無を言わせず相手の口を割らせようとする機械的な追及は、言葉を追うごとに厳しさを増している。

 腐っても国家が擁する情報の番人だな。リンは額の汗を手で拭った。

「……これまた、急な話ですね」

『返答に1.77秒。あなたの挙動には不審な点が多すぎる。スパイとしての素質は無いように見受けられるが』

「日本が誇る情報機関は体内時計まで完璧だ。流石ですね」

『それを専門とする訓練もある。だが今は無関係の話だ。結論を急がせてもらうぞ』

 あるのか……。男の言葉に笑いそうになるのを、感づかれないように堪える。


 同時に、もう隠し切れないと勘づき始めていた。


「一応聞かせてください。あなたがそれを聞く理由は、組織への手土産ですか? それとも個人的な興味ですか?」

 今度は相手の反応が一瞬遅れたのを、リンは見逃さなかった。

『……その質問の意図が分からんな。』

「別に意図なんてありません。単純な疑問ですよ」

『仮に前者だと答えたら?』

「だから、ただの興味以上のものはありませんよ。それで、どうなんです?」

『後者だ』

 男は即答する。

「答えに0.1秒の遅れがあったような気がしますが」

『どう思われようが結構だ。……それで?』



 もう逃げられないな。一筋の汗が頬を伝う。





「天蓋計画外局、『魔法少女生命観測室』二等観測者の、如月倫太郎です」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る